陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第九章・第二節〕

 まるで凱旋するかの様に晴れがましい気分だった。

岸壁には警備庁の制服を着た者ばかりで無く西田を中心に防衛隊の者達も詰め掛けており、それこそ人が鈴なりのために自分達が上陸する所があるのか心配になる位だ。

「帰って来て良かったでしょ姉さん⁉」

斜め後ろに立つ長門に声を掛けるが、姉は返事を返さない。

どうやら感極まっているらしい。

陸奥は再び岸壁の人だかりに目を戻す。

もちろん、先程から自分が見ているのは人混みの最前列で腕を一杯に振りながら陸奥の名を叫び続ける仁だけだ。

 

(嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいわね♪)

 

本当はそんな風に自分の気持ちに少し歯止めを掛けなければ、今すぐに船を飛び降りて彼の胸へ飛び込んで行きそうになるからなのだが、優しい仁はこの程度の可愛い言い訳位赦してくれるだろう。

そうこうしている内に遂に船は接岸し、舫いが掛けられると共に舷梯が下ろされる。

斑駒の父や中嶋が連なって下船するのをジリジリしながら待っていると、仁も岸壁に下ろされた舷梯の脇で同じ様に焦れったそうにしながら陸奥の顔を見上げている。

するとその様子を見た斑駒(娘)が、気を利かせて声を上げてくれる。

「済みません、陸奥さんを行かせてあげて下さい!」

一瞬その場にいる全員が自分を見たのでさすがに照れ臭くなったものの、それでも舷梯の上に足を掛けると同時に下から仁が大きな声で呼び掛ける。

「陸奥っ!」

その途端心の中の歯止めが吹き飛び、どっと感情が溢れてくる。

「仁っ!」

叫びながら一気に舷梯を駆け下りると、両腕を広げて待つ彼の胸へ真っ直ぐに飛び込む。

仁の腕ががっしりと自分を抱き締めるのと同時に、自分からもしっかりとその首にしがみ付く。

 

(あぁ仁!)

 

例え様もない幸福感に全身が包まれ、彼への強い想いが体中を満たして行く――がしかし、不可解な違和感が胸の中に――いや腕の中にしこりの様にあるのが感じられて、急速にそれが拡がっていく。

 

(何なの? 一体どうしたの?)

 

腕の中にある気味の悪い違和感はどんどん強まり、直にその正体は仁そのものらしい事がはっきりする。

 

恐る恐る身体を離して彼を見ると、ゆっくりと上げたその顔は氷の様な冷たい微笑を浮かべた葉月の顔だった――――

 

葉月っ!

 

 

暗い船室内に響き渡る自分の声にぎょっとして飛び起きる。

 

(こ、ここは――?)

 

頭のすぐ上に寝台がある小じんまりとした空間、床を挟んで隣の寝台から聞こえる二つの寝息、ゆったりとした揺れ。

 

(そうだったわ、警備船に乗ってたのよね……)

 

胸に手を当てる迄も無く激しい動悸を感じる。

ちらりと時計を見ると起床時間迄はまだ一時間程ある様なのでもう一度横になろうかと思ったが、眠気などすっかり吹き飛んでしまっていた。

「はぁっ……」

深い溜め息を吐いて寝台に座り込むが、何だか酷くもやもやして息苦しさを感じる。

 

(ちょっと位は大丈夫かしら?)

 

上衣を一枚さっと羽織り、貸与された船内履きに足を通すと二人を起こさない様に静かに船室を出る。

通路の端からラッタルを上がると、不寝番の警備官に出会う。

「お早うございます、上部デッキに出ても宜しいですか?」

と聞くと、

「お気を付けてどうぞ!」

と肯ってくれるのでそのままデッキに上がる。

さすがにそこには誰もおらず、夜明け前の薄明の中、船が波を蹴立てる音だけが周期的に響いていた。

深呼吸をすると、濃い潮の香りが胸の中を満たして行く。

 

「はぁぁぁ~~っ――」

 

思い切り息を吐き出すとつい声が出てしまうが、それで少しだけ不快な塊の様な物を吐き出せた感じがする。

幾らかすっきりした頭で水平線を見遣るが、結局浮かんで来るのは先程の凍て付く様な微笑だった。

 

(当たり前よね――怒るわよね葉月……)

 

そもそも彼女が仁の家に泊まり込んだ理由を考えれば当然のことだ。

陸奥が(もちろん彼にだ)何か仕出かさ無い様に監視する為だったのに、その監視の目が無くなったのを見計らった様に裏を掻かれたのだから。

 

(別に騙そうとか思ってた訳じゃないのよ?)

 

水平線に浮かぶ葉月の顔に向かって少し言い訳して見るが、途端に彼女は顔を歪めて憤怒を露わにし、火を吐かんばかりに噛み付いてくる。

『何調子の良い事言ってる訳⁉ この泥棒猫!』

 

(あたし――やっぱり泥棒なのかしら)

 

こうして少し冷静になって考えて見ると、何故わざわざ仁の気持ちを試す様な事をしたのだろうかと思う。

しかも何が滑稽だと言って、自らの気持ちをまともに説明する事すら覚束無いのに、彼の気持ちを確かめずにはいられなかったのだから、自分でも呆れてしまう程の粗忽さ加減だ。

 

『人を好きになる事の意味も分から無い癖に、よくもそんな大それた事が出来たもんね⁉』

 

葉月の顔が怒りに加えて嘲りの色を帯びる。

確かにそう言われると返す言葉も無い。

人間の様な姿になって仁に出会ってから僅か一月半の自分が、この世に生を享けてから二十年、彼との付き合いも十数年の葉月を相手にして胸を張れる事など何一つ無い。

その上自分は仁しか知らないのに、葉月は彼以外の幾人もの異性達の中から彼を選択しているのだ。

 

『塔原さんって相当モテる筈ですよ?』

 

斑駒がそう言っていたのを思い出す。

実際仁や葉月自身から聞いた話でも複数の男性から言い寄られた事があると言うことは知っているが、そもそもそんな経験の無い陸奥にとってはそれがどういう事なのかも実感出来ない。

 

(でも――やっぱり泥棒した覚えは無いわ)

 

仁が彼女のものになっているのを横取りすれば確かに泥棒だろうが、幾ら人間関係の機微に疎い自分であってもその様には到底見え無いからだ。

 

『何よ開き直り⁉ まぁ確かに、ちょっと手を繋いだとか何だの位で彼女気取りされても困るんだけど⁉』

 

陸奥の想像の中の葉月が一層冷ややかな嘲笑を浴びせる。

無論、一々もっともな事ばかりで反論の仕様も無い。

 

(でも、これからもっと親しくなったらもっと大胆な事も出来る様になるのかしら)

 

一瞬彼女の顔が揺らめいてぼやけ、仁と恋人同士になった自分の楽しい妄想が浮かびかけたが、『これから』と言う言葉に引っ掛かってそれはしゅっと巻き戻されてしまう。

 

(そうよ、あたし達にこれからなんてあるの?)

 

防衛隊の手によって残る船体が引き揚げられれば、自分はこの地上を去ることになる。

天国と言う所がどんな所なのか知る由も無いが、そこに行けば当然二度とこの地上に戻って来る事も出来ないだろう。

 

(姉さんに会える迄は、って言ったのよね……)

 

あの時はもちろん先の見通しなど何も無い中でそう言ったが、まさかこんなに早くその機会が巡って来るなど思いもよらなかった。

もし今回首尾良く姉と共に日本に帰ることが出来たなら、今度こそ返事を引き延ばす理由など無くなるだろう。

 

(長くて後一年――よね)

 

どうすれば良いのだろうか?

こうして人の心と体を手に入れて見て人間と言うものが明日の事すら定かで無い存在であることをやっと知ったばかりの陸奥にとっては、これからの一年間がどんな日々になるのか、更には一年の後に本当に仁や仲間達に別れを告げる事が出来るのかなど、それらを量る物差しも何も無い雲を掴む様な話だった。

「あら~どうしたんですかぁー? こんなに朝早くから~」

 

突然背後から声を掛けられてぎくっとしてしまう。

「た、龍田ちゃん、お、驚かさないで頂戴⁉」

「うふふぅ~済みませーん、そんな積もりじゃ無かったんですよぉ?」

「龍田ちゃんこそどうしたの? こんなに早くから」

「早く目が覚めちゃうだけですよ~、何時もの事なんですからぁ」

「えっ、何時もって毎朝こうなの?」

「そうですねぇ~大体毎日ですねー」

「ひょっとして、良く眠れないの?」

「う~ん、そぉなんですかねぇやっぱり~~」

 

龍田は余り深入りし様とせずに、軽く受け流そうとしている風だ。

何時も飄々として物事に余り動じない風に振る舞っている彼女だが、わざとそう見える様に装っているのではないかと思ってしまう。

「あたしね、初めて夜眠る時に一人で寝るのが怖くて一緒に寝て貰ったのよ」

「えぇ~本当ですかぁ? どうして怖かったんですぅ?」

「次に目を覚ました時に、海の底で一人切りになってるんじゃないか――って思ってしまったからよ」

「えっ……陸奥さんもそうだったんですか?」

「近頃はさすがにもう慣れたけど――龍田ちゃんはまだ慣れない?」

 

一瞬縋り付く様な心細げな眼差しを陸奥に向けた彼女は、すぐに視線を逸らして水平線の彼方を見遣ると、何時もとは違う訥々とした口調で応えを返す。

 

「これからも、ずっと慣れないんじゃないかなぁって思います――多分――」

 

「龍田ちゃん……」

 

仲間達は若干程度の差こそあれ、概ね皆新たな陸の上での生活を楽しんでいる様だが、龍田はそうでは無いのだろうか。

彼女は只ひたすらに本当の救い――船体を引き揚げて貰い天に召される事――を待ち望んでおり、それを表に出さない為に飄然として物事に頓着しない態を演じているだけなのだろうか?

そう思って何か声を掛けようとしたその時、再び龍田は常日頃の様にのんびりとした緊張感の無い口調で話し始める。

 

「まぁでも~慣れなきゃ仕方ないんですよねー♪ 何とかなると思いますよ~、それなりに好きにさせて貰ってますしぃー」

 

そう言ってしまってからにこやかな笑顔を向ける。

 

「――龍田ちゃんがそう思えるんだったらね――。でも、誰かに頼りたい時は頼ったって良いのよ?」

「うふふふぅ~有難うございまーす♪ それじゃあ早速、今晩から添い寝をお願いして良いですかぁ?」

「も、もうちょっと別の事にしてくれないかしら?」

「大丈夫ですよ~、渡来さんはその位で怒ったりしないと思いますけど~?」

「そーゆーこと心配してるんじゃ無いんだけど⁉」

「あら~やっぱりそーでしたかぁ、それじゃあ仕方無いですねー、日本に帰ってから塔原さんにお願いして見ますね~」

「えっ、どうして?」

「だって~、一生懸命お願いしたら根負けしてうんって言ってくれるかも知れませんよ~? もしそれで女の子の魅力に目覚めてくれたら、陸奥さんも助かっちゃいますよね~♪」

「もういやね――龍田ちゃんったら。余り勘の良い子はお姉さん嫌いよ♪」

「うふふ~、じゃあ嫌われ無い様に一言だけにしときますね~。皆がみんな違う人や違う物を好きになれるんだったら苦労しませんけど、そんなに上手くは行きませんよね~、だったら絶対に誰とも衝突しないなんてそもそも無理なんじゃないですかぁ? それは人間でも艦娘でも同じだと思いますよ~?」

 

(龍田ちゃん、ひょっとしてそれが言いたくてわざわざ?)

 

そうは思ったものの、何時もの顔つきに戻った彼女はやはり簡単には瞳の奥を覗かせ様としない。

 

「龍田ちゃん有難う、日本に帰る迄の間に腹を括っておくわ――。因みに昨日会議で言った事、本気よね?」

「はい本気ですよ~」

「じゃ、もし皆が反対でもすれば別だけど、姉さんの処に行く時にはあたしと一緒に来てくれる?」

「もちろんですよ~喜んでお供します~♪」

「それじゃ今日の打合せで話して見るわね。――さぁ、そろそろ起床時間ね、船室に戻りましょ?」

「は~い」

 

そう軽やかに返事をすると龍田は踵を返してラッタルへと向かう。

その後を追う前に陸奥はもう一度水平線を振り返って見るが、そこに浮かんだ葉月の顔は怒りもしていなければ嘲りもしておらず、どこかしら悲し気にこちらを見詰めていた。

 

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