(こんなに上機嫌な顔見るの、結構久し振りな気がするなぁ)
葉月の満足気な笑顔を横目に見ながら独り言ちる。
陸奥が微笑を浮かべてフランクに振舞っているのと対照的だが、そんな事を気にする彼女では無い。
そんな風に二人を観察する余裕を見せている仁だったが、実の処は、
(別に、元々想定通りなだけだろ!)
と心中秘かに嘯いて見せているだけなのだ。
昼食が始まると何時もの様に蒼龍と飛龍がやって来るのだが、二人とも揃って向かいに席を占め、彼の隣には座ろうとしない。
では他の誰かの番だったろうかと回りを何となく見回しても、やはり誰も座ろうという気配を見せない。
そうこうする内にトイレに行っていたと思しき子の日が陸奥の手を引いてやって来ると、さも当然と言った顔で隣に座る(つまり、陸奥と仁に挟まれた彼女の特等席だ)。
彼がつい未練がましく高雄を探すと、彼女は一番端の席に座って唇を尖らせて拗ねた様な表情でそっぽを向いていた。
隣に座って苦笑しながらこちらを見る妙高の表情が余計に胸に突き刺さる。
結局何事も無かったかの様に食事は始まり、彼の短か過ぎるモテ期は終わりを告げたのだった。
昼食が終わって女性達が片付けに動き始めると、中嶋が彼にスッと近付き小声で話し掛ける。
「二人だけで、お話したいことがあるんですが?」
「あ、はい」
雰囲気を察した仁も簡潔に応じると、彼の後に従って素早く部屋を出る。
会議を行う建屋のこじんまりした部屋で向き合った中嶋は、余計な前置き抜きで話し始めた。
「貴方に限って断わりは無用だとは思いますが念のためです、今からお話する事は一切他言無用に願います」
「はい、もし必要でしたら書面で誓約しても構いません」
彼の中嶋に対する信頼感は更に数段上がっている。
それと察した中嶋も微笑を浮かべ、
「いえ、必要無いでしょう。私だけでは無く司令もそうお考えです」
と、西田も承知していることをさらりと伝える。
「信用して頂いて有難うございます。とにかく絶対に漏らしたりしないと改めて誓います」
「その言葉承ります。では私も改めて、お話したい事は彼女達についてです」
「はい」
「防衛隊は現在、彼女達について概ね二つの課題に対処する事を求められています。一つは彼女達の存在を可能な限り長く秘匿しておく事、そしてもう一つは彼女達が一体何者であるのかを可能な限り明らかにする事です」
それは至極当然の要求だと仁にも理解出来た。
彼の表情を読み取った中嶋もそのまま話を続ける。
「彼女達がどんな能力を有しているのかについては、少なくともその把握は進めつつあります。貴方もご想像の通り検証や解明には全く辿り着けてはいませんが」
「秘密にしながらでは難しいでしょうね」
彼がそう相槌を打つと中嶋も苦笑する。
「ええその通りです。ですから当面は把握だけにならざるを得ないでしょう、実際まだまだ把握仕切れていない事も多々ありますので」
「はい」
「それで、次に把握したいと計画しているのは彼女達が仲間の呼び掛けに応えると言う点についてです。少なくとも飛龍さん・霰さん・子の日さんはそれによって出現したと言明しておられますし、その場を目撃したと言う証言も得ていますが、今後彼女達の捜索を進めるためには我々が実際に確認することが必要ですので、捜索の第一歩としての意義も含めて早期に実施すべきと考えています」
「上手く行けば新しい仲間が増える訳ですしね」
「その通りです。彼女達にとってもそれは楽しみだと思いますし、我々にとってもリスクを減らせる訳ですから、都合の悪い事など精々新たな女性を保護するための費用が発生する程度でしょう」
そこで中嶋が言葉を切ったので、
「それ以外に気になるというか悩ましい事がある、ということでしょうか?」
と仁は合の手を入れてみる。
どうやらそれは上手く当を得ていた様で、彼は表情を緩めるとやや感情を交えた口調で話を続ける。
「そういう事です。一つは彼女達が敵対行為に及ぶ時についてですが、どう考えても誰かを危険に晒さずに確認出来る方法が思い当たりません」
彼女達が民間船に襲い掛かる場面を仁は既に想像して見た訳だが、中嶋の言っている事は更にまた違った場面の出来事になる筈だ。
こうして故郷に帰って来て陸に上がった陸奥や仲間達は、確かに太平洋戦争中の連合国側に対して今も敵意を抱いているものの、それでもどうか我慢して欲しいと中嶋や自分達が頼み込めば聞き入れてくれそうに思われる。
だがそうなる以前の彼女達はどうなのかと問われれば、それは確認して見なければ分からないとしか言い様がない。
(実際、聞いてくれそうな気はしないよなぁ)
青白い肌をした異形の(もちろん想像上のだが)女達がこちらの説得に耳を傾けてくれそうにはちょっと思えないものの、一度そんな姿になってしまった彼女達は、もう仁が知っている陸奥や仲間達の様な普通の女性の姿になる事は無いのだろうか?
更に言えば、その逆に陸奥やその仲間達が激しい怒りや憎しみにかられて人間達に仇なす異形の存在になってしまったら――。
思わず彼は頭をブンブン振ってその恐ろしい想像を打ち消す。
そんな様子を見た中嶋も、
「彼女達だけでなく我々人間も含めてそれを確認しようとすれば、その――何と言うべきでしょうか、異形の女達? と接触しなければならないでしょうし、それを安全に行える方法があるとは思えません。ですので、当然ですがそれには高いリスクを冒す必要があるでしょう。可能な限りその様な事態は回避しなければならないと思っていますが――」
と迷いを隠さない。
彼は何か相の手を入れる積もりだったが、二人の間の空気が俄かに緊張感を帯び始めたので上手い言葉が出て来ず、中嶋と真っ直ぐ視線を合わせることしか出来ない。
その視線にこれまた真っ直ぐ目を合わせて来た中嶋の表情から、いよいよ本題なのだと感じた彼はぐっと下腹部に力を入れる。
「そしてもう一つ、是非とも確認したい事があります。ですがそれは我々の一存で決めるべきで無いと感じましたので、司令に進言したところ同意して下さったのです」
急に酸素濃度が低下した様な気がして、仁は少し息苦しさを感じる。
「我々が確認しなければならない事は、まだ誰もそれを目撃したことも無ければ経験を伝聞したことも無い事です。――サルベージされた時彼女達は一体どうなるのか、彼女達の言う通り本当に『船の天国に行く』のかと言うことです」
何か言わなければという衝動は湧いて来るのに、舌が喉の奥に張り付いてしまった様で全く思い通りにならない。
それでも懸命に口を動かして、何とか言葉を絞り出す。
「――つまり、その、彼女を――」
「そうです、諸外国から干渉を受けづらい日本の内懐の海域で、しかも水深五十メートル未満という生身のダイバーが普通に作業可能な水深で、かつ既に一部サルベージの実績があって残った船体の正確な位置と状態も把握出来ています。今後新たな仲間を迎え入れたとしても、おそらく陸奥さん以上に好条件が整った方は居ないでしょう」
そこ迄一息に捲し立てた中嶋はほうっと大きく息を吐き出し、襟元を広げて風を入れる様な手振りをする。
(中嶋さんも緊張してたんだ……)
そう実感することで彼も頭が回転し始める。
言う迄もなく、あの日陸奥に対して誓った事を忘れたりはしない。
ただ日が経つにつれて、いかに自分が何も考えていなかったかという事が分かり始めた彼は、己が誓いをどの様にして果たすべきかと言う事についてしばしば思いを馳せる様になっていた。
そもそも前座とも言えるビキニ環礁行きですら、パスポートを取得することが出来ない陸奥にとっては至難の業だということが近頃やっと分かって思わず愕然とした位なのだ。
(それを思えば――)
この話はまたと無い機会ではないだろうか?
陸奥の瞳の奥に宿る深い哀しみを目の当たりにした時から、その重い枷から彼女を解き放つことこそが人生の究極の目標であるという確信に近い思いを仁は抱いている。
もっと踏み込んで言うなら、それは自分の天命であると言えるかも知れない。
(むっちゃんが――本当の救いを得られるんだ)
彼の脳裡には、金色の光に包まれ女神の様に慈愛に満ちた穏やかな笑みを浮かべる陸奥の姿が浮かぶ。
例えそれが純粋なファンタジーであるとしても、もし実質的に彼女がそんな救いを得られるのであれば何を躊躇う必要があるだろうか?
「――その……もしも――」
「はい、なんでしょう?」
中嶋のやたらに素早いリアクションは、彼自身が何らかの強いプレッシャーを感じている事を示唆していたが、残念ながら今の仁にそれを察すること迄は出来なかった。
「彼女がダメという事になればどうなるんですか?」
「次に好条件の方を検討する事になります。もちろん現状の詳細な調査とその後のフィジビリティ・スタディをみっちりやる必要がありますので、実現は数年以上先になるでしょうね」
「彼女であればそれを大幅に短縮出来るんですね」
「その通りです。次年度の予算措置が出来さえすれば、来春には着手出来るでしょう」
来年だ、一生掛かると覚悟していたものが来年には実現可能になる。
仁の胸中で、陸奥があの深い哀しみから解き放たれ永遠の救いを得るその日が急に現実的なスケジュール感を持つ。
「是非お願いします」
彼の力の籠った言葉を聞いた中嶋は一瞬ハッとした様な顔になり、それからとても複雑な表情をする。
「渡来さん――それが貴方の願いだと言うことですか?」
彼がもう少し冷静であったなら、この中嶋の問いの意味を正しく理解出来ただろう。
だが余りにも一つの強い想いに捉われていたがために、仁は微妙にすれ違った答えを返す。
「はい、彼女が抱いている辛く悲しい記憶は、心のケアだとか時間が解決してくれるとか言う類のものでは無いと思っています。もし彼女がそれから解放されるのならば、それこそが僕の願いです」
迷う事無く言い切ったその瞳の奥に、彼自身ですら自覚していない僅かな曇りがあることを葉月であれば直ぐに気付いたかも知れないが、残念なことに中嶋はまだそこ迄仁と近しくは無かったし、それを指摘する程無遠慮でも無かった。
「――そうですか――分かりました。ただ極めて微妙な問題でもありますので慎重に進めて行く積もりです。ですので差し当たって特にお聞きしておくことは何かありますか?」
中嶋の周到な言葉に感心しながらも、彼は思い付く事を口にする。
「はい、必ず彼女の意志を確認してあげて下さい。そしてもし彼女が嫌だと言ったらその意志を尊重してあげて欲しいんです。それともう一つは――出来る事ならそれ迄に何とか長門さんに会わせてあげたいと思っています」
「良く分かりました、必ず陸奥さんの意志を確認して進めるとお約束します。ただ、長門さんの事については運次第と言うより他無いでしょうね」
「ええ、ですから神頼みにでも行こうかなと思ってるんです♪」
思わず軽口を叩いてしまう仁とは逆に、中嶋の表情はどこか浮かないままだった。