陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第八章・第三節〕

 目を覚ました時、何やら良い匂いがするのに気が付いて僕は少々首を傾げる。

 

(確か今日は葉月は来ない筈だよなぁ)

 

今頃彼女は訓練隊に向かっている筈だ。

今日は艦娘達が待ちに待った外出日だし、葉月は中嶋副長と共にその付添役を務める予定なのだから。

そんな事を反芻しつつ一階に降りて来ると、キッチンで話し声(と良い匂い)がするので引き寄せられる様にそちらに向かう。

もちろん当然と言えばそれ迄なのだが、そこにいたのは初春ちゃんと子の日ちゃんに挟まれてエプロン姿でこちらに背を向けて立つむっちゃんだった。

丁度その時僕に気付いたらしい彼女は振り返りざまに

「あら、お早う仁♪」

と明るく笑い掛けてくれるが、窓から差し込む朝の光の中のその姿が遠い記憶と突然重なり合う。

 

(あ……)

 

まるで閃光が走る様に、懐かしさや切なさがない混ぜになった感情の渦が胸に甘く痺れる様な疼きをもたらす。

 

(むっちゃん――何故だろう……君はまるで――)

 

「全く仁殿と来たら――我らの前じゃと言うに、そう迄露骨に見惚れるなぞ如何なものかと思いますぞえ?」

「そうだよ⁉ 仁のエッチ!」

「い、いや、エッチってそんな無体な――」

「もうっ二人とも何言ってるのよ! いい加減にして頂戴⁉」

でも、そう言って頬を染めたむっちゃんに僕が釘付けだったのは――ま、まぁ事実だ。

 

「お、お早うむっちゃん、何だかとっても良い匂いがするね♪」

精一杯普通を装ってそう言うと、彼女はまだ頬を赤らめたまま少し恥かし気に応える。

「うん、まだ余り色々作れないんだけど――ちょっとお料理して見ようと思ったの」

「へぇぇ、何が出来るのかな?」

「ダメよ、まだ内緒なんだから――向こうで待ってて頂戴」

非常に正直に言ってしまうとこのままむっちゃんとお喋りしていたくて仕様が無かったのだが、如何にも愉し気にニヤニヤ笑う初春ちゃん子の日ちゃんに両腕を掴まれる。

「ほらぁ仁! 聞こえなかったのぉ?」

「ほほ、往生際の悪い事じゃ、さぁさ早うなさいませよ♪」

とキッチンから摘まみ出されてしまう。

 

仕方が無いので、取り敢えず顔を洗ったり用を足したりという朝の身支度を少しゆっくり目に終えて、居間で朝のニュースバラエティなどを見るとも無く眺めながら取り留めの無いお喋りをする。

今日の艦娘達の外出先は街の繁華街などでは無く少し郊外中心になる筈で、それは今日のメンバーに合わせたチョイスなのだが、子の日ちゃんには納得しかねる事があるらしい。

「楽しそうだよね~、でも加賀さんもやっぱり楽しいのかなぁ?」

「加賀さんは皐月ちゃん達の保護者役だからね」

「でもそんな役要るのかなぁ? 朧ちゃんは一人だって絶対大丈夫だよ⁉ 皐月ちゃんと霰ちゃんは――うぅん、でも大丈夫だと思うけどなぁ」

「ほほ、案ずるで無い♪ 加賀殿は例え隊のぐるりを散歩するだけでも、天にも昇る程の心地であろうぞ」

「それだけで楽しいの? 加賀さんってスゴイね!」

やはり子の日ちゃんはまだ知らない様だ。

そういう僕もむっちゃんから教えて貰う迄気付かなかったのだから偉そうな事は言えないが、何時か彼女もこういう機微を自分で覚れるようになって、普通の大人の女性になるのだろうか?

いや、そもそも彼女達艦娘は人間の様に成長したり年老いたりするのだろうか?

実はそんな事すらもまだ分かっていないのだなぁと考えていると、むっちゃんが僕らを呼ぶ声がする。

再び二人に両腕をホールドされて、僕はキッチンに連行された。

 

「お待たせ仁、まずは朝ご飯からね♪」

と笑顔の彼女に迎えられて鼻の下が二、三倍は伸びてしまう。

美味しそうに湯気を起てているホットサンドがとんでもないご馳走に見えるのは、只単に空腹の所為なのだろうか?

とは言うものの、僕はひたすら朝食に集中していた訳でもなく、コップに野菜ジュースを注いでくれたり子の日ちゃんのココアを搔き混ぜたりなど、甲斐甲斐しく世話をしてくれるむっちゃんの事ばかり見詰めていた。

なので、子の日ちゃんが元気良く

「頂きまーすっ!」

と言うのを聞いて我に返る始末だった。

「あっ、あの、えっと、頂きますっ」

初春ちゃん子の日ちゃんにワンテンポどころかツーテンポ程遅れて、例によって冴えない挨拶をするとホットサンドに齧り付く。

「美味し~い!」

「何とも言えず、程良いお味にござりますな」

二人の感想はいざ知らず、僕が感じたのは蕩ける様な甘さだった。

 

(何だろ――何でこんなに甘く感じるのかな?)

 

一瞬真面目にそんな疑問を抱いたのだが、やや俯き加減ではにかむ様にこちらを見る彼女を見て、それが愚問である事を覚る。

 

(そうだよな、むっちゃんが作ってくれたからに決まってるよな……)

 

「仁殿、何か感想がおありにござりましょう?」

初春ちゃんにそう振られて慌てた僕は、もう一口齧って見る。

「うん――やっぱり美味しいよ」

「何か、仁の言い方普通ぅ~」

子の日ちゃんにすかさず突っ込まれてしまうが、むっちゃんの瞳を見詰めるのに精一杯でリアクションするどころでは無い。

「本当? 本当に美味しい?」

僕の目を見返しながらそう反問する彼女に、改めて確信を込めて答える。

「うん、とっても――とっても美味しいよむっちゃん」

だが何の捻りも無いその言葉は、まるで未知の反応触媒か何かの様に彼女の頬を鮮やかな桜色に変化させる。

そして、まるで呆けた様にそれに見惚れていた僕は、そこから大量に放たれた正体不明の放射線を無防備に浴びてしまい、あっという間に五感の全てを甘い痺れに乗っ取られてしまう。

 

「ほほほ♪ 今朝はまるで盛夏の如き暑さにござりますのう♪」

「えーっ⁉ 子の日全然暑くないよぉ? 姉様どうしたの?」

「妾はどうも致さぬぞえ、なれど陸奥殿と仁殿とが暑うて堪らぬだけぞ♪」

そう楽しそうに言いながらわざと扇で煽いで見せる初春ちゃんに、彼女はそれこそ真っ赤な顔で食って掛かる。

「初春ちゃんたら良い加減にして頂戴⁉ あたしだってちっとも暑くなんか無いわ!」

そう言ってフンとそっぽを向く彼女がこの世の物とは思えない程に可愛い。

 

(な――何なんだ一体……)

 

ひょっとして朝食に何か入っていたのかと思う位、僕の視線はむっちゃんに釘付けだった。

「もう姉様⁉ 目上の方に失礼な物言いをしちゃダメって言ったのは姉様でしょ? 陸奥さんには良いの⁉」

おっ、子の日ちゃん良い事言った!

ところが、初春ちゃんはまるでその反応を楽しみにしていたかの様に目を細めると、急に穏やかな声音になる。

「まこと子の日の言う通りじゃの、妾が間違うておった。陸奥殿、仁殿、重ね重ねの無礼の段お詫び申し上げまする。平にご容赦下されよ」

と、神妙な様子で詫びを述べる。

「ねぇ陸奥さん、仁、姉様を赦してあげて? 子の日がちゃんと言って聞かせますから」

彼女の精一杯背伸びした言葉に僕らは思わず顔を見合わせるが、むっちゃんの浮かべた優し気な笑顔にまた胸の奥で心臓が落ち着きを無くす。

「そう言う事だったら子の日ちゃんに免じて大目に見てあげ様かしら、ねぇ仁?」

「う、うん、そうだね、じゃあ子の日ちゃんに頼んどこうか」

「やったぁ! 姉様良かったねぇ~」

「ほほ、子の日が取り成してくれたからじゃの、ほんに幸いよのぉ」

そう言う初春ちゃんの瞳は、何とも言えない暖かな色を湛えている。

 

(本当に子の日ちゃんの事大切に思ってるんだ――良いお姉さんだなぁ)

 

僕はふと考える。

彼女達にとっての救いは言う迄も無く天国に召される(もちろんそれが本当にあるならばと言う)事だ。

でもとても幸せそうな二人を見ていると、未来永劫と言うのはともかくとして、せめてこの地上に留まっている間位は戦う道具としてでは無く、姉妹や仲間達と一緒に人間らしい暮らしをさせてあげたいと感じる。

真の救いはそれこそ神様しか与える事は出来ないのかも知れないが、何と言うかその――癒し?――をあげる事位は僕達人間の手でも出来るのではないだろうか。

 

(僕が、君達にしてあげられる事か……)

 

それが、少しずつ見えて来る様な気がする。

 

これ迄の僕が思い描いていた未来というか人生は、何だか消去法でしか語ることが出来ない様な味気無いものばかりだった。

それがむっちゃん達に出会ってからは、日に日に鮮やかな色合いを帯び始めていた。

 

「ねぇ、仁?」

話し掛けて来たむっちゃんの笑顔は、ぼんやりした思いを瞬時に吹き飛ばして心の中を再び彼女一色に塗り潰す。

「あっ、えっと、あのぉ、何?」

「あのね、今日はね、皆でお出掛けし様と思ってるの」

「あ――うん、それいいね! お天気も良さそうだし」

「本当? うふ、良かった♪ ――それでね、皆のお弁当を作って見たの」

「あっ――、そうだったんだ……」

胸の中で、まるで泉が湧き出す様にテンションが上がり始めるのを感じる。

 

(むっちゃん手作りのお弁当――何て素晴らしい響きなんだろう!)

 

「でもね、どこに行くのが良いのか判らないの。仁、どこが良い?」

「う、うん、そうだなぁ~、お弁当持って皆と行くとしたら公園か遊園地系かな? ねぇ、二人はどんな事したいの?」

 

子の日ちゃんの元気の良い返事を期待して彼女達に話を振って見たのだが、思いもよらぬリアクションが返って来る。

「仁殿のお心遣い有難く存じますが、妾はわが妹にも窘められました故、本日は静かに蟄居して過ごさんと思いますればご放念下されよ」

「えっ、いや何もそんな――」

「姉様の事は子の日に任せて、仁? お家でちゃ~んと言い聞かせとくからね!」

「ちょっと二人共何言ってるのよ! あたし達そんな事本気で怒ったりして無いわよ⁉」

むっちゃんもすっかり面食らっている様で真顔になって打ち消すが、その時二人の様子が何となくおかしい事に気付く。

 

(えっ、まさか二人共――)

 

「いえ、陸奥殿や仁殿の度量に甘えて増長しておりましては、子の日に再び叱責を受くるは必定にござりまする。姉として示しが付きませぬ故、この度はご寛恕下されよ」

「初春ちゃんたら何言ってるのよ――」

「姉様の事は子の日に任せて下さい! だから陸奥さんと仁でお出掛けして来てね!」

 

(やっぱりそうだ、二人共最初からその積もりだったんだ)

 

「ふ、二人共揶揄っちゃ嫌だわ⁉ 本当にもう……」

彼女はそう言った切り、頬を赤らめて少し俯いてしまう。

 

(ど、どうしよう)

 

僕は一瞬戸惑ったのだが、その時彼女が恥ずかしそうな上目遣いでこちらをチラリと見る。

 

(はっ!)

 

むっちゃんのその視線は正しく破壊的な威力を秘めた――それでいて蕩けてしまいそうに甘美な――光の矢となって、狙い過たずまっしぐらに僕の心臓を刺し貫く。

 

(……)

 

途轍もない衝撃で魂が抜けた様に空っぽになった僕は、再び意識を取り戻すまでに多少の時間を要する。

そして何とその間に脳からの命令を無視してしばしば勝手に行動する僕の肉体は、独断で口を動かして事態を進めてしまう。

「そ、そのっ、二人がさ、行きたく無いんだったら、せ、折角だからどっか出掛け様か――ぼ、僕らだけで」

 

(おい良い加減にしろ! そんな大事な事何勝手に進めてるんだよ⁉)

 

僕は必死で自分自身にそう突っ込みを入れたのだ。

ところが――

「う、うん、有難う――仁が連れてってくれるならどこでも良いわ♪ あ、あたしのお弁当食べてくれる?」

はにかみながらむっちゃんが応じるのを聞いて再び頭の中が真っ白(申し訳無い、ひょっとすると薄桃色だったかも知れない)になってしまい、思わず素で答えてしまう。

「もちろんだよ、た、楽しみで仕方ないよっ」

こうして僕らは、相変わらずニヤニヤと笑う初春ちゃん子の日ちゃんに見送られて初めて二人切りで出掛ける事になったのだ。

 

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