陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第十二章・第二節〕

 長門が日本に上陸して最も違和感を覚えたのは、やはり、米軍の艦艇が当然の様に横須加に停泊していることだった。

もちろん、陸奥や仲間達から事前に聞いては居たものの、聞くと見るとでこれ程違う感じ方をすると言うのも初めての体験だったので、自分の中で感情を整理することが出来なかった。もしも、強く唇を噛んだ酒匂が腕にしがみついて来なかったら、立ち上がって大声を上げていたかも知れない。

ただそうさせなかったのは、酒匂を不安にさせないと言う義務感だけでは無く、既にこの光景を目にしていたはずの仲間達も、程度の差こそあれ、不安気な或いは落ち着かない様子を見せていたことだ。

(そうか、皆同じなのだな)

そう思った時、自分の中に、怒りや憎悪よりももっと強い感情が湧き上がって来るのをはっきりと感じた。

(私自身の気持ちなど、些細なことだ。それよりも、遥かに大切な義務が私にはあるではないか)

自分には、皆を守り導くという重い責務がある。艦であった時には、果たすことの叶わなかったその使命を、新たに得たこの姿で、果たすことの出来る機会が与えられたと考えるべきだ。

その思いは、訓練隊に身を落ち着けて日々を過ごすうちに、更に大きくなっていく。

海の上しか知らなかった長門にとって、陸に上がって人間の姿と心とを持って見る現代の日本と世界の姿は、全く驚くべきものであったが、その中にあって仲間達のおかれた境遇たるや、形容し難いほどに頼り無く肩身の狭いものだった。

(なぜ、この様な扱いをうけねばならんのだ⁉ まるで、罪人か何かの様ではないか)

言うまでもなく、中嶋らはその理由をきちんと説明してくれたし、理屈としては良く理解できるが、納得できるかどうかとは全く別の話だとしか言いようが無い。七十年もの長きに渡って、海底に放置され続けた同胞達の苦しみと謂れ無き屈辱とに対して、もっと手厚く報いるのが、国家の責任としても一私人の情としても当然と思える。長門自身の恨みつらみを白紙にしたとしても、なおこの様な現実に対して、強い憤りを覚える。

(たとえ少しずつであっても、皆のためにはこの現状を変えていかねばなるまい。そのためには、私が声を上げていく必要があるな)

その考えを陸奥に話すと、

「仁が同じことを言ってるわ、今のままだと、あたし達は国籍すら定かで無いんだって」

とあの男の事を引き合いに出すので、少々虫の好かない思いがしてしまう。

(一体、あの男のどこにそんなに惹かれているのだ?)

妹の表情は、嬉しそうというよりも心底から安堵し切っている様で、どうやら、かの男のことを深く信頼しているらしい。

(確かに、胡散臭い輩ではなさそうだが……)

それにしても、今しがたまで陸奥の抱擁に応えていたというのに、その直後には、もうあの塔原とかいう女に引きずられて去っていくその様は、長門の目には随分と頼りなく映ったのだ。

(あの男、我らの姿形に眩まされて、陸奥を、十人並みの人間の女と同じに扱えるつもりでいるのではあるまいな?)

だとしたら、思い違いも甚だしい。(まだ、良く理解出来ているわけでは無いものの)家庭で何不自由なく育てられ、平和な社会で安穏と暮らしてきた人間の女と陸奥とを同列に思っているのであれば、それこそ一度灸を据えてやらねばならないだろう。

「なあに、姉さんは仁のこと気に入らないの?」

妹がいきなり心の底を見透かしたような事を言うので、思わずぎくっとしてしまう。

「気に入らないとまでは言わんが、お前の相手としては、器が足りておらんのでは無いかと思ってはいるな」

「いや、そういうのを気に入らないって言うんじゃないの?」

「だというなら、それでも一向に構わん。とにかく私は姉として、お前にふさわしい男なのかどうか見極める必要があるのだ」

長門がそう言い切ると、陸奥はふっと溜息を吐いた後で、苦笑しながら顔を上げて話題を切り替える。

「姉さんにね、話しておかなきゃいけないことがあるの」

「うむ、なんだ?」

「皆がいるところではちょっと話しにくいのよ、場所を変えてもいいかしら?」

「ああ、無論だ」

二人は腰を上げて、建物の外に出た。今すぐに降り出しそうなほどではないが、すっきりとしない梅雨空の下、徒歩で海辺の四阿に向かう。

「姉さんも、あたしたちにとっての天国のこと判ってるわよね?」

「そうだな、このような姿になって改めて思うが、一体なぜ、我々はそんなことを知っているのだろうな」

「そうね、でも、本当はどうなるのかあたし達にも判らないのよね」

「ああ、少なくとも、見たことも体験したことも無いからな」

「防衛隊は、それを確かめようとしてるのよ……」

「なんだと? 連中は何をするつもりなのだ?」

「あたしの船体をね、引き揚げるつもりなの」

突然、長門の胸中に様々な感情の断片が舞い上がり、何を喋っていいのか分からなくなる。にもかかわらず、陸奥はその葛藤をちゃんと理解しているかのように、何も言わずに、黙って姉が口を開くのを待っていた。

「――それは――、いつのことになりそうなのだ?」

やっとの思いで、それだけを口に出す。

「今聞いてる限りではね、来年度の予算措置が出来れば、すぐに取り掛かりたいって言ってるわ」

「つまり、凡そ一年後ということか」

「そうね」

「――そうか――、陸奥よ、お前が本当に天に召されるのであれば、これほど嬉しいことは無い。それに、船体の引き揚げによって天国にいけることがはっきりするならば、同胞達にとっての尊い希望となるだろう。その価値は図り知れんと思う」

「ありがとう姉さん、でも、まだはっきりそうと決まったわけじゃないの」

「どういうことだ?」

「あたし、返事を保留してるのよ」

「なぜだ? 何か、面倒な交換条件でも言われたのか?」

「違うわ――、姉さんに会えるまでは、返事を保留させて欲しいって言ってあるの」

胸の奥の何かをぐいと掴まれたように感じ、そのせいで、眉間の少し下辺りにむず痒さを覚えてしまう。

「陸奥――、今こそ私は、お前の姉であることに心から感謝している。もし仮に、私がここにやって来た時に、つい最近までお前がここに居たなどと聞かされたなら、きっと私は絶望してこの国を捨てていただろう。紛れも無く、お前は私には余りに過ぎた妹だよ」

「姉さんたら大袈裟ね……。でも正直に言って、まさかこんなに早く会えるなんて思ってもいなかったわ」

「それこそ、何かの巡り合わせというものだろうな。――しかし、ということは――」

「そうよ、あたしは保留していた返事をしなきゃいけないのよ」

「そういうことだな、ならばもう――」

「こちらにおられたんですね!」

その声に二人が振り返ると、斑駒が早足で近づいてくる。

「どうかしたの、駒ちゃん?」

「ええ、明日なんですが、司令と副長とご面談いただきたいと思いまして、お声をお掛けしにきました」

「それって、ひょっとしてあたしが返事を保留してた件かしら?」

「はいそうです、長門さんにも、出来ればご同席いただきたいとの事なんですが、ご事情は?」

「姉さん、たった今してた話よ」

「そうなのか、ならば迷うことなど何も無い、斑駒殿、差し支えなければ私も同席させていただきたい」

「ありがとうございます。それでは、その様に申し伝えておきます。それと陸奥さん――、渡来さんには――」

「なんだ、あの男は知っているのか?」

「そうよ姉さん――、仁は知ってるけど、葉月はまだ知らないのよ」

「ふん、そうか、要はこういうことだな、あの男に同席させようとすると、漏れなくあの女がついてきてしまうという事だろう? 言っては何だが、そんなことを思い悩んでも仕方あるまい。もしお前のことを本当に大切に思っているのであれば、その位毅然と断って当然ではないか。それが出来ぬというのであれば、所詮はそこまでの器だということだ」

「長門さんは、渡来さんには厳しいんですね♪」

斑駒が苦笑すると、陸奥も苦笑しつつ応じる。

「姉さんは、仁のことが気に入らないみたいなのよ♪」

「だから言っているではないか! 気に入らんのではなく、奴が、お前にふさわしい器量を持ち合わせておらんのではないかと疑っているだけだ」

「はいはい、分かったわよ姉さん。とにかく駒ちゃん、仁には今日帰ったらちゃんと伝えとくわ、それから後のことは姉さんの言うとおりにします、それで良いんでしょ?」

「む――、わ、わかった、それでいいぞ」

「有難うございます! それでは明日、会議が終わりましたらお声を掛けさせて頂きますので、よろしくお願い致します」

そう言ってくるりと踵を返すと、斑駒は歩き去っていく。

「なぁ陸奥よ」

「なあに?」

「一度あの男を交えて、膝を付き合わせて話す機会を持ちたいのだ。明日の件は、その良い切っ掛けになるのではないか?」

「――姉さんの言う通りね、仁にも相談してみるわ」

「ああ、頼むぞ」

そう言って一旦口を閉じたが、妹は黙ったまま海を見つめている。

(あの男の事なのか? それとも別の事か? 何がお前の心を掻き乱しているのだ?)

何も、幼子のように甘えて欲しいなどと言うわけではないが、それでも姉である自分に対して、もう少し弱さを見せてくれてもいいのではないかと感じるし、そのたびに、あの男にはそんな弱さを見せるのだろうかと思うと、いささか大人気なくもつい不愉快になってしまう。

(全く――、この私ともあろうものが、これではまるで小人ばらではないか……)

そんな己自身に少々うんざりすると共に、それもこれも皆あの不甲斐無い男の所為だなどと、つい心中で八つ当たりしてしまうのだった。


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