陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第八章・第七節〕

 思い返せば何と厚かましいことをしてしまったのだろうと顔から火が出そうになるが、例え様もない幸福感と充実感に満たされた心はそんな事などお構いなしだ。

陸奥と仁は電車の中でこそ手を離していたものの、最寄りの駅を出て買い物に向かう途中で再びどちらからとも無く手を繋いでいた。

そのまま手を繋いでスーパーの中をウロウロするが、どう言う訳か何時迄経っても買う物が決まらない。

その内に夫婦らしい(赤ちゃん抱っこしてるわ……)若い男女が、手を繋いで買い物をしているのと擦れ違う。

ぼんやりとそれを目で追いながら、無意識に男を仁に女を自分に置き換えて見るが、その妄想はまるで蜜の様に甘く陸奥の心を蕩けさせる。

 

「ど、どうかしたのむっちゃん?」

「へっ? あっ、いえその、あのっ、な、何でも無いわよ⁉」

「本当に?」

「ほ、本当よ! あ、あたし、あそこのお野菜が美味しそうだなって思ってただけよ⁉」

「あそっか~蚕豆が旬なんだねぇ。じゃあ、今日はあれを入れて子の日ちゃんが好きなパスタにしよっか?」

「そ、そうね! それが良いわ、そうしましょ♪」

 

(あ、危なかったわ、これだけは絶対に口が裂けても言えないわね)

 

ほっと胸を撫で下ろすが、頭の中に迄響いてくる位胸がドキドキしているのが判る。

訓練隊で受けた座学でも、心臓の動悸が激しくなると言うのは体調にはよろしく無く余り健康的とは言えない状態の筈だったのに、何故かやたらに心が弾んでいる様な気がする。

 

(仁もドキドキしてるのかしら?)

 

さすがにその鼓動迄はっきりと分る程では無いものの、少なくとも彼は自分の手をしっかり握ってくれていた。

 

(きっと同じ気持ちよね、仁♪)

 

そう思った丁度その瞬間、彼がこちらを振り向き照れ臭そうな顔でにっこりと笑い掛ける。

 

(!)

 

それでまたまた気持ちが舞い上がってしまった陸奥は、もうその後どうやって家に帰り着いたのか全く記憶に無かった。

 

「お帰りなさ~い」

初春と子の日が元気よく迎えてくれたが、「ただ今」を言ったかどうかすら定かで無い。

その上二人がニヤニヤしながら少し下の方をジロジロ見ているので、一体何事なのかと訝った途端まだ手を繋いだままだった事に気付く。

慌てて手を離しながら思わずちらりと仁の顔を盗み見ると、彼も紅い顔で陸奥の顔を見て苦笑しておいてから二人に向き直る。

「き、今日の晩御飯は蚕豆のパスタにするからね! それで良いかな?」

「やったぁ! パスタ大好きぃ~♪」

照れ隠しにやや声を張った彼の言葉に、無邪気に応じる子の日が何時も以上に愛らしく感じられて少しほっとする。

ところが初春は口元に笑みを張り付かせたまま、

「無論妾も異存ござりませぬぞ。きっとこの世ならぬ甘さにございましょうな♪」

などと小憎らしい事を言う。

言い返そうと思ったものの、横から子の日がタイミング良く突っ込んでくれる。

「姉様⁉ また陸奥さんに叱られてもいいの?」

「まこと其方の申す通りじゃの。これではまた其方に取り成して貰わねばならぬのう」

そう楽しげに言った彼女は、やや居住まいを改めてこちらに向き直る。

「それでは我らお待ち申し上げておりますゆえ、何時でも何なりとお声をお掛け下されよ」

さらりと言って一礼するや居間へと下がって行くのを見送ってしまうと、思わず溜め息が出る。

その拍子に期せずして同時に仁も溜め息を吐いたので、顔を見合わせて笑みを浮かべる。

 

(うふっ、また一緒だったわ♪)

 

もう何をしても嬉しいのではないかと思う位浮足立っているのだが、自分ではどう仕様もない。

それから身支度をし直して彼と二人で台所に立つが、途中から自分が何をしているのか良く分からなくなって来る。

どうにか夕食は出来たものの、味見はもちろん出来栄えすらも覚束ない。

四人で食卓を囲み、子の日の元気の良い、

「頂きまぁーす!」

で食事が始まって、やっと自分も食べるのだと思い出した程だった。

 

「美味しぃーい!」

「ほほ、正しく甘露にござりますのう」

二人が口々に感想を述べるのだが、半ば上の空の陸奥にはほとんど聞こえていない。

 

(でも、美味しいのは間違いないわ)

 

仁と二人で作ったのだから美味しくて当たり前だとも思う反面、先程の自分は心ここにあらずと言う体で出来栄えに気を配る余裕すら無かったのだから、万が一彼の気に入らない事があるかも知れない。

そう思って横目で仁の顔をちらと見ると、彼はすぐに気付いて笑顔を見せてくれる。

「良かった――美味しく出来てるねむっちゃん♪」

「そ、そうね! とっても美味しく出来てるわね♪」

捉えどころの無い不思議な感情が全身を包んで行き、彼以外の周囲の世界が現実の物で無くなった様な気がする。

 

「ご馳走様ぁ~」

突然子の日がそう言ったので飛び上がりそうになるが、その拍子に仁と見詰め合っていたのに気付いてしまい赤面して下を向く。

「ど、どうしたの子の日ちゃん? もうご馳走様だなんて――」

「え~ちゃんと全部食べたよぉ~?」

「えっ、えっ、ど、どう言う事?」

「ほほ、お二方に取ってはいざ知らず、我らには十分食べ終えるだけの時間はござりましたぞ♪」

「ぼ、僕らは一体何を?」

「だってぇー、仁も陸奥さんもず~っと顔見合わせてニコニコしてるんだもん――。早く食べないと冷めちゃうよぉ?」

もう陸奥はまともに顔を上げる事すら出来なくなってしまう。

 

「ふ、二人共そのまま置いといてくれたら良いよ? 僕らが食べ終わったら一緒に片付けるから――」

彼がそう言うのを片耳で聞きながら、一生懸命にパスタを口に運ぶ。

 

(もう、何やってるのかしらあたし――)

 

顔が火照って腫れ上がってでもいるかの様に熱い。

折角二人で作ったのに、禄に味わいもせず只々急いで詰め込むだけになるとは何と見っとも無い話だろうか。

にも関わらず、今の陸奥は高揚し切った気分の只中にあるので、この程度の事では意気消沈する気配すら感じない。

仁と二人でイソイソとパスタを平らげ、一緒に食卓を片付けて洗い物をする――そのどれもが楽しくて仕方が無かった。

 

そうこうする内に後片付けも終わり、風呂に入る段になって初めてここに遣って来た日の事を思い出す。

あの日、自分の目の前で葉月がやらかしたとんでも無い事はもちろんはっきりと覚えていた。

あれは陸奥にとって異次元の出来事に等しい位遠く掛け離れて見えたが、今や突然その距離がぐっと縮まった様に感じられる。

あの時仁は慌てふためいていた様だが喜んではおらず、どういう訳かそれが陸奥はとても嬉しかった。

 

(あ、あたしが今同じ事したら仁は喜んでくれるのかしら?)

 

そんなあられも無い妄想はそれだけに止まらず、どんどん膨れ上がって行く。

 

(そんな事しなくたって、い、何時かは、その、い、い、一緒にお風呂とか入っても、い、良いわよね♪ そ、それ位は、い、い、良いわよね⁉)

 

「陸奥さん何ニヤニヤしてるのぉ?」

「いっ?」

「ほほ、陸奥殿さえ宜しければ、今宵は我ら姉妹だけで風呂をつかわせて頂きますぞ?」

「な、何言ってるのよ! ちゃ、ちゃんと一緒に入るわよ⁉」

「だったら早く入ろうよぉ~もう全部脱いじゃったよ?」

「さ、先に入ってて頂戴⁉ すぐ行くから!」

 

(ひょっとしてあたし、ずっとこんな調子なのかしら?)

 

さすがに少し不安に駆られながらも、急いで服を脱ぎ二人の後を追う。

 

 

(ふぅっ♪)

 

それでもどうにか風呂に入ってしまうと、気分が切り替わった所為か少し落ち着きが戻って来る。

それはどうやら仁も同じらしく、冷たい飲み物を人数分用意して彼が居間に戻って来るのを待っていると、随分さっぱりした顔つきで現れる。

「ああ、有難うむっちゃん」

そう言って飲み物を手に取った彼は何時もの仁に少し戻っており、それを見た陸奥も何かしらほっとしてしまう。

「やれやれ、ずっとあの調子かと思うて心配致しましたぞ」

「何よ! 適当な事言って仕向けた癖に随分な言い草だわ⁉ 子の日ちゃん、お説教がまだ足りない見たいよ?」

「えぇ~っ、もう姉様ったら仕様が無いなぁ――ねぇ仁、どうすれば良いのぉ?」

「う~んそうだなぁ――じゃあ、初春ちゃんは当分外出禁止って事でどうかな?」

「えっ! それは子の日も一緒にってこと⁉」

「ううん違うわよ。子の日ちゃんは良い子だからあたし達と一緒にお出掛けよ♪」

「えへっ、やったぁ!」

「こ、これ子の日や、其方何時からその様に唯一無二の姉を蔑にする様な、邪な子に成ったのじゃ?」

「たった今からだよね♪」

「ごめんなさい姉様――子の日を赦してね? 子の日はお出掛けがしたいの♪」

「嘆かわしや――姉妹の絆など何と脆い物かのう」

「当分そうやって反省してて頂戴⁉」

「そうだよ姉様! ちょっとの間の辛抱だからね」

「利いた風な口を利くでないわ!」

「ハハハハ!」

「うふふふ♪」

心の底から安心出来る瞬間、そしてそれを感じられる場所。

 

(全部貴方がくれたのよ、仁♪)

 

浮ついた感情の中では無く、安らいだ思いの内に在っても自然にそう思える。

 

(もしかしたら、これなのかしら……)

 

これ迄掴み処の無かった彼に対する想いの様なものが、陸奥の中でぼんやりとだが形を成し掛けたその時、テーブルに置かれた仁のスマホが着信を告げ始める。

「あっ、駒ちゃんからだ!」

目敏く発信者を読み取った子の日が声を上げた。

「こんな時間に――明日、何かあるのかな?」

そう独り言を言いながら彼が電話に出る。

「もしもし――斑駒さん今晩わ。どうしました? ――――えっ、明日からですか? ――――あ、はい――済みません、彼女に換わって良いですね? ――ちょっと待って下さい――」

 

向き直った仁の顔は当惑と緊張が入り混じっており、否が応でも不安を掻き立てられてしまう。

 

「むっちゃん緊急の要件だよ。君も直接聞いた方が良いと思う」

「ええ判ったわ――換わりました陸奥です。何かあったんですか?」

電話の向こうの斑駒が、緊張した声で喋り始める。

「簡潔に申し上げます。明日の早朝にそちらに迎えの車が行きますので、陸奥さん達お三方は航海に出立する準備をしておいて下さい。その足で港に向かい、そのまま乗船・出航致しますからそのお積もりでお願いします」

「航海はどれくらいの期間になるんでしょうか?」

「一週間以上になると思って下さい」

「一週間以上――あの、どこへとお聞きしても良いですか?」

「国外になります。申し訳ありませんがこれ以上はお教え出来ないんです、済みません――。ですが一言だけ――お姉さんと強く関係があります」

 

(姉さん!)

 

急に動悸が激しくなり、体温が上がった様に感じる。

「あの――それはつまり、危険を伴う可能性があると言う事ですね? 小さな子達も連れて行くんでしょうか?」

「それについては、明朝出航前に副長を交えて協議しましょう。どうするのが一番良いのか、私にも正直分かりません……」

彼女が言葉を濁すのも致し方無いだろう。

「とにかく了解しました。一旦渡来さんに電話を戻しますね?」

「はい、お願いします」

彼にスマホを返すと、初春と子の日が身を乗り出して来る。

「陸奥殿――」

「どうしたの? 今度はどこに行くの?」

姉に対する感情はとにかく脇に置いて、二人にちゃんと説明しなければならない。

一度唾を飲み込んでから、陸奥は口を開く。

 

「二人とも、良く聞いて頂戴――」

 

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