〔第九章・第一節〕
斑駒船長を交えた打合せが行われ、改めて行き先がマーシャル諸島共和国である事が全員に明かされた。
そもそもの経緯はこう言う事の様だ。
マーシャル諸島クルーズにやって来た日本の客船が、ビキニ環礁付近で突然正体不明の敵から攻撃を受けたのだった。
幸いにも難を逃れたその船は、今は共和国の首都であるマジュロ環礁に入港しその保護下にあるとの事で、共和国から日本政府に直ちに保護措置の――分かり易く言えば迎えを寄越して欲しいと言う――要請があったのだ。
艦娘達の感覚からすれば、何故防衛隊の艦艇が出向かないのかと思う処だが、戦前であればいざ知らず、現代に於いてはこんな折であってもそうそう軍艦を繰り出す訳には行かないらしい。
そう言われて改めて、防衛隊が名こそ違うものの実質的には海軍である事に気付いたりもするが、どちらにせよ他の組織が動く必要がある。
そう言う事情から警備庁の船舶が派遣される事になった様だが、防衛隊と警備庁の上層部間では艦娘に関する情報は共有されており、調査の機会を有効に活用すべしという点で合意した様だ。
「マジュロには昨夜先発した『みくら』が向かっています。本船は直接ビキニ環礁に向かい状況見分を行うと云う事で、既に共和国政府の了解が取れております」
斑駒の父は、如何にも強固な意志を穏やかな人格で包んだ様なもの堅い話し方をする。
「環礁にはどの位接近する予定でしょうか?」
陸奥が質問すると斑駒の父は中嶋の顔を一瞥し、目礼をした中嶋が応える。
「それに付いては具体的に決定していません。ぎりぎり迄情報を収集しながら、皆さんと一緒に検討して決めたいと考えています」
「そうですね、もしもの場合を想定するなら余り艦砲の射程内深く接近するのは危険だと思いますし――」
陸奥が応じると、横から加賀が口を挟む。
「その客船は、どの辺りで攻撃を受けたのでしょうか?」
「まだ正確な情報ではありませんが、領海内に入る前だったらしいとの事です」
「と言う事は――」
「はい、あく迄推測ですが、十分に引き付けて狙い澄まして撃った――と言う訳では無さそうですね」
中嶋の説明を聞く限り、その何者かは丸腰の客船を沈め様とした訳では無さそうだが、領海外まで届く程の射撃が可能な何かである可能性は高そうだ。
(やっぱり姉さんなのかしら?)
「その娘はどうして虎口を脱したのでしょうか?」
瑞穂が品の良い物腰を崩すこと無く質問すると、今度は斑駒の父が口を開っく。
「連絡を受けた限りでは、攻撃は最初の一射だけだったと思われます。それが斉発だったのか個射のみだったのか等は不明です」
陸奥の中で次第に確信が湧いて来る。
(警告したんだわ、近づくと危険だって――だとしたらやはり姉さんが……)
環礁に沈んでいるのは日本の船舶に敵意を抱くであろう米国の軍艦がほとんどだが、彼女らがわざわざそんな事をする理由が見当たらないし、仮に本気で攻撃したのであれば余りにも雑に過ぎる。
敵が手ぐすね引いて待ち構えている、言わば虎の咢に踏み込ませない為にわざと驚かせたのだとすれば、それをしたのは姉か酒匂のどちらかとしか考え難い。
「陸奥さんはどうお感じですか?」
中嶋の問い掛けに対して余り期待を込めた返答をしてしまうと、仲間達の考えにも影響してしまうだろう。
「はい、先程副長も言及された様に、少なくとも非武装の客船に危害を加える意図は無かったと感じます。只それが姉であるか否かに付いては、可能性が高いとしか言えないと思います」
するとそれを聞いた加賀が、陸奥の顔を見ながら口を開く。
「陸奥さんは立場上余り憶測で何かを言えないと思います。出来れば私の考えを申し上げて宜しいですか?」
普段は概ね他人の好悪など無頓着な彼女だが、しばしば陸奥に対しては気遣いを見せてくれる。
「有難う加賀ちゃん、遠慮なく言って?」
「はい、それでは――卒直に言って砲撃を行ったのは長門さんであると考えるのが妥当でしょう。その意図はもちろん客船を攻撃したかった訳では無く、環礁に近づけさせ無い様に威嚇する為だと思います。言う迄も無く日本の船舶を米艦などに害させない様にするためですが――しかしながら、姿を現して接触する事も出来たのにそれをしなかったのだと考えると、これはつまり民間船を手に掛ける程の悪意こそ抱いていないものの、好意も抱いていないと言う事の顕れではないでしょうか?」
覚悟はしていたものの、加賀の冷えた言葉で語られると思わず拳に力が入ってしまう。
「ではやはり、長門さんは自分が嘗ての日本に見殺しにされた事を――」
「駄目よ高雄ちゃん⁉」
思わず腰を浮かせ掛けた高雄の発言を妙高が咄嗟に遮る。
「妙高ちゃん有難う――でも良いのよ、決して予想してもいない話じゃ無いわ」
陸奥がそう言うと、赤城が後を受けて声を上げる。
「まことに仰る通りです。陸奥さんが覚悟を固めておられると言うのに、我らが及び腰になっている場合ではありませんでしたね」
「でもどうしたら良いのかな? 長門さんは本当にボクらの敵になっちゃったの? 撃たなきゃいけないの?」
「そうと決まった訳じゃ無いよ皐月⁉ 加賀さんは敵とも味方ともはっきり言えないって言われたんだよ?」
皐月の正直過ぎる言葉を長良がフォローし様とするが、朧が更に疑問を口にする。
「そうは言っても、長門さんにお会いしてお話が出来なかったらやっぱりご本心が分かりませんよね? それはどうし様も無い気がするんですけど――」
皆の視線が泳ぎ、中嶋の顔や陸奥の顔などを行ったり来たりする。
(あたしの心はもう決まってるわ……)
とは言え中嶋が艦娘達の安全を非常に重視している事も良く理解しているので、あまり尖った物言いをすれば彼の立場を無くしてしまうかも知れず、陸奥は少々躊躇っていた。
しかしそんな空気を読み取ってなのか、何時もの様にどこか飄々とした調子で龍田が声を上げる。
「長門さんが来てくれないんですからぁ、こっちからお会いしに行くしかないですよね~。だから例え長門さんが撃って来なくてもぉ、米艦が撃って来るのは仕方ないんじゃ無いですか~?」
案の定中嶋はすぐに反応し、
「龍田さんの言われる事が間違っているとは思いません。ですが仕方無いからと言う理由だけで、貴方がたに敵性艦と交戦する危険を犯させる訳には行きません」
と堅い言葉で言い切る。
二人の遣り取りに再びその場は静まり返ってしまうが、既に最前とはその静けさの中身が違っており、今にも誰かが反駁しそうな気配が濃厚に漂っている。
「発言を許可して頂けますか?」
その中から意を決した様に声を上げたのは意外にも(娘の方の)斑駒だったので、中嶋も一瞬おやと言う顔をしたものの簡潔に肯う。
「許可します」
「有難うございます。部隊行動基準の解釈の範囲はあるとしても、先制攻撃に対する応戦で無い限り交戦を前提とした出撃は無い筈です。現状は明らかに『交戦の可能性がある』状態だと思いますし、これから向かう海域においてその可能性がある事は出航以前から明白だったのではありませんか? そうであれば、そもそも当該海域で艦娘の方々を海上に展開すること自体が危険を伴う行為の筈ですので、危険を犯させる事は出来ないと言う仰り様は理解に苦しみます。何故皆さんを同行させたのでしょうか? それとも、まさかご命令だから仕方無くなさったこと――」
「それが上官に対する口の利き方か⁉ 無礼だぞ天音!」
斑駒(父)の叱声は一陣の突風かと見紛うばかりで思わず背筋を伸ばした者も多かったが、親子だから慣れているのか斑駒(娘)は怯まない。
「無礼な口の利き方をしてしまったのはお詫びします! でも小官の意見は撤回致しません!」
(どっかで聞いた気がするわね♪)
本人達はとても真剣なのに、申し訳ないがちょっと面白くなってしまう。
「横合いから済みません、発言して宜しいですか?」
斑駒父娘と中嶋の顔を見比べながら声を掛けると、斑駒(娘)が待ってましたと言わんばかりの笑顔を浮かべる。
「陸奥さん! おね――」
そう言い掛けてから慌てて口を噤み、極まり悪気に背を丸めて中嶋の顔を下から見上げる。
思わず苦笑いした彼が、その笑顔のまま陸奥の方を向いて口を開く。
「お願いします、忌憚の無い処をお聞かせ下さい」
と少し柔らかい調子で応じてくれたので、陸奥も少し苦笑しながら口を開く。
「私の正直な気持ちを申し上げますが、例えどの様な危険があろうがそれら全てを踏み越えて長門に会って直接話をする積もりです。更に言うなら、本人が何と言おうが力尽くででも日本に連れ帰る積もりです。元よりその考えの下にここに来ておりますし、私だけでなく仲間達も同じ考えの筈です。その為に敵と交戦する事も厭いませんし、もし必要とあらば撃滅します。無論のこと、ここにいる仲間達はもちろん長門も酒匂さんも誰一人として失う積もりなど更々ありません」
ここ迄一息に喋ってすぅーっと深呼吸をすると、仲間達の視線が自分に集中しているのを感じられた。
だがそれには応えず、硬い表情をしている中嶋に向かって改めて語り掛ける。
「――とは言え、勝手気ままが許されるとは思っておりませんし、心意気だけで
また一息に言ってしまうと出来る限り平静な顔をしてすっと口を噤むが、さすがに中嶋は察しが良かった。
「陸奥さん有難うございます」
口許を少しだけ緩めると、それだけ短く言って再び誰かの発言待ちの表情に戻る。
しかし口を開く者はいない。
まぁそうだろうなとは思う。
自分が余程中途半端な事を言わない限りこうなる事は予め予想が付いたので、言うべき事は全て一気に言ってしまっただけだ。
何よりも中嶋はその意図も含めてちゃんと理解してくれている。
最後に決断するのはあくまで彼なのだから、その最終決定には従うとはっきり伝えたのだ。
(さあ、どうするのかしら副長?)
一体どんな方針を打ち出すのか若干の期待を込めながら様子を窺っていると、彼は一旦全員の顔を見回した後に徐に言を上げる。
「皆さんの意見は出尽くしたと考えて宜しいでしょうか? ――その様ですね。では、改めて現時点での見解を申し上げます。交戦が確実な状態に於いてはやはり皆さんを危険に晒す積もりはありません。しかしながら、交戦の可能性がある状態である限り、あく迄その時点時点での状況を判断して我々と皆さんの行動を決定します。言う迄もありませんが、天候や他国の干渉など重要な危惧がある場合及び船長の別途ご指示がある場合は別ですので、その点は良く理解しておいて下さい」
芝居がかった所の無い、実に堅実な物言いとしか言い様が無かった。
ちらと加賀を見ると、愁眉を開いた様な少々残念そうな複雑な顔をしている。
(副長が格好良く采配するとこ見たかったのに――残念ね♪)
加賀が期待していた事が少し理解出来るだけに、中嶋の物堅さに些か嘆息してしまう。
が、とにかく彼は自分達の求めにある程度応じると言う意思表示をしてくれたのだから由とするべきだろう。
そう思っていると、何となく歩み寄ったその場の空気を上手く掬い上げるかの様に再び龍田が口を開く。
「良かったですね~私、長門さんや酒匂さんとお話しして見たかったんですよ~、陸奥さん必ずご一緒致しますね~♪」
何だかんだ言いながらも彼女は優しい気配りをしてくれているが、そう見られたくないのだろうか、わざと捉え所の無い物言いをしている様に思える。
「先輩狡い! 陸奥さん、私もご一緒して長門さんにお会いしたいです!」
長良が瞳を輝かせながらそう言うと、例によって纏め役を買って出る事の多い赤城が声を上げる。
「長良さんの希望は兎も角、隊をどの様に編成するかはとても重要ですからそれを次の議題とすべきではないでしょうか?」
と、打合せを次に進め様とする。
彼女の意見は至極尤もだったし仲間達も皆頷いているが、ふと朧だけが沈んだ表情で俯いているのに気が付く。
「朧ちゃんどうしたの? 違う意見があるなら遠慮しないで言って頂戴?」
陸奥が声を掛けると彼女は急に顔を赤らめて更に俯く。
「そ、そんな意見なんてありません! ど、どうか気になさらないで下さい――」
と頻りに謙遜する。
「朧さん、どうでも良い意見など無いわ。寧ろ仲間同士だからこそ多少角のある事でも言い合えるのではなくて?」
加賀が朧を真っ直ぐに見ながらそう言うと赤城も、
「そうですよ朧さん是非聞かせてください、さあ遠慮せずに!」
と強く奨める。
全員の視線が朧に集中する中、何故か真っ赤な顔をした彼女は覚悟を決めた様にきゅっと目を瞑って小さく叫ぶ。
「あっ、あっ、あのっ、実はっ、そのっ――お腹が空きました!」
一瞬辺りが静まり返った後、風船が弾けた様にその場にいた全員――仲間達はもちろん中嶋も斑駒の父も一緒に――が爆笑する。
「だ、だから言いたくなかったのに……」
それこそ消え入りそうな声で呟く朧がちょっと可哀想なので、陸奥は一生懸命に笑いを収めて彼女に手を伸ばす。
「うふふ、笑ってごめんなさいね朧ちゃん。――でも、もうお昼なんだしお腹も空くわよね♪」
と声を掛けると、彼女ははにかみながらもおずおずと手を出し、伸ばした陸奥の手に触れると恥ずかしそうに応じる。
「――はい♪」
それを見て取った斑駒の父が、
「大丈夫ですよ、皆さんの昼食はちゃんと準備していますから。――どうでしょう食事休憩とされては?」
と中嶋の顔を見る。
「有難うございます。それでは皆さん一旦休憩並びに食事としましょう。船長のご指示に従って行動して下さい」
その言葉にどこかしら安堵した様な響きを感じ取った陸奥は、彼は秘かに朧に感謝しているかも知れないと想像して、改めて心の中で苦笑した。