〔第八章・第一節〕
新しくやって来た仲間の女性――陸奥によれば彼女達は『艦娘』と自称する事にしたらしい――は、思わずハッとする程の美人だった。
しかも普通に女性にありがちな名前なので、彼女に
「瑞穂と申します、宜しくお見知りおき下さいませね」
と挨拶された仁は、一度だけ教授に連れて行かれたことのある銀座のクラブを思い出してしまう。
(でもなぁ)
その店にいた女性達は確かに皆美人だったのだが、それでも今目の前にいる瑞穂の方が掛け値なしに――その上全く作った処の無い自然な美人なのだ。
(本当に美女率高いよな~)
などとまたも油断丸出しで瑞穂に見惚れているといきなりドシンとぶつかる者がおり、前につんのめりそうになる。
(誰だよ!)
と口には出さない迄も非難がましい顔で振り返った彼の前に立ちはだかっていたのは、見るからに不機嫌そうな半目で彼を睨んでいる陸奥だった。
反射的に直立不動になってしまった仁に向かって、彼女は冷ややかな声を掛ける。
「あらあら、どうかしたのかしら?」
「あ、いえ、そのっ、な、何でもありません……」
どうにも勝手が違い過ぎて、毎度しどろもどろになってしまう。
葉月が同じ事をしたらそれなりには普通にリアクション出来るのだが、彼女にはどう対応して良いものか戸惑うばかりだ。
「ほほほ、殿方がこれ程難儀な代物とは思いもよりませんでしたのう♪」
フンと鼻を鳴らして行ってしまった彼女と入れ替わりに、初春が愉し気に近付いて来る。
「まこと仁殿は艶福家よの♪ 斯様に何れ菖蒲か杜若の択一を迫らるる殿方なぞ、そう居るものには御座らぬでしょうに?」
「い、いや、幾ら何でもそれは言い過ぎだから! 僕はどう見たってそんな器じゃ無いよ」
「全くもって――その様な事を真顔で宣うておりますが故に、陸奥殿も焦眉に駆られますのじゃ。少しは己を省みられませよ」
相変わらず初春は難しい事を言う。
葉月の攻撃が少し弱くなったと思っていたら、今度は陸奥がだんだん強面になって来て彼は色々と面喰っている最中だと言うのに……。
「あぁ~っ! 姉様また仁の事いじめてるぅ~」
霰や皐月らとじゃれ合っていた筈の子の日が、こちらを目敏く見付けると駆け寄って来る。
「可哀想にねぇ仁、子の日がよしよししてあげるからね⁉」
と言いながら背伸びをして彼の頭を撫で様とするので、少し屈んで彼女の伸ばした手が頭に届く様にしてやる。
「仁殿、甘やかすのも大概にせられよ。一朝事ある時子の日は矢石の中に赴かねばならぬ身に御座りますぞ?」
「いやそれはちょっと――それじゃあまるで職業軍人見たいだよ。そうしなきゃいけないって言うのは違うんじゃないかなぁ」
「何を仰せられますか! 如何に否定し様がひとたび海原に漕ぎ出さば、我ら尋常ならざる力を用い得る事は自明に御座りますぞ? いざ国難に赴かずして、徒に国の扶持を食むなぞあり得ませぬ」
「う~んそれが間違ってると思うんじゃないけど、でももし本当の国難だったら、初春ちゃんや子の日ちゃん達だけじゃなくて僕らだって同じだと思うよ? 今の皆は少なくとも戦いの道具なんかじゃないからね」
途端に、子の日がしたり顔で胸を張って見せる。
「ほら姉様聞いたでしょ? 仁は人間だけど、本当に子の日達艦娘の仲間なんだよ!」
と嬉しそうな声を出す。
「全く何を小間尺れた事を――それとそなたを甘やかす話は別じゃ!」
「姉様⁉ 仁はとっても優しいけど、だからって子の日は
幼い姿の彼女が凛乎として言い放つのを聞いて、彼は改めて艦娘達の業の様なものを感じる。
(君達にも等しく救いがあるべきなんだ、むっちゃんにだけ必要なんじゃ無くて)
何時の間にか朧や皐月、霰らも話に割って入って来たので、彼の周りは既に何の話だったのか分からなくなっている。
(君達皆の為に何が出来るんだろう?)
そう思いながら目を上げると、陸奥がこちらを見ていた。
彼の内心を読み取ったのだろうか、彼女はとても優しい眼差しだったものの目が合うとわざと膨れて見せ、これ見よがしにプイと横を向く。
(今度は何て謝ったら赦してくれるかなぁ)
思わず苦笑した仁だったが、そんな風に拗ねて見せる彼女の可愛さに心が浮き立っているのに改めて気付く。
(皆確かに綺麗だけど――でも、やっぱりむっちゃんが一番だなぁ♪)
もし葉月が横にいたら、彼の命は無かったかも知れない。
(もう、仁ったら!)
近頃心の中でこう突っ込む事がやたら多くなって来た気がして、一体自分はどうしてしまったのだろうと思う時がある。
陸奥がそんな想いに駆られてしまう度に初春はそれが直ぐ判るらしく、必ず揶揄われてしまう。
(何よ、結局初春ちゃんだってあたしと同じだわ!)
それは全くその通りだった。
彼女がそれを敏感に感じ取れるのは、言う迄も無く仁の事ばかり見ているからなのだ。
只まあ初春が彼に関心を寄せているからと言うより、本当の処はすっかり彼に懐いてしまった子の日を見守っているだけなのかも知れないが。
それにしても、日頃斑駒が若い男と言うのは本当に困った代物だと零すのがだんだん理解出来てくる。
陸奥は仁の優しさや誠実さにとても惹かれるし、自分の事を誰よりも思い遣ってくれる事が心底嬉しいが、それでも自分が彼を想っている程にはこちらの事を想ってくれていない様な気がしてならない。
今し方も瑞穂に自己紹介された途端に表情が緩み、握手するのが如何にも楽しそうだった。
(確かに瑞穂ちゃんは美人だけど――でも、そんなに嬉しそうにしなくたっていいじゃない!)
傍に自分が居る時位、もう少し気を使ってくれても罰は当たら無いのではないか――ついそんな事を考えてしまう自分は、何時の間にか葉月そっくりになってしまっている。
(やだわ、何でこうなっちゃったのかしら?)
とは言うものの、彼が葉月に接する時の遠慮の無さ(なのかどうか少々自信は無いのだが)を何となく羨ましく感じていた陸奥にとっては、何時か自分に対しても同じ様に接してくれると言う妄想はそれなりに魅力的でもあった。
そんな事を考えている僅かな間に、彼は瑞穂の事など最初から無かったかの様にごく自然に駆逐艦達に取り巻かれている。
(本当に調子が良いんだから!)
そうムッとし掛けたのだが、よく見ると仁の瞳は戯れる彼女達への慈しみに満ちていた。
お気楽にデレデレしているのでは無く、何かもっと違う事を考えているらしい。
何を考えているのだろうかと思ったその時、彼がふと顔を上げた拍子に目が合う。
(あっ……)
その瞬間、彼の心の中がまるで透き通る様にはっきり見えた。
仁の瞳には、忘れもしないあの日陸奥に誓いを立てたあの時と全く同じ色が浮かんでいた。
(やっぱり貴方は何時でも貴方そのものなのね、仁)
良く判っている積もりだったし、それこそ――単なる優しさや思い遣りを越えた真摯な何か――が彼に強く惹かれる理由なのに、それでも彼が自分以外の誰かにそれを注ぐのを見るとどうにも不安で仕方無くなってしまい、何とかして自分の方に引き戻そうとしてしまう。
(どうしてこんなに欲張りになっちゃったのかしら、あたし……)
葉月の様に結婚して彼を独り占めしたいと自分も思っているのだろうか? 自分自身の事だというのに、それすらはっきり判ら無いとは何と不自由なのだろう。
一瞬そんな事を思っていたのだが、仁が笑顔を見せたのでつい反発したくなってしまう。
(何よ、あたしまだ怒ってるんだから!)
心の中で舌を出しておいてそっぽを向いて見せる。
でもこんな風にした後で、彼がまたそっと謝ってくれるのが堪らなく嬉しいのだ。