翌日の昼前になって、やっと龍田の様子を見舞うことが出来た。
とは言うものの全員でぞろぞろと行く訳にも行かず、中嶋・斑駒(娘)以外に艦娘達からは結局長門・赤城・加賀それに陸奥が医務室に入る。
斑駒(父)とよく似た年配と思しき、つるが金属製の眼鏡を掛けた落ち着いた印象の男性が船医だった。
「最初に申し上げておきますが、治療行為に類する事はほぼ何も出来ておりません。唯々容態を見守っていただけと言うのが正直な処です」
極めて卒直な物言いだが、人柄から来るものと言うよりも医師という職業柄の様だ。
「しかし、目に見えて回復しておられる様に感じますが?」
中嶋の問い掛けに対して、船医は身振りを交えながら応じる。
「その通りです。ここに運び込まれた際には――もちろん大半は推測ですが――複数の内臓破裂と複合骨折、脳挫傷や多臓器不全などの重篤な症状が見うけられましたし、通常の人間であれば生存しているのが奇跡としか言い様が無い状況だったかと思います。心拍や呼吸もほとんど止まりそうな程微弱でしたが、今はご覧の通りです」
彼の指し示した装置の画面には規則正しい波がはっきりと安定して映し出されており、寝台に寝かされ管が繋がった透明な樹脂製の覆いを口元に被せられた龍田の胸が、ゆっくりと規則正しく上下しているのも判る。
「数か所の外傷から出血しておられましたのでそれらの処置だけはしましたが、この通り既に出血は止まり傷跡も急速に癒合回復し始めています――全くもって、驚くべき治癒能力としか言い様がありません」
「まだ艦娘の皆さんの生理機能を始めとしてほとんどが何も分かっていない状況ですので、我々としてはひたすら事実を有態に受け止めて行く事しか出来ないものと思っています」
中嶋の言葉に、船医はうんうんと頷く。
「いやはや全く仰る通りですな――それでは私は少し席を外しましょう。隣室におりますので、必要な折は声をお掛け下さい。くれぐれも患者さんのお体や機器類にはお手を触れないようお願い致します」
そう言い残した彼は、その言葉通り速やかに水密扉を開けて姿を消す。
「昨日はどんな状態だったんですか? 無責任にも龍田ちゃんを放ったらかしにしておいて聞くのも何ですけど……」
陸奥がそう問うと、斑駒(娘)がちらりと中嶋の顔を一瞥してから答える。
「正直に言いますけど龍田さんが亡くなったものと勘違いした位です。でも本当に弱々しいものの息をしておられたので、先生のお手伝いをして出来る限りの処置をしたんですが全く血の気の無い真っ白な顔をしていて――それを見てたら本当に泣きそうだったんです。それがこんなに顔色も良くなるなんて――」
「と言いますかもう泣いておられましたよね」
赤城がそう突っ込むと、彼女はむくれながら言い返す。
「ええそうです泣いてましたよ! もうっ本当に――皆さんが何で落ち着いてるのか、私には理解出来ませんでしたよ⁉」
「それは何とも、曰く言い難いのですが――只沈まずに帰って来てくれたと言う事は生き永らえたと言う事だとは感じましたね」
「私も現場で同じ事を感じました。龍田さんが海面に浮いたままなのを見て『これは大丈夫だ』と思ったのは事実です。もちろん、非常に際どかったとも思いましたが」
赤城の言葉に加賀も同意を示し、それは陸奥も納得出来た。
「でもとても不思議なんですけど、陸奥さんと加賀さんは沈んで行く長門さんをそれこそ必死で引き揚げられたんですよね? それでも長門さんは自力で航行出来た訳ですし、現に今もこうしてお元気にしてらっしゃいますし――どうして龍田さんとはこんなに違うんでしょうか?」
斑駒(娘)の疑問はもっともな事かも知れないが、これもまた合理的に説明出来そうもない話だ。
「艦が沈む時は必ずしも損害の大きさに比例するとは限りませんからな。私に付いて言えば、陸奥の弾を喰らった時に言うなれば『不味い所をやられた』という感覚はありましたので」
長門がそう応えるが、陸奥にはもう少し付け加える事があった。
「それもあるかも知れないけど、引き揚げた後で姉さんは肌の色や髪の色が変わったわ。その時、どう見てもあった筈の傷が無くなったみたいに見えたのよ? そんな感覚は何か無い?」
「本当なのか? さすがにその時の事は何も判らんな……」
「酒匂さんも、妙高さんの攻撃で吹き飛ばされてかなり派手に海面を転がったとの事ですが、それでもやはり元気に自力で航行して来られましたし、ひょっとすると皆さんの様な艦娘の状態になる際に肉体の組織や構造が変化して急速に治癒しているのかも知れませんね――もちろん只の推測でしかありませんが」
中嶋はそう言って一旦言葉を切った後、陸奥らの顔を見ながら再度口を開く。
「それを踏まえてと言う訳ではありませんが――皆さんの感覚では、龍田さんの今後の回復をどう見ておられますか?」
その問い掛けに、四人は改めて龍田をしげしげと見詰める。
そして、期せずして全員が同じ様に顔を上げて互いに視線を交わすが、それによって皆が同じ感想を抱いた事が判ったので、小さく頷き合った末に陸奥が全員を代表して答えた。
「何の根拠もある訳ではありませんので、あくまでも感覚でのご返事になりますが――恐らく一両日程度の内には意識が戻るのではないかと思います」
「皆さんが全員そう感じられたんですか⁉」
斑駒(娘)が思わず問い返すが、事実その通りなので四人が銘々に頷くと問いを発した当の中嶋も些か呆れ気味に感想を述べる。
「皆さんにはとにかく驚かされる事ばかりですね――ですが、もし皆さんの仰る通りであればこれ程嬉しい事はありません、大いに期待して待つことに致しましょう」
そう言い切った彼の言葉尻の明るさに、陸奥も多少胸を撫で下ろす。
恐らくは努めて暗くならない様に振る舞っていたものと思われるが、昨日の中嶋は明らかに内心で相応の覚悟を秘めていた様に見受けられたのだ。
(きっと、龍田ちゃんの事は全て自分で責任を取る積もりだったのね)
だが彼女の目覚ましい回復の様子を見ている限り、どうやら最悪の事態は避けられそうに思える。
「私は少し先生と話をして来ますので、皆さんはもう少し龍田さんの傍に居てあげるなり退出するなりして頂いて結構です。それでは一旦これで」
そう言い残して彼は部屋を出て行き、後に残された五人はもう一度静かに横たわっている龍田を見遣る。
彼女の外見はほぼ何時も通りと言っても差支えなかったが、だからと言って今にも目を覚ましたりしそうには感じられない。
こればかりは何故かと聞かれても答え様が無く、只その様に思うからとしか説明出来なかった。
そんな事を考えていると、長門がそっと手を伸ばして龍田の手に触れ様とする。
「姉さん、駄目って言われたでしょ⁉」
「判っている、ほんの少し触れるだけだ」
そう言ったその言葉通り、龍田の右手の甲にほんの少しだけ指先で触れると長門は呟く様に話し掛ける。
「龍田よ、どうか明日には声を聞かせてくれ。お前に詫びぬまま日本の土を踏む訳にはいかんのだ。例え皆が私を仲間だと認めてくれても、お前が認めてくれぬ限り私は皆の戦友面をする事は出来ぬ。もし今心が通じるのならば私の願いを聞き届けてはくれまいか」
しんみりとした空気が漂う中で五人は暫し無言だったが、やがて陸奥がつと手を伸ばし長門の手を掴むと龍田の手からそっと引き離す。
「もうお終いよ姉さん――龍田ちゃんの手、温かかった?」
「そうだな、温かかった。きっと龍田はとても心優しい娘に違い無いな」
「その通りですよ長門さん。龍田さんは優しく思い遣りのある方です」
赤城が微笑むと、加賀が後をうけて付け加える。
「只ちょっと素直では無い所もありますし、一風変わった趣向の持ち主ですが」
「それ位何だと言うのだ? 優しく思い遣りがあってしかもこれ程に愛らしい容姿をしているのだから、ひょっとすると陸に上がれば男共が放っておかぬのではないか?」
長門のその言葉を聞いた四人は(表情の乏しい加賀を除いてだが)つい苦笑してしまう。
「まぁ姉さん、きっと明日には龍田ちゃんと話せると思うからその時迄楽しみは取っておきましょ♪」
「やれやれ、良く判らん事を言う奴だな」
かぶりを振った長門を見て四人はまた笑顔を浮かべる。
(また明日ね、龍田ちゃん)
とても穏やかで微かに笑みさえ浮かべている龍田の顔を見ながら、陸奥は心の中でそう告げた。