陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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第十一章
〔第十一章・第一節〕


 朝から突然不思議な感覚を味わう事になった僕はひどく面喰う。

この数日間と言うものとにかく気分が塞いで仕方が無く、朝と夜の二回ビキニ環礁(で間違いない筈だ)の方に向かってむっちゃんの無事を祈ることで何とか心の平衡を保っていたのだ。

そしてそれは今日も全く変わり無く、居間に立ってネットで調べた環礁の方角を出来るだけ正確に向いて、何時も通り『むっちゃんが無事に長門さんと会えます様に』と祈っていた。

ところが何時もと違っていたのは、目を閉じて祈っているその最中に、

(助けて! 力を貸して⁉)

と言う彼女の声が何の前触れも無く頭の中に響いたことだ。

 

「えっ!」

思わず声が出てしまい、とっさに辺りをキョロキョロ見回したが彼女はもちろん家の中には人の気配すらしなかった。

とは言うもののその声は驚く程はっきり聞こえたので、気の所為と片付ける事は出来そうにない。

ひょっとするともう一度何かが起こるかも知れないと思ったので、改めて一心不乱に祈って見るが再び何かが聞こえる事は無かった。

 

(どうしよう……)

 

落ち着いて考え様としたのだが、そうし様とすればする程心配でジッとしていられ無くなって来る。

言葉の中身は言う迄もなく、その声音と言うか響きがとても切羽詰まっていて、彼女が助けを求めているのは間違いないと思えたからだ。

暫く迷った末に、結局僕は体調不良だと言ってゼミに連絡して休む事にした。

今すぐ飛んで行けるならともかくそんな事は出来る訳も無いので、たった今僕が唯一出来ることである神頼みをしに行く為にだ。

近隣の神社の格やご利益などロクに知らなかったので、母さんと(そして恐らくは父と)の記憶が残る幼い頃から初詣に合格祈願まで、何度となく足を運んで来た神社に向かって家を出る。

だがかれこれ一時間程のその道程は、次々に巡る様々な思いに塗り潰されたままうつつの内に過ぎ、ふと気が付いた時には既に鳥居を潜っていた。

さすがに初夏の平日だけあって境内にいるのはほぼ遠方からの観光客ばかりで、日本語以外のお喋りもそれなりに聞こえていた。

社務所の前を通り過ぎる時、緋袴姿の巫女さんが目に入る。

何でも赤城さんや加賀さんは初めて出現した時巫女さんそっくりの恰好をしていたらしいが、むっちゃんは全く違う姿だったし、あの黒髪美女の瑞穂さんは随分華やかな装いだったと聞いている。

 

(本当に不思議だな……)

 

僕の心は一瞬あの日に――もちろん彼女と出会った日の事だ――戻って行きそうになったが、頭を振ってそれを振り払うと大きく柏手を拍って何度も何度も強く祈る。

 

(どうか、むっちゃんと長門さんと皆をお守り下さい)

 

実際には今更遅いのかも知れないと思いながらも、少なくとも僕はそれなりに落ち着いた。

――落ち着きはしたのだが、同時にまたどっと自己嫌悪が襲って来て、脳内は憂鬱一色に染まり切ってしまう。

 

(はぁ~~……)

 

僕は最低だ、最低の奴だ。

もう何百――いや何千――回目かの自虐のフレーズをまた繰り返す。

これでも僕は自分自身をそれなりに客観的には見ていた積もりだったので、己のダメさ加減は自覚していたし、そんな自分をどちらかといえば軽蔑していた位だ。

ところが今は軽蔑どころでは無く、心底情けない見下げ果てた奴だと思える。

 

むっちゃんから憎からず思われていた事を知った時、天にも昇る心地と言うのを初めて味わっただけでなく、彼女のことを好きで好きで堪らない自分に漸く気付いた。

そして、出港していく船上から涙を流して僕の名を呼んでくれた彼女を目にした時、胸の奥から突き上げて来る愛おしさを押さえる事が出来ずに力一杯彼女の名を呼んだ。

なのに、あの時の僕は彼女に『行くな!』と叫ぶ事は出来なかった。

もしそうしていたら、本当に彼女は船を飛び下りて岸壁に立つ僕の許に戻って来てくれたかも知れないのに。

 

その不可解なわだかまりを抱いて一人帰宅する電車の中で、僕は全てを――己がどれ程最低な奴なのかを――悟った。

自分が叫ばなかったのは強い意志で我慢した訳でも何でも無く、もっとずっと呆れる様な理由だった事を。

僕は今更――本当に今更としか言い様が無い――気付いたのだ。

 

ずっと昔から、葉月を好きだった事に。

 

彼女の事を鬱陶しく思い、何もかも分かっていると言わんばかりのその態度が鼻について事ある毎に反発して来たその何もかもが、子供染みた自己欺瞞でしか無かった事にだ。

それに気付いた時、僕の脳裏に転がっていた記憶の断片が何もかも繋がって行くのを目の当たりにする。

あの高二の秋、結局葉月は僕の後輩にプレッシャーを掛けたりなど何もしなかったのだろう。

少し考えれば分かりそうなものだが、僕の事を誰よりも理解している彼女がそんな浅はかで分かり易い事などする筈が無かった。

後輩は僕と付き合い始めて日が経つ内に、恐らく自力で僕の本心に気付いたのだ。

その目線から見た僕は、どう逆立ちしても自分を好きでいてくれる幼馴染をちゃんとキープしながら、部活の後輩をちょっと摘み食いしている下衆男そのものに見えたことだろう。

あの日屋上に現れた彼女が燃える様に憤っていたのは、自分が侮辱された事に対してはもちろんのこと、葉月をキープ扱いしている僕の傲慢さも許せなかったのに違いない。

その憤怒をぶつけられたにも関わらず、僕は自分の気持ちに気付く事が出来ずにすっ惚けた(彼女にしてみれば真っ赤な嘘にしか聞こえなかっただろう)事を言って益々怒らせてしまった。

しかもそれだけでは気が済まずに、今日迄の年月をずっとそのまますっ惚け続けて来たのだ。

こうして最早後戻り出来ない程に葉月では無い誰かを――むっちゃんを好きになってしまった、その事実に直面する迄……。

 

 気が付くと、乗るべき駅とは全く違うあらぬ方向に大幅に歩き過ぎていたが、それもまたちゃんと正しい道である事はすぐに分かった。

そうだ、間違いなく覚えている――高校受験の時、合格祈願には自転車で行くからと言えばさすがの葉月も一緒に行くのを諦めるだろうと思ったのに、僕が家を出るときっちり自転車に跨った彼女が門の前で待ち受けていて、憮然としながらやって来た(それなのに、葉月はずっと楽しい楽しいと声を弾ませていた……)あの日の道だ。

 

(クソッ!)

 

心の中でそう吐き捨てると、自棄をおこして歩き始める。

何となく自分を痛め付けたい気持ちがあったのかも知れないが、どうせ2~3時間もあれば自宅に辿り着ける筈だ。

とぼとぼと歩きながら、僕はまた巻き戻す事の出来ない日々に迷い込む。

 

葉月はとっくの昔に――恐らくはむっちゃんと出会ったあの日から既に――僕が惹かれて行くのに気付いていたのだろう。

それでも葉月は、彼女が何者であるのかを理解してからはとても暖かく接してくれていた。

それを誇らしく思った僕の愚かさ鈍さ加減に、思わず身震いしそうだ。

彼女が家を出ると言い出した時の葉月の振舞いにどれ程の葛藤があったのか、今になって初めて分かる。

葉月には一体何が起こっているのか直ぐに分かったのだろうが、それに必要以上に乗じる事もせずさりとて引き留める事もせずに、言わば出来るだけ不要な干渉はせずにスルーし様とした。

僕の気持ちに気付いていたのだからそれこそ積極的に彼女を追い出したいところだろうが、最後迄そんな邪険な態度を取ろうとしなかったのは、単に僕を敵に回さない様に用心していただけでは無いだろう。

 

(……)

 

僕はどうすればいいのだろうか?

 

この吐き気がする様な惨めな思いを抱え込んで、これからどんな顔をしてむっちゃんと葉月に会えば良いのだろう?

 

でも、どうし様も無い大馬鹿者の僕にも一つはっきり分かる事がある。

もうこれ以上、彼女のことを好きになる訳には行かないと言う事だ。

そもそも僕は彼女を天国に送り出すことを誓っているし、幾ら自力で無いとは言え防衛隊が彼女の残る船体を引き揚げ様としている以上、それに全力で協力するのが当然だ。

この度の捜索が成功すれば、引き揚げ前に長門さんと会わせてあげたいという希望も叶う訳だし、障害になる事は何も無くなる筈だろう。

 

そうだ――――

何も無くなる……。

だったら、どうなるか――

自明の事だ。

 

そう、彼女は――――

 

恐らく1年後には――

 

天国へ――

 

行ってしまう……。

 

突然僕は立っていられ無くなり、その場に膝からへたり込んでしまう。

体の奥から何かが溢れ出し、それは涙となって僕の目から零れ落ちる。

 

悲しいと言うのとは何か違う――

 

僕は――僕は怖ろしいのだ。

 

彼女がいなくなってしまう事が、気が遠くなる程に怖ろしい。

体がガタガタと震え出し、何かに掴まらずにはいられないのだが掴まる物が何も無い。

 

(待ってくれよ――僕は、僕はどうしたら……。お願いだ! 誰か、誰か――)

 

盲滅法に振りかざした腕が何かに当たったと思ったら、次にはそれがギュッと掴まれ頭の上から声が降ってくる。

 

「私に黙って泣くなって、何回言ったら分かるのよ⁉」

 

それを聞いた瞬間、僕は(とことん情けないことに)思わずホッとしてしまう。

顔を上げて声の主を確認する必要すら無い程人生の一部になってしまったそれに、どうし様も無く安堵してしまう――下らない奴だ。

 

「折角来てやったのに、何とか言いなさいよ!」

「ゴメン、本当にゴメンよ――葉月……」

 

何かを言えといわれると、さしたる理由も無いのに謝ってしまう。

今の様に後ろめたさで一杯な時だけならまだしも、本当に何時もそればかりだった。

 

でも彼女の手が僕の頭に回され、ぐっと抱き寄せられるともうそんな事はどうでも良くなってしまう。

スーッと涙が乾いて行くのを感じながら、上手く表現出来ないがああこれで良いんだと言う思いが脳裏を満たして行く。

 

「あんたって本当にダメな奴ね――結局、私がいなきゃどうし様も無いんだから……」

 

これもまた何時もの様に、少しの間だけ何か応え様と無駄な努力をして見るものの、もちろん何時も通りに何も言えなかった。

そしてそんな何もかもを全て承知している葉月が、そもそも僕の返事など期待している訳も無かった。

 

「神頼みして少しは落ち着いたの? むっちゃんならきっと大丈夫よ、きっとね」

 

どうして僕のやる事為す事は何もかも筒抜けなのだろうか?

 

けれど、所詮それもどうでも良い事なのかも知れない。

 

そんな風に、情けない自分自身の事を何もかも知ってくれている誰かがいる事に、居心地の良さを感じてしまう様な奴にとっては。

 

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