陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第十二章・第四節〕

 体内に流れる血液やら何やら様々な液体が、一斉に凍結してしまった様だった。

恐ろしいほどの寒さが全身を包み込み、どんなに力を入れて押さえ込もうとしても、震え出すのが止められない。

(そんなの――、嘘だ! 嘘に決まってる! むっちゃんが、むっちゃんが――)

怖ろしかった。

ただただ、怖ろしかった。

怖ろしくて怖ろしくてどうしようもなかった。

「ー―仁、仁? どうしたの仁⁉」

(頼む、誰でもいいんだ! 嘘だと――嘘だと言ってくれ! たったの1ヶ月で、むっちゃんが――)

「しっかりして、仁! 仁⁉」

(どうしてなんだよ! 母さんも――むっちゃんも――僕の大好きなひとはみんな、みんな――)

仁!!

その時、むっちゃんがしっかりと僕の手を握りしめた。

その包み込む様な手の感触を、今もはっきり覚えている。

彼女の手から、陽だまりの様な暖かい何かが伝わってくるのを感じ、それは凍てついた血液やら何やらをあっという間に融かしていく。そして、見苦しいほどの震えに苛まれていた僕を、幾つか瞬きをするほどの間に元に戻してしまった。

「あたしをよく見て仁、あたしはまだここに居るわよ」

心に直接、しかもこの上もなくそっと触れてくる様な、労りに満ちた言葉が身体の隅々に染み込んでいき、凍り付いていた頭もやっと回転し始める。

(何やってんだよ……。むっちゃんに気を遣わせてどうするんだ⁉)

改めて、そう自分に言い聞かせた僕は、やっと少し普通に振る舞えるようになった。

「ありがとうむっちゃん、もう大丈夫だよ」

そう言って、見詰めていた彼女に視線をあわせると、むっちゃんは控え目な笑顔を見せ、

「良かったわ」

と短く言って、スッと手を離すと副長に向き直る。

(そうだ、まだ話の途中だったんだ……)

「あまりに急なことを申し上げているのは、重々承知しています。ですので、今すぐお返事を頂こうと考えてはおりませんし、ましてや、どうしても承諾して欲しいと説得するつもりもありません。とは言え、今の正直なお気持ちはうかがってもよろしいですか?」

なぜか、中嶋さんは先程より少し顔が上がっており、気のせいか、若干朗らかになったようにも見える。

「正直に申しますと、たいへん驚いていますしとても戸惑っています。仰る通り、やはり急過ぎて気持ちの整理が出来ません」

むっちゃんの声も、先程よりずっと落ち着いて聞こえる。思うに、自分よりも遥かに取り乱している誰かがいると、その様を見ることで冷静になれるというが、情けない僕にも、どうやらその程度の存在価値位はありそうだ。

「そうでしょうね、どうされますか? 少しお時間を置いてから、改めてお話しする機会を持ったほうがよろしいですか?」

「そうですね――」

「副長殿、もう少しお聞きしてもよろしいか?」

「どうぞ長門さん、お答えできることでしたら」

「もし仮に、陸奥がお断りした場合はどうなるのだろうか?」

「まず、船体の引き揚げそのものをお断りされるのであれば、今後新たに帰還される方も含めて、どなたにお願いするかから白紙で検討することになるでしょう。その場合は、以前陸奥さんにもお話しました通り、数年先になる可能性が高いと思います。一方、今回の様な前倒しは難しいものの、概ね当初の計画通りであれば引き揚げに同意されるという場合は、お答えが難しくなります。皆さんの存在が外部に知られることとなった場合でも、引き揚げを計画通りに進めることが出来るか否かは、目下のところ予想がつきかねると言わざるを得ません」

「なるほど――、つまり、このたびのお申し出を断れば、船体の引き揚げが可能だとしても、先延ばしになるなど、時期を特定出来なくなる可能性が高いということですな」

「はい、あくまでも、推測の域を出ませんが」

「陸奥よ、私の希望を言っても良いか?」

「良いわよ、姉さん」

「お前が否と言うので無い限り、私はやはり、お前が天に召されるのを見たいと思う。お前の優しい心遣いのお蔭で、こうしてお前と再会することも叶ったのだ、これ以上を求めるは我欲に他ならぬ。何より、状況を推量るに、今を逃せば次の機会が近々に巡ってくる保証はないとなれば、私はそちらの方に不安を覚える」

「……」

「もちろん、最後に決めるのはお前自身だが、私の希望は、この目でお前が艦として天寿を全うするその姿を見届けることだ」

「姉さん、ありがとう……」

そう言ったむっちゃんは少し笑みを見せたが、また俯き加減になり、憂いを湛えて黙り込んでしまう。

(僕の気持ちはどうなんだ? 彼女になんと言ってあげれば良い?)

彼女の横顔を見ながら、自分の気持ちを整理しようと試みる。

むっちゃんが1ヶ月やそこいらで居なくなってしまうとか、ただの悪い冗談にしか思えないが、その選択をするのか、それとも、いつ次の機会が巡ってくるかについて、何の保証も無い先延ばしを選択するのかどちらなのだろう?

(僕は――僕の望みは――)

千々に乱れるというのは、こんな心境を言うのだろうか。僕はむっちゃんに傍に居てほしいと思いはするが、葉月に対する罪悪感の様なものが、その気持ちに素直になることを激しく妨げる。かと言って、やはり彼女が永遠の救いを得ることを望むのかといわれると、むっちゃんが居なくなってしまうと想像してみるだけで、体が震え出しそうになるほど怖い。

(クソッ! なんてダメなやつなんだよ……)

またしても、自己嫌悪が波のように襲い掛かってきたその時、彼女が声を上げながら僕の目を見つめた。

「仁は――、どう思うの?」

 

(あっ…………)

 

今にして思えば、それがおのれ自身に課せられた運命だったのだろう。

 

目が合った瞬間に、僕は再び、彼女の瞳の奥に宿る深い哀しみを――、拭い難いその哀しみを、見出してしまった。

それは、日々を過ごすうちに薄れ掛けていた、あの日の決意を鮮明に呼び覚まし、袋小路に迷い込んだ僕の意識を、一気に広々とした通りに引き摺り出す。

(そうだ――、冷静に考えろ、あの時誓ったはずだろ。もしも独りで誓いを果たそうとすれば、どれほどの時間と財力が必要なのかもわかって愕然としたよな⁉ 僕の命は、むっちゃんから貰ったものだろ。まさか、自分が怖いからという理由で、彼女を引き留めることなんかできるわけがない……)

「やめろ陸奥、お前の気持ちはわかるが、そいつの答えなぞ聞くまでも無い――」

「姉さん、やめて!」

「いや、良いんだよむっちゃん、長門さんの言う通りだよ」

「仁……」

「確かに、聞くまでも無いことだよ、僕の願いは、あの日からもう決まってるんだ……。むっちゃんが抱き続けている哀しい記憶から――、70年間の孤独な日々から君を解き放ちたい。たったの1ヶ月やそこいらでむっちゃんが居なくなってしまうとか、想像しただけで気が狂いそうなくらい怖ろしいよ……。でも――、それでもやっぱり、僕は君に救われて欲しい。本当の救いが天国にしか無いんだったら、僕は君を其処へ送り出すためにどんなことでもするし、どんなに辛くても耐えて見せる。だから、むっちゃんの正直な気持ちに従って決めて欲しいんだ。どんな決断だろうと必ずそれを受け容れるし、そのためにこの僕に出来ることは、どんなことでもするつもりだよ。だって――、僕は君に貰った命を、君のために使うと誓ったんだから」

僕が言葉を切ったので、彼女は口を開こうとしたが、その瞳に涙が溜まり、それが溢れて大粒の雫がツーッと頬を伝う。

「――ありがとう仁――、嬉しいわ、とっても……」

これでいい、これでいいんだ、僕が言うべきことは、全て伝えることができたのだから。

ところが、次に起こった余りに意外な出来事に、僕らは唖然としてしまう。

突然中嶋さんが立ち上がるなり、聞いたことも無い口調で、僕に向かって叫んだのだ。

「だ、駄目だ! もう一度考え直せ仁君! 君は、陸奥さんのことが大切では無いのか⁉ 時間をかけてよく考えろ! 大切な何かを喪う痛みがどれほど大きなものか、君は理解していない! いいか、一度喪ってしまえば、二度と取り戻すことの出来ないものがこの世にはあるんだぞ⁉ 早まったことをする――」

座りたまえ、副長

これもまた、聞いたことの無い西田司令の重々しく短い言葉が響き渡ると、一瞬で室内の空気が張り詰め、副長がパタッと口を噤む。

そして、心臓が何回か動くほどの時間が経過した後、

「も、申し訳ありませんでした……」

と平板な声で応じるなりドサリと椅子に崩れ落ち、そのまま黙ってしまった。

そのままであれば、状況が理解できるまで呆気にとられているところだったが、司令はまるで何事も無かったかのように、いつもの柔和な笑顔を浮かべて話しかける。

「お騒がせしてすみませんでした、陸奥さん。さて、長門さんと渡来さんのお考えも伺った訳ですが、改めて、陸奥さんのお気持ちは如何ですか? やはり、少し考えるお時間を持っていただくほうが宜しいですかな?」

問い掛けられた彼女は、ちらちらと僕と長門さんを一瞥してから口を開く。

「そうさせて頂けるとありがたいですが――、その間は、誰にも事情を話して聞かせるわけには参りませんね?」

「そうですなぁ、決定する前にというのは、いかにお仲間とは言えお控え頂きたいですな」

言うまでも無いが、初春ちゃん子の日ちゃんをはじめとする仲間達のことだ。僕も、子の日ちゃんの反応を想像するだけで憂鬱になってしまう。

「出来るだけ、早く話してあげたいと思うんです、時間を頂けても、それが出来ないのであれば、あまり関係は無いかも知れませんし」

「と、言われますと?」

「――はい、私、そのお話をお受けしようと思っておりますので」

思わず、膝の上においた手をグッと拳に握ってしまうが、同時に、副長が俯いたまま歯を食いしばるのもわかった。

「そうですか――、ご理解を頂きありがとうございます。――では、こう致しましょう、只今内諾を頂いたので、お仲間の皆さんに限っては、事情をお話いただいて結構です。但し、その後でお気持ちが変わられる事もあるかも知れませんので、一週間後を目処に再度面談をさせていただく――、と言う事では如何でしょうかな?」

「ご配慮頂き、恐れ入ります。では、お言葉に甘えてそうさせて頂けますか?」

「無論です。それでは、早速その様に取りはからいましょう。概ね一週間後に、再度念のための意思確認をさせていただく、と言うことと致します。他に今、ご質問などおありでしょうかな?」

むっちゃんが僕と長門さんを交互に振り返るが、長門さんは首を左右に振り、僕は彼女の目を見て小さく頷いてみせる。

「いえ、特にありません」

「そうですか、では、本日の面談はこれで終了です。もちろん、ご質問なりご意見なり、或いは意思が変わられた際には、随時お声をお掛けください。それでは、お時間を頂きありがとうございました」

司令は(副長も、俯いたままだったが一緒に)起立してそう告げると、軽く会釈して面談を締めくくる。

僕は長門さんに最初に退室してもらおうと思ったが、案に相違して長門さんが僕らを目で促すので、そのままむっちゃんと先に退室する。

(中嶋さん、ずっと僕のことを気遣ってくれていたんだろうか……)

出際に会釈しながら顔を見てみたのだが、やはり副長は僕らと目をあわさず、両手を握り締めたまま、斜め前の床を凝視していた。

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