陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第七章・第三節〕

 一週間が、目まぐるしく過ぎて行こうとしている。

僕はこれ迄よりも随分早く起きる様になり、朝一番にむっちゃん達の朝食を用意して身支度を手伝うと彼女達を駅迄送って行く。

序でにその足で買い物をしてから家に戻って、改めて出直すと大学に通う毎日だ。

早起きしなければいけないので夜もさっさと寝るし、随分健康的な生活になりそうだった。

 

 今週葉月は結局一日休んだだけで、他は毎日夕飯を作りに来てくれた。

只残念な事にむっちゃんが帰って来るのはそれ程早い時間ではないので、平日に夕飯を作りながら葉月に料理を教わると言うのはちょっと難しそうだ。

とは言うものの米の洗い方や翌日の下拵え、余った物の始末や食材の保存の仕方など結構熱心に教えてくれている。

そんな時の二人は普通に仲が良さそうに見えるし、彼女の氏素性を知らなければありふれた友達同士と思うだろう。

実際僕は二人が首尾良く和解出来たものと思っていた位だが、暫く見ている内に以前とは違う何かがある事を何となく感じ始める。

それをはっきり何であると指摘出来ないのでもどかしいが、曰く言い難い緊張感の様なものが二人の間には流れており、それは間違いなく以前には無かった筈だ。

でもまさか二人に向かって「本当はちゃんと仲直りして無いんだよね?」などと聞く訳にも行かないので、じっと我慢しながら二人を観察し続けている。

今の処謎解きの手掛かりになりそうな事と言えば、少なくともむっちゃんが以前とは変わったという点だろうか。

これまたはっきりとこの点が――とか言え無くて申し訳ないが、乏しいボキャブラリィを酷使して表現するなら人間性とか人格の様なものに幅や奥行が加わった様に感じる。

出会って間もない頃の彼女は、その瞳の奥に拭い難い深い哀しみを宿していた。

普段見せていた無邪気な明るさも、その裏側に薄暗い海底に(しかも嘗ての乗員達の亡骸を抱いたままでだ)横たわっていた孤独な歳月の記憶を色濃く感じさせたし、何かの拍子に笑顔を消した彼女が涙を流す度に僕の心は強い痛みを感じた。

だがこうして約三週間振りに戻ってきたむっちゃんは、無邪気さの代わりに勁さやしなやかさを身に付けている様で、あの深い哀しみを自分の一部として受け止めている様にも思える。

 

(仲間と一緒に暮らしたからなのかな)

 

それが全てだとはさすがに思わないが、同じ過去や辛さを共有する仲間達との暮らしが今の彼女に影響を及ぼしているのは間違いないだろう。

今しもキッチンで葉月とお喋りしながら後始末や明日の準備をしているむっちゃんの後ろ姿には、落ち着きや余裕すら感じる。

そしてもちろん、彼女に対する葉月の接し方も変わってしまった様だ。

葉月はむっちゃんが何者であるかを自分なりに理解したその時から暖かな思い遣りや労わりを持って接してくれていた。

そんな様子に僕は言葉に表せない様な喜びを感じたし、どういう訳か誇らしさすら覚えた位だ(何故お前が? と突っ込まれても説明は不可能なのだが)。

只こうなって見て初めて分かったが、僕自身をも含めて上から目線とでも言うべき関係だったことに気が付く。

命の恩人である事に対する感謝の気持ちはあったが、それを除けばやはり見ず知らずの世界にたった一人放り出された彼女に対して、保護者の様な視線を注いでいたのは間違いなかった。

なのに今のむっちゃんにはどう見てもそんな扱いは不似合だし、逆に気を遣われる事すらある始末なのだ。

僕は今頃やっとそれに気付き始めた訳だが、葉月はもっとずっと早く――おそらくはあの隊で見詰め合った時――彼女の変化を感じ取っていたに違いない。

 

(そうか――だとしたらやっぱり……)

 

やっと僕は二人の間に流れる緊張感の様な何かが、少し分かり掛けて来る。

あそこに立っている二人の間には最初の頃の保護者と被保護者の様な立場の差は無くなっており、対等の女性同士の新たな関係が構築されつつあるのだろう。

男である僕にとっては女性同士の友人関係は理解不能な処が多いものの、その微妙な部分が曰く言い難い緊張感を醸し出しているのかも知れない。

 

(そうだよな……きっとそういう事なんだ――)

 

――何だろう?

そんな風に自分に言い聞かせながらも、妙にストンと腹に落ちない何かがあるのを感じる。

二人の間に本当の意味での緊張関係は無いのだろうか?

葉月にとって僕に意図的に近づく女性は目障りな存在の筈だが、むっちゃんはそういう対象から外れたんではなかったっけ?

でも、だったらあの時の二人の強い視線の意味は?

やっぱり、二人の間には……………

 

……………――――ねぇ仁⁉ 仁ってばぁ! 聞こえ無いの?」

子の日ちゃんが腕を掴んで揺すぶったので、やっと僕は話し掛けられていたのに気付いた。

 

「あ――ご、ごめんよ、ちょっと考え事してたから――」

「ほほほ、正直に申されよ♪ いずれ劣らぬ艶やかな大輪の花を愛でるに夢中でありましたとの」

「ち、違うよ! (あ、余り違わないけど……)」

「そんな事より~ねぇ仁、お風呂に入りたいよ⁉」

「う、うん大丈夫だよ、今沸かしてるからね、もうすぐ入れるよ?」

「やったぁ♪ おっ風呂、お風呂!」

 

子の日ちゃんに限らず彼女達は皆お風呂が大好きな様だ。

もっとも普通に湯船に浸かろうとすると彼女達は浮いてしまう為、そうならない様にちょっとコツが必要らしい(直に見たことは無いのだが)。

 

「子の日よ、陸奥殿のご用が終わる迄は待っておらねばならぬぞ?」

「えぇ~っ⁉ 陸奥さんまだ終わら無いのかなぁ」

キッチンの様子をチラリと見たが、そんなにすぐには終わる気配が無い。

「後三十分位は掛かるんじゃないかな?」

「そんなに掛かるのぉ?」

 

同じ年頃の子供だったら駄々をこねたり愚図ったりしそうな処だが、素直な子の日ちゃんはショボンとしてしまうのが本当に可愛い。

「仕様が無いなぁ~」

僕が彼女の所に行って交代するのが良さそうだ。

そう思って腰を浮かせかけると、初春ちゃんが笑顔で素早く僕を制する。

「まぁまぁ仁殿ゆるりとなされよ。子の日は斯様に些細な事も聞き分けられぬ様な利かぬ子にはござりませぬぞ♪」

確かにそれはそうかと思い直し、腰を下ろして子の日ちゃんに話し掛ける。

「じゃあもうちょっと待ってようか♪ 今日は見たいテレビ無かったっけ?」

お風呂だけでなくテレビ好きな彼女達が来てくれたお陰で、我が家のゲーム機及びレコーダー専用モニターは晴れてその本来の役割であるテレビに復帰していた。

 

「う~ん、特に無かったよぉ~? どーしよっかなぁ~」

と思案顔になり掛けた彼女は、唐突にパッと表情を輝かせると度肝を抜く様な事を口走る。

「良い事考えたっ! 子の日、仁と一緒に入る! ねぇ、だったらすぐ入れるよね⁉」

「ほほ、さすがは我が妹じゃ、まこと良い考えよのう。妾も仁殿には一方ならずお世話になっておる故、偶にはお背中なぞお流し致しますぞえ?」

 

この時点で既に臨機応変から程遠い僕の脳は麻痺寸前だった。

百歩譲って子の日ちゃんであればまだ幼い子供だからと言えるだろうが、それにしても初春ちゃんは――間違いなくアウトだ。

只でさえ妖しい程の美貌に加えて、その肢体は透き通るような白い肌と女性らしい丸味を帯びて、更にその上葉月とほとんど変わらない位の胸の膨らみ迄あるなんて!

「いや、幾ら何でもそれは絶対に無理だよ! ――うんダメダメ、絶対にダメだからね?」

「えぇ~なんでぇ? 一緒に入ってくれる位良いでしょ⁉ どうしてダメなのぉ?」

「どうしてって――そりゃあ僕が男だからだよ」

「男の人は駆逐艦と一緒にお風呂入っちゃダメなの?」

「いや駆逐艦じゃなくて! って言うか駆逐艦だけど――でも、今はどう見ても女の子だよね⁉」

「え~、でも男の人は女の子とお風呂に入るの好きなんでしょ?」

「いや、そ、その確かにき、嫌いじゃないよ? でも絶対ダメって時だってあるんだよ?」

「何でぇ?」

「えっ、何でってそのぉ――何て言うのかさ、えっと――」

 

説明に窮してしまい、つい初春ちゃんをチラと見てしまう。

やっちまった! とは思ったものの、勘の鋭い彼女には既に僕の本心など隠し立てのし様も無かった。

芝居掛かった動作で手にした扇をパチリと広げた彼女は、顔の下半分を優美に隠すと艶の籠った流し目をくれながら、これまたやたらに艶のある声音で話し掛ける。

「ほほ、かくも奇し身の上とは申せ、女性(にょしょう)の形を帯びし上は、やはり殿方の眼差しを虜として見たいものと常々思うておりましたが――よも仁殿が斯様に思召すとは、さてさて如何致しましたものやら♪」

 

(う、うわ、不味いよ、それはダメだって!)

 

何て言えばいいのか、小悪魔とかいうレベルを通り越して魔性のモノに魅入られたかの様に僕の平常心は失われてしまう。

心の奥底に眠っている欲望の様な、かなりヤバい何かが引きずり出される様な感じだ。

その上子の日ちゃん迄もが、そんな胸の内を見透かした様に畳み掛ける。

「何だぁ、やっぱり仁は一緒に入りたかったんだね! そうでしょ姉様?」

「ほほほ、子の日は敏い子じゃ♪ 見ての通り仁殿もお若い殿方ぞ、時には血の治まらぬ事もままあろう。その様な折にこそ我ら姉妹もご恩返しが出来ようと云うものぞ♪ 来るべきその時の為にも今から慣らしておかねばのう」

「いっ、いやっ、は、初春ちゃん、い、今、サラッととんでも無い事言ったよね、い、言っちゃダメでしょそれ⁉」

「ほほ、仁殿の様な情誼に篤いお方には、否と言われ様がお仕えして見とうなるものに御座りますれば、ご案じめさるな」

「あ、案じるよっ!」

 

そう言い返した途端に、何故か周囲の空気の温度が急に下がったのに気付く。

 

「……」

 

声を出そうとしたのだが喉が――いや、全身が凍り付いた様に動けない。

 

「おお子の日や、そろそろ風呂が沸く頃合いかのう♪」

「そ、そうだね姉様、見に行こうよ!」

二人は少々不自然な笑顔を浮かべ、そそくさと立ち上がる。

 

(二人とも酷いよ! 僕らは家族だろ⁉)

 

彼女達の後ろ姿に向かって心の中で必死に呼び掛けるものの、その叫びは空しく虚空に吸い込まれて行き、背後の冷たく邪悪な気配に全身が飲み込まれるのを感じ取って僕は絶望する。

 

「仁、聞きたい事があるんだけど?」

「一体、何をしようとしてたのかしら⁉」

 

この死の天使が発する最後の審判を聞き、金縛りが解ける。

迷ったのはほんの一瞬だけで、瞬きする程の間に僕はくるりと体を回転させるとそのまま一動作で死と破壊の使者達の足元にひれ伏す。

 

「す、済みませんでした! 誓って言いますが何も疚しい事はしていません!」

だがしかし、僕の魂の底からの謝罪も死の天使達の琴線に触れた様子は無い。

 

「何なの? こっちは聞きたいって言ってるだけなのに、いきなり謝っちゃうとか意味分かんない」

「疚しい事無いって言いながら『済みませんでした』とか、自分で言ってておかしいと思わないのかしら?」

 

冷酷非情な彼女達の心にほんの少しでも誠意が届く様、更に必死で弁解を試みる。

 

「子の日ちゃんからの一緒にお風呂に入って欲しいと言う要請も、きっぱり拒絶しました! 初春ちゃんがその――かなり不味い事言っちゃったのも、はっきりと明確に否定しました! お願いです、信じて下さいっ!」

「あらあら、じゃあこう言う事かしら?」

「悪いのは全部あの二人で、仁は何も悪く無いって事?」

 

だ、駄目だ、彼女達の怒りを鎮める為には、とにかく僕が非を認めなければならないらしい。

でも、理屈に合わ無い事を言えばまた揚げ足を取られてしまう。

ううっ、何とか……

 

「――ぼ、僕に隙があったのがいけないんです! 二人の所為じゃありません!」

 

暫しの静寂の後、彼女達が同時にため息を吐き、凍り付いていた時が再び流れ始める。

 

「ったく、本っ当に素直じゃないんだから!」

「そうだわ、ちゃんと反省して貰いたいわ⁉」

「はっ、はい! 誠に申し訳ありませんでした!」

 

それを潮にむっちゃんと葉月の足がくるっと反転すると、キッチンにひたひたと戻って行く。

 

「んとに、油断も隙も無いわねぇ」

「可愛い女の子にはすぐデレデレしちゃうんだから」

などと捨て台詞を残して。

 

嵐が過ぎ去った事を実感した瞬間全身から力が蒸発してしまい、そのままの姿勢でぐったりと床に倒れ込む。

 

(何故だっ! 何故僕が謝ってるんだよぉっ!)

 

そう叫びたかったが、残念ながら自分自身その理由を良く分かっていた。

それこそがこの場を丸く収める唯一の方法だったからだ。

結局僕の人生はこの繰り返しなのだろうか。

 

(フン! そんなこと位とっくの昔に分かってたさ!)

 

すっかり自虐的になった僕は、そのままフテ寝を決め込む事にした。

 

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