夢から覚めた朝。
レックスはしばらく天幕の中でぼんやりしていた。
ラウラ。
そしてファン。
二人の言葉が頭から離れない。
――シン様を嫌いにならないでください。
同じ願いだった。
まるで。
五百年という時間を越えて。
二人がずっと同じものを見つめ続けているかのように。
「……シン、か」
呟く。
敵だ。
それは間違いない。
だけど。
最近はどうしても、それだけでは片付けられなくなっていた。
◇◇◇
出発から数時間。
一行はついにテンペランティア北部の高地へ到達していた。
眼下には雲海。
そして。
これまでより遥かに大きく見える世界樹。
「おお……」
思わず声が漏れる。
巨大だった。
今まで遠くから見ていた時とは違う。
圧倒的な存在感。
まるで世界そのものだった。
「ここまで来ると実感するな」
ジークも感心している。
「いよいよだな」
「ええ」
メレフが頷いた。
「世界樹の入口は近い」
その時だった。
ビャッコが耳を動かした。
「お待ちください」
全員が足を止める。
「誰かいます」
空気が変わる。
戦闘態勢。
ホムラが前へ出る。
ニアも武器を構えた。
そして。
岩陰から現れた人物を見て。
全員が固まった。
「え?」
レックスが目を瞬く。
「ファンさん?」
そこにいたのは。
白い服を纏った女性だった。
穏やかな笑み。
長い髪。
見間違えるはずがない。
インヴィディアで出会った女性。
ファン・レ・ノルン。
「お久しぶりです」
柔らかく頭を下げる。
まるで偶然出会ったかのように。
「え、ええっ!?」
レックスが驚く。
「何でここに!?」
「少し用事がありまして」
曖昧な返事だった。
「いや、用事って」
「ふふ」
ファンは笑う。
相変わらずだった。
穏やかで。
掴み所がない。
「お元気そうで何よりです」
「そ、それはこっちの台詞だよ!」
思わず叫ぶ。
ニアも呆れ顔だった。
「こんな場所に用事って何さ」
「秘密です」
「秘密かい!」
即答だった。
そんなやり取りを横で見ていたホムラは。
静かに息を吐いた。
「お久しぶりです」
ファンが微笑む。
「ホムラ」
「……はい」
短い返事。
それだけなのに。
レックスは違和感を覚えた。
二人とも平静だ。
だが。
それは逆に不自然だった。
まるで。
長い時間を越えた再会を無理やり平静に装っているような。
「ファンさん」
ホムラが小さく言う。
「どうしてここへ?」
「見届けるためです」
「……」
「きっと、もうすぐですから」
その言葉の意味を。
レックス達は理解できなかった。
ただ一人。
ホムラだけが静かに目を伏せた。
◇◇◇
その日の夕方。
ファンは自然な流れで一行へ同行することになった。
特に反対する者はいない。
そもそも。
敵意が全く感じられなかった。
そして。
不思議なことに。
ファンは誰よりも旅に馴染んでいた。
「はい、どうぞ」
湯気の立つ茶を差し出す。
「ありがとう!」
ニアが受け取る。
「美味しい!」
「よかったです」
微笑む。
トラも喜んでいる。
ジークも普通に会話している。
数時間前に合流したとは思えなかった。
「何なんだろうな」
レックスが呟く。
「何がです?」
隣に座ったファンが聞き返す。
「いや」
少し考える。
「初めて会った気がしない」
ファンが一瞬だけ目を見開く。
本当に僅かに。
そして。
優しく笑った。
「そうですか」
その声は。
どこか嬉しそうだった。
◇◇◇
一方その頃。
世界樹へ向かう別ルート。
シン達もまた前進を続けていた。
夕暮れ。
風が吹く。
シンは不意に足を止めた。
「どうした?」
メツが聞く。
シンは答えない。
代わりに。
遠くを見る。
理由は分からない。
だが。
胸の奥がざわついていた。
あり得ない。
そんなはずはない。
分かっている。
分かっているのに。
「……気のせいだ」
小さく呟く。
「?」
「何でもない」
再び歩き出す。
けれど。
その表情には僅かな迷いが残っていた。
◇◇◇
夜。
皆が眠りについた後。
レックスは目を覚ました。
何となく眠れなかった。
焚火の方を見る。
そこには、一人の女性が座っていた。
ファンだった。
炎を見つめている。
静かな横顔。
どこか寂しそうにも見えた。
「眠れないの?」
レックスが声を掛ける。
ファンは振り返る。
そして。
少しだけ驚いたように笑った。
「レックスさんもですか」
「まあ」
苦笑する。
しばらく沈黙。
炎の音だけが響く。
やがて。
ファンがぽつりと言った。
「大切な人を失ったことはありますか?」
レックスは少し考える。
「じっちゃんかな」
そう答えた。
ファンは頷く。
「そうですね」
「ファンさんは?」
その瞬間。
ファンの瞳が揺れた。
本当に。
一瞬だけ。
「あります」
静かな声だった。
「とても大切な人でした」
それだけ言って。
ファンは再び炎を見る。
レックスはそれ以上聞かなかった。
聞けなかった。
その横顔が。
あまりにも寂しそうだったから。
世界樹は近い。
運命の日もまた。
確実に近付いていた。