防衛隊の艦艇でもそうだったが、ここ警備船に於いてもやはり海上で出る食事はかなりの量だ。
にも関わらず、昨日仲間達がそれを易々と平らげるのを見て、斑駒(父)を始めとする『おおやしま』の乗員達は目を丸くしていた。
「皆さんを見ていると、自分の価値観がひっくり返される思いですねぇ」
今も、仲間達の中では恐らく一番の大食と思われる赤城の食べっ振りを見ながら改めて斑駒(父)が感嘆する。
赤城程では無いにせよ、小柄な皐月や子の日ですら斑駒(娘)より食欲旺盛なのだから、女性が少食で当たり前という認識は自分達艦娘には通用しないだろう。
「大体、幾ら食べても太ら無いなんて反則ですよ!」
斑駒(娘)が忌々しげに言うと皆から笑いが漏れる。
「正確にはそうだろうと言う事ですけどね。皆さんの代謝機能だけでなく、色々な事がまだ予想の域を出ませんから」
中嶋の相変わらず慎重な物言いに、加賀が頻りに頷く。
初めての外出は彼女にとって一つの転換点になった様で、今もちゃっかりと隣の席を確保しているなど、以前よりもかなり積極的に中嶋に近づいている様に見える。
「……楽しそうな加賀さん、初めて見ました……」
と霰がぼそっと教えてくれた位その時の様子は興味深いものだった様で、彼女らに当日の様子を根掘り葉掘り聞き出したらしい蒼龍と飛龍は、それを肴に加賀を弄りたくて仕方が無いらしい。
とは言えここではお客様でもあるので、余り砕け過ぎる話柄を持ち出し兼ねている様子だ。
(二人共そこはちゃんと弁えてるのね♪)
毎度冷やかされる側としては少々辟易するものの二人には陰湿さが無いので、皆が一緒に笑える程度であれば無暗に目くじらを立てる必要も無いだろう。
そう思いながら食卓を眺めていると、視界の片隅で妙高が食膳を片付けてすっと室外に姿を消すのが目に入る。
(あら?)
彼女は目立た無い様に注意していたらしく、陸奥以外には誰も気が付いた気配は無い。
(まぁおトイレかも知れないわね)
そう思って再び皆の方に目を戻し、会話に口を挟んだりしながら数分が過ぎたが妙高は戻って来ない。
(どうかしたのかしら……)
何がと言う訳では無いが、どこか引っ掛かるものがあって気になってしまう。
意を決してそっと立ち上がり、食膳を戻してそのまま自然に食堂を出様とすると、その間際に龍田が一瞬こちらを見てまたすぐに視線を戻す。
まるで陸奥の意図に気付いていながら、敢えて知らん顔をしようとしている風にも見える。
首を傾げながらもとにかく食堂を出てそのままデッキ迄出て見るが、そこに妙高の姿は無い。
(もし一人になりたかったとしたら――)
デッキを歩いて船尾に向かい、舷側から身を乗り出して覗いて見ると発着甲板では乗員達が何かしている様だ。
引き返してラッタルを昇ると、今朝方と同じ場所で警備官に出会う。
「あの、済みませんが誰か上がって行きませんでしたか?」
陸奥がそう問うと、彼はキビキビと応えてくれる。
「はい、お一方――お名前は分かりかねますが」
「有難うございます」
礼を言って上部デッキに上がってみると、そこにいたのはやはり妙高だった。
ゆっくり歩み寄って声を掛けながら横に並ぶ。
「お邪魔じゃないかしら?」
問われた彼女は視線を水平線に据えたまま、
「いえ、構いません――陸奥さんでしたら」
と、あからさまに含みのある返事をする。
「誰か来て欲しくない人がいるの?」
と聞いて見るが彼女は答え無い。
(あの場に居たく無い何かがあったのよね……)
とは言うもののすぐに思い当る節がある訳でも無く、一人々々の顔を思い浮かべて見る。
(あっ――)
食堂を出て来る直前の龍田の意味有り気な仕草、そして今朝の彼女の言葉――。
ひょっとして、彼女が言いたかったのは陸奥の事だけでは無かったのではないか。
「妙高ちゃん、貴方もしかして――」
「――別にもう良いんです。そもそも私、そんなに一途に誰かを想える様な性質じゃないですから――だからもう何とも思って無いんです」
(やっぱり……)
「妙高ちゃんごめんね。――あたしの所為だわ、貴方の気持ちも知らずにあんな事させて――」
「お願いですから謝らないで下さい。陸奥さんのこと爪の先程も恨んでませんし、私の事を頼りにして頂けるのが嬉しかったから協力したんです。――それに、その前に自分からはっきりそう言ってるんですから、陸奥さんが分から無くても当たり前です――そうなんですよ……」
彼女の横顔は、奇妙な位に平静そのものだった。
その言葉の通り、本当にもう何とも思っていないかの様に見えなくもない。
(でもそんな訳無いわよね)
本当に何とも思っていないのであれば、和気藹々としたあの場を抜け出してこんな風に一人になりに来る理由が、少なくとも陸奥には思い付かない。
「それでもあそこには居たく無かったのよね、何とも思って無いのに――。それとも、何か他に理由があるの?」
暫しの間沈黙が流れた後、妙高が口を開く。
「私は――」
それだけ言ってまた黙ってしまうが、逡巡している訳では無かった。
彼女は到底吐き出すことも出来ない様な何かを必死で体から外に押し出そうとして藻掻いており、その異形の言葉が妙高の口から出る事を拒んでいた。
「妙高ちゃん――無理しなくて良いわ、話せる様になったら――」
「いいえっ! 今――今言わなければ駄目ですっ! 駄目なんです――」
端正な顔を苦悶に歪めながら、彼女は言葉を絞り出す。
(何をそんなに苦しんでいるの?)
何時も落ち着いているが超然としている訳でも無く、皆と一緒に燥いだり笑ったりするが決して羽目を外したり目立ったりせず、隅々迄気配り出来るが必要以上に細か過ぎる訳でも無い、完璧と言っても差支え無い立居振舞の出来る妙高が一体何を苦しんでいるのか。
「――私には――あの場にいる資格など無いんです! 皆さんの仲間でいる資格など無いんです! だから――独りでいるべきなんです」
「何を言い出すの? 貴方はあたし達の仲間だわ⁉」
「いいえ違います! 仲間などではありません! ――本当の、本当の仲間なら、仲間なら――」
陸奥の目の前で彼女は一瞬悪鬼の如き邪悪な光を瞳に灯し、汚物を吐き出す様に言葉を吐き捨てる。
「――仲間の事を、あんながさつで無愛想で自尊心の塊の様な身勝手な女より、私の方がずっとあの方に相応しい等と思ったりしません!
そんな事を言えば相手が不愉快になる位、何故判ら無いのかと嘲ったりしません!
莫迦見たいな事で大喜び出来て、貴方は幸せで良いわねとか思ったりしません!
その程度の事で感情を剥き出しにして恥ずかしく無いのかと見下したりはしません!
皆のことを――大切な仲間のことを――貴方達の様に程度の低い連中に囲まれてるから、私の優れた点が更に際立つから有難いわ等と思ったりはしません!
なのに、なのに――私は何時も心の底で――思いやりのある友達面しながら、君子面しながら、舌を出してせせら笑ってるんです!
滑稽な人達ねと嘲笑してるんです――。
こんな、こんな性根の腐った奴吾れに、仲間でいる資格なぞ無いんです! 絶対に無いんです……」
妙高の横顔を陸奥は不思議な思いで見詰めていた。
彼女の瞳に浮かんだ寒気を催す様な光は消え去り、今は信じられ無い位透明で気高い輝きに置き換わっていた。
にも関わらず、その瞳からはまるで尽きる事の無い泉の様に、何時果てるとも知れず涙が零れては潮風に巻かれてはらはらと散っていく。
おそらく彼女は今日迄誰にも言わずに――いや言えずに――一人己の胸の中で自分自身の吐き気を催す様な思いと向き合い続けていたのだろう。
なのに、それこそ完璧とも思える人格を演じ続けていたのは彼女の矜持なのか、それとも彼女の想い人に相応しい自分であり続ける為だったのか。
(でも、加賀ちゃんの事で糸が切れちゃったのね……)
思えば初めて会ったあの日妙高が口にした事は、まだ見ぬ妹達と言うよりも自分自身の苦悩や戸惑いそのものだったのかも知れない。
「妙高ちゃんは、心の奥で思ってる事と自分の立ち居振る舞いが違うのは、とても許し難い事だと思ってるのね?」
「そんなの当たり前じゃないですか⁉ 『口に蜜有り、腹に剣有り』と言うのは褒め言葉でしょうか?」
彼女は横顔のまま静かに言い返す。
「あたしだって良い事だと思ってる訳じゃないわ。でもあたしも同じ様な事してるし、きっと皆も大なり小なりしてるんじゃないかって思っただけよ?」
「それ、慰めてらっしゃるんですか? 止めて下さい――陸奥さんは私が只一人尊敬出来る方だったのに、貴方迄そんな下らない事をなさるんですか?」
「あたしは元より下らない存在だわ。――妙高ちゃん、あたしが皆と初めて会った日のこと覚えてる? 昼食の時の事よ」
「もちろん覚えてます、高雄ちゃんたら渡来さんに興味津々で――正直扱いに困りました」
「うふふ、その高雄ちゃんの事をね、あたしは『何、仁に色目使ってる訳⁉』って思って睨み付けてたのよ? ついさっき抱き合って泣いてた仲間なのにね」
彼女の方を振り返ると、妙高は相変わらず涙を零しながらも少々意外そうな顔付きでこちらを見ていた。
だが陸奥と目が合うとすっと視線を逸らし、改めて水平線を見詰めながらやや感情的に言い返す。
「でも、それはそれだけの事じゃ無いんですか? 私は何時だってこんな鼻持ちならない事ばかり考えているんですよ? 程度が違い過ぎませんか?」
「どこ迄が許されてどこからが許され無いのか、妙高ちゃんがきっちり線引きしてるならそれで良いわ。でもあたしは実際に顔に出してたのよ? それに散々止めに入ってるんだから、赤城ちゃんと加賀ちゃんが結構お互いに非道い事言っちゃって喧嘩になるのも知ってるわよね? 心の中で思ってても言動に表さないのと、実際出ちゃってるのはどちらが許され無い事かしら?」
「――それは――」
何か言い返そうとした彼女だったが、また口を噤んでしまう。
「妙高ちゃんがね、皆を傷つける様な事ばかり言ったり意地悪ばかりしてるんだったら、確かに許せ無いと思うかも知れないわ。でも、心の底で非道い事思ってても、それは表に出さずに仲間を大切にしていたらそれってどっちが本当の妙高ちゃんなの? それとも、あたしの考え適当過ぎる?」
「――そうですよ――適当過ぎます! そんなに曖昧でいられたらこんなに苦労しませんよ⁉ そうじゃないですか――」
「そうよね――。心を持って生きるって、本当に厄介なものね。自分の心の筈なのにそれに振り回されてばっかりだわ♪ きっと皆そうよ、妙高ちゃんの言う通り程度の差はあるのかも知れないけど」
そのまま二人共黙ってしまい、暫し沈黙が流れた後で妙高が呟く。
「私はこれから、どんな顔をして皆に接すれば良いんでしょう」
「時々は厭味の一つも言ったらどう?」
「はぁ?」
「ずっと溜め込んでて苦しかったんでしょ? だったら、少しずつ吐き出したらどうかしら?」
「私に、あの人達と同じ振舞いをしろと仰るんですか?」
「そうよ、だって妙高ちゃんは同じ事をしてても心の中で『私は皆とは程度が違うわ!』って思えるんでしょ? だったら同じじゃ無いわよね?」
それを聞いた彼女は深い溜め息を一つ吐き、如何にも仕方無いといった風情で言い放つ。
「本当に気楽に言って下さるんですね、有難くて涙が出ます。まぁでも良く判りました、こんな高尚な事で悩んでいては陸の上では暮らして行けないってことですね。仕方無いので、もう暫くは皆さんの程度に合わせておく事に致します」
「うふふ、そうよそれで良いの♪ 序でだから加賀ちゃんにも少し位恩を売っておく?」
そう言うと、彼女は初めて微笑を浮かべて朗らかに応じる。
「それも良いですね、考えておきます♪」
(良かったわ)
「どう? もう皆の所に戻って普通にしていられそう?」
陸奥がそう問うと、
「はい、でも――その前に一つだけお願いを聞いて頂けますか?」
「良いわよ、どんな事?」
何気なくそう応じた途端、唐突に彼女がどんと体をぶつけて来る。
「ちょっ、ちょっと妙高ちゃん⁉」
さすがに予期していなかったので慌ててしまうが、既に彼女はひしとしがみ付いて肩口に顔を埋めており、そこに湯でも掛けられたかの様に熱い染みが拡がっていく。
肩を震わせ、息苦しくなる程必死でしがみ付きながら、妙高は声を殺して泣いていた。
(やっぱり平気な振りしてただけだったのね……)
陸奥も思わず涙が溢れて来てしまう。
「あらあら、本当にお莫迦さんね――こんなに苦しくなる迄独りで我慢して……」
そう言いながら、しっかりと彼女を抱き締める。
どれ位の間そうしていただろうか、そのまま暫く抱き締めていると、やがて妙高はそっと体を離す。
その顔は涙痕に塗れてはいたものの、落ち着いた何時もの表情に戻っていた。
「済みません陸奥さん――有難うございました。こんな風に誰かに抱き締めて貰うの初めてです――。私からこんな事しなければ出来ませんし、私――しませんから」
「そう――あたしで良かったのかしら?」
そう聞き返すと、彼女はすっきりとした顔に笑みを浮かべるが、その表情とは裏腹に怖ろしい事を平然と口にする。
「はい、これでもうけじめを付けられそうです。まぁ、加賀さんにはこれから色々と意地悪させて貰いますけど」
「く、くれぐれも程々にして頂戴ね?」
「はい♪」
妙高が顔を拭いながら明るく返事をしたその時、ラッタルを上る足音が聞こえて来る。
二人がそちらを振り返ると、そこから顔を出したのは案の定龍田だった。
「あら~もうそろそろお呼びしても大丈夫ですよね~♪」
「本当に厭ぁね龍田ちゃんたら――まんまとしてやられたわ」
「陸奥さん、どういう事ですか?」
「どうもこうも無いわ⁉ 龍田ちゃんたら、妙高ちゃんの事知っててわざとあたしに探しに行かせたのよ」
「うふふぅ~済みませーん、でもぉまさか私って訳にも行きませんしー、他にちゃんと受け止められそうな方もいませんから~」
「言ってくれるわね全く――妙高ちゃんもどう思う?」
「特に意外じゃありません。私、龍田さんはきっと腹黒いに違い無いと思ってましたから」
「あら~光栄ですぅ。でもぉ、妙高さん程じゃありませんけどねぇ~♪」
「まぁ、お褒めに与って勿体無い限りだわ、これからは少しでも貴方に近付ける様に精進するわね」
「うふふぅ、私も妙高さんにはまだまだ及びませんけど~よろしくお願いしますねー♪」
「うふふふふふふふふふっ」
「うふふふふふふふふふっ」
(何これ、怖い……)
「あ、あたし、先に戻ってて良いかしら?」
「あら~そんな冷たいこと言っちゃ厭ですぅ♪」
「そうですよ、陸奥さんは清濁併せ呑む器量をお持ちです」
「いや、濁って――何だか素直に喜べないんだけど……。――あぁもう良いわ! 言っとくけど、二人共これから精々働いて貰うから覚悟しといて頂戴ね⁉」
「は~い」
「喜んで!」
(本当に信じていいのかしら?)
一抹の不安を抱きながらも、陸奥は少しだけ肩の荷を下ろせた様に感じていた。