その日も空は晴れていた。
テンペランティアの荒野を抜け、世界樹へ向かう道を進む。
以前より近付いているはずなのに。
世界樹は相変わらず巨大で。
まるで空そのものを支えているように見えた。
「本当にあそこまで行くんだよな……」
思わず呟く。
「今さら何を言ってるんだい」
ニアが呆れたように笑った。
「いや、だってさ」
改めて見上げる。
「でかすぎるだろ」
「それは否定できませんわね」
カグツチも苦笑していた。
少しだけ。
皆の空気が和らぐ。
けれど。
俺の胸の奥にある違和感は消えなかった。
夢。
ラウラ。
予言官。
そして。
イーラ王家の紋章が刻まれた金属片。
あれからずっと考えている。
だが答えは出ない。
◇◇◇
昼。
一行は小さな渓谷で休憩を取っていた。
俺は一人、水辺に腰を下ろす。
冷たい水が流れている。
顔を映してみる。
そこにいるのはいつもの自分だ。
けれど。
最近は時々思う。
本当に俺は俺なのだろうか、と。
「レックス」
振り返る。
ホムラだった。
「隣、よろしいですか?」
「もちろん」
ホムラは静かに腰を下ろした。
しばらく沈黙。
水音だけが聞こえる。
「夢を見たのですね」
不意に言われた。
「……分かる?」
「何となくです」
少しだけ微笑む。
俺は苦笑した。
どうやら隠し事は苦手らしい。
「またラウラだった」
ホムラの表情が僅かに変わる。
「どんな夢でしたか?」
「家だった」
「家?」
「小さな家」
思い出しながら話す。
「暖炉があって」
「うん」
「ラウラとシンがいて」
ホムラは黙って聞いている。
「二人とも笑ってた」
そこで言葉を切る。
胸の奥が少し苦しくなった。
「今のシンじゃ考えられないくらい」
ホムラは目を閉じた。
風が吹く。
赤い髪が揺れた。
「そうですね」
小さな返事だった。
「昔のシンは、よく笑う人でした」
俺は思わず振り返る。
「本当に?」
「ええ」
少しだけ懐かしそうに笑う。
「無口でしたけれど」
「今も無口だな」
「そうですね」
ホムラが笑った。
珍しい。
本当に珍しい笑い方だった。
「ラウラの前では少し違いました」
「そうなんだ」
「はい」
その声は優しかった。
まるで遠い昔を思い出しているように。
◇◇◇
「ラウラって」
俺は聞いた。
「そんなに凄い人だったのか?」
ホムラは少し考える。
そして。
「強い人でした」
と言った。
「優しくて」
「うん」
「弱い人を放っておけなくて」
「うん」
「誰かのために泣ける人でした」
静かな声だった。
「だから皆、彼女が好きでした」
「皆?」
「シンも」
ホムラは少し笑う。
「私も」
その言葉に嘘は無かった。
「アデルも」
懐かしそうに。
「ミノチも」
少し寂しそうに。
「ファンも」
そう言った。
俺はその名前に反応する。
「ファンさん?」
「ええ」
「知り合いだったんだな」
ホムラは頷いた。
「大切な友人です」
その言葉に。
何故だろう。
少しだけ違和感を覚えた。
友人。
それだけじゃない気がした。
けれど。
うまく言葉にはできない。
「昔から知ってるのか?」
「はい」
「どれくらい?」
何気なく聞いた。
すると。
ホムラは少し困ったような顔になる。
「とても長く、です」
それだけだった。
◇◇◇
その夜。
レックス達が眠った後。
ホムラは一人で焚火を見つめていた。
揺れる炎。
静かな夜。
誰も起きていない。
「ファン……」
小さく呟く。
返事はない。
当然だ。
けれど。
ホムラの顔はどこか安堵していた。
「あなたなら」
炎を見つめながら言う。
「きっと大丈夫ですね」
その言葉の意味を知る者はここにはいない。
◇◇◇
一方。
世界樹へ続く別の道。
シン達もまた歩いていた。
夜営の最中。
メツは珍しく酒瓶を片手に空を見上げていた。
「なあ」
不意に言う。
「五百年って長かったか?」
シンは答えない。
「俺は長かった」
メツは笑う。
「退屈で死にそうだったぜ」
「そうか」
「そうだ」
しばらく沈黙。
そして。
メツは何気なく続けた。
「お前はどうだ?」
シンは空を見上げる。
夜空。
遠い星。
昔と何も変わらない景色。
「……分からない」
その答えに。
メツは少しだけ目を細めた。
「そうかよ」
それ以上は聞かなかった。
聞く必要が無かったからだ。
シンの手が。
無意識に胸元へ伸びていた。
そこに何があるのか。
メツは知っていた。
だから何も言わなかった。
◇◇◇
そして。
誰も知らない場所。
月明かりの下で。
一人の女性が白い花へ水をやっていた。
静かな夜だった。
女性は空を見上げる。
世界樹の方角を。
「もう少しですね」
穏やかな声。
誰へ向けた言葉なのか。
その答えを知る者はまだいない。
ただ。
長い長い時間を越えて。
止まっていた運命が少しずつ動き始めていた。