遺跡を出たのは昼前だった。
空は高い。
テンペランティア特有の乾いた風が吹いている。
遠くには世界樹。
相変わらず馬鹿みたいに大きい。
近付いているはずなのに。
まるで遠ざかっているみたいだった。
「あとどれくらいなんだろうな」
思わず呟く。
「世界樹ですか?」
ホムラが聞き返した。
「うん」
「さあ」
少しだけ笑う。
「私も歩いて行くのは初めてですから」
「それもそうか」
何だか変な感じだ。
ホムラは楽園へ行きたいと言った本人なのに。
実際の楽園を見たことはない。
俺もない。
ニアもない。
誰もない。
なのに。
みんなそこを目指している。
不思議な話だった。
◇◇◇
その日の夕方。
一行は崖上の見晴らしの良い場所で休憩していた。
メレフとジークは周辺警戒。
ニアはビャッコと何やら話している。
トラは相変わらず機械いじりだ。
そして俺は。
岩の上に座って空を眺めていた。
「隣、いいですか?」
カグツチだった。
「もちろん」
彼女は静かに腰を下ろした。
しばらく沈黙。
やがて。
「優しい方ですわね」
「え?」
「ホムラのことです」
少し驚いた。
「そうかな」
「そうですわ」
カグツチは微笑む。
「ですが、少々危うくもあります」
「危うい?」
「相手を信じ過ぎる」
その言葉に。
何故かシンの顔が浮かんだ。
昨日。
あいつも似たようなことを言っていた。
何も知らないまま信じるな、と。
「俺は」
少し考える。
「信じたいんだと思う」
「……」
「疑ってばかりだと寂しいだろ」
カグツチは何も言わなかった。
けれど。
どこか困ったように笑っていた。
◇◇◇
その夜だった。
また夢を見た。
今度は前よりはっきりしていた。
知らない場所。
広い草原。
夕日。
風。
そして。
一人の少女。
栗色の髪。
優しそうな瞳。
年は俺とそう変わらない。
その少女は誰かに向かって笑っていた。
「シン」
その名前を聞いた瞬間。
胸が妙に苦しくなった。
少女の隣には銀髪の少年。
今よりずっと若いシン。
穏やかだった。
今のシンからは想像できないくらい。
「――」
少女が何かを言う。
でも聞こえない。
声だけが届かない。
その代わり。
感情だけが伝わってきた。
暖かい。
優しい。
そして――。
大切だ。
その瞬間。
景色が崩れる。
空が裂ける。
光。
白い光。
何もかもを呑み込む終末の光。
少女が振り返る。
悲しそうな顔で。
泣きそうな顔で。
そして。
「お願い」
今度は聞こえた。
確かに。
俺へ向かって。
「――を助けて」
そこで夢は終わった。
◇◇◇
目を覚ます。
真夜中だった。
「またか……」
嫌な汗が出ている。
胸も苦しい。
夢なのに。
夢とは思えなかった。
「ラウラ……」
自然に名前が出た。
会ったこともないのに。
どうして分かったんだろう。
「それは夢ではありません」
突然。
声がした。
俺は飛び起きる。
誰もいない。
みんな眠っている。
ホムラも。
ニアも。
メレフも。
誰も起きていない。
「誰だ?」
返事はない。
けれど。
確かに聞こえた。
少女の声だった。
「まだ思い出してはいけません」
「何をだ?」
「今はまだ」
風が吹く。
それだけだった。
もう声は聞こえない。
まるで最初から誰もいなかったみたいに。
◇◇◇
一方。
遠く離れた場所。
崩れた神殿の屋上で。
シンは一人座っていた。
月を見ている。
静かな夜だった。
その手には古びた花飾り。
何度も修復された跡がある。
五百年前のものではない。
もっと新しい。
せいぜい十年か二十年ほど。
「まだ持っていたのか」
メツが現れる。
シンは答えない。
「物持ちが良いな」
「……」
「らしくねえ」
沈黙。
やがて。
シンは花飾りを見つめたまま呟く。
「捨てられなかった」
それだけだった。
メツは珍しく何も言わなかった。
ただ。
少しだけ視線を逸らした。
まるで。
それ以上は踏み込まない方が良いと知っているように。