第1話「今は遥かな夢物語」
1
これは、夢だ。
根拠は、いくつかある。
まず、自分がいる部屋、ここに美遊は見覚えが無い。
広い室内には沢山の机と椅子が並び、正面と背面には黒板が設置されている。
一目見て、そこが「教室」と呼ばれる場所である事は理解できた。
だが、理解できたからこそ、美遊はこれが夢であると確信していた。
なぜなら、美遊はこの年になるまで学校に通った事が無いからだ。
一応、地元の冬木市深山町に小学校があるのは知っていたが、美遊はそこに通った事は無い。
朔月家では、女の子供は生まれてからの数年間は、屋敷の敷地から出る事無く育てられる。
代々、朔月家の女子は、聖杯となる運命を背負って生まれてくる。その事を隠ぺいする為の措置だった。
当然だろう。どんな願いでもかなえる能力を持った聖杯など、魔術師ならば(あるいはそうでない存在でも)喉から手が出るほど欲しいはずだ。
だからこそ、朔月家の女子は、世間の目から隠されて育てられる事になる。
やがて聖杯の力が消え去る、その日まで。
聖杯の力さえ消えれば、あとは普通の子供と同様に育てられる事になり、学校へ通う事も許される。
美遊もその例外に漏れず、幼少期から朔月家の敷地の中のみを己の世界として過ごしていた。
だが美遊の場合、聖杯の力が完全に消え去る前に聖杯戦争が勃発。その後、人理崩壊と言う事態に至ったため、学校に行く機会が無かったのである。
幸い勉強は、代々朔月家と縁のある専属の家庭教師を付けられた事に加え、生来、知識に関しては貪欲な美遊の性格が幸いした為、不足なく身に付ける事が出来た。
のみならず、知識のみを集中的に与えられた結果、美遊の学力は一般的な小学生女児を遥かに上回り、8歳を超える頃には大学センター試験に合格できるレベルとまで言われるに至っていた。
そのような事情がある為、美遊は小学校の教室には入った事すら無かった。
恰好を見下ろせば、茶色がかったブレザーに紺のスカートと言う制服姿をしている。サイズもぴったりだった。
どこからどう見ても、「普通の小学生女児」にしか見えない。
記憶にない場所。
記憶に無い恰好。
いったい、これはどういう事なのだろう?
訳が分からず、美遊が首を傾げた時だった。
『ミユー?』
背後から、声を掛けられる。
聞き覚えの無い声だ。
どこか、柔らかさと親しみを感じさせる声。
振り返る美遊。
そこで、思わず息を呑んだ。
目の前に立つ少女。
恐らく、美遊と同い年くらいの年齢の女の子だ。
驚いたのは、その少女が明らかに日本人ではなかったからだ。
色白の肌に、流れるような銀色の髪。
クリッとした大きな眼が、真っすぐに美遊を見詰めてきている。
可愛い、と言うより綺麗な子だった。
まるで、この世の汚い事など、何一つとして彼女を犯す事が出来ない。そう思わせるほど、目の前の子は美少女だった。
『どしたの、ミユ? ぼーっとしちゃって。授業も終わったし、早く帰ろうよ』
女の子は美遊に対し、親し気に話しかけてくる。
友達、なのだろうか?
いや、そんな筈はない。そもそも美遊には、外国人の知り合いなどいないはずだし。
だが、目の前の少女は何の違和感も感じていないかのように、美遊に話しかけて来ていた。
と、
『まったく、遅いから迎えに来てみば』
別の声が聞こえて来て、美遊は振り返る。
そこで、また驚いた。
現れたもう1人の少女。
それは、先に出てきた少女と、全く同じ容姿をしているのだ。
もっとも、色白の少女に対し、もう1人の少女は褐色肌をしていると言う違いはあるが。
双子だろうか?
いや、それにしても似過ぎている気がする。
と、
褐色の方の少女が、何やら意味ありげに2人を見ていった。
『なになに~ 怪しいな~? 2人してこんな所で何やっていたわけ?』
『べ、別に、怪しい事なんて何もしていないもん』
そう言って、何やら言い争いを始める2人。
なまじ、容姿が同じなだけに、まるで鏡合わせに同じ人間がセリフの練習をしているようにも見える。
その様子が可笑しくて、つい吹き出してしまう。
対して、2人は美遊の方へと向き直る。
『さ、早く帰って遊びに行こう』
『そうね。今日はお兄ちゃんもいるはずだし。先に行って待っているはずだから』
そう言うと、2人の少女は美遊の手を取った。
違う
間違っている
美遊は心の中で呟く。
何が?
なぜ?
そんな疑問が美遊の中で湧き上がる。
だが、
何が違うのか?
何が間違っているのか?
最後まで、美遊には判らなかった。
「・・・・・・う・・・・・・ん・・・・・・」
目を覚ます美遊。
ぼやける視界の中に広がる白い壁と天井。
先程まで、自分が夢に見ていた見知らぬ「教室」ではなく、カルデアにある自分の部屋だと言う事はすぐに判った。
「・・・・・・・・・・・・やっぱり、夢?」
ベッドの上で体を起こしながら、美遊は小さい声で呟く。
不思議な夢だった。
記憶に無い場所。
記憶に無い友人。
別に夢を見る事自体は不思議でも何でも無いのだが、その詳細を鮮明に覚えているのは珍しい。
夢の記憶と言う物は脆い物で、起床からせいぜい数分で忘れてしまう物である。
だと言うのに、美遊は先程まで見ていた教室での夢を精細に覚えていた。
まるで、夢と言うよりは、実際にその場にいたかのように。
あれはいったい、何だったのか?
それに、
「・・・・・・・・・・・・」
美遊は無言のまま、自分の胸元を軽く握りしめる。
あの、夢の中で感じた違和感。
何かが違う。
その正体は判らない。
しかし、何か重大な事が抜け落ちている。
美遊はそんな風に思うのだった。
と、
そこでふと、ベッドの傍らに置いてある時計に目をやる。
「あ、もうこんな時間・・・・・・」
呟きながら布団をどけてベッドから出る。
今日は「初日」だ。そんな大事な日に遅刻する事は許されなかった。
寝巻を脱ぐ美遊。
細い四肢を、白のジュニアブラと、純白のパンツのみが覆う。
まだまだ発展途上で起伏の少ない体は、下着姿になると一層、細さが際立って見える。
美遊は壁に設置されたクローゼットを開き、中から一着の衣装を出してベッドの上に置く。
その服を眺め、
「・・・・・・・・・・・・はあ」
ため息を吐いた。
何と言うか、
万事、たいていの事には拒否感を示さない美遊が、珍しく重い気分になっていた。
「・・・・・・これ、本当に着なくちゃいけないのかな?」
正直、恥ずかしい。
勿論、これが「その手の仕事」ではよく使用されている服だと言う事は、知識として知っている。
概ね、間違いではないのだろう。
「・・・・・・・・・・・・」
ベッドの上を服を見下ろして、美遊は顔を赤くする。
間違いでは、無いのだろうが・・・・・・
それと、美遊が受け入れられるか否か、と言う問題については別物だった。
もう一度、嘆息する。
とは言え、
これ以上、服とにらめっこしていても始まらない。
美遊は渋々、手に持った服に袖を通すのだった。
サーヴァントとは、言うまでもなく普通の人間とは異なる存在である。
召喚の儀式によって呼び出された彼らは、その体の構成を全て魔力によって賄っている。
つまり、普通の人間なら栄養を摂取する事で体を維持している所を、彼等サーヴァントはマスターからの魔力供給によって代替えされる。
カルデアでは、電力変換によって蓄えられた魔力を、
つまり、サーヴァントには食事による経口栄養は必要ない事になる。
の、だが、
たとえサーヴァントであっても、元々は人間であったことに変わりはない。
縁をもって現界した以上、食と言う娯楽を最大限に楽しみたいと言うのは普通の流れであると言えた。
特に違う年代から来たサーヴァントにとっては、召喚された時代の食事と言うだけでも興味が尽きない事だろう。また、多少ではあるが、食事による魔力補給も可能、と言う点も見逃せない。
そんな訳で、カルデアでは人間、サーヴァントを問わず、食事はある種の娯楽と捉えられていた。
先のフランスにおける特異点を解決してから数日。そろそろ、次の特異点が確定しても良い頃合いだろう。
一度、レイシフトに入ってしまえば、数日は現地での行動になる。
そうなれば当然、カルデアで食事できるのも暫く先と言う事になる。
ならば、今のうちに楽しんでおくべきだった。
食堂の扉を開く。
今日は何を食べようか?
カルデアの食事は、和洋中のメニューを豊富に取り揃えており、その数は100種類近くに達する。
同じようなメニューであっても、具材やトッピングの変更が成されている物も多い。
響もカルデアに召喚されて少し経つが、まだ全てのメニューを食べたわけではない。
まだ食べていないメニューについて、期待も膨らむと言う物だった。
ラーメンは、まだ全メニュー制覇していないし、和食も良いかもしれない。
いや、朝からカレーライスというのも捨てがたい。カレー好きだし。
などと考えるだけで、涎が出そうになる。
普段から茫洋として入り表情の変化に乏しい響だが、人並みに欲はある。食欲なら猶更だった。
自動扉が開き、いつもの食堂の風景が見えた。
次の瞬間、
「お、お帰りなさいませ、ご、ご主人様・・・・・・」
相棒である少女が、待ち構えるようにして立っていた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
暫し、流れる沈黙。
まるで時が止まったかのように、微動だにしない。
そんな中、
響は自分の脳内において、目の前で起こっている事態の処理を行っていた。
美遊がいる。それはいい。
問題は、彼女の恰好だった。
紺のブラウスに同色のスカート。体の前には白のエプロンが覆い、頭にも白のヘッドドレスがある。
どこからどう見ても、可愛らしい「メイドさん」がそこに立っていた。
見れば美遊は、手をモジモジとすり合わせ、顔を真っ赤にして俯いている。
やはりと言うか、そうとう恥ずかしいらしい。
やがて、自動ドアが自動的に閉まる。
ややあって、センサーが反応して再び開く自動ドア。
「お、お帰りなさいませ、ご主人さ・・・・・・」
「ん、それ、もう良いから」
「ん、何でこーなった?」
テーブルに着いてカレーを食べながら、響が淡々とした口調で尋ねる。
周りには、立香にマシュやアニー・レイソルをはじめとした職員たち。
それに、響、美遊のマスターである凛果の姿もあった。
メイド服の美遊もまた、響達のテーブルの傍らに控えている。
相変わらず顔を赤くして背けている辺り、恥ずかしくてたまらない様子だ。
「あの、食堂の人手が足りないから、手伝うって事になって・・・・・・」
恥ずかしさを堪えるように、美遊がぽつぽつと説明を始める。
と言うか、何かしてないと羞恥心に押しつぶされそうだったのだ。
彼女の説明によると、先のレフ・ライノールによる爆破テロで多くのスタッフが失われた中に、食堂のスタッフの多くも運悪く含まれていたのだとか。
幸い、食料貯蔵庫は無事だった為、食材と水は豊富にある。もともと数百人単位の人間が数年間にわたって活動するための蓄えがカルデアにはあった。そこに来て(幸か不幸か)爆破テロによって多くの人命が失われた事により、食材にはだいぶ余裕ができた。
食材も、水も、電気も、空気もたっぷりとある。
現状の人数なら、たとえ敵に兵糧攻めを仕掛けられたとしても、カルデアは10年以上の籠城が可能だった。
勿論、実際に人理焼却が進んでいる現状で、そんな悠長なことはしていられないのだが。
しかし備蓄に問題が無いのはありがたかった。
だが、ここで一つ問題が生じた。
たとえ食材が充分にあったとしても、それを調理するスタッフが失われてしまっては元も子もなかった。
最悪、有り合わせの食材を適当に調理して食べれば良いのだが、しかし、やはりどうせなら美味しい物を食べたいと思うのが偽らざる心情だった。まして、過酷な任務の最中である。そんな時だからこそ、息抜きの娯楽は重要だった。
誰もが諦めかけた時、
名乗りを上げたのが美遊だった。
美遊は試しに厨房に入ると、有り合わせの食材を使い、瞬く間に皆を唸らせるほどの料理の腕を披露して見せたのだった。
と言う訳で、レイシフトが無い間の期間限定だが、美遊がカルデアの調理担当となった訳である。
「で、何でメイド?」
「そりゃ、もちろん・・・・・・」
尋ねる響に、凛果は自信満々で言い放った。
「可愛いからよ」
「言い切りやがった」
一点の迷いすら見せない凛果の態度には、いっそすがすがしさを覚える。
もっとも、やらされている美遊からすれば溜まった物ではないのだろうが。
「仕事するなら、これ着ろッて、凛果さんが・・・うゥ・・・・・・」
そう言って真っ赤になった顔を覆う美遊。目には涙まで堪えている。
とは言え、
メイド服を着た少女が恥じらう姿。そこから沸き起こる破壊力が、想像を絶しているのは確かな訳で、
「凛果、グッジョブ」
「グッジョブ」
サムズアップする響と凛果。
「うゥ、裏切り者・・・・・・」
あっさりと手のひらを返した響を、美遊はジト目で恨めしそうに睨む。
そんな美遊の、絞り出すような声は、当然の如く無視されるのだった。
と、その時、
「いやいや、侮ってもらっちゃ困るよ、美遊ちゃん」
尊大な声と共に食堂に入って来たのは、錫杖を持った派手な人物。
性別不詳な、人類最高の大天才は、朝からその美貌を惜しげもなくさらして、皆の前に姿を現した。
「ダ・ヴィンチちゃん、どういう事ですか?」
尋ねるマシュに、ダ・ヴィンチは美遊の着ているメイド服を指差して言った。
「美遊ちゃんのメイド服は、このダ・ヴィンチちゃん特性の魔術礼装ッ 戦闘補助に回復、機動性アップと、隙の無いラインナップを誇っているのだよ!!」
「何と言う、天才の無駄遣い」
「ん、て言うかあれ、ダ・ヴィンチが作ったんだ」
傲然と胸を張るダ・ヴィンチに、立香と響が呆れ気味に嘆息する。
とは言え、
普段は口数の少ないクールな美少女が、慣れないメイド服姿で恥じらっている姿は、それだけで、男なら平静ではいられまい。
相手が11歳女児なので、犯罪にならないよう注意が必要だが。
と、
美遊の視線が、響を見る。
「ん?」
首を傾げる響。
対して、
美遊は恥ずかしがるように手にしたお盆で口元を隠すと、「お皿洗ってきます」と言って、そのまま足早に厨房の方へと入って行った。
その様子を見送る一同。
「どうしたんだ、美遊は?」
「さあ、急に厨房の中へと入って行かれてしまいましたが」
首を傾げる、立香とマシュ。
そんな中、
「ん~ これは・・・・・・」
ただ1人、
凛果だけは、自分と契約したチビッ子サーヴァント達を見比べながら、何やら考え込むようなしぐさを見せていた。
と、その時だった。
「ああ、みんな、良かった、やっぱりここにいたか」
そう言って手を上げながら入って来たのは、カルデアの司令官代行である、ロマニ・アーキマンだった。
レイシフト中は立香達のサポートで忙しい彼だが、特殊班が帰還中は、それはそれで忙しい日々を送っている。
特に、次の特異点の位置割り出しは、今のカルデアにとって急務である。
その為、ロマニをはじめとした解析班は、休憩時間以外、特異点の割り出しに没頭していた。
ロマニは和食のB定食を注文して席に着くと、一同を見渡した。
「どうしたのロマン君、似合わない真剣な顔しちゃって?」
「似合わない、は余計だよ凛果君。これでもがんばっているんだからね僕は。もう少しいたわってほしいもんだよ」
凛果に対し、やれやれと肩を竦めるロマニ。
と、そこで再び、ロマニは真剣な表情を作って一同を見る。
「みんな、すまないけど、食事が終わったらブリーフィングルームに集まってくれ。ああ、ここにいない美遊君にも声を掛けておいて欲しい」
いつになく真剣な表情のロマニ。
その言葉に、一同は息を呑む。
「ドクター、それってもしかして・・・・・・」
「ああ、君の想像通りだよ、立香君」
何かを察したように尋ねる立香に、ロマニは頷きを返す。
「次の特異点が、特定された」
特異点の発見。
それは即ち、次の戦いの開幕を告げるベルに他ならない。
そんな一同を見回して、ロマニは続けた。
「第2の特異点は、西暦60年のイタリア半島。華やかな文化と凄惨な陰謀が渦巻くローマ帝国だ」
第1話「今は遥かな夢物語」 終わり
諸君、これだけは言って置こう。
うちの凛果は、リヨぐだ子ではない!!(と思う)