1
石畳を蹴る音が、静寂の街に甲高く木霊する。
息を切らせて走り続ける女性。
元々、美人と称しても良いくらいに整った顔立ちは、今や恐怖に青褪めている。
怖い。
後ろを振り返るのが怖い。
誰かが追ってくる気配が怖い。
そして何より、
この、誰もいなくなった街が怖い。
ここはロンドンでも、特に賑やかな場所だったはず。
昼は愚か、夜ですら、人の行き来が絶える事は無かった。
だと言うのに、見渡す限り、人が動いている気配はない。
それに、
視界を覆うように発生した白い闇。
街全体を呑み込んだ濃霧が、不気味な静寂に拍車をかけている。
まるでそう、街が突如、巨大な口を開けて全ての人間を喰らいつくしたかのようだ。
「・・・・・・・・・・・・」
いやだ
いやだ
いやだ
死にたくない。
こんな所で、街に食われて死ぬなんていやだ。
そっと、足音を殺して進む。
自分を見ているかもしれない、誰かの目から逃れるように。
荒くなる息。
自分の鼓動の音が、やけに大きく聞こえる。
心臓が張り裂けそうな緊張感の中、
曲がり角が見える。
「・・・・・・・・・・・・」
息を呑む。
もし、
あの先に、自分を食わんとする怪物が待ち構えていたら?
「・・・・・・・・・・・・」
怖い。
行きたくない。
けど、
行かなければ。
ここで立ち止まっていたら、確実に殺される。
ゆっくりと、
足を進める。
曲がり角が近づいてくる。
触れた壁の感触が、不必要なまでに冷たく感じる。
あと2メートル・・・・・・
1メートル・・・・・・
50センチ・・・・・・
やがて、
意を決して、曲がり角の向こうに出る。
果たして、
そこには、何もいなかった。
「・・・・・・・・・・・・」
大きく息を吐く。
バカバカしい。
怪物なんて、居るはずが無い。
ホッと、息をついた。
「あれ、もうおわり? それじゃあ、かいたいするね」
女性の意識は、そこで闇の呑み込まれた。
2
渦を巻く視界。
4度目(特異点Fも含めると5度目)ともなると、流石に慣れても来ると言う物。
目をつぶっていれば数秒で終わる。
やがて、
軽い衝撃と共に、投げ出されるような感覚があった。
流れていた空気が、ピタリと止まるような感じ。
終わった、のだろうか?
ゆっくりと、目を開ける立香。
果たしてそこには、
何も無かった。
否、
何もない、訳ではない。
正確に言うと、何も見えないのだ。
周囲一帯、真っ白なスクリーンに覆われたように、視界がほとんど効かない。
目を凝らせば、うっすらと建物らしきものが見えるの。
どうやら無事、レイシフトする事には成功したようだ。
立香の周りには、特殊班のメンバーがいるのが判る。
凛果、マシュ、響、美遊、クロエ、あとついでにフォウもいる。
全員がレイシフトに成功したのを確認し、改めて周囲を見回す。
時間が経つ毎に、状況がつかめてきた。
どうやら立香達は、交差点の真ん中にレイシフトしたらしい。
石畳の道路や、古びたガス灯など、いかにも「イメージ通りのロンドン」といった風情がある。
しかし、
「これは・・・・・・いったい、何だ?」
拭いようがない、強烈な違和感に、立香は思わず唸る。
あまりにも、静かすぎるのだ。
「ねえ、これって何か、変じゃない?」
どうやら、凛果も気付いたらしい。不安そうな声を発してくる。
人の気配が、全くしない。
ここはロンドンだ。
しかも1888年は産業革命真っ盛りであり、その発祥の地であるロンドンと言えば当時、世界で最も先進的な発展都市だったと言っても過言ではない。
本来ならこの通りも、人が溢れかえっていてもおかしくは無いのだが。
「もしかして、レイシフト先間違えた、とか?」
《いや、それは無いよ》
答えたのは、通信機越しのロマニだった。
《確認したけど、設定にミスはない。そこは間違いなく1888年のロンドンだ》
「じゃあ、何で人がいないのよ?」
「フォウッ?」
凛果の肩によじ登ったフォウが鳴き声を上げる中、カルデアのロマニが険しい声を発する。
《考えられる事は一つ。これが、恐らく特異点としての影響だろうって事だ》
「だろうな」
短く呟き、頷く立香。
その視線は、真っすぐに頭上を見ている。
空を覆う円環。
その存在が皮肉にも、ここが特異点であると言う紛れもない証左となっていた。
円環は濃霧越しにも、うっすらとだが、確かにその存在を確認する事が出来る。
しかし、
ここが特異点だとしても、雰囲気の異様さに変わりは無かった。
クスクスクス
「とにかくさ、ここにいつまでいても仕方がないんだし。移動しながらで良いから情報集めようよ」
「賛成です。敵のサーヴァントの襲撃を警戒しつつ、拠点となる場所を探しましょう」
凛果の提案に、マシュが賛同する。
何はともあれ、拠点の確保は最重要課題だった。
ローマの時は皇帝であるネロとすぐに合流したおかげで、首都をそのまま拠点として使う事が出来たし、オケアノスの時も
しかし今回、ロンドンの中心にいるにも関わらず、人の気配が全く見当たらない。
まだ調査開始の段階だが、現地の人々の協力は、今回は絶望的と思った方がよさそうだった。
クスクスクス
「・・・・・・・・・・・・ん」
ふと、
最後尾を歩いていた響が、何かに気付いたように足を止める。
「響、どうしたの?」
「なーに? トイレなら済ませときなさいよ」
次いで、少年の様子に訝りながら、美遊とクロエが足を止めた。
だが、
響は立ち止まったままジッと、霧の中を凝視している。
「・・・・・・・・・・・・いる」
「え?」
短く呟かれる、暗殺者の言葉。
美遊が顔を上げた。
次の瞬間、
無数の足音が、霧の中から聞こえてくる。
人間の足音、
ではない。
どこか無機質な、金属めいた足音。
やがて、その正体が見えてくる。
「なッ!?」
立香が、思わず声を上げる。
それは、あまりにも異様な集団だった。
機械仕掛けのマネキン、とでも言うべきか、人形のような無表情な顔に、金属のボディを持った存在。
今までの特異点で対峙した敵は、多少の差異こそあれ、その全てが血の通った「生物」だった。
それを考えれば、目の前の光景は異様その物だった。
マネキンは特殊班を囲むように布陣すると、一斉に襲い掛かって来た。
「んッ!!」
響はいち早く敵の陣形内に飛び込みながら抜刀。
目の前にいたマネキン1体を斬り捨てると、更に返す刀でもう1体を袈裟懸けに斬り捨てる。
そこに、美遊達も続く。
「ハァッ」
短い気合いとともに、手にした剣を横なぎに一閃する美遊。
マネキンは胴体を斬り飛ばされて石畳の地面に倒れる。
クロエは身を低くして駆けながら、翳した両手に干将、莫邪を投影する。
「数だけは多いわねッ けど!!」
縦横に奔る黒白の剣閃。
たちまち、弓兵少女の周りにいた数体が、切り倒される。
マシュの大盾は、集団戦においてこそ、その真価を存分に発揮する。
その巨大な質量兵器は、ただ振るうだけで、数体のマネキンを一緒くたに吹き飛ばす。
「先輩ッ この敵、数は多いですが個々の戦力はそれほど高くありません!!」
「良しッ みんなと連携しながら包囲網を抜けるぞ。全滅させなくてもいいから、離脱を最優先に考えるんだ!!」
「了解です!!」
答えながらマシュは、立香と凛果を同時に守れる一を保持して盾を構える。
彼女の第一の役割は、マスターである2人を守る事である。
脱出路の確保は、他の3人に任せる。
「行きますッ 射線から離れてください!!」
叫びながら、剣を大降りに構える美遊。
その刀身から、迸る程の魔力が噴き出ているのが判る。
迫りくる、マネキンの軍勢。
その中心に目がけて、
真っ向から剣を振り下ろした。
迸る閃光。
魔力の奔出が、地を抉って走る。
群がろうとしていたマネキンの軍勢は、成す術無く吹き飛ばされた。
「アハッ 『相変わらず』やること派手ね!!」
景気良く吹き飛ぶマネキンを見やりながら、クロエが口笛交じりに呟く。
マネキンの陣形が、僅かに乱れた。
その隙に、マシュが背後の藤丸兄妹を促す。
「立香先輩ッ 凛果先輩ッ 今の内です!!」
「ああッ」
頷くと、駆け出す立香と凛果。
その傍らではマシュが警戒しつつ、2人に歩調を合わせて並走する。
尚も追いすがってくる敵は、響、美遊、クロエが排除しながら進んでいた。
クスクスクス
美遊の一閃が効いたらしく、徐々に追いすがる敵の数が減ってきている。
このままなら、包囲網を突破する事も不可能じゃないだろう。
「どこか、建物に入りましょうッ それでやり過ごせるかもしれません!!」
「判ったッ マシュ、先導頼む!!」
言っている間に、マシュは立ち塞がろうとするマネキンを盾で弾き飛ばして進路を確保する。
目の前に、大きな建物が見える。よく見れば、入り口が開いている。
恐らく、アパートか何かだったのだろう。
「先輩ッ あそこへ・・・・・・・・・」
振り返ったマシュ。
そこで、
見てしまった。
走る立香。
その背後から、
大ぶりなナイフを手に、今にも少年の背後に取り付こうとしている、
小柄な少女の姿が。
「先輩ッ!!」
殆ど、とっさの行動だった。
マシュは立香の腕を掴むと、力任せに強引に引き寄せる。
同時に翳した盾が、ナイフの切っ先を防ぎ止める。
弾かれる少女。
そのまま猫のように後方宙返りをして、石畳に着地する。
「すごいね、今のをふせぐんだ?」
楽し気に語る少女。
その細身の体に不釣り合いな大ぶりなナイフ。
あどけなさの残る顔の頬には、何かで切ったような傷が走っている。
「先輩ッ 下がってくださいッ サーヴァントです!!」
警告するように叫びながら、盾を構えなおすマシュ。
次の瞬間、
少女の姿が一瞬霞んだ。
と思ったとたん、
その小柄な姿は、マシュを飛び超える形で立香へと迫っていた。
凶悪なナイフが、マスターへと迫る。
だが、
「んッ!?」
少女の刃が届くよりも一瞬早く、立ちはだかった響が、手にした刀を横なぎに一閃する。
霧を裂くように、鋭く奔る刃の一閃。
切っ先が届く直前、少女は上体をのけ反らせる形で響の刃を回避。
そのまま、しなやかな動きにより空中で方向転換すると、跳躍して街灯に飛び乗る。
「速いね。けどッ」
言い放つと、
少女は跳躍。
壁を蹴って更に加速する。
「わたしたちに、どこまでついて来れるかな?」
壁と言う壁を足場にしながら、縦横に空中を駆ける少女。
その動きは、霧による視界不良もあり、目で追う事すら困難な有様だ。
だが、
「んッ クロ!!」
姉に声を掛けると同時に、響もまた空中に身を躍らせる。
今に、立香達の立つ場所に斬り込もうとしている少女に対し、横合いから斬りかかる少年。
「あはッ 来てくれたッ」
「んッ!!」
追いつくと同時に、刀を横なぎにする響。
斬線が、霧の中で月牙を描く。
対して少女は、左手に装備したナイフで、響の刀を防ぐ。
火花を散らす、互いに刃。
響と少女。
互いの視線が、至近距離で交錯する。
「んッ」
「クスクスクス」
睨みつける響に対し、可笑しそうに笑う少女。
次の瞬間、
空中で身を捻る響。
鋭い蹴りが、少女を襲う。
だが、響のブーツの切っ先が捉えるよりも早く、少女は反動で後方に跳躍し安全圏へと逃れる。
そのまま、壁に取り付く。
「はやいね。けどまだ、わたし達には敵わないかな」
奇妙な一人称を使う少女。
だが、
「あ、そ」
少女の言葉に対し、素っ気なく返す響。
次の瞬間、
霧の中で魔力が迸る。
濃霧を突いて飛翔する矢。
しかし、着弾よりも一瞬早く、少女は身を翻して回避する。
「ざんねん」
笑いながら着地。
その様に、矢を放ったクロエは舌打ちする。
完全に死角から放ったのに、少女は彼女の矢を回避して見せたのだ。
「今の、おしかったね」
響の牽制と、マシュの防御、クロエの狙撃すら回避し、少女は三度、マスターの首を狙うべく走る。
その視線の先には、立香が立ち尽くす。
「んッ やらせないッ!!」
背後から追いすがる響。
しかし、僅かに遅い。
響の剣が届く前に、少女のナイフが立香に迫った。
次の瞬間、
「伏せろ!!」
鋭い警告。
立香はとっさに、傍らに立つ凛果を抱えて、地面に身を乗り出す。
次の瞬間、
彼らの頭上を霞める形で、
深紅の雷光が迸った。
「ッ!?」
この奇襲は流石に予想していなかったのだろう。
少女はとっさに身を翻して回避する。
その少女を霞めるようにして、赤い雷は迸り抜けていく。
一瞬、吹き散らされる霧。
開けた視界の先で、
1人の騎士が立っていた。
全身、銀色の甲冑に身を包み、頭部もフルフェイスのマスクに覆われ、その顔を伺い知る事は出来ない。
振り抜いた手には、幅広の両刃剣を携えている。
マスクの両側頭部からは長い角が左右に向かって突き出しており、見るからに凶悪そうな雰囲気を見せている。
まるで呪いに魅入られた暗黒騎士を連想させる出で立ちだ。
「また、あなたなんだ。いっつも邪魔するよね」
「抜かせ、殺人鬼。テメェの思い通りにゃさせねえよ」
不満げな少女に対し、騎士は切っ先を向けながら告げる。
どうやら、以前から因縁があるらしい両者。
互いに、いつでも斬りかかれるように刃を向ける。
包み込む静寂、
ややあって、
「・・・・・・やーめた、飽きちゃった」
少女の方が、刃を引いた。
対して騎士は、一歩前に出て剣を振り被る。
「逃げるのかッ?」
「あはは、また遊ぼうねー!!」
笑いながら告げると、
少女は霧の中へ溶けるようにして消えていく。
その姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
後に残ったのはカルデア特殊班一同と、無数のマネキンの残骸。
そして、助けに入った騎士が1人。
異様な出で立ちの騎士は、剣を下すと立香に向き直った。
「よう、お前が、こいつらのリーダーか?」
「あ、ああ。一応、そういう事になるのかな」
尋ねる騎士に、立香は戸惑い気味に答える。
恰好から言って、現地の人物ではない事は明白であろう。
となると、この騎士もサーヴァントであると見て間違いない。
対して、
騎士は立香の顔を覗き込みながら、マスクの奥で品定めするような視線を向けてくる。
「・・・・・・ふうん。随分、ぼーっとした奴だな。そんなんで大丈夫なのかよ?」
「いや、そんな事言われても・・・・・・」
苦笑する立香。
初対面で、そんな事言われても困るのだが。
と、その時だった。
騎士の視線が美遊を捉えた瞬間、動きがピタリと止まった。
「お前ッ・・・・・・」
「え? あの・・・・・・・・・・・・」
驚く騎士の声に、美遊は戸惑いの声を上げる。
まるで、そのまま斬りかからんとするかのような騎士に一瞬、少女剣士は身をこわばらせる。
だが、騎士は剣を収めると、鎧を鳴らしながら、美遊へと足早に詰め寄った。
「父上ッ 父上だよなッ!? いったい何でここにッ? あんたも召喚されたのか?」
「えっと・・・・・・・・・・・・」
妙にテンションが上がった騎士に、美遊は戸惑いを隠せない。
そもそもまず、どこからツッコめば良いのか?
美遊は女の子だし、何より、顔こそ分からないものの、どう見ても騎士の方が年上に見えるのだが。
「ん、美遊の子供?」
「違うからッ」
「ふうん。お相手は誰かしら?」
「いない」
トチ狂った事を言う相棒とその姉の言葉を否定する美遊。
と、
そこで騎士の方も冷静さを取り戻したのか、美遊を放す。
「・・・・・・・・・・・・いや、よく見りゃ違うか」
「当り前ですッ」
そもそも(当然だが)美遊には出産経験はおろか、その前段階に当たる性交の経験もない。子供などできようはずも無かった。
それよりも、
「助けてくれてありがとう。えっと・・・・・・・・・・・・」
「ああ、ちょっと待て」
声を掛けた立香の意図を察した騎士は、マスクの留め具を操作する。
ガチャガチャと音を立てながら、マスクが外れて背中側に倒れる。
果たして、
凶悪なマスクの下から現れたのは、
美しい少女の顔だった。
長い金髪を後頭部でポニーテールに結い、大きな瞳は凛々しく吊り上がっている。
どこか、少年めいた印象のある少女だ。
少女は一同を見て、口元に笑みを浮かべる。
「俺の名はモードレッド。彼のアーサー王に仕えし円卓の騎士の一角にして、彼の騎士王の治世に終止符を打った叛逆の騎士」
堂々と名乗りを上げると、少女はニヤリと笑みを向ける。
「ま、よろしくな」
第2話「霧夜の殺人鬼」
「ん、判りにくいから、『モーさん』で良い?」
「いきなり馴れ馴れしいなテメェ・・・・・・まあ、良いけどよ」