暁闇の中、車は埠頭に向かって走る。
(あそこに座ってお弁当食べたのよね……)
どこへ向かうのかと思っていたら、何と昨日二人で訪れたばかりの赤レンガ公園の先だった。
その先に泊まっているのは、灰色に塗られた防衛隊の艦艇ではなく真っ白な船体に青い線が引かれたやや艦弦の高い船舶だ。
「海上警備庁の埠頭に行くんだ……」
助手席に座った仁が呟く。
運転している防衛官はそれを耳にしてちょっと困った様な顔をしながらも、出来るだけ無感情を心掛けている様に見える。
とは言え、その互いに居心地の良くない時間はすぐに終わり、間もなく車はゲートを通過すると、建物の玄関口で自分達を待ち受ける中嶋らの前に滑り込む様に停止した。
真っ先に車を降りた陸奥は、出迎えた中嶋と斑駒にサッと敬礼する。
「お早うございます、副長!」
「お早うございます、陸奥さん。大変急な事で申し訳ありませんが、この機会を逃すべきで無いとの判断がありお呼び立てした次第です。ご理解頂けるものと確信してはおりますが」
「もちろんです。そのご判断に異存ありませんし、副長のお立場も了解しているつもりです。ですので、昨夜斑駒さんに申し上げた件に付いて急ぎ協議したいのですが如何でしょう?」
中嶋は固い表情を少し緩めると即断する。
「有難うございます。それでは時間に余裕もありませんので、急ぎ許可を頂く事にしましょう」
そう言ってから、やや離れて控えていた防衛隊とは異なる制服に身を包んだ男性に向き直る。
「申し訳ありませんが、出港する前に皆さんと検討しておきたい事柄に付いて、話し合うお時間を頂けますでしょうか?」
真っ直ぐに告げられたその男性は、表情こそ緩め無いもののどことなく温和な声で応じてくれた。
「もちろんです、僅かな時間すら許され無い訳ではありません。とにかく中へどうぞ」
と、建屋内に誘ってくれる。
陸奥が中嶋を見ると、彼も小さく頷いて視線だけでこちらを促しつつ口を開く。
「恐れ入ります。それでは失礼して」
先に立って動き始めた彼に遅れない様に、初春と子の日に声を掛ける。
「さぁ、行くわよ」
が、動き始めたその視界の端で斑駒が仁に近付き、何事かを話し掛けているのが目に入る。
(何かしら?)
気にはなったものの、わざわざ引き返して「どうかしたの?」と聞く程の事でもないので、そのまま入口の扉を潜る。
建屋に入ってすぐ左手の会議室と思しき部屋に仲間達全員が待機していたが、陸奥らがドアを開けるのと同時に全員がさっと立ち上がり、声を揃えて挨拶してくれる。
「お早うございます!」
「お早うございます。早速だけど、皆と一緒に急ぎ話し合いたい事があるの。多分もう判ってくれてるとは思うんだけど、全員が一緒に行くべきなのかどうかと云う事に付いてよ」
言う迄も無い事だが、陸奥の予想通り全員がその問題を認識していたので、余計な前置きを抜きにして早速話し合いを始める。
中嶋らは一緒に着席したものの、一切口を挟まずに艦娘達の議論に任せてくれていた。
そして全員での話し合いは、これもまたほぼ陸奥の予想通り互いの意見を真っ向からぶつけ合う方向に勢い良く転がり始める。
赤城はかなり熱心に、
「艦艇としては兎も角、今の姿の皆さんはやはり子供です。幼い子供達を矢弾に晒す様な事はすべきではありません」
と主張し同意する者も多かったが、駆逐艦達は猛反発する。
普段礼儀正しい朧が、
「姿形がどうあれ、アタシ達も歴とした
と挑戦的に言い放つなど大変な憤慨振りで、遣り取りはかなり過熱気味だ。
やがて議論が平行線のまま進展しなくなると、その頃合いを見計らっていたのかそれ迄静かにしていた瑞穂が控え目に切り出す。
「私如き新参者が、しかつめらしく意見などとおこがましいのですが――」
だがその内容は何と、船足も遅く兵装も貧弱な自分が大人の様な姿形だと言うだけで同行出来るというのは納得出来ない、足手纏いだと言うのであれば自分こそが真っ先に留守居をすべきだと言う主張だった。
思わず全員がしんとしてしまう中、瑞穂は発言をこう締め括る。
「私は皆さんのお仲間でいられる限り私の出来る事を精一杯成したいと思いますが、それが叶わぬと言う時が来れば、いっそ仲間では無いと言われる方がどれ程か潔いでしょう。改めてお伺いしますが、駆逐艦の方々は皆さんのお仲間では無いのでしょうか?」
(瑞穂ちゃんもお淑やかなだけじゃないのね――。でも丁度良いわ)
そろそろ結論を出すべきだろうと思っていた陸奥は、自ら声を上げる。
「瑞穂ちゃん有難う、その答えはあたしから言うわね。当然の事だけどここにいる皆は大切な仲間だわ。だから赤城ちゃん達が只足手纏いに思っている訳じゃ無い事も判ってくれてるわよね?」
「はい! もちろんです」
彼女は笑顔で応える。
「それじゃあ皆、もう意見は出尽くしたわね? 最後にあたしが決めさせて貰うわ――今回の遠征には全員で行きます。但し、仲間を大切にするのと同じ様に自分を大切にすると誓約して貰うわ、それが出来無い子は今ここに置いて行きます。どう、ちゃんと誓える?」
それに対する答えは待つ迄も無かった。
「はいっ!」
全員の声が綺麗に揃ったのを聞いて満足した陸奥は、中嶋に向き直る。
「お待たせ致しました副長。ご案内を宜しくお願い致します」
「分かりました。それでは皆さん――」
そう言いながら彼は立ち上がったが、艦娘達も一斉にさっと起立する。
「改めてご紹介しましょう。これよりお世話になる海上警備庁の警備船『おおやしま』の斑駒船長です」
中嶋が手で指し示したのは、先程屋内に誘ってくれた中島よりもやや年配と見受けられる男性だったが、何と言ってもその名前に全員が驚く。
それでも紹介された斑駒がさっと敬礼すると、陸奥も含めて全員がきびきびと答礼する事は忘れなかった。
「初めまして、皆さんが今何を感じられたのかはお顔を拝見すればすぐに分かりますが、その事を今とやかく申し上げは致しません。それだけでは無く、乗船頂く前に皆さんにご説明出来る事はほとんどありません。今回、組織の垣根を越えて皆さんを警備船にお乗せするに至った経緯も含めて、詳細は全て出港後にご説明すると言う事で納得頂かねばなりませんがご了解下さい」
斑駒の(おそらく)父は、落ち着いた様子でそう言い終えると中嶋をちらりと見る。
「有難うございます船長殿。――それでは皆さん、早速乗船しましょう!」
彼がそう言って動き始めると艦娘達も全員その後に従ってサッと動き始めるが、陸奥の許には(娘の方の)斑駒が駆け寄って来て、片目を瞑りながら少し離れて立っている仁の方へ顎をしゃくって見せる。
意図を理解した陸奥も何も言わず目で礼をするだけにして、彼の処へ駆け寄る。
「仁!」
「暫くお出掛けだねむっちゃん」
そう言った彼は、少し躊躇った後で再度口を開く。
「斑駒さんに、航海中もむっちゃんと連絡が取れる様に船長に頼んで見るって言われたんだけど――僕らだけそんな特別扱いして貰っても、むっちゃんだって居心地が悪いだろうと思って遠慮したよ」
如何にも彼の言う通りだろう。
まだ事情は詳らかで無いものの、これから乗るのは海上警備庁の船舶であり訓練隊、延いては防衛隊とは異なる組織の管理下で行動しなければならない。
その様な時に、いきなり我儘を利いて貰う様な事から始めるのはどう考えても印象が良くない。
(仁――あたし達の立場もちゃんと考えてくれてるのね)
嬉しくなって思わず手を伸ばすと、仁の手をぎゅっと握る。
「あ、むっちゃん⁉」
「出来るだけ早く帰って来るわ! だから、無事に姉さんに会える様に祈っててくれる?」
「も、もちろんだよ! 毎日そっちの方角に向かってお祈りするからね!」
「約束よ⁉」
「うん、約束だよ♪」
顔を見合わせて笑いあった陸奥は、言い様も無く弾んだ気分になる。
「じゃあそろそろ行くわね」
「岸壁から見送るよ!」
彼の声に送られながら皆の後を追い掛ける。
「もう陸奥さんたらぁ、見せ付けちゃってやーだぁ」
「本当ですよぉ~、あーあいいなぁ~」
追いつくなり、早速蒼龍と飛龍が冷やかしに掛かる。
「暫く留守にするから挨拶してただけじゃない!」
例によって適当にあしらったりしながら、岸壁に係留された『おおやしま』に乗船する。
「あっ、何だか広い!」
「本当だぁ~」
船の大きさもあるが確かに船内はゆとりがあり、防衛隊の艦艇とは如何にも違う様だ。
「皆さんにはこちらを使って頂きます」
警備官らしき男性が案内してくれたのは、二段の寝台が二つ設けられた小ざっぱりとした船室だった。
「姉様、子の日は上の寝台がいい!」
「ほほ構わぬぞえ、其方の好いた様にするが良い」
楽し気に居室を見分している二人とは違って、陸奥には他に気になる事がある。
「二人共、荷物を任せておいても良いかしら?」
そう声を掛けて腰を浮かせると、初春が得たりとばかりに応じる。
「無論にござりまするぞ、早う上甲板に行かれませよ」
「有難う、お願いね」
と言い残して船室を出る。
船は微かに身震いしている様で、耳を澄ませると船底の方から低く力強い振動音が響いているのが判る。
(もう主機が動いてるのね)
のんびりしていられないと思った陸奥は、精一杯の早足で通路を急ぐ。
いっそ走ってしまおうかとも思うが、警備船内では自分達はお客様であり、どんな規則があるのかも禄に判っていないのに訳も無く走り回るのはさすがに気が引ける。
やっとデッキに辿り着き舷側の手摺に手を掛けて立つと、岸壁に立った仁が素早く此方を見付けて笑顔で手を振ってくれている。
「むっちゃん!」
明るく呼び掛ける彼の正面迄移動して声を掛け様としたその時、出港の号令が掛けられ汽笛が鳴り響く。
(あっ……)
たった今迄仁に笑顔で応えて手を振ろうと思っていたのに、その弾んだ気持ちが急に萎えてしまい、寂しいとも心細いともどちらとも言い難い様な感情が湧きあがってくる。
そうしている内にも船は舫いを解かれてゆっくりと滑る様に動き始め、岸壁に立った警備官達も一斉に帽振れを始める。
「むっちゃん?」
彼も陸奥の様子に気付いたのか、笑顔を畳み込んで手を振るのを止めるとそう呼び掛けながら岸壁を歩いて陸奥に追い付こうとする。
(何してるのよ! 普通に手を振るだけよ⁉)
自分に言い聞かせて声を出そうとするが、感情が昂ぶって来てつい叫んでしまう。
「仁っ!」
自分が出した声で更に気持ちが込み上げて来てしまい、デッキを歩いて仁を追い掛けると彼の瞳が陸奥の瞳をしっかりと捉える。
一瞬、互いの心が強く引き付け合うのを感じるが、次の瞬間彼もまたその想いを迸らせる。
「陸奥っ!」
呼び掛けられた途端、まるで彼に強く抱き締められたかの様に胸がギュッと締め付けられ、堰を切った様に感情が溢れ出してしまう。
「仁っ! 仁っ!」
叫びながら、そうすれば彼の手に届くかの様に必死で手を伸ばしデッキを小走る。
涙が零れて次々に頬を伝い、襟元を濡らして行く。
「陸奥っ!」
今すぐ船を飛び下り、陸奥の伸ばした手に応えるかの様に手を伸ばして岸壁を走る彼の腕の中に飛び込みたい。
「仁っ!」
しかし遂に陸奥は船尾に達してしまい、岸壁の縁に立って両手の拳を固く握り締めて立ち尽くす仁の姿を見詰めるより他出来なくなってしまう。
「必ず帰るからっ! 姉さんを連れて帰って来るから! だから――」
後は言葉にならず、涙ばかりが止めどなく溢れる。
やがて彼の姿は埠頭の端の小さな点になってしまい、それもすぐに見えなくなってしまうと少しだけ冷静な気持ちが戻って来る。
(本当に恥ずかしいわ、あたしったら……)
皆の前で何と見苦しい事をしてしまったのだろう。
でも先程は本気で自分一人だけ船から飛び降りて、仁の許に馳せ戻りたいと思ったのだ。
(また冷やかされちゃうわ、情けない――)
覚悟を決めてハンカチできゅっと涙を拭うと、少し下腹に力を入れてくるりと振り返る。
――と突然、
「うわぁあ~ん!」
「陸奥さぁーん!」
と、蒼龍と飛龍が泣きながら抱き付いて来る。
「ちょ、ちょっとどうしたの、二人共⁉」
慌てて二人を抱き留めながら顔を上げると、何時の間にか仲間達が集まっておりしかも皆涙ぐんでいる。
(えっ、何これ――)
感激屋の赤城が大粒の涙をぽろぽろ零しながら近付き、陸奥の手を取ると、
「陸奥さん、不肖この赤城、例え陸奥さんの盾となってでも必ずや渡来さんの許へ無事にお帰しすると誓います! 私だけではありません、ここにいる全員が同じ気持ちだと思います!」
と力強く言い切る。
「あ、有難う赤城ちゃん――でも盾だなんて言わないで、み、皆一緒に帰りましょ⁉」
「もちろんですとも! 陸奥さんと渡来さんが育んだ愛は、我ら艦娘と人間との絆そのものと言っても過言ではありません! ですから我ら全員の宝として、大切に守っていく所存です!」
(えっ、ど、どうしたらそんな風に聞こえちゃう訳?)
彼女はこんな風に大上段に振り被った物言いがやたらに得意で、放っておくと何でも大仰な話にされてしまう。
とにかく何とかこの場を退散しなければと思い、出来るだけ明るい声を出す。
「さ、さぁ皆、取り敢えず船内に戻りましょ?」
「はーい!」
(はぁ~~、これなら冷やかされる方がずっと良かったわ……)
心中溜め息を吐きながら皆を急き立てて船室に戻り掛ける途中、丁度横に来た高雄が何やら物恋しげに指を唇に宛てがいながら小声で呟く。
「私もやっぱり渡来さんが良いですぅ……」
(た、高雄ちゃん、何不穏な事言ってるの⁉ 心臓に悪いから止めてくれない⁉)
今更ながら、葉月の気持ちがいやと言う程判り始めた陸奥であった。