陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第五章・第三節〕

 前日に引き続き、今日も朝からいい天気だ。

僕らの気分にそぐわないのは致し方無いけれど、むっちゃんの出立がそぼ降る雨の中になるよりは余程ましかも知れない。

葉月は早くから起き出してキッチンに立っており、朝食の食卓もなかなか気合が入っていた。

 

「お疲れ様、葉月」

僕が労うと、相変わらず俯き加減でこちらを恨めしそうに見ながら、

「下僕が早起きしないんだから仕方無いでしょ」

と憎まれ口を叩く。

普段とは全く逆に、今はそれをもっと威勢よくガミガミ言って欲しいとお願いしたい位だったが、所詮物事は僕の思いとは逆に転ぶものらしい。

せめてもの救いは、そんな僕らを見てむっちゃんが笑みを浮かべてくれた事だろうか。

それに会話こそほとんど無かったものの昨夜に比べれば食卓の雰囲気は和やかに感じられ、このまま昨日からの全てが無かった事にはならないだろうかと何度も思ってしまう。

にも関わらず時間とは非情なもので、一瞬たりともその歩みを緩めてくれはしない。

 

 そして、とうとうその時は来てしまう。

スーツケースを持って玄関に立ったむっちゃんは、葉月と一緒に選んだ筈の浅緑のハイネックのニットに千鳥格子のパンツという姿で僕らに向き直る。

 

「仁も葉月も本当に有難う。二人がいてくれたからこうして無事に皆と会えたわ。あたし、今とっても幸せよ……」

 

言葉とは裏腹に彼女の表情は硬く、何かをグッと抑え込んでいる様だ。

僕は昨夜からずっと頭の中で回り続けていた数多の言葉の切れ端の中から、何か一つでも大切なこと気の利いたことを拾い出そうと努力したが、毎度の事ながらこの世界のリズムにはどうしても乗り切れない。

 

「これ――、私のお古で悪いんだけど」

徒に時間を浪費する僕を押し退けた葉月が、むっちゃんに何かを差し出す。

それは見覚えのある財布だった。

「これ、お財布なの?」

「うん。それと、ほんのちょっとだけどお餞別と思って……」

実は僕も後ろのポケットに餞別を用意しているのだが、例によって何時切り出そうかと逡巡している内にここ迄来てしまったので、大方葉月はそれをも見透かしていたのだろう。

 

「駄目よ葉月。こんな事迄して貰う訳にはいかないわ」

見ると何時用意したのか、財布にはすぐ使える様にちゃんと千円札や小銭迄入れられている。

デカい札をそのまま渡そうとしている僕とは大違いだった。

「これからは大した事もしてあげられないから、せめてこれ位させて?」

「嬉しいけどやっぱりダメよ」

二人が押し問答になりそうなので、やっと口を挟むチャンスが出来る。

「むっちゃん、ちょっと貸してくれる?」

「?」

少々戸惑いながらも彼女は財布を渡してくれたので、用意していた餞別を入れて彼女に改めて差し出す。

「凄く正直に言うよ、本当はもっともっと沢山渡したいんだ。でも、さすがにそれじゃむっちゃんが受け取ってくれないと思うから暫くの間のお小遣いだけと思って……。お願いだから受け取ってよ」

そう言って彼女の手に財布を握らせると、その手にぐっと力が入る。

 

「――」

 

葉月が何か言おうとして、彼女の様子に気が付き口籠もる。

むっちゃんは下を向いて歯を食い縛っている様だ。

強く力を入れているらしく、財布を持った手がブルブル震えている。

やがて、彼女は深呼吸すると深く溜め息を吐いてゆっくりと顔を上げた。

 

「二人とも有難う、大切に使うわ」

 

そう言った彼女の瞳が潤んでいるのを見て初めて、泣くのを堪えていたのだと分かる。

 

言い様もなく悲しかった。

 

この数日間、彼女が涙を見せまいと我慢した事などあっただろうか?

ほんの一日、いや半日の間に僕らの距離はこんなに開いてしまったのだと思うとどうにもやり切れず、犯人でも探し出したい気分だ。

 

そんな僕の内心を感じ取ったらしい葉月が、

「さあ、そろそろ行かなきゃね!」

と空元気そのものの声を上げる。

その声に引き摺られる様に、僕らは半病人の様な状態で家を出た。

見れば葉月もスーツケースを引っ張っており、見送りしたその足で自宅に戻る積もりらしい。

 

(一体何があったんだよ……)

 

そう思いながら角を曲がると、ちょうど公園前に昨日のあの車が到着する処だった。

少し足を早めて近づくと、助手席から昨日何かと世話をしてくれた女性が降り立ち、こちらに向かって敬礼する。

「訓練隊総務課員を拝命しております斑駒です! 本日は命を受けて陸奥さんをお迎えに上がりました」

と、歯切れ良く挨拶してくれる彼女には何の罪も無いのだが、正直に言って聞くに堪えない気分だ。

 

なのに、むっちゃんはほとんど感情を表す事も無く、

「この度はお世話になります。宜しくお願い致します」

と進んで挨拶してしまい、考え直してくれる気配も見せない。

 

仕方が無いという気持ちとそれでも納得がいかないという思いとが同時に湧いて来て、訳もなく叫び出したい衝動に襲われ掛けたその時、思いもよらず斑駒さんの発した言葉が耳に飛び込む。

 

「はい、ですがその前に中嶋よりお伝えしたい事がありますのでお聞き下さい。陸奥さんにおかれては、再度ご自分の意志を確認されるよう強くお勧め致しますとのことです。その上で改めてご返事をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

やはり中嶋副長はさすがと思わせるものがあった。

僕が同じ立場であったなら、果たしてこんな配慮など思い付くだろうか?

そんな期待感が急速に胸の内から湧き出し、ひょっとしたらひょっとするかも知れないという望みが頭をもたげ掛けるが、残念な事にそれはたったの数秒で捻り潰されてしまう。

むっちゃんの意志はとても強固で、ほとんど躊躇い無く平板な声でそれに応えてしまったのだ。

 

「はい、改めて申しますが隊にお世話になりたく、宜しくお願い致します」

 

斑駒さんは明らかに困った様な表情でこちらを一瞥したが、(僕の顔にどんな感情を読み取ったのだろうか)僅かに寂し気な目をした後で、それらを振り払うように首を軽く一振るいするとキビキビとした彼女に戻った。

 

「分かりました、それでは隊にお連れ致します。どうぞこちらへ」

そう言って、昨日の中嶋副長と同じ様に後部ドアを開けてむっちゃんを誘う。

 

「仁、葉月、色々有難う。また次の会合の時に会えるわね」

 

それだけを言うと、彼女は禄に僕らの顔を見ようともせずさっと車に乗り込んでしまう。

 

(何か言えよ! これが最後だぞ、おい!)

 

必死に自分を叱咤するが、感情が込み上げて来て口が動かず、結局名前を呼ぶ事しか出来ない。

 

「むっちゃん――」

 

そう呼び掛けると、シートに座った姿勢の彫像の様な彼女が声に反応してギュッと膝の上で拳を握りしめる。

急に何かに衝き動かされてむっちゃんの側に行こうと身を乗り出し掛けたが、片手をぐいと掴まれ止められる。

 

誰だと考える迄も無く、それは葉月だった。

いきなりまた叱られるのかと思いきや、彼女は目を伏せて唇を噛んでいる。

 

「ちょっと話すだけだよ」

 

そう言ってとにかく手を振り解こうとするが、葉月は手首を力一杯握り締めて離さず、余りに予想外な小さい声で、

 

ダメ――

 

とだけ言う。

 

(えっ?)

 

意表を衝かれて戸惑ったその間隙に斑駒さんが静かにドアを締め、さっと敬礼すると、

「それでは失礼致します」

と告げて助手席に乗り込む。

 

茫然としている僕を尻目に車が動き出そうという正にその刹那、車窓の向こうでむっちゃんが顔を覆って泣き崩れる。

 

むっちゃん! むっちゃん!

 

叫んで咄嗟に車を追い掛けようとしたその手首を、葉月の両手がまるで手錠か何かの様に締め付けて離さない。

 

離せよっ!

 

カッとなって怒鳴るが、それでも彼女は手を離さず、

やめて、お願い……

と振り絞るように言う。

 

(何なんだよ、何でそんな言い方するんだよ――)

 

恐らく初めて目にするその様子に呆気にとられ、束の間その場に棒立ちになる。

 

事もあろうに、この僕に向かって彼女が『お願い』などと言ったことがこれ迄一度でもあっただろうか。

 

「クソッ!」

 

心の中では無く吐き捨てる様に口にすると葉月はやっと手を離したが、その手首を見ると軽くだが鬱血していた。

車はもう見えなくなっている。

 

「私――、帰るわね」

 

彼女は目を伏せたままそう言って、踵を返すと歩き始める。

 

ふと意地の悪い気分になった僕は、その背中に向かって声を掛けた。

 

「送って行こうか? 迷うといけないし」

 

葉月の肩がピクッと上がって一瞬立ち止まり掛けるものの、更に足取りを早めて逃げる様に歩き去って行く。

 

心地良いそよ風と穏やかな日差しとが、とにかく無性に腹立たしかった。

 

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