Fate/cross wind   作:ファルクラム

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第4章 死界魔霧都市「ロンドン」
第1話「彼だけがいない世界」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、

 

 また夢、か。

 

 その光景を見た美遊は、すぐにそう分かった。

 

 見た事も無い制服を着た自分。

 

 以前に見た時は茶色の、やや厚手生地のブレザーだったが、今は薄手の生地を使った半袖のブラウスに代わっている。スカートも、やや軽めの素材のようだ。

 

 どうやら前者が冬服だったのに対し、今着ているのは夏服のようだ。

 

 どうりで、涼しい印象がある。

 

 それに、

 

 傍らに目を向けると予想通り、

 

 2人の少女たちが、並んで歩いていた。

 

 美遊と同じく、夏服を着た、そっくりな顔立ちの少女達。

 

 1人は、最近になってカルデア特殊班の仲間に加わった弓兵(アーチャー)の少女、クロエ・フォン・アインツベルンだ。

 

 まったく顔立ちが似ていないのだが、美遊の相棒である衛宮響(えみや ひびき)の姉でもある。

 

 そしてもう1人、

 

 そのクロエと全く同じ顔立ちをした、白い少女。

 

 クロエが小悪魔なら、こちらの少女はさしずめ天使と言った印象だ。

 

 どこまでも果てしなく、全てを白く包み込んでくれる、そんな優し気な印象を持った少女だ。

 

 ただ一緒にいるだけで、心の中に淀んだ物が薄れていくような印象があった。

 

「いやー、ようやく夏休みだね。1学期長かったー でも、これでいっぱい遊べるね」

 

 白い少女が、やれやれと嘆息交じりに告げる。

 

 成程。

 

 学校には、夏と冬、それぞれに長期休暇が設けられている、と言う話は知っていた。

 

 それぞれ、勉強の妨げとなる暑気や寒気を避ける為、長期にわたって学校を休業し、学生を休養させることが目的なのだとか。

 

 しかし、

 

 なぜ夏休みが楽しみなのか、学校に行っていなかった美遊には、いまいちピンとこなかった。

 

 最近ではエアコンの導入により、夏でも冬でも、季節に関係なく快適に過ごせると言う話なのだが?

 

 まあ、クロエも、目の前の白い少女も楽しそうにしているから良いのだが。

 

「買い物行って、海に行って、キャンプに行って、えっと、それから・・・・・・・・・・・・」

 

 実に楽しそうに、指折り数える白の少女。

 

 何だか、見ているだけで微笑ましくなってくる。

 

 と、少女は美遊の方を向き直った。

 

「ミユも、一緒に遊びに行こうね」

「え、私、も?」

 

 話を振られると思っていなかった美遊は、驚いたように聞き返す。

 

 そんな美遊の手を、少女は柔らかく握る。

 

「行こうよ、きっと楽しいよッ!!」

 

 掌に感じる温もりが、優しく美遊を包み込む。

 

 と、その時だった。

 

「まったく、イリヤはお子様ね」

 

 傍で見ていたクロエが、肩を竦めながら、やれやれとばかりに告げる。

 

 対して白い少女(イリヤと言うらしい)は、プクッと頬を膨らませてクロエを睨む。

 

 そんな仕草もまた、可愛らしかった。

 

「そんなこと言って、クロは何か考えているのッ?」

「あたし?」

 

 話を振られたクロエは一瞬キョトンと首を傾げると、顎に手を当てて「ん~」と考える。

 

「そうね、まずは・・・・・・・・・・・・」

 

 暫くして、クロエは口を開いた。

 

「まず、お兄ちゃんを誘惑して、それから『ピー』を、『ピー』な感じにして、『ピーピー』を、『ピー』して・・・・・・」

 

 延々と語るクロエ。

 

 取りあえず、伏字を当てなきゃならんセリフはやめてもらいたかった。色々と危ないから。

 

 喜々として語るクロエ。

 

 その様子を、顔を赤くして間み見守る美遊とイリヤ。

 

 と、

 

「そ、そんなのダメに決まってるでしょうがァ!!」

「あら、どうして?」

 

 とうとう耐えきれなくなって叫ぶイリヤ。対してクロエは、キョトンとした顔で尋ね返す。

 

 そのままズイッと、イリヤに迫っていく。

 

「何がダメなの? どうしてダメなの?」

「ちょッ クロッ!?」

「ほらほら教えてよ、イリヤ?」

 

 明らかに状況を楽しんでいるクロエに、翻弄されるイリヤ。

 

 やがて耐えかねたのか、美遊の方に向き直る。

 

「とにかくダメって言ったらダメなのッ!!」

 

 しかし、

 

 その視線は美遊ではなく、

 

 彼女の背後へと向けられている。

 

「ねえ、×××も、そう思うよねッ!?」

「え?」

 

 言われて、振り返る美遊。

 

 果たしてそこには、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ベッドの上で目が覚める美遊。

 

 自動で調整された室温の中、意識が急速に鮮明化する。

 

 頭の中は、思いのほかすっきりとしていた。

 

 脳裏に鮮明によみがえるのはやはり、先程まで見ていた夢の内容だった。

 

 小学校に通う自分と、その友人であるクロエ、

 

 そして、クロエとよく似たイリヤと言う少女。

 

 それに、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 夢で見た、最後の部分を思い出す。

 

 イリヤの声につられるように、背後を振り返った美遊。

 

 しかし、そこには誰も立っていなかった。

 

 まるで、そう、

 

 本来なら誰かがいなければいけない場所に、誰もいなかったみたいに。美遊の背後の空間だけが、不自然に空いていた。

 

 もし、あの時。

 

 本当は、「誰か」がいたのだとしたら?

 

 ならば、その「誰か」は、いったい誰なのか?

 

 否。

 

 そうではない。

 

 その疑問に対する答えは、既に美遊の中で確信に変わりつつあった。

 

 欠落している要素。

 

 いる筈なのにいない人物。

 

 そこに足りないピースは、いったい何を暗示しているのだろうか?

 

 その答えはまだ、今の美遊には判らなかった。

 

 と、

 

 そこでふと、時計に目をやる。

 

 時間は既に5時を回っている。そろそろ、食堂に行かないといけない時間だ。

 

 今やカルデアの調理担当となっている美遊は、これから起きてくるであろう、特殊班のメンバーやスタッフの為に食事を作らなくてはならない。

 

 と言っても、仕込みは昨夜の内に終わらせている。後は簡単な味の調整と温め直しだけで、大半の準備は完了する。

 

 洗い物や乾燥も全自動でやってくれる。まさに、カルデア様様である。11歳の美遊が、ほぼ1人で食堂を切り盛りできている理由はそんなところだった。

 

 もっとも、

 

 当然ながら、美遊がレイシフトしている最中は、彼女が食事を作る事は出来ない。その為、ロマニをはじめとするスタッフは、レイシフト中は若干、ひもじい思いをする事になるのだが、そこはご愁傷さまとしか言いようが無かった。

 

 起き上がろうと、布団を払う美遊。

 

 と、そこで、

 

 

 

 

 

 椅子に腰かけている少女と目が合った。

 

 

 

 

 

「あら、おはよう、ミユ」

 

 少女は悪びれた様子もなく、手をひらひらと振る。

 

 そんな状況に嘆息するしかない美遊。

 

 今更言うまでもないが、ここは美遊の部屋であり、美遊が1人で使っている個室である。こんな朝早くから、誰かがいる筈はない。

 

 可憐な瞳は、ジト目で不法侵入少女を睨む。

 

「・・・・・・・・・・・・何でここにいるの、クロ?」

「ん~ 夜這い?」

 

 本気とも冗談ともつかない少女の言葉。

 

 と言うかクロエの場合、全く持って冗談に聞こえない辺り、かなりたちが悪い。

 

 知り合ってまだ1か月程度だが、そこら辺の事は既に美遊にも理解できていた。

 

「いや、この時間で夜這いは変か。こういう場合、何て言うのかな? 朝這い?」

「どっちでも良い」

 

 取り合わず、ベッドから起き出すとクローゼットの前まで行く。

 

 「ん、クロがエロいのは前から」とは、某弟君の証言である。付き合えば、こちらが疲れるのは明白だった。

 

 着ているパジャマを脱いで下着姿になる美遊。

 

 白いジュニアブラに、同じく白のパンツ。

 

 飾り気のない下着姿が、少女の華奢な体を包んでいる。

 

 そんな美遊の着替え風景を、背後でクロエがニヤニヤしながら見つめているが、努めて無視する。

 

 どうせ同じ女なのだから、見られても問題ない。これが響あたりだったら、問答無用で部屋から蹴り出すが。

 

「ミユさー もうちょっとオシャレとかしたら。せっかく可愛いんだし」

「余計なお世話。それに、必要も無い」

 

 素っ気なく言い放つが、クロエがめげる様子は無い。

 

 そっと、美遊の背後から近づき、声を低めて耳元で囁く。

 

「でも、興味はあるんじゃない?」

「ッ!?」

「女の子はね、美遊。おしゃれする為に生まれてくるのよ。おしゃれをして、好きな男の子を誘惑するの。とっても楽しいわよ」

 

 甘い吐息を含むクロエの言葉。

 

 妖艶な少女の声に、美遊は脳がしびれるような感覚に捕らわれる。

 

「好きな、男の子を?」

「そう、例えば・・・・・・」

 

 わざとらしく間を置いてから、クロエは言った。

 

「ヒビキ、とか」

「ッ」

 

 息を呑む美遊。

 

 まるで、己の心の内を見透かされたかのようだ。

 

 確かに、美遊は響の事が気になっている。

 

 この気持ちが、クロエの言う「好きな男の子」に対する物なのかどうかは、まだ分からないが。

 

「さあ、勇気を出して。何も怖くないから」

 

 甘く囁きながら、

 

 クロエの手は、美遊のパンツに伸びた。

 

 そのまま、下に下げようとする。

 

 と、そこで、

 

 美遊は、クロエの手を掴んだ。

 

「あら?」

「その手には乗らない」

 

 間一髪のところで、美遊はクロエの手を引きはがす。

 

 対して、クロエは舌を出しながら、美遊から離れた。

 

「やれやれ、失敗失敗」

 

 悪びれた様子もなく、肩を竦めるクロエに、美遊は嘆息しつつ着替えに戻る。

 

 自分はどうやら、この褐色の弓兵少女が苦手らしい。

 

 美遊自身、説明がつかない感情だが、美遊は確信に近い感情で、そう思っていた。

 

 と言っても、別に嫌いなわけではない。

 

 初対面から自分に対してフレンドリーな態度を取ってくるクロエには、特に不快感を感じる事は無い。

 

 本来なら、好感を持てる筈、なのだが。

 

 たまに、今みたいな悪戯を仕掛けてくる。

 

 どこか、油断できない。クロエを見ていると、どうしてもそう思ってしまう。

 

 そんな事を考えながら、着替えていく。

 

 下着の上から紺のブラウスと同色のスカートを着込み、エプロンを掛けて、頭の上にヘッドドレスをかざる。

 

「へえ、メイドさん、ね」

 

 意味ありげに呟くクロエに、視線を向ける美遊。

 

「・・・・・・何?」

「ん~ べっつにー」

 

 何が言いたいのかさっぱり分からなかったが、これ以上、付き合う気は無い。

 

 ダ・ヴィンチに用意してもらった姿見の前で恰好を整えると、部屋を出て食堂へと向かう。

 

 当然のように、後からついてくるクロエ。

 

 その様子に嘆息しつつも、彼女の好きに任せる事にする。実害がない以上、邪剣にするのもどうかと思ったのだ。

 

 と、

 

 歩きがてら、美遊はどうせだからと、気になっていた事を尋ねてみる事にした。

 

「ねえ、クロ」

「うん、何かしら?」

 

 身を乗り出すクロエに、美遊は歩みを止めずに口を開く。

 

「あなたに・・・・・・響以外の兄妹とか、いる?」

 

 そう尋ねる美遊に対し、

 

 クロエはふと、足を止めた。

 

「・・・・・・・・・・・・何で、知ってるの?」

 

 これまでと打って変わって、警戒色を滲ませたような弓兵少女の声。

 

 珍しい事に、クロエが目を丸くして美遊を見ている。

 

 そこで、美遊は自分の失策に気付く。

 

 まさか夢で見た、と言う訳にも行かないだろう。果たして、どう説明したものだろうか?

 

 考えてから、とっさに言った。

 

「その、響に、聞いたから」

 

 これなら、怪しまれる事も無いだろう。実際には、響は自分の事はほとんどしゃべった事は無いのだが、そこら辺の事情はクロエは知らないはずだし。

 

 案の定、クロエは納得したように頷く。

 

「成程ね。まあ、確かに、私にはヒビキ以外にも、お兄ちゃんと、あとそれから『妹』もいたけど」

 

 クロエの物言いに対し、美遊は首を傾げる。

 

「何で今、『妹』を強調したの?」

「気にしないで。家庭内のちょっとした権力争いだから」

 

 言っている意味が分からないが、少し面倒な事情がありそうなので、深くは突っ込まないでおいた。

 

 とは言えこれで、あの夢が一層、現実味を帯びてきたのは確かだった。

 

「ねえ、あたしからも一つ、聞いていい?」

 

 クロエがそう言って話しかけてきたのは、厨房の前に来てからの事だった。

 

「何?」

 

 首を傾げる美遊。

 

 対して、

 

 クロエは真剣な眼差しで、口を開いた。

 

「うん、実は、ヒビキの事なんだけど・・・・・・」

 

 クロエは静かな口調で言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの子、本当に『ヒビキ』よね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロマニ・アーキマンは現在、人理継続保障機関カルデアの司令代行と言う立場にある。

 

 初回レイシフト時に起こった、レフ・ライノールによる爆破テロと、その後、所長であるオルガマリー・アニムスフィアの死亡に伴い、現状トップの立場にあるロマニが、指揮を取らざるを得なくなったのだ。

 

 いきおい、ロマニのこなさなくてはならない作業は、膨大な物となってしまった。

 

 何しろ、オルガマリーに加えて、各部門のトップ、作業に慣れた古参のスタッフが軒並み全滅してしまった事により、カルデアは深刻な機能不全を起こしてしまっている。

 

 機材の一部損傷に加え、スタッフの減少による深刻な人手不足。加えて、レイシフトの主力であったAチームメンバーをはじめ、マスター候補生も藤丸兄妹を除く46名が全滅。凍結措置が早かった為、辛うじて命を取り留めた事は不幸中の幸いであった。

 

 そのような事情である為、ロマニは現在、カルデアのバックアップチームを指揮しつつ、各特異点の情報収集、更には取得した聖杯の解析など、常人では及びもつかないような激務をこなしているのだった。

 

 普段の態度からは、とてもそうは見えないが。

 

 唯一、明るい材料があるとすれば、ロマニの親友であり、ルネサンスの大天才であるキャスターのサーヴァント、レオナルド・ダ・ヴィンチが、爆破テロ後も健在だった事だった。彼女がロマニを補佐し、解析の手助けをしてくれなければ、とっくの昔に過労死していたかもしれない。

 

 幸い、特別編成した、藤丸立香を隊長とするカルデア特殊班は、目覚ましい成果を上げ、既に3つの特異点を攻略し、人理修復に成功している。

 

 先ごろ、その特殊班に、新たなサーヴァントであるクロエ・フォン・アインツベルンが加わってくれた。

 

 現在、彼女は立香の新たなサーヴァントとして登録している。

 

 これで、2人のマスターが、それぞれ2騎のサーヴァントと契約した事になる。バランス的にもちょうど良いだろう。

 

 アーチャーである少女が加入してくれたおかげで、特殊班の戦術的幅が広がったのは間違いない。

 

 これまでは、攻撃が美遊、防御がマシュ、遊撃が響と役割分担されていたが、そこにきて遠距離狙撃をクロエが担当すれば、布陣としてはかなり理想に近い物が出来上がる。加えてクロエも、状況に応じて前線を担う事が出来る。

 

 欲を言えば、高火力の魔術が使えるキャスターか、回復スキルが使える人材が欲しいところではある、

 

 の、だが、

 

「せめて、こいつが使えたらな・・・・・・・・・・・・」

 

 ため息交じりに見上げた先には、1つの巨大な装置が鎮座している。

 

 守護英霊召喚装置「フェイト」

 

 カルデアス、シヴァと並ぶ、カルデアの象徴的な装置である。

 

 そのシステムは文字通り、触媒を元に英霊をサーヴァントとして呼び出す装置となる。

 

 あのレイシフト初日、爆破テロが無ければこの装置で多数の英霊が呼び出されていた筈なのだ。

 

 だが、爆破テロの影響で、カルデアのシステムの多くが機能停止に追い込まれている。

 

 フェイトも、その一つだった。

 

 恐らくレフは、カルデアの戦力供給を真っ先に断つ事を目論んだのだろう。その彼が、フェイトに目を付けないはずが無かった。

 

 一応、可能な範囲で修理はしてみたものの、未だにフェイトは実用可能なレベルまで復旧したとは言い難い。システム回復に必要なコアを形成する部品が手に入らず、修理が滞っているのだ。

 

 現在、代用できる部品を模索しつつ、どうしても手に入らない部品はダ・ヴィンチに錬成してもらっている。

 

 が、代替えの部品など、そうそう手に入るものでもなく、修理は滞りがちだった。

 

 とは言え、特異点F期間後に響と美遊が、第3特異点終了後にクロエが、それぞれ召喚されている事から考えても、システムが完全に死んでいるわけではないのは確かだった。

 

 しかし、こちらからの制御を全く受け付けない以上、今は使用を断念せざるを得ない。

 

 それらを踏まえて、ダ・ヴィンチが何か準備をしているらしい。戦力増強の見込みが立たない以上、今ある戦力を底上げする方針で行くようだ。そちらの方は、どうやら次のレイシフトに間に合いそうだと言う報告が来ている。

 

 もっとも、詳細についてはロマニも聞かされていないのだが。

 

 現状、敵の正体については、殆ど不明と言っていい。

 

 手がかりは、あると言えばある。

 

 今まで出現した魔神柱は全て、古代イスラエル王ソロモンが使役したとされる「72柱の魔神」の名を名乗っていた事だろう。

 

 オケアノスで出会ったダビデの息子でもあるソロモンは生まれながらにして絶大な魔力を持ち、その力は常人には決して到達しえない奇跡まで可能にしたと言う。

 

 72柱の魔神は、そのソロモン王の使い魔であった存在である。

 

 しかし、ソロモン王が統治したとされる時代をカルデアスでスキャンしても、特異点らしき異常は見られない。

 

 真相は未だに闇の中だった。

 

 と、

 

 背後で扉が開く音が聞こえ、誰かが部屋の中に入って来た。

 

「司令代行、ここにいたんですね」

「ああ、アニーかい」

 

 振り返ると、職員のアニー・レイソルが、ロマニの方へ歩み寄ってくるのが見えた。

 

 何かと自分を補佐してくれる女性職員は、ロマニの横に並ぶと、同じように装置を見上げる。

 

「残念だね。これさえ動いてくれれば、立香君たちの大きな助けになるんだけど」

 

 嘆息交じりに呟くロマニ。

 

 現状、特殊班の戦力は、主力サーヴァントであるマシュ、響、美遊、クロエ以外は、現地で出会った英霊に頼るしかない。

 

 しかし、どんな英霊が召喚されているか分からない以上、戦力は運任せとなってしまう。

 

 前線部隊に安定した戦力を供給できないのは、現状カルデアのトップとして心苦しい限りだった。

 

「立香君たちは、よくやってくれていると思いますよ」

「うん、そうだね」

 

 アニーの言葉に頷きつつも、ロマニは嘆息する。

 

「けど、だからこそ、彼等の力になってあげられない事が、ちょっと、ね」

 

 力なく笑うロマニ。

 

 実際に戦う立香達のフォローを十全に出来ていない事は、ロマニにとっても歯痒かった。

 

「だったら・・・・・・」

 

 そんなロマニに向き直り、アニーは言った。

 

「より万全な体制で彼らをサポートする。それこそが、わたし達の使命だと思います」

 

 戦えない以上、悩んでも仕方がない。

 

 自分達には自分たちにしかできない事があるのだから、それを全力でやれば良い。それが、結果的に特殊班の助けになるのだから。

 

 アニーは、ロマニにそう言いたかったのだ。

 

 言ってから、アニーは我に返って視線を逸らす。

 

「す、すみません、生意気なこと言っちゃって」

「いや、君の言う通りだよ、アニー」

 

 そう言って、ロマニは笑う。

 

 今は失われた事、できない事を考えて嘆くよりも、できる事を全力でやるしかないのだから。

 

 アニーに言われて、ロマニは改めてそう思うのだった。

 

 そんなロマニに、アニーは気分を変えるように言った。

 

「そうだ、朝ごはん、食べに行きませんか? 多分そろそろ、美遊ちゃんが用意してくれていると思います」

「うん、良いね。お腹いっぱい食べる事は、一日の活力になるからね」

 

 そう言うと、ロマニはアニーを連れ立って、部屋を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 寸胴鍋をかき混ぜる美遊は、目の前で売るグルト渦を巻くスープを見詰めながら、しかし思考は別の時空をさ迷うように、集中できずにいた。

 

 既に食堂には早起きの職員たちが集い始め、食事を始めている。

 

 美遊も、手伝いに入っているカルデアスタッフと共に、注文に追われている。

 

 しかし、思考はどうしても、別の事を考えてしまっていた。

 

『あれって・・・・・・本当に「ヒビキ」よね?』

 

 脳裏によみがえるのは、先程、クロエに言われた事。

 

 どういう意味だろう?

 

 彼が本当の響ではない?

 

 しかし、クロエはこうも続けた。

 

『私には確かに弟がいた。それが「ヒビキ」っていう名前だった事も覚えている』

 

 けど、とクロエは言う。

 

『それ以外の事は、一切思い出せないの。彼とどういう風に過ごして、どんな事をしたのか、とか、仲が良かったのか悪かったのか、そもそも、「ヒビキ」っていう弟がいた事すら、この間、再会するまで忘れていたくらいだし』

 

 クロエの言葉を聞いて、美遊も考え込む。

 

 一種の記憶障害だろうか?

 

 ロマニによれば、現代においても英霊研究は未だに解明されていない部分も多いのだとか。

 

 あるいは、召喚の際に何らかのエラーが生じ、サーヴァントの記憶が飛んでしまう事もあるらしい。

 

 しかし、クロエの場合は、そうではないようだ。

 

 彼女は響以外の事は憶えているそうだ。両親の事、「妹」の事、兄の事、使用人の事、学校の友達の事、全て。

 

 欠落してるのは、「衛宮響」に関する記憶だけ。

 

 そして、これは同時に奇妙に符合する点がある。

 

 あの、美遊が時々見る夢。

 

 クロエや、彼女の「妹」と思われる、イリヤと言う少女が出てくる夢。

 

 そこに、本来ならいる筈の人物の存在。

 

 もし、あの時、振り返った先に本来いるべき人物が響だったとしたら?

 

 まるで「衛宮響」と言う存在だけが、世界から消失してしまったかのような不気味な感覚がある。

 

 いったい、響は何者なのか?

 

 本当に、存在する人物だったのか?

 

 深まる謎が、美遊の胸を浸していくようだった。

 

「・・・・・・・・・・・・ゆ・・・・・・ゆッ・・・・・・みゆ・・・・・・みーゆッ!!」

「はッ!?」

 

 大声で名前を呼ばれ、我に返る。

 

 どうやら、無意識の没頭してしまっていたらしい。

 

 振り返ると、カルデア職員の1人が、トレイを手に困った顔で立っていた。

 

 ジングル・アベル・ムニエルと言う、丸顔とメガネが特徴的な職員は、レイシフトに必要なコフィンの整備、運用を担当している男性だった。

 

 どうやら注文を待っていたのに、美遊が考え事をして反応が無かった為、焦れてしまったらしい。

 

「どうしたんだよ、ぼーっとして? 具合でも悪いのか?」

「あ、い、いえ・・・・・・」

 

 慌てて、鍋から離れる美遊。

 

 まあ、響の事は今は良いだろう。どのみち、今は判断する材料が少なすぎるし。

 

 気にするだけ、時間の無駄だろう。

 

 だから、今は気にしない事にした。

 

「えっと、ムニエルさんは、『焼き魚のバターレモン掛け』、でしたっけ?」

「いや、それ、『ムニエル』の事だよな? 遠回しに言ってるけど」

 

 朝から、そんな重たい物を食べる気は無いムニエルは、呆れた瞳で肩を落とす。

 

 いまだに上の空らしい美遊。

 

 どうやら少女の中で、響の存在は無視できないレベルで膨らみつつなっているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衛宮響(えみや ひびき)は、手に取った物の感触を確かめるべく、目の前に翳してみる。

 

 重さは悪くない。むしろ、手に馴染むくらいだ。

 

 二、三度、軽く振ってみるが問題は無い。むしろ、短期間でよくこれほどの物が出来たと感心する蔵だった。

 

「一応、君の掌のサイズや腕の長さ、重心バランス、更には魔術回路の質、量を計算して、振り回しやすい設計にしてみた。例の『鬼剣』とやらには耐えられないだろうが、スキルの同時使用には、たぶん問題ないはずだよ」

「ん」

 

 説明するダ・ヴィンチに、響は短く頷きを返す。

 

 その手にあるのは、一振りのナイフだった。

 

 テーブルの上には、もう1本、同じ型のナイフが置かれている。

 

 刃は大ぶりで、ナイフと言うよりも肉切包丁に近い。

 

 ここまで、3つの特異点を巡る戦いにおいて、様々な敵と戦ってきた響。

 

 その全てに勝利してきたものの、今後、更なる強敵との激突も予想される。そこで、自分の戦力を少しでも上げておこうと思い、ダ・ヴィンチに依頼したのだ。

 

 ダ・ヴィンチは自分の作業の傍らで、響の為にこのナイフを作ったと言う訳である。

 

 ナイフにした理由は、響のバトルスタイルで銃火器などの遠距離武器は合わないであろう事。更に、日本刀を主武装にしている響なら、それを補うような武装が好ましい事が理由だった。

 

 しかも、ただのナイフではない。

 

 刀身にはレアメタルを使用、更に疑似的な魔術回路を組み込む事で、僅かながら魔力を通す事が出来る。

 

 極めて簡易的ながら、魔剣に近い性能を持っている。

 

「武器の調整も良いが、こっちにも協力してくれよ。君と美遊ちゃんが要なんだからね」

「ん、判ってる」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に頷くと、響は立ち上がった。

 

「ん、良い仕事だ。金は、例の口座に」

「いや、タダだからね」

「判ってる。ん、言ってみたかっただけ。ダ・ヴィンチ、ありがとう」

 

 そう言ってダ・ヴィンチに礼を言うと、響は彼女の部屋を後にする。

 

 手にしたナイフの重みを、しっかりと受け止める。

 

 今更、武器を増やしたところで、大して戦力の足しになる訳ではない。

 

 しかし、僅かでも勝率を上げる為に妥協しない。

 

 その為に自分は、この道を選んだのだから。

 

 と、

 

「ん?」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 廊下の曲がり角で、ばったりと美遊と出くわしてしまった。

 

 メイド服姿の美遊。

 

 どうやら、食堂から直接来たらしい。

 

「美遊、どした?」

「あ、響、その、食堂に、来てなかったから。だから、これ」

 

 そう言って、美遊が差し出した手には、余り物で作ったと思われる賄食がある。

 

 どうやら作って持って来てくれたらしい。

 

 デミ・サーヴァントの美遊やマシュと違い、純粋なサーヴァントである響には食事の接種は厳密には必要ない。

 

 食事は栄養補給と言うより、娯楽の面が強いのだ。

 

 とは言え、娯楽であればこそ、その有無においてはモチベーション維持にもつながる重要事項である。

 

「ん、なら、美遊も一緒に食べる」

「わ、私は、食べたんだけど・・・・・・」

「問題ない。きっと、まだお腹減ってるから」

 

 以前、大食いが発覚した時の事を思い出し、顔を赤くする美遊。

 

 そんな少女の手を取る響。

 

 対して、

 

 美遊はやや躊躇いつつも、響に続いて歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 ロマニから、次のレイシフト先が発表されたのは、その2日後の事だった。

 

 時代は西暦1888年。

 

 場所はイギリス首都ロンドン。

 

 産業革命に伴う飛躍的発展により華やかな文化が一斉に芽吹く一方、その裏にある環境悪化、犯罪率増加と言う二律背反を齎した退廃の魔都。

 

 ここで待ち受けている物の存在に、

 

 まだ、誰も気付いてはいなかった。

 

 

 

 

 

第1話「彼だけがいない世界」      終わり

 


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