陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第十章・第九節〕

 先程から長門の姿は目の前に見えているのに、その僅かな距離が信じられない程遠い。

自分の身体に限界を超えた負荷を掛けている(自分よりもかなり足が速い筈の加賀と同じ速度で突っ走っていた!)のは重々承知だが、貴重な時間を浪費してしまった事を思うだけで全身が震え出しそうな位焦りを覚える。

艦娘の視覚で観察する限り姉は既に沈み始めており、陸奥の到着が少しでも遅れればそのまま海没してしまうだろう。

 

(もう少し――あと少し――あとほんの少し!)

 

「陸奥さん危険です! お願いですから減速して下さい!」

ついぞ聞いたことの無い加賀の必死の叫びも禄に耳に入らない。

 

(もうちょっと、もうちょっとで手が――)

 

「陸奥さん失礼致します!」

突然そう言うなり、加賀が腰にしがみ付いて来る。

「あっ!」

余りに急ぎ過ぎて減速が遅れてしまったのだ。

さすがに気付いた陸奥も全力で止まろうとするが間に合わず、大きく体勢を崩してしまう。

そのままつんのめる様に加賀と絡み合ったまま海面に叩き付けられると、跳ね上がって一回転、二回転し、長門の傍らを通り過ぎて漸く止まる。

「姉さん!」

もがき、這いずる様にして姉に近づくと、今正に沈もうとするその肩を必死で掴む。

傍らで同じ様に這いずって来た加賀が、その反対の肩をぐっと掴む。

 

(間に合った!)

 

彼女と二人合わせれば、二十万馬力以上に相当する強大な力がこの手には宿っている。

膝をついて少し態勢を立て直すとぐいと力を込めて姉の体を引き上げ――様としたものの、何と言う事かびくともし無い。

「どう言う事⁉」

「判りません、もう一度全力でやって見ましょう」

加賀と二人で息を合わせると今度は更に力を振り絞るが、やはり長門の体はほとんど動かない。

「一体どうなってるの、信じられ無い位重たいわ……」

「重たいと言うのとは少し訳が違う様です。こうして沈まない様に支えるのが精一杯とは、幾ら何でもあり得ません」

「もう少し力を入れられる様に持ち替えて見ましょ⁉」

今度はお互いが支えている間に長門の腋にしっかりと腕を回す様にすると、改めて彼女と顔を見合わせて一段と力を注ぎ込む。

「くぅ~~っ!」

「むっ――」

二人共真っ赤な顔になる迄力を出して踏ん張るものの、ほんの僅かに体を引き上げることが出来た程度で、力が抜けるとまたぐいっと沈み込む様に元に戻ってしまう。

だがその感覚が腕に伝わった瞬間、陸奥は思わず背筋が寒くなる様なひやりとした何かを感じる。

「加賀ちゃん、まさか――」

「余り信じたくは無いのですが、私も今感じました。何かが長門さんを引き摺り込もうとしている様です」

「この環礁で沈んだ他の娘達が――って言う事?」

「判りません――ですが、この場所にはとても深い哀しみや怒り、恨みの様なものが折り重なっている様にも思います。それらが長門さんを捉えて離さ無いのかも知れません」

加賀の言葉はとても重たく、陸奥は暫し言葉を失う。

 

(でも――諦める訳には行かないわ)

 

再び挙げたその顔に宿った決意を見て、加賀は目元に微かな笑みを浮かべる。

「哀しみを抱えたまま、海底に眠っている娘達の辛さを否定する気は無いわ。でも、だからと言って姉さんをその娘達に渡す訳にはいかない。やっぱり姉さんはあたし達の仲間よ、返して貰わなきゃ!」

「仰る通りです、伊達や酔狂でこんな苦労をしに来た訳ではありません。何としても長門さんは返して頂きましょう」

改めて加賀と視線を交わした陸奥は、深呼吸すると渾身の力を込めて長門を引き上げる。

さすがに二人が全力を振り絞ると、姉の体は一旦はずるずると海中から引き出され掛けるが、まるで何者かが慌てて力を入れ直したかの様にそれはぴたりと止まってしまい、再び厳しい綱引きとなる。

二人は互いに目で合図しながら、交互に息継ぎをしたり腕を抱え直したりして力を絶やす事無く引っ張り続けるが、それも何時迄も続く訳では無く、次第に力が抜け始める。

 

(駄目っ!)

 

折角半ば迄引き上げた長門の体がほんの少しずつ少しずつ引き戻されていってしまい、それを止め様にも力が出なくなって来ていた。

 

(お願い! 誰か助けて! 力を貸して⁉)

 

続けて力を出し過ぎた為に軽い眩暈が襲って来る中で、唐突に曇り空と鈍色の海以外の別の光景が見え始める。

 

(何なの⁉)

 

それは外の光が差し込む部屋の中の様で、そこに誰かが居るらしい。

一体何が見えているのか訝った次の瞬間、それが何なのかがはっきりと分かる。

 

(仁!)

 

彼のことを見間違えよう筈も無かった。

そこは見慣れた渡来家の居間であり、そこに仁は朝日を浴びながら立っている。

そして今正に陸奥の方をしっかりと向いて固く目を閉じ、両手をきつく握り合わせて一心不乱に祈っていた。

胸中に、出港前に交わした彼の言葉が蘇って来る。

『毎日、そっちの方角に向かってお祈りするからね!』

 

(ちゃんと約束守ってくれてるのね、祈ってくれてるのね、仁!)

 

一瞬涙が溢れそうになったが、ぐいと姉の体を引っ張られる感覚で我に返る。

しかしその僅か数瞬の間に、たった今迄陸奥の胸中を満たしていた焦りや無力感は消え去っており、強い意志と新たな力が漲っていた。

姿こそ見え無いものの、水面の向こうに居る筈の船達を発止と睨み付ける。

 

(貴方達の哀しみも怒りも、貴方達だけのものじゃない! あたし達も同じものを抱えているし、皆何とかそれに向き合おうとしてるのよ⁉ 姉さんを引きずり込んで貴方達の傍に留めておく事がそれに向き合うことなの?)

 

心の中できっぱりとそう言い切ると、改めて姉の腕を抱え直す。

「陸奥さん⁉」

「加賀ちゃん、これで終わりにするわよ⁉ 残りの力を全て貸してね!」

「はいっ!」

彼女の返答を聞いた陸奥は、躊躇う事無く残る全ての力を出し切って長門の腕を引っ張り上げる。

これ迄に無い程激しい抵抗があるのをはっきりと感じるが、仁から貰ったその力は衰えを知らないかの様に体内に満ち溢れていた。

 

「姉さんを――返してもらうわよ!

 

あたかも鎖を引きちぎるかの如く姉を捉えていた力に打ち勝った感覚が腕に伝わり、突然軛を失った姉の体は一気に海中から引き出されて宙に浮かぶ。

「あぁっ!」

体を支え損ねた二人は同時に勢い良く倒れ込んでしまい、泡を食って起き上がると長門が再び引き摺り込まれない様にその体を掴もうとする。

にも関わらず、一旦海面上に引き出された姉の体は最早沈み込むことも無くそのまま安定して横たわっていた。

 

「――加賀ちゃん――本当に有難う――加賀ちゃんが居てくれたお陰よ……」

 

荒い息を吐きながら陸奥が言うと、彼女も荒い息の下から応える。

 

「――いえ――それこそ過分なお言葉です――それよりも、先程は――何か急に力が増された様に感じましたが――一体どういう事なのですか?」

「実はね、その――言い難いんだけど――」

「まさか――ひょっとして渡来さんが――とか仰るのですか?」

「そう、そのまさかなの……」

「そうですか――卒直に申し上げますが、少々イラッと致します」

「お、大きなお世話よ! 加賀ちゃんこそもうちょっと頑張んなさいよ!」

「言われ無くてもそう致します」

他人(ひと)の事とやかく言う前に、目に見える成果の一つも出したらどうなの⁉」

「――――頭に来ました」

 

ほっとして気の緩んだ二人が他愛の無い云い合いをしていると、目の前で不思議なことが起こる。

今迄余りに必死だった事もあり、長門の異形としか言い様の無い外見――死体と見紛うばかりの蒼白い肌と色を塗り忘れたかの様な真っ白な長い髪――を殊更には気に留めていなかったが、それが何の前触れも無く変化し始めたのだ。

「加賀ちゃん見て⁉」

「これはまた奇怪な――」

 

二人が見守る中、姉の体は見る見る内に健康な人間の様な明るい肌色に変化して行き、それと共に雪の様に白い髪がまるで墨でも吸い上げているかの如く黒々と塗り潰されて行く。

そして幾許も無く変化を終えた長門は艶のある長い黒髪を湛え、陸奥とほぼ同じ肌の色に凛とした顔立ちを備えた姿で横たわっていた。

その姿を暫く無言で見ていた二人だったが、何時迄もそうしている訳にはいかない事に心付く。

「と、とにかく『おおやしま』に運びましょ⁉」

「そう致しましょう」

二人は長門の肩に手を回して半身を起こすと肩を入れて立ち上がるが、その時姉の体に力が入って身じろぎすると共に、口から呻き声が洩れる。

 

「姉さん! 気が付いたの姉さん⁉」

「――うっ――こ、ここは? ――私は――何を……?」

「姉さんしっかりして⁉ あたしよ、陸奥よ⁉」

「――陸奥――だと? 莫迦な――そんな事が……」

 

二、三度かぶりを振った長門の目の焦点が漸く定まり始め、徐に陸奥の顔に向けられるが、視線はそこに釘付けとなり、そのまま数秒間じっと固まってしまう。

 

「一体何が起こっているのだ? ――私は幻でも見ているのか? まさか――本当に、陸奥なのか?」

 

「幻なんかじゃ無いわ――あたし――本当に、本物の――陸奥よ……」

 

出来るだけ冷静に喋ろうとしたが、涙が溢れて来て途切れ途切れに言うのがやっとだった。

 

それを聞いた長門の瞳にも見る見る涙が溢れ出す。

 

「何という事か――信じられん――こんなことが本当に……」

 

後は言葉にならず、長門はその力強い腕で陸奥を抱き寄せる。

 

「姉さん! 会いたかった……」

 

陸奥もまた姉をしっかりと抱き締めるが、喜びとも安堵とも付かない形容し難い様な感情で胸が一杯になり、唯々涙ばかりが止め処なく零れ落ちる。

 

「――ずっと、願っていた――お前を喪ったあの日からずっと――何時の日か再び、お前と共に海原を駆ける事が出来ます様にと――ずっと、ずっと……」

 

何か応えなければと思うものの何も言葉が出て来ず、抱き締める腕に力を込める事しか出来ない。

 

そのままどれ程の時間が経ったものか見当は付かないものの、やっと少し感情の昂ぶりがおさまって来たのを覚えて腕の力を緩める。

長門もまた少し体を離し、陸奥を見詰めながら改めて口を開く。

 

「赦してくれ陸奥――如何に正気の下に無かったとは言え、大切なお前の事を偽物呼ばわりしたこの愚かな姉を赦してくれ――本当に本当に済まなかった」

「それを言うなら、あたしだって姉さんを傷付けてしまったわ――だからお相子よ」

「――そうか、お相子か――しかしお相子にしてはお前の一撃は強烈だった――強くなったのだな、陸奥は」

「あたしが強くなった訳じゃないわ、加賀ちゃんが居てくれたお蔭よ?」

「そうか加賀か! 加賀だったのか!」

 

そう言った長門は、傍らに立って指の腹で目元を拭っている加賀に向き直る。

「本当だ、確かに加賀だ――まさかこんな形で再会する事が出来様とは……」

「永きに渡り、ご無沙汰を致しました長門さん」

「それこそこちらの科白だ加賀よ。遠いあの日柱島で別れた後、憎い米帝どもに加賀達が塗炭の苦しみを味わあされているのに、私は何もしてやれなかった――連合艦隊旗艦だった等とおこがましい限りだ。誠に申し訳なかった」

「滅相もありません。それこそ長門さんの所為では無く人間達が愚かであった事に尽きます。どうかもうお気に為さら無いで下さい」

「そうか――ならばせめてこの度の事に付いてだけは言わせてくれ。最後迄良く陸奥を助けてくれたこと、心から礼を言う。本当に有難う」

「先程も陸奥さんには申し上げたのですが、そのお言葉こそ私には過分な褒詞です。とは言いましても、もしそのお言葉に甘えさせて頂ける様でしたら、一つだけ私の願いを聞き届けて頂けますか?」

「どんな事だろうか、この私に出来る事ならば何でも言ってくれ」

「はい、長門さんに於かれては決して浅からぬ想いを様々抱かれておられると思いますが、どうかそれらを枉げて私達と共に日本へお帰り頂きたいのです。宜しくお願い致します」

 

そう言って丁重に一礼した加賀に向けられる姉の顔は、如何にも苦渋に満ちていた。

「あたしが言わなきゃいけない事だったのに、加賀ちゃん有難う。改めてになるけど姉さん、加賀ちゃんだけじゃなくてあたし達全員の気持ちよ。どうしても一緒に帰って欲しいの」

 

「――陸奥よ――米帝と同じ程日本が憎いと思う訳では無い。しかし、だからと言って快く日本に帰れるなどとは正直な処全く思わんのだ……」

 

「でも姉さん、それなら皆にも――姉さんが撃った娘達にも会いたいとは思わないの?」

そう言った途端、長門は虚を突かれた様な顔で振り返る。

「そうだ――陸奥、あれは一体誰だったのだ⁉」

「龍田ちゃんと子の日ちゃんよ、加賀ちゃん、二人共とりあえずは無事なのよね?」

陸奥の問いに対して、彼女は少し表情を曇らせる。

「申し訳ありません、先程は端的にお伝えしなければと思い簡潔に無事と申し上げましたが、龍田さんの状態は楽観出来る類のものではありません。全く意識は無く、辛うじて初春さんと子の日さんとで運べる状態だったのでお任せして来たのです」

「そうだったのね……」

 

それを聞いた長門は暫し口を真一文字に結んで沈黙していたが、やがて意を決した様に顔を上げる。

「判った、龍田をそこ迄傷付けてしまったのは私の責任だ。日本に帰還し、更には留まるか否かの判断は後でも出来よう。今は何よりも、龍田や子の日はもとより嘗ての同胞達を見舞わずに去る訳には行くまい。陸奥、加賀、私を皆の許へ連れて行ってくれ」

「ええ、皆も喜ぶわ!」

「良くご決断下さいました、有難うございます」

「では頼む。只お前達に完膚なき迄に叩きのめされたので、原速を出すのがやっとだがな♪」

「あら、酷いわ姉さん⁉ 先に撃って来たのは姉さんなのに!」

陸奥がそう言うと、姉は口元に小さく笑みを浮かべて見せる。

「それでは早速参りましょう」

 

かくして三人は『おおやしま』目指して帰途に付く。

艦娘の視覚で見渡す水平線の彼方で、雲の切れ間から射し込む一筋の陽光が海面を探照灯の様に照らしていた。

 

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