月曜日の朝は仁も一緒に起きて四人で家を出る。
最寄駅で指定された車両ドアから乗車するとちゃんと斑駒が乗っており、挨拶してくれる。
(毎朝こんな風に出勤してるんだな)
自分もバイト位はするし、正直な処彼女達三人を養う事を考えたら、それこそ毎日フルタイムで出来るバイトでもして生活費を稼がなければ立ち行かない筈だった。
そしてそれは同時に留年覚悟でなければ出来ない事でもあり、肚を括り掛けていたが、西田と中嶋の計らいによって交通費・食費・光熱費等に付いて後から実費請求と言う形で負担して貰える事になったのだ。
先日の電話ではああ言ったものの出来れば父の貯金には頼りたく無かったし、それが何時の日か必要になる事も分かっていた。
一、二年生の頃(葉月に絡まれるの嫌さにだが)バイト三昧だった彼にはそれなりに貯金もあり、一時的にはそれで何とか凌ぎながらその先の生活設計を考え様と思っていた。
だがこの思わぬ計らいによって、当面の経済的な目途が立ったのは大変有難かった。
(それにしても――)
大変な事はまだ幾らでもある。
例えば彼女達には住民票も戸籍も無いので健康保険も無ければ各種の身分証明も無く、電車やバスで通うのですら定期も買えなかった。
もちろん働く事も免許や資格を取る事も出来ない上に、今のままでは国や公的機関による保護を受ける事も(防衛隊を除けば)実質的に不可能なのだ。
(何か見えて無かったなぁ~)
彼女達が訓練隊の内部で保護されて生活しているのは、考えれば考える程理に適っている。
とは言え今更白紙に戻す事など出来様筈も無いし、何より陸奥が戻って来たいと言ってくれたのに、それに応えないなどと言うのは今の仁にはあり得ない。
その上こんなに可愛い同居人が二人も身を寄せて来てくれた事は、彼にとって重荷どころか一層奮起する要因にしかならなかった。
そんな事を反芻している内に何時の間にか時は経っており、気が付くと隊の正門前のバス停に着いていた。
「斑駒さんは毎朝こうやって通勤してるんですか?」
歩きながら仁は聞いて見る。
「いいえ、実はこんな風に出勤する様になってからまだ一週間位なんですよ」
「えっ! どう言う事ですか?」
彼女の自宅は仁の最寄り駅の一つ隣の駅付近だそうで、丁度途上だと言う事から毎朝一緒に通勤してくれる事になったと聞いていたのに……。
「陸奥さん達が毎朝通って来るに当たって、誰かが付き添う以外にちょっと方策が思い当たら無かったもので、司令から私に営外居住の許可を特に出して頂く事になったんです」
「何ともはや、我らの為にまこと過分なご配慮を賜り御礼の申し上げ様もござりませぬ。平にご容赦下されよ」
初春にそう言われた斑駒は急に喜色を溢れさせ、
「いえ全然! 私、皆さんのお世話をさせて欲しいって志願したんですよ! 毎日とっても楽しいんですから! それに、正直言って寮生活から解放されるのも有難かったですしね♪」
と快活な声を上げる。
その瞳は愉しげな輝きに満ちていて、彼女の弾んだ感情が直に伝わって来る。
「うわ~、駒ちゃん本当に楽しそうだね!」
と子の日が感嘆する程だ。
「だって皆とこうやってお話出来るって事は、私達が日頃接してる防衛隊の艦艇も観光地の遊覧船も皆ちゃんと心があって、こんな風に気持ちを通じ合えるかも知れないって事でしょ⁉ それって凄い事ですよ!」
常日頃の斑駒はきびきびとしていて物堅く仁よりもかなり年長に見えるが、こうして何時もよりテンションが上がった彼女はずっと若く――というよりまるで無邪気な子供の様にも見える。
「斑駒君、ずいぶん楽しそうじゃないか♪」
背後からの声に振り返ると、相変わらず柔和な笑みを浮かべた西田だった。
「お早うございますっ!」
期せずして仁も含めた全員の声が揃ってしまい、彼はそれこそ目が無くなってしまう程和やかな笑顔になる。
「ハッハッハ、いや挨拶して貰うのがこれ程嬉しいとは思わなかったねぇ。そうじゃないかね斑駒君?」
「はい、司令!」
そんな彼女に頷いて見せてから仁に顔を向けた西田に、丁度良い機会だと思った彼は改めて今回の諸々に対して礼を言う。
「この度は大変なご配慮を頂きまして有難うございます!」
そう言って深く礼をすると陸奥、初春、子の日も一斉に
「有難うございます!」
と合わせてくれる。
「いや、そんなに畏まって礼をされるとさすがに尻がこそばゆいので勘弁して下さい。それよりも渡来さん、新しいご家族が出来た気分は如何ですかな?」
家族と言われて改めて三人の顔を顧みると、彼女達が笑顔で見返して来る。
(僕の家族――)
その言葉は彼の中で急速に形を伴って膨らみ始める。
「――何だか、ファイトが湧いて来る感じがします!」
「そうでしょう、それこそ守るべきものが出来た喜びと言うものです。貴方の持てる力を余す事無く発揮して貴方の大切な家族を守って下さい。宜しくお願いしますよ」
そう言い残して西田は踵を返して歩き去って行く。
「家族って何だかとっても良い響きね、仁」
陸奥の柔らかな眼差しはその言葉と共に彼を捉え、更にその手を子の日がキュッと握る。
「ほほ、仁殿、また良いお顔になられましたのう♪」
初春が愉し気に言うと、傍らの斑駒が少し羨ましそうな顔をしてから表情を切り替える。
「さあ皆さんに使って頂くロッカーに案内します。渡来さんは入口迄ですけどね」
「斑駒さんは、どうして防衛官になったんですか?」
再び歩き始めた彼女に何気なく尋ねると、彼女は僅かに視線を中空に泳がせながら迷いを含みつつ応じる。
「――実は、父の所為なんですよ」
「え、じゃあひょっとしてお父様も防衛官でいらっしゃるんですか?」
「ちょっと違いますね――父は海上警備庁勤務です」
「それじゃやっぱり警備船に――」
「ええ、警備船の船長をしてます」
「凄いですね! ひょっとして国境紛争の最前線にも行ってらっしゃるんですか?」
「そうです、神経が磨り減ってくるって偶に言ってますけどねぇ……」
「でも、斑駒さんは警備官にはならずに――」
「父が――許してくれなかったんですよ」
「えっ……その、何故ですか?」
反射的に聞いてしまってから、ひょっとして不味かったかと思いなおし仁は質問を取り消そうと仕掛けた。
しかし彼女は一瞬だけ間を空けた後に、どこか苦さを噛み締めた様な笑顔で教えてくれる。
「父に言われたんです。同じ組織にいれば何時上官と部下になってもおかしくない、もし人命に関わる判断を迫られた時に、親子の情がそれを誤らせる様な事があったら後悔しても間に合わない事もあるだろうって……」
その言葉の持つ重みも去る事ながら、娘にそう言って聞かせた父親の姿を思い浮かべた彼は思わず口を噤んでしまう。
それでも、やはり浮かび上がって来る何かに抗い切れずに再度口を開く。
「あの、失礼な言い方で済みませんけど――でも素晴らしい方ですね、自分の娘にそんな事が言えるだなんて……何だか尊敬してしまいます」
その言葉にかなり複雑な表情を浮かべた彼女は
「ああもうっ! そう来るかな~って思ったんですよぉ……。でも私、本当に悔しかったんですから!」
と少々意外なことを言う。
「また異な事を仰せじゃ、父君が英邁であられるとて口惜しいとは」
聞いていた初春も意外そうに口を挟むが、その後斑駒が続けた言葉に彼は心の底を掻き回される。
「だって――私、父の事大っ嫌いだったんです。仕事だからって何時も長い間帰って来なくて――運動会の親子競技、私だけ担任の先生とだったし、母のことも好き放題に振り回して……。だから同じ仕事を選んだのも、自分は父とは違うってとこ見せてやるっ! てそう言うつもりだったんですよ⁉ なのにそんな事言われちゃって――もう悔しくて涙出ちゃって……」
「それで防衛隊に入ったんですね」
そう相槌を打ったのは陸奥だった。
仁は己の父の姿が胸に去来して何も言えなくなっていた。
(……)
親子競技で仁をおぶって見た事も無い真剣さで疾走し一位になった父。
遠足の途中葉月と二人で迷子になり、とっぷりと日が暮れてから地元の消防団員に伴われて山を降りて来た彼を抱きしめて男泣きした父。
そして、彼から母を奪った父……。
「仁、何考えてるの?」
子の日が下から顔を見上げて聞くので、彼は我にかえる。
「あ――うん、大した事じゃないよ、ちょっと斑駒さんが羨ましいなって思ってただけだよ」
「そんなの逆ですよ! 私は渡来さんが羨ましいです。今改めて思ったんです、やっぱり自分の守るべき家族を持たなければ何時迄経っても父に追い付く事は出来ないんだって。渡来さんにはそれがあるじゃないですか!」
斑駒の言葉には確かに彼女の真摯な感情が籠っていたし、陸奥も初春も子の日も大切な家族だと感じる事は出来る。
それでも彼は、己の笑顔が寂しく乾いたものになってしまうのをどうする事も出来なかった。