艦内は揺れが少なく快適だった。
もっとも最初に篠木が言った言葉に掛け値は無く、陸奥らに提供された船室は仲間達全員が待機するにはいささか手狭だった。
とは言え、斑駒によると艦内にこれだけの数の女性が着替えをしたり出来る部屋が無いので、わざわざ士官室を提供して貰ったとの事である。
これにはさすがに苦情を言える筋合いではなく、仕方の無いことではあった。
「皆さん、間もなくですよ」
その斑駒が船室の扉を開けて顔を覗かせたので彼女に続いて外に出ると、乗員と思しき男性隊員が待ってくれている。
「こちらです」
と先に立って誘ってくれるその案内に従ってデッキに出たところ、低く垂れ込めた雲の下に黒々とした島影が見えた。
「ここが本日の訓練海域になります。波が穏やかでほっとしました」
そう言って安堵した様子の斑駒のみならず、陸奥も皆も同じ気持ちだ。
(海の上は久し振り見たいな気がするわ)
ぐったりした仁を腕に抱いて岸辺に向かっていたのは僅か十日余り前の事なのだが、随分時間が経った様な気がする。
「何だか緊張しちゃうなんて可笑しいですよね――、アタシ達船なのに」
朧が硬い表情で呟く。
「あ~っ、こんな事ならもっと走り込みしとくべきでした! やっぱり、継続は力なりですねぇ~」
「走り込みは余り関係無いんじゃないの、長良ちゃん?」
「違いますよ陸奥さん、気分の問題なんですこれは!」
「ほほほ、長良殿は分かり易い方じゃ。こうして心持つ身と相成ったからには気持ちは大切ですからの♪」
「初春はやっぱり私のこと馬鹿にしてない⁉ 大体、昔もそうだったわよね、今度ぶつかったりしたら承知しないからね!」
「長良ちゃんまだ覚えてたんだぁ~、姉様だって痛かったよねぇ♪」
「こら子の日! 誰が長良『ちゃん』なのよ⁉ やっぱり尊敬して無いじゃない!」
三人がじゃれ合う姿はとても微笑ましく、心を和ませる。
「皆さん、これを頭に付けて頂けますか?」
斑駒が、通信兵が頭に載せていた様な物を持って来て皆に配る。
その指示に従って頭に載せ、言われた通りの場所を回して見るとカチリと言う音と同時に皆の話し声が聞こえ始める。
彼女が舷側から艦橋の方に向かって手旗を振ると、突然耳元で中嶋の声が響く。
「皆さん、体調の悪い方はおられませんか?」
陸奥は仲間達の顔を見回しながら、
「皆大丈夫かしら?」
と声を掛けるが、
「はーい」
と声を揃えて返事をする皆の様子に特に異常は見受けられ無い様だ。
「お聞きの通りです、副長」
「分かりました。それでは皆さん、間もなく停船して訓練を開始しますので何時でも海上に出られる様に準備をお願いします。今聞こえているこの無線は余り遠く迄は届きませんので、これが聞こえる範囲で展開して下さい。それではもう少し待機をお願いします」
中嶋の声が途切れると、続いて斑駒が皆に声を掛ける。
「それでは一旦無線を切って下さい。今の内に済ませる事は済ませて下さいね!」
早速子の日らが駆け出していくが、もとより艦内のトイレの数は限られているので陸奥らはゆるゆると構えていた。
全員が後甲板に戻った頃、艦が停止し斑駒の指示に従って再度無線を点ける。
「皆さん準備は宜しいですか?」
再び中嶋の声が無線を通して聞こえたので、改めて全員の顔を見た上で
「準備完了です、副長!」
と返事をする。
と、それを待っていたかの様に乗員達が数名後甲板に現れ、デッキの手摺様のところに梯子を掛けてくれる。
「皆さん、救命胴衣を正しく着用しているか確認出来ましたら艦尾より海上に降りて下さい」
無線から響く中嶋の指示に応じて陸奥が真っ先に降り様とすると、
「駄目ですよ陸奥さん♪ 露払いは私達の仕事ですよ」
と妙高に笑顔で制止される。
「そうです、陸奥さんは私達の旗艦なんですから」
と高雄も言いながら妙高に続いて海面に降り立つ。
「皆いらっしゃぁーい♪ 次は私達ですよぉ~」
龍田が駆逐艦達と長良に声を掛けると軽やかに降りて行き、皐月らが後に続く。
結局、陸奥は赤城、加賀と共に最後に海面に降り立った。
(忘れ掛けてたわ、この感じ……)
全身に力が漲り、体そのものが大きく広がった様な不思議な感覚に満たされる。
艦を振り返ると、乗員達が半ば呆然とした態でこちらを見ている。
「まるで誂えた様に『鳩が豆鉄砲を食ったような顔』をしていますね」
相変わらず素っ気無い調子で加賀が寸評を加えると、無線から中嶋の苦笑が聞こえて来る。
「仕方ありませんよ、皆さんを見て驚かない人間は居ませんから」
中嶋のその言葉に、
「私も今そんな顔をしてますよ!」
と言う篠木の声が被る。
思わず陸奥も笑みが零れ、詫びの言葉を口にし様とした時
「まことに申し訳御座りませぬ艦長殿、大度をもってご寛恕下されよ」
と、初春が雅な詫びを一呼吸早く述べる。
無線の向こうから篠木の楽し気な笑い声が響き、仲間達も一斉に楽し気に笑うと艦上にも笑顔が広がる。
「では皆さん、南南東の方向約10,000メートルに、500メートルの間隔を開けてブイが二つ設置してあります。確認は可能でしょうか?」
その声が聞こえた途端、頭で考える迄もなく体が勝手に反応して自然に正確な方角が確認できる。
「凡そ一六六度ですね」
妙高の呟きが聞こえると無線の向こうで息を飲む気配がし、中嶋が呼び掛けて来る。
「距離も分かりますか?」
それを答えるのはやはり戦艦である自分だろうと思い、射撃方位盤の下にあった測距儀を思い浮かべると自然に答えが頭に浮かんでくる。
「一〇,三〇〇米です」
陸奥が答えると篠木がやや上ずった声で、
「陸奥さんにはそこからブイが見えるんですか?」
と問い掛けて来る。
「はい――皆も見えてるわね?」
「はいっ!」
全員の綺麗な返事が響き、中嶋も篠木も沈黙してしまう。
「中嶋副長、射撃訓練を開始して宜しいですか?」
加賀が質問すると、無線の向こうで中嶋が我に返ったかの様に声を上げる。
「――ああ失礼しました。それでは皆さん、二つのブイの間の海面を標的として射撃訓練を開始して下さい。くれぐれも安全には十分な注意をお願いします」
この指示を受けて、陸奥は改めて仲間達に具体的な指示を出す。
「じゃあ、まず射撃経験のある皆はお手本をお願いね? 加賀ちゃん、指揮を頼めるかしら?」
「判りました。では全員こちらに整列して下さい、妙高さんから前に出て主砲から順に高角砲、機銃の射撃を最低一斉射ずつよ。その後は――」
彼女の淡々とした淀みない指示に従って仲間達は隊伍を整えなおし、その中から妙高がすーっと前に進み出ると落ち着いた様子で軽く身構える。
「準備は出来たかしら? それでは――ヨーイ、――撃―ッ!」
それは何とも奇妙な光景だった。
妙高は両腕を少し斜め上に揚げて構えていたが、無論発砲音などは何もしない。
にも関わらず一瞬彼女の肩がぐっと盛り上がり、上半身がびくんと仰け反ったと思うと何事も無かった様にすっと腕を下ろす。
陸奥が標的方向を凝視していると、ほぼ予想通り(自分の主砲より僅かに早い筈だった)の時間で水柱が重なり合って立つ。
「弾着!」
と叫ぶと、中嶋も
「こちらでも確認しました。到達時間は実艦の当時と変わりませんか?」
と問い返して来る。
陸奥に目で促された妙高は艦橋の方を振り返りながら
「はい、砲口初速もほぼ出ていると思います。ただ、実艦で無いからだと思いますが散布界が極めて狭く、流される印象もありません」
と簡潔に答えてくれる。
「成程、たいへん興味深いですね――。計測している訳ではありませんが、見たところ運動エネルギーもほぼ同等の様ですし」
「副長、魚雷投射や航空索敵訓練は実施しますか?」
「そうですね、時間の許す限り皆さんの有する能力を確認しましょう。ただ、魚雷については少し後回しにしましょうか」
「判りました。それじゃ加賀ちゃん続けてお願いするわね」
「はい! それでは続けて行くわよ、ヨーイ――撃ーッ!」
こうして彼女達経験者が全て終わると、今度は彼女らが指導しながら未経験者の射撃訓練に移る。
経験者一人に二、三人ずつ付いて順に進めて行くが、戸惑う者も特におらず滑らかに進んでいく。
陸奥の横には赤城が付いて要領を指導してくれるが、ほとんど教えられる迄も無く、船としての自分自身を取り戻していく機械的な作業とも言えた。
「陸奥さん――」
赤城が何か言い掛けるので陸奥は自分の無線を切り、手真似でそれを伝える。
無線を切った彼女がすっと顔を寄せて来ると
「今夜お部屋に伺って良いでしょうか? 加賀さんと一緒にですが――」
と囁くので、
「出来たらあたしが赤城ちゃん達の部屋に行きたいんだけど、どうかしら?」
と応じる。
幸い彼女はすぐに理解し、ちらと子の日らに視線を走らせると
「判りました、蒼龍さんと飛龍さんには席を外して貰える様に話しておきますからお越し頂けますか?」
と素早く決断してくれる。
「分かったわ、じゃあ今夜ね」
と会話を切り上げ無線を再び入れる。
どうやらそれを見計らっていたものか、
「それでは陸奥さん、ご用意が宜しければお願いします」
と加賀が呼び掛けて来た。
彼女に視線を合わせて軽く頷くとスッと進み出て徐に腕を上げるが、砲を動かすのにどうしても腕を上げ下げする必要がある訳では無いと判る。
(でも、頭の中だけで制御するよりこの方が俯仰角や方位角を決め易いわね)
そう思いながら自分の中で射撃方位盤に従って全主砲塔を動かし、仰角を定める。
(最大距離で発砲してみようかしら♪)
ふと悪戯心が湧いてくるが、四十一糎砲の威力と到達距離を考えると不測の事態が起こり兼ねないと思い直し、一〇,三〇〇米付近に弾着点を定める。
「それでは、用ー意――撃―ッ!」
加賀の号令に合わせて射撃指揮所の引金を引く(ことを想像する)。
上半身がズンッと瞬間的に押される感覚がし、強い高揚感と解放感が突風の様に体を吹き抜けていく。
「ねぇ陸奥さん、爽快でしょ!」
蒼龍が笑い掛けてくるが全く同意だった。
「そうね、こういうのが爽快って言うのね!」
自身の感覚の拡がりも手伝って、興奮や万能感の様なものも湧き上がって来る。
「弾着!」
妙高の短い叫びと共に一際大きな水柱が重なり合うが、それは例え様の無い強大な力の感覚を意識させる。
「あれを食らったら、本艦なぞ一溜りもありませんよ――」
無線から響く篠木の畏怖に満ちた声は、否が応でも人間と自分達の間の大きな隔たりを感じさせる。
それは仲間達も同じだった様で、その皆の気持ちを代弁するかの様に霰がぽつりと呟く。
「……ひょっとしたら、怖がられてるかも……」
思わず全員が口を噤んでしまい、聞こえて来るのは無線を通じたお互いの息遣いばかりになってしまう。
「私達はやっぱり怪物なんでしょうか?」
その息苦しい沈黙を破って高雄が声を上げたものの、陸奥を見つめたその瞳は悲し気で、一瞬何と言ってあげるべきだろうかと躊躇ってしまう。
その僅かな躊躇いの間隙を縫って加賀が冷淡に返した応えは、余りに非情なものだった。
「いいえ高雄さん、怪物などでは無いわ。今の日本にとって私達は災厄そのものよ」
その言葉に仲間達は再び静まり返ってしまうが、思わぬ所から強い言葉が投げ掛けられる。
「加賀さん、それは違います」
無線から聞こえる中嶋の声は初めて耳にする強い語気だった。
「皆さんの強大な力は、一つ間違えば確かに皆さんを怪物や災厄そのものに変えてしまうかも知れませんが、我々は絶対にそうはさせません。皆さんは、長い年月を乗り越えて再び我が国に戻って来てくれた大切な仲間です。断じて災厄などではありませんよ」
その言葉にハッとした顔をする者も居たが、陸奥は自分でも不思議な程淡々としているのを自覚していた。
(何故なのかしら?)
一度はそう思ったが、深く考える迄も無く胸の内に仁の顔が浮かんで来て自問の意味は無くなってしまう。
そもそも彼が陸奥の事を怪物呼ばわりしたり、口に出さない迄もその人智を超えた力を恐れて遠ざけ様としたりするだろうか?
(信じられる事って、こんなに心強いものなのね……)
その気持ちを改めて噛み締めると、俯いてしまった加賀に近付き肩に手を掛ける。
「加賀ちゃん、あたし達仲間なのに、断わりも無く勝手に怪物になったり災厄になったりしないで欲しいわ♪」
「陸奥さん――」
「皆もそうよ! あたし達は仲間なの、誰かが自分を怪物だ災厄だと思う事はあたし達全員がそうなんだって思う事よ! 忘れないでね」
「はい!」
そう声を揃えて返事をしてくれた全員の顔が上がっていた。
(良かったわ、副長にお礼言わなくちゃ)
「副長、有難うございました! 訓練を続けて宜しいですか?」
「もちろんですよ陸奥さん。加賀さんも、もう大丈夫ですか?」
「あ、は、はい、そ、その――、大丈夫です」
(加賀ちゃんでも動揺するのね♪ でも、ちょっと顔が朱過ぎるんじゃないかしら?)
一体何をそんなに照れているのだろうかと首を傾げながら、陸奥は再び前に進み出た。