陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第一章・第四節〕

 切れ切れの雲が風に吹かれて流れて行くのに合わせて、二人の周りは明るくなったり暗くなったりを繰り返していた。

こじんまりとした浜辺には二人の他に誰もおらず、波の音が無ければしんと静まり返っていただろう。

ここは柱島だろうか、それとも向かいの大島だろうか。

仁の頭の中は、周囲の静けさとは裏腹に目まぐるしく動いていた。

にも関わらず、またしても彼の考えが言葉になる前に彼女が先に口を開いてしまう。

 

「あたしの名前、そんなに変かしら?」

「ち、違うよ! そんなんじゃないよ……只その……」

「その、なに?」

「それって、キャラクターか何かの名前なの? て言うか戦艦のコスプレとかあるの? よく知らないけど……」

 

言いながら仁は、それ以前にあのアメンボ能力の説明には何もなっていない事に気が付いたが、彼の頭では到底それを合理的に理由付け出来なかった。

 

「何それ? 良く判らないわ――でも、戦艦なのは確かね! あたしの事ひょっとして知ってるの?」

「柱島の沖に、戦艦陸奥が沈んでるのは知ってるよ? って言うか昨日知ったとこだけど……でもそれと君と――」

「凄い! ちゃんと知ってるのね! とっても長い間だったから、とっくに忘れられてるんだと思ってたわ。でも、本当にどれくらい経ったのかしら?」

「大体70年ちょっとぐらいだよ。でも、途中で引き上げ作業があったんだよね?」

「そうよ、あの時は正直とっても嬉しかったわ! ああ、忘れられて無かったんだ! って。でも、結局途中で打ち切られちゃったみたいでそれっきりだったし……ねぇ、人間ってどの位生きられるんだったかしら?」

「普通、7~80年位だと思うけど?」

「じゃあ、あたしに乗ってた人はもう誰もいないわね……」

 

今迄明るく無邪気に見えた彼女が急に小さく見えて、仁は思わず聞いてしまう。

 

「ねぇ、君は本当に戦艦陸奥なの?」

「信じられ無いのも当たり前よねぇ、だってこんな姿で戦艦だなんて……三善大佐が見たら、腰を抜かしちゃうわねきっと」

 

そう言って彼女――陸奥は笑みを浮かべたが、その顔は寂しげで、瞳は何処か遠くを見詰めていた。

 

「何時から、そんな女性の姿に?」

「ついさっきからよ」

「え、じゃあ――」

「そうよ、今日もあたしは海底から上を見上げていたの。何時もと同じ時間に渡船がやって来たな~って思ってたら誰かが落っこちるのが見えたのよ。前にも同じような事はあったけど、その時は誰かに助けられてたから今度も大丈夫だと思ってたら――」

「誰も来なかったんだね」

 

彼は苦笑いしながら合いの手を入れる。

 

「んふふっ、そうね! だけど本当に焦ったわ、貴方がぐったりするのが見えて、このままじゃ死んじゃう! って」

「それで、どうしたの?」

「実は、その時の事ってちょっとはっきり判らないの。助けなきゃ! って思ったら急にぐーっと貴方が大きく見えてきて、両手にあなたの体を感じたの。でも、えっ両手⁉ なんで? って思ったら、もう貴方を抱っこして海面に立ってたのよ」

「そうだったんだ、そんな事が――」

「すぐに自分が思った方向に自由に進めるのは判ったわ。だから、取り敢えず大島の浜がいいなって思ったからここへ来たの。なのにね、さっきも言ったけど岸に上がった途端に貴方が突然重たくなって抱っこしてられなくなっちゃったのよ! 不思議よねぇ、何でなのかしら?」

「不思議なのは、それよりも前のとこだと思うけど?」

 

仁がそう突っ込んだ途端、またも彼女は一瞬瞠目したあと楽しげに笑い始める。

そのキュートな仕草は、無邪気な純粋さから自然に出るものなのだろうか。

 

「本当にそうよね! どっちが不思議なんだって話よねぇ」

 

今度も、自然に笑みを納めた彼女が可笑しそうに言う。

 

「ねぇ、貴方の名前、まだ教えて貰ってないわよ?」

「あ、ごめんね、すっかり順番が逆になっちゃって。僕は渡来仁(わたらいじん)、横濱から来たんだ」

「本当に⁉ じゃあ横須賀はすぐ近くよね!」

「うん、何度も行った事あるよ!」

「懐かしいわぁ、鎮守府はまだあるのかしら?」

「それって、ひょっとして旧海軍の基地のこと?」

「基地――なのかしら? あたしは陸の上の事はよく知らないから、それが正しいのかどうか何とも言えないけど、とにかく連合艦隊のとっても重要な根拠地だったのよ!」

「そうなんだ……でも、どっちにしても終戦の時に旧海軍は解隊されちゃったからね。だから鎮守府も残って無いと思うよ」

「因みに、その終戦って何時の事?」

「1945年だから、君が事故で沈んでから二年後かな?」

「たったの二年! ねぇ、何で海軍は――艦隊は解散させられたの?」

「え、日本が戦争に負けたからだよ?」

 

彼が何気なくそう口にした途端、陸奥は明らかに動揺した様な顔になり、疑わしげに聞き返す。

 

「……負けた……の?」

「そうか、君は知らないんだよね。日本は1945年の8月に、連合軍に無条件降伏したんだよ」

「降伏……そう……そうだったの……」

 

そう言って、彼女は伏し目がちに海を見詰めて黙ってしまう。

仁は掛ける言葉が見つからず、せっかく浮かび掛けていた打ち解けた空気が、気不味い沈黙に押し流されて行くのをどうする事も出来ずにいた。

 

「……ねえ」

「な、何?」

「艦隊の皆はどうなったの?」

「その――細かい事は僕も良くは知らないけど、終戦の時点でちゃんと動ける状態だった艦艇は一割にも満たなかったらしいよ」

 

「……一割……壊滅したって事?」

 

「う、うん……多分……」

 

「そう……」

 

陸奥の瞳に浮かんだ悲嘆の色が、絶望的な迄に濃く深くなって行くのが手に取るように分かる。

 

(おい、何か言えよ! こんな悲し気な顔させてていいのか!)

 

自分で自分を叱咤した彼は、見切り発車でつい適当な事を言ってしまう。

 

「で、でも、今は海上防衛隊があるよ! 戦艦とかは無いけど護衛艦やイージス艦の艦隊もあるし、海軍は無くなっちゃったけど、そこに行けばひょっとして皆の消息とか何とかなるんじゃないかな?」

 

言ってしまってから、彼は自分の軽い言葉が思い切り空回りしている事に気が付きひどく後悔したが、既に後の祭りだった。

にも関わらず、彼女は怒気や苛立ちを微塵も見せずに静かな声で聞き返して来る。

 

「今の艦隊は、海上防衛隊って言うの?」

「うん、昔の海軍と同じって訳じゃないけど――」

「だったら……そこに行けば、あたしの様に人間の姿になった艦隊の皆に何時かは会えるのかしら? ……姉さんにも会えるかしら……?」

 

仁は愚かな事を言ってしまったと自分を呪う。

こんな思い付きの薄っぺらな言葉を投げ掛けてしまった、自分の無責任さが情けない。

だからと言って、このまま黙っているのもそれはそれで如何にも無責任な気がした。

 

「え、えっと……そ、その……」

 

勇気を振り絞ったものの、言葉が喉の奥に痞えて出て来ない。

 

「……いいの、はっきり言ってちょうだい」

 

陸奥に静かに促されると、少しだけ覇気が戻ってくる。

 

(しっかりしろよ自分!)

 

「あ、あのね、正直に言うとそういう話しは一度も聞いた事がないし、今言ったのは只の思いつきだから何の宛も無いんだ……適当な事言って本当にごめん!」

「謝らないで、判ってるわ、元気付けようと思って言ってくれたのよね? 有難う……」

 

彼女の寂しげな眼差しは、また仁を突き抜けてどことも知れない遠くに――恐らくは歴史の中の出来事になろうとしている過ぎ去った日々に――向けられていた。

 

(くそっ、何かしてあげられないのかよ! こんな無邪気に笑う可愛い(ひと)が――僕の命を助けてくれた(ひと)がこんなに寂しそうな顔してるのに!)

 

彼の頭の中は、先程にも増して急速に回転している。

 

(飾った言葉なんかじゃなくて、僕が今出来る事が何かある筈だろ!)

 

そして、やっとの思いで言葉を絞り出す。

 

「ね、ねぇ、君はこれからどうするの?」

 

「……どうしたら良いのかしら……正直に言うけど、どうすれば良いのか判らないわ……」

 

「まさか、海の底に戻らないよね?」

 

「それはやっぱり嫌だわ。こうしてとっても久し振りに海の上に出て来て見て改めて思ったの。太陽って良いなぁって、潮風って良いなぁって……。だから、それを捨ててまたあの冷たくて薄暗い場所に戻るなんて出来そうにないわ」

 

「そうだよね……」

 

「でも、ひょっとしたらそうするしか無いのかしら? 戦争はずっと昔に終わって、海軍も無い、艦隊の仲間達ももういないこの時代にどう考えてもあたしの居場所なんて何処にも無いわよね……だったら結局は――」

 

だ、駄目だよ!

「えっ!」

 

仁が初めて発した強い言葉に、彼女はびくんと顔を上げる。

 

「だって、君は70年もずっとたった一人で耐えて来たのに、またそこへ戻らなきゃいけないなんて、絶対にそんな事させられないよ! 僕の命を助けてくれた(ひと)にそんな事は絶対にさせない! 君の居場所は僕が……僕が何とかするから! 必ず君の仲間にもお姉さんにも会えるから! だから、だから――」

 

彼の言葉は体の奥から奔流のように流れ出ていたが、突然それは止まってしまった――と言うより何も言えなくなってしまった。

 

何故だか全く理解出来ないが、とても懐かしく暖かな何かに包み込まれるのを感じ、はっきりとした理由もなく涙が溢れてくる。

 

やがて、頬にふれる髪の毛の感触とふわっとした潮の香りで感覚を取り戻した彼は、陸奥に抱き締められた事に初めて気が付いた。

 

「有難う、仁……」

 

彼女が口にしただけで、自分の名前がまるで不思議な熱を帯びた呪言の様に胸の奥に甘い疼きをもたらすのを感じたが、それが何を意味するのか彼はまだ理解していなかった。

 

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