梅雨の晴れ間とでもいうのだろうか、彼女達のために天が微笑んだ様な爽やかな日だった。
「ねぇ、これ姉さんに似合うと思わない♪」
「うん! すっごく良いねそれ!」
「む――、いや、ちょっと待ってくれ二人とも、幾らなんでも、それは少々軽佻浮薄に過ぎるのではないか?」
「ほほ♪ 長門殿、既に道行く人々の身形をご覧になりましたでしょうに。唯今の弁に従いますれば、行き交う人々の殆どが軽佻浮薄と言うことに相成りましょうかの♪」
「初春よ、言葉尻を捉えて揚げ足を取るのもほどほどにしてくれぬか? そもそも、私は世間並み・人並みの体裁なぞ眼中には――」
「姉さん、能書きが多すぎるわよ⁉ 四の五の言ってないで、さっさと試着してみて頂戴!」
「ま、待て陸奥よ、それはあまりに横暴と言うものではないのか? この私にも、意見を述べる権利位は――」
「長門さん、こっちだよこっち!」
「こら、やめんか子の日よ! 私はまだ――」
「ほほほ、往生際が悪うござりまするぞ♪」
実際、葉月の目から見ても、陸奥のセンスの良さは折り紙つきであり、今しも長門にと彼女が選んだ組み合わせも、こんなチープな店での買い物とは一見気づかないような、品の良いものなのだが……。
(まぁ、ひょっとすると長門さんは、軍服でも着てなきゃ落ち着かないのかも知れないわね)
初春と子の日を見慣れていたがために、艦娘達の姉妹はあまり姿かたちが似ていないものと思っていたが、彼女達と比較すると、陸奥と長門はそれなりに似ていて少々意外だった。内面的な部分についても、タイプはかなり違うものの、思慮深いところや飾り気のない卒直さなど、同じように優れた資質を備えている様で、もしも横並びで比較できたとしたら、この姉妹に較べて今時の普通の日本人女性は相当見劣りしそうだ。
(でも、まさかこんなことになっちゃうなんてね)
仁が願う陸奥の幸福――過去の、悲しく忌まわしい記憶から解き放たれること――は確かに叶うかも知れないが、そのために彼が払う犠牲の大きさは相当なもののはずで、よくも、こんな意気地無しが思い切った決断をしたものだと思うと、保護者兼嫁としては曰く言い難い複雑な気持ちになる。
(たまには、誉めてやっても良いんだけどねぇ)
そう思う反面、なんとも癪に障ることをしてくれたものだという気持ちもあり、さすがの葉月も戸惑いが隠せない。
自分の気の緩みからなのか、それとも相手を見誤っていたものか、まさか目と鼻の先で仁を奪い取られそうになるなど思ってもみなかったが、伊達に歳月を積み重ねてきたわけではなく、どうにか彼の気持ちを自分の側に引き戻すことには成功した様で、今はほぼ互角といったところだろうか。
葉月にとっては、彼の好意が結局自分にむけられており、しかもそれは、年を追うごとに衰えるどころか逆に強くなっているくらいで、それも含めて単なる既成事実だといっても構わない程だったが、あの鈍感は、その己の本心にはずっと気付かないままにのほほんと過ごしてきたのだ。
ただ、それを裏返して言うならば、これまでの彼の人生では、そこまで強く気持ちを揺さぶられる誰かに巡り合うことが無かったということでもあり、それを思えば、やはり葉月にとって陸奥は、生涯最強のライバルであることは間違いない。
(なのに――、なんだか、手錠嵌められて猿轡まで噛まされた気分だわ)
仁を取り返すためなら、たとえ陸奥に対してであっても、手加減することなく火花を散らす覚悟をしていた葉月にとって、突然それが許されなくなって、ただただ見守るより他に何も出来なくなってしまったこの現状は、理不尽としか表現しようがない。
確かに、陸奥がこの様な決断をするに至った苦悩を思うと、少しでも思いを残すことなく最後の日々を過ごさせてやりたいし、すっかり情が移ってしまった初春と子の日についても、その辛い心を少しでも労わってやりたいと感じる。だからと言って、もともとは陸奥と戦うつもりで再度乗り込んだというのに、他人から邪魔されたと言うならまだしも、己の心情としてそれが出来なくなってしまうのでは、一旦奮い立たせたこの闘志をどう収めればよいと言うのだろう?
更に言うなら、このタイミングで仁の家に居座っている自分は、明らかに邪魔者のはずである。それ位言われなくても分かっているので、普通であればさっさと引き払うところなのだが、既に一度気まずい思いで自宅に戻ってから、幾らも日が経たないというのにまたしてもすごすごと引き払うなど、どこまで自尊心を痛めつけねばならいなのか。
(わたしにだって、プライドがあるわよ! プライドがね……)
自分の中で、この問題を深堀りする前に素早くそう結論付けた葉月は、そのまま無理矢理頭を切り替えてしまう。実のところ、彼女が仁の家から撤退できないのは怖ろしいからなのだが、それだけは正面から認めるわけにはいかない。
いくら仁が葉月に強い想いを残しているとはいえ、陸奥と互いに惹かれあっているのは紛れもない事実なのだし、なおかつ、残された時間もわずかとなった今、もし目を離せば、二人が求め合う心は急激に燃え上がるかもしれない。そんな怖ろしいことを考えずに済ますためにも、目障りな存在になっていることは百も承知で、葉月は彼の家に居座り続けるしかないのだった。
そんな葛藤を抑え込んでいるところに、艦娘達と仁がぞろぞろと戻ってくるので、少々ホッとした彼女は軽く声を掛ける。
「どお? 満足のいく買い物はできたかしら?」
「ええ、とっても満足したわ!」
「なんともおかしな話だ、私は全く納得していないというのに、なぜ、お前達は揃いも揃って満ち足りた顔をしているのだ? これは、私のための買い物ではないのか? あ、言っておくが、全ての代金を支払ってくれた仁には、無論心から感謝しているのだぞ⁉」
「え~、どうしてぇ? どれもみんなよく似合ってたのに、そんなに長門さんは気に入らないの?」
「そうだわ、姉さんはあたしの見立てがそんなに不満なの?」
「い、いや、何もそんなことは言っておらんぞ⁉ ただ、もう少し私の意見をだな――」
「ほほ、長門殿は、そもそも女子の装いを毛嫌いしておられますからの。ご納得のいくものがござりますまいて♪」
「だからって、紳士服の売り場に行くわけにもいかないよ~」
「そんなの、当たり前でしょ⁉ まぁ、サイズはそっちの方があるかもしれないけどね」
長門は陸奥よりも背が高いばかりか仁よりも高く、訓練隊に集まった艦娘の中では最も身長が高い。
「葉月の言うとおりね、姉さんに合う大きさの服って結構限られてるから、良い組み合わせを選ぶだけでもたいへんなのよ、わかってる?」
「わかった、わかった、つまりは、私が目を瞑れば済むことなのだろう? そのぐらい、ちゃんと心得ている!」
いかにも不承不承と言った態で長門が会話を切り上げたので、クックッと含み笑いをしながら、葉月は次の話題を振る。
「さあ、それじゃそろそろおやつの時間よね、子の日ちゃん、あのお店行きたい?」
「うん、行きたい!」
「なんだ、ずいぶん子の日は嬉しそうだな、どこに行くのだ?」
「うふふ、葉月が一押しのお店よ、楽しみにしてて姉さん♪」
「もし、長門さんのお口に合わなかったら申し訳ありませんけど♪ じゃあ、行きましょ!」
とは言ったものの、いざ店に到着して程なく、葉月のその言葉は全くの社交辞令となってしまった。
「こ、これは一体何なのだ? これも甘味なのか?」
何やら畏敬の念を込めて、目前のパフェを凝視している長門の瞳は、幼い子供の様な眩しい煌めきを湛えており、見ている葉月までつい嬉しくなってしまう。
「姉さん、これプリンパフェっていうのよ♪」
「す~~っごく美味しいんだよ! 早く食べてみて、長門さん絶対好きになるよ♪」
嬉しそうに話しかける子の日がどうにも愛らしすぎて、思わず頭を撫でそうになるが、彼女を慈しむ様に見つめる陸奥の様子に少々しんみりしてしまう。
(この可愛らしい子達を置いて行っちゃうのよねぇ――、ほんとに、それで良いのかしらね)
そう思わずにはいられないが、ただの人間である自分たちに見えているのは、所詮、目の前にあることだけだということも良く分かっている。何が正しい事なのかは、神ならぬ葉月らにとっては知る由もない。
「な、なんだこれは――、口も舌も蕩けてしまいそうだ、それ以外になんと表現してよいのか見当もつかん……」
恐る恐る、プリンとクリームの一角を掬い取って口に運んだ長門が、己の言葉通り、本当に蕩けてしまいそうな恍惚とした顔で、うわ言の様に独白する。
「どう姉さん、気に入った?」
「いや、気に入るなどと言う言葉で済ませてよいものか否か――、相応しい言葉で語ることができぬのが、もどかしいほどだ……」
そう言いながらまた一匙口に運んだ彼女は、沈着な武人然とした恬淡さとは凡そほど遠い、弛緩した表情を見せる。
(いい表情するわよね~、至福の笑顔ってやつ?)
長門がこれほど甘党だとは、さすがの葉月も気づかなかった。こんなことなら、次から隊に行くときには手土産の一つも持っていってやろう。
「陳腐な言い条なれど、やはり、これこそ天上の甘露にござりますのぉ♪」
「ほんとにそうよね♪ 葉月に初めて連れてきて貰った時は、この世にはこんな美味しいものがあるのかって思ったわ」
「ふふ、そうね♪ あれってまだ、出会って二日目のことだったわねぇ」
「本当なのか、それは?」
「そうよ姉さん、その日はそれだけじゃなくて、仁に教えてもらって、姉さんがどこにいるのか初めて知ったのよ」
「ほほ、陸奥殿より伺った話では、何でもその折、長門殿を見殺しにしたはいかなる了見かと、仁殿に食って掛かられたとか、叶うことなれば、妾もその場にて仁殿の狼狽する様を見とうござりましたのう♪」
「いや、初春ちゃんそれは勘弁してよ……」
「大丈夫だぞ仁よ、例えその時その場に戻ることは叶わぬまでも、その節の様子はよく判るぞ。きっと、お前は震え上がりべそを掻きながらも、必死で陸奥に向き合い続けたのだろうとな」
「あらあら、姉さんたら見てきたようなことばっかり♪ でも、残念だけどその通りだったわよね仁♪」
「すいません、ノーコメントでお願いします……」
(ちょっと、なんなのよこの姉妹は! 二人がかりで、わたしの座を脅かしにきたわけ⁉)
全くもってひどい話だ、まさか、保護者と嫁を姉妹で分担して来るとは!
とは言え、今それに目くじらを立てるつもりも無い。大目に見てやると言ったのは本気だし、それこそ、一線を越えるようなバカな真似まで許す気は無いが、少しの間くらいは野暮をしないでやろうと思っていた。
もし本当に陸奥を喪った時、仁がどれほど落ち込むのかぐらいは想像がついている。そうなった時、確かに初春・子の日や長門らはある程度の支えになれるが、本当に彼の心の奥底にまで踏み込むことが出来るのは、一生添い遂げる覚悟の出来ている自分だけなのだから。
「さぁ、みんな十分堪能してくれたかしら?」
「うん!」
「口に、栄耀をさせて頂きましたぞえ」
「塔原殿、それに仁、何と言って礼をすべきなのか言葉も無い」
「ありがと♪ 葉月、仁」
「いいえ、どう致しまして! さあ、最後はどうするの仁?」
葉月が話を振ると、珍しく何やら思惑ありげな顔の仁が応える。
「そうだね、それじゃみんな、最後はちょっと横須加に付き合って欲しいんだ」
「あら、なにかしら?」
「うん、ちょっと協力をお願いしてた事があるんだけど……」
(ふうん、珍しいこともあるわね――、まぁ、任せといてもいいわよね)
「そういうことなら行って見ましょ? 仁、任せたわよ!」
こんな時くらい、脇役に回って少し楽をさせて貰うくらいはいいだろう。
そう思った葉月の心には、この時点ではまだまだ余裕があった。