母さんは、本当に綺麗な顔をして眠っている。
(この箱、邪魔だよぉ)
母さんが眠っている変な箱は背が高過ぎて、僕には不自由そのものだ。
それに何時ものパジャマでは無く、白い着物を着て寝ているのも奇妙だったし、皆が母さんの周りに次々と白い花を置いていくのも不思議に感じられた。
(違うよ、ママが好きなのはこのお花じゃないよ?)
そう言ってあげ様とも思ったが、何だか皆恐そうな顔をしているので言い出す事も出来ずに黙っていた。
それよりも、僕はだんだんと不安になって来ている。
母さんは病院のベッドにいて僕の頭を撫でてくれていた筈なのだが、どうやら僕はそのまま眠ってしまったらしく、昨日の朝目を覚ました時には何時の間にか家に戻って来ていた。
しかもとても嬉しい事に、なんと母さんも一緒に戻って来ていたのだ。
母さんは、病院で見た時と同じ様にパジャマ姿で客間に敷かれた布団に横たわり、とても静かに眠っていた。
それでも、やっとまた一緒に眠る事が出来るのだと思うと僕は嬉しくて仕方が無く、母さんの布団に潜り込んで見たかったのだが、隣に座った父がひどく厳めしい顔をしていたのでそれも出来ずにいた。
そうこうしている内に、白と黒の服を着た見た事の無い人達がやって来て、僕は客間から追い出されてしまった。
その時二階で僕を着替えさせてくれたのは、葉月の母さんだった。
彼女は僕が、
「明日からまたママと寝られるのかなぁ」
と言うと僕をギュッと抱き締め、
「そうね――そうなれば良いわね」
と言ってくれたが、傍にいた葉月が
「ママ、どうして泣いてるの?」
と不思議そうに聞くと、何も言わずに葉月も抱き寄せて、僕達二人を抱き締めながら、
「何時か、ちゃんと分かる時が来るわ――何時かね」
とだけ言ったのだ。
それから母さんは、この変な箱の中でずっと眠っている。
箱に入ったまま、キラキラした着物を着た人が来て良く分からない唸り声をあげたり、変な屋根のついた車に乗せられたりしても眠ったままで、そして今このお祖父ちゃん家の匂いがする味気無い建物に迄やって来てもまだ起きる気配が無いのだ。
やがて、周りの大人達はどうやら全員花を入れ終わったらしく、少し遠巻きの位置に徐々に集まり始めた。
それと共に、僕の中ではどんどん嫌な感じが大きくなって来る。
それが何なのかはっきりとは言えないのだが、とてつもなく嫌な事の様な気がして不安で堪らなくなっているのだ。
相変わらず母さんは静か過ぎる位に良く眠っていて、それはひどく不味い事だという気持ちがどうし様もない程に膨れ上がっていた。
(やっぱり、ママを起こさなきゃ!)
遂に僕は意を決して母さんに呼び掛ける。
「ママ、ママ、もう起きて? ねぇ、起きてよ⁉」
ところが母さんは全く反応してくれない。
その上僕がそう呼び掛けた途端、反対側に立っていた葉月の母さんが堪え切れなくなった様に声を漏らし、肩を震わせて泣き始めた。
僕の不安は頂点に達し、一刻も早く母さんを起こさなければと思い、
「ねぇママ!」
と言いながら母さんの顔に手を伸ばしたが、その瞬間ゾッとする様な恐怖を覚える。
(⁉)
何時も僕に頬擦りしてくれた母さんのふわふわの暖かい頬は、まるでキッチンの床の様に冷たくて硬かったのだ。
「ママッ、ママッ! どうしたのっ⁉ 早く起きてママッ!」
恐怖で気が狂いそうになりながら、邪魔な箱の壁を乗り越えて母さんにしがみ付こうとしたが、後ろから誰かに抱きとめられ引き剥がされる。
「ママーッ! ママーッ! 起きて、早く起きてっ! ママッ!」
喚きながら必死に暴れて誰かの腕を振り解こうとするが、僕の力ではどうにもならない。
「仁、仁! 頼むから大人しくしてくれっ! ママを起こさないであげてくれっ! 頼む、仁!」
僕を締め付けているのは父だと分かったが、その時揃いの灰色の服を着た男が二人現れると眠っている母さんの上に蓋を被せ始めたので、僕は必死に叫んで暴れる。
「ママッ、ママーッ! 早く起きてっ! そこから出てっ! 悪い奴らだよっ、起きてママーッ!」
「仁っ! 頼む! 頼むからママをもう寝かせてあげてくれっ! 悪いのは全部パパなんだっ! だから――もう――ママを休ませてあげてくれ――――頼むから……」
父は僕を抱え込んだままその場に座り込んでしまい、灰色の男達が母さんの眠っているその箱をガラガラと押して行ってしまうのに、僕には只必死に暴れ叫ぶより他に成す術が無い。
「ママーッ! ママーッ!」
叫びながらはっきりと感じた事がある。
父は、僕の味方では無いのだ。
母さんが何処へとも無く連れ去られて行くのにそれを見て見ぬ振りをして、その内また自分が好きな事をする為に何処かへ行ってしまう積もりなのだと。
「離せっ! 離せっ! お前なんか嫌いだっ! お前も悪い奴だっ! ママッ、僕を連れてって! 置いてかないでっ! ママーッ! ママーッ! ――――」
母さんを運び去る男達が銀色の扉の向こうに消え、金属音と共に扉が閉まった。
僕は全身の力が抜け、言葉を発する気力も失せて父の腕の中でぐったりと垂れ下がる。
首筋に、まるで雨の様に父の流す涙が降り掛かるのを感じたが、それはどうし様も無く不快なものでしか無かった。