〔第十三章・第一節〕
しとしとと雨の降り続く憂鬱な天気だったが、僕の心中はそこまでひどく憂鬱という訳ではなかった。
むっちゃんは仲間達に事情を話した(厳密に言うと、彼女ではなく中嶋さんが話したらしいが)のだが、皆その事実を受け止めてくれたばかりでなく、少しでもむっちゃんの負担を軽くするために、皆のまとめ役を長門さんにバトンタッチすることまでその場で決めてくれたそうだ。
何よりも、それを話してくれた彼女や初春ちゃん子の日ちゃんに笑顔があったこと一つだけで、僕は嬉しくて泣きそうに(これも厳密に言うとほぼ泣いていたのだが、葉月に睨みつけられてあわててガマンした)なったのだ。
そんなわけで、少々心が軽くなっている僕は、小雨の中を葉月に引き摺られて、いつものスーパーではなく大学からほど近いショッピングモールに食材の買い物に行くという、およそロマンを感じないシチュエーションにあっても概ね朗らかだった。
「あんたねぇ、その位のことで一々機嫌良くなってる場合じゃないわよ⁉ 大体、そんな風に気ィ抜いて碌なことに――」
とその時、葉月の小言を遮る様に、僕のスマホが着信を告げ始める。
「誰なのよ、こんな間の悪いやつは!」
誰しも、テンションが上がっている時にそれを妨げられるのは不愉快なものだが、誰ともわからない相手にそこまで不機嫌に当り散らさなくても――と、相変わらず心の中だけで突っ込んでおいて、着信が斑駒さんからであることを確認して応答する。
「もしもし、渡来ですが」
「こんにちは、斑駒です。渡来さん、今お話し大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「それじゃ、どうしても渡来さんとお話ししたい人達がいるのでかわりますね?」
「あ、はい――」
「渡来さん⁉ 渡来さん⁉ これで聞こえてるの⁉」
響いてきたのは、明らかに飛龍ちゃんの声だ。
「大丈夫だよ、よく聞こえてるよ飛龍ちゃ――、ご、ごめんなさい、飛龍さん」
「えーっ、別に飛龍ちゃんで良いんですよぉ~? 何だったら、飛龍って呼んでくれても良いですけどぉ♪」
「い、いや、さすがにそれはちょっと色々不味いし――」
「ちょっとぉ、飛龍ったら何余計なこと話してるのぉ⁉ ずるいよぉ~」
傍から蒼龍ちゃんの声が聞こえて来る。この分では、他にも誰かいるかも知れない。
「そ、それでどうしたの? 用事は何かな?」
「うん――、あのねぇ、私達次の土曜日に、渡来さんに外へ連れて行って貰うじゃないですかぁ~」
「そうだよね」
「えっとね、それを私達の代わりにね――、長門さんと陸奥さん達を連れて行ってあげて欲しいんですぅ」
「えっ――」
「陸奥さんにね、長門さんと一緒のお出掛けをさせてあげて欲しいんです。それでね、初春ちゃんと子の日ちゃんも、一緒に連れて行ってあげて欲しいなぁって思ったんですぅ」
「飛龍ちゃん……」
電話の向こうで、小さな話し声と誰かに手渡される気配がし、今度は蒼龍ちゃんのふわっとしたちょっと甘えた様な声がする。
「あのねあのねぇ、渡来さん? 私はね、蒼龍ちゃんより蒼龍って呼ばれる方が良いんだよ、ねっ良いでしょぅ?」
「あんたこそ、いきなり関係ない話してるじゃない!」
「飛龍とおんなじだけしかして無いよぉ、ねぇ渡来さん♪」
飛龍ちゃんのツッコミにも全く動じない彼女の甘い声に、思わず鼻の下が伸びそうになるが、その時、脇腹に猛禽類の鍵爪の様に葉月の指が食い込むのを感じて、背中からどっと汗が吹き出す。
「あっ、あっ、その、えっと蒼龍ちゃん? それは置いといて、そのぉ――」
「うん、渡来さん、私達はまたいつでも連れてって貰えるからぁ、長門さんや子の日ちゃん達が、陸奥さんと一緒の思い出つくれる様にしてあげて?」
「あ、ありがとう――」
僕が言葉を続けようとすると、またも誰かに手渡される気配がして、新たな声が響く。
「渡来さん! 聞こえますか? 長良もいますよ⁉」
「ちゃんと聞こえるよ、長良ちゃんもほんとにありがとう、みんなが気遣ってくれてすごく嬉しいよ」
彼女の声を聞くと、僕はなぜかホッとして気が緩む。やっぱり、彼女が漂わせている同級生感のせいなのだろうか? とは言え、そんな僕の感情を葉月が見逃すはずもなく、脇腹に食い込んだ鍵爪に更に力が加えられる。
「初春も子の日も一生懸命頑張ってるから、何か楽しいことさせてあげて下さい! あっ、でもごめんなさい、私達、渡来さんにお願いするだけしか出来ないんですけど……」
そう言う長良ちゃんこそが、とても頑張ってるいい子の様な気がするのは、きっと僕の気のせいではないだろう。
「そんな風にお願いしてくれるだけで、もう十分嬉しいから大丈夫だよ?」
「ほんとですか⁉ よかったぁ♪ 渡来さん、よろしくお願いしますね!」
再び電話の向こうで別の手に渡る気配がすると、斑駒さんの声がする。
「と言う、皆さんからのお願いなんです、私からも改めてお願いしてよろしいですか?」
「はい、もちろんですよ! 因みに副長にはもう――」
「ええ、一応許可は頂いてます」
「それじゃあ問題無さそうですね、詳細、相談したらまた連絡させてもらいますね」
「有難うございます、急にご連絡して申し訳ありませんでした、それではよろしくお願いしときます♪」
「はい、失礼します」
通話を終えて目を上げると、葉月がじっとこちらを見ている。
「あのさ、葉月――」
「聞こえてたわよ」
「そ、そうか、それじゃあさ、今度の土曜日に――」
「最初に、中嶋さんが言った通りよね」
「えっ?」
「艦娘はみんな良い子達なのよ、現代の日本人なんかよりもずっとね」
「そればかりじゃないとは思うけどさ」
「仲間を思う気持ちがあるって事?」
「うん」
「そうね――、そう思うと、ちょっと羨ましい様な気もするわね」
「うん」
「……」
少しだけ雨脚が強まり、モールの張り出したガラス屋根にあたる雨音が響く。
「――――少しだけよ…………」
「えっ……」
「お別れするまでの間――だけよ――――、その間、だけだからね…………」
「葉月…………」
急に胸の奥から色々な感情が溢れ出てきて、彼女への素直な気持ちをぶつけたいという衝動が抑えられなくなってしまい、前後の見境もなく言葉が口を衝いて出る。
「は、葉月っ、僕は、僕はずっと、葉月のことが――」
「ばっ、馬鹿っ! 黙れっ! 黙んなさいよ!」
いきなり血相を変えた彼女にすごい剣幕で怒鳴られ、僕は呆気にとられて絶句してしまう。
「??」
「いい加減にしなさいよ! もし、今そんなこと言ったりしたら一生許さないわよ⁉ あんた、何にも学んで無いのね! 高二の時、痛い目に会ったのもう忘れちゃったわけ⁉」
「あ――」
こうしてまたまた、僕は無駄に一つ賢くなる。
(結局、何もかも全部分かってたんだ――、なのに、一言も口を出さずにずっと……)
どれ程力いっぱい溜息をついても、僕のみっともない過去を全て吐き出すことは絶対に出来ないに違いない、改めてそう痛感した。
葉月が怒ったのは、つまりはあの時の後輩と同じ理由からだ。たとえ、どれほど真剣な想いから出た本気の言葉であったとしても、それが自分ではない誰かに想いを寄せているその口から発せられる限り、それだけは絶対に受け容れられないと言われたのだ。しかも、それをたった今迄ちゃんと理解できていなかったことまで叱られてしまったわけだ。
(はぁ――、どうしていつもこうなんだろう?)
葉月は、少しの間だけは大目に見てやるから、自分に気兼ねすることなく、むっちゃん達に悔いの無いように過ごさせてやれと言ってくれたのだ。そんな温情のある言葉を聞いて、僕が思わず感動してしまったことは、決して間違ってはいないはずだと思う。ただ、その後がいけなかったのだが……。
「さぁ! わかったら、さっさと買い物済ませちゃうわよ⁉」
「う、うん」
そんな感慨も戸惑いも知ったことではないとばかりに、いつものように僕は引き摺られて行く。それでも、今日ばかりはさすがに、常日頃の葉月とは少し違って見えた。
(本当にありがとう――、葉月)
だが、そう胸の中で呟いた途端、振り返った彼女にジロリと睨まれる。
(そ、そうだった……)
葉月のテレパシー能力をうっかり忘れていた僕の方は、残念ながらいつもとなんら変わっていなかった。