夜は静かだった。
テンペランティアを渡る風が岩肌を撫で、焚火の炎が小さく揺れている。
仲間達は既に眠っていた。
トラの寝息。
ジークのいびき。
ニアの文句。
いつもの光景だ。
だが、レックスはまだ眠れなかった。
少し離れた場所。
焚火の前に座るファンの背中が見えたからだ。
「また起きてたんだ」
声を掛ける。
ファンは振り返り、小さく笑った。
「レックスさんこそ」
「俺はまあ……」
苦笑する。
最近は夢を見ることが多い。
眠るのが楽しみなような。
少し怖いような。
妙な気分だった。
「隣、いい?」
「もちろんです」
レックスは焚火の前へ腰を下ろした。
炎の音だけが聞こえる。
しばらく二人とも何も喋らなかった。
「ファンさんってさ」
レックスが口を開く。
「昔から旅をしてるの?」
ファンは少し考えた。
「そうですね」
そして。
「気付けば長い旅になっていました」
そう答える。
「何を探してるんだ?」
「探しているというより」
ファンは炎を見る。
「待っているのかもしれません」
「待ってる?」
「はい」
静かな返事。
レックスは首を傾げた。
「誰を?」
その問いに。
ファンは少しだけ目を細めた。
まるで遠い昔を見るように。
「大切な人を」
短い言葉だった。
だが。
そこに込められた想いは重かった。
レックスは何となく察した。
昨日の話。
大切な人を失ったことがある。
そう言っていた。
なら、その人のことなのだろうか。
「会えるといいな」
自然に口から出た。
ファンが驚いたようにこちらを見る。
「え?」
「だって」
レックスは笑う。
「ずっと待ってるんだろ?」
「……」
「だったら会えた方がいいじゃん」
当たり前のことだった。
少なくともレックスには。
だが。
ファンは何も言わない。
ただ。
少しだけ目を伏せた。
「そうですね」
その声は。
どこか震えていた。
「でも」
ファンは続ける。
「その方は、きっと会いたくないと思っています」
「何で?」
「自分は許されないと思っているからです」
レックスは眉をひそめた。
「そんなことないだろ」
「レックスさん」
「うん?」
「世の中には、自分自身を許せない人もいるんです」
静かな言葉だった。
レックスは答えられない。
何故だろう。
その言葉を聞いた時。
真っ先にシンの顔が浮かんだ。
「……」
ファンもまた、シンのことを考えている。
そんな気がした。
◇◇◇
その頃。
遠く離れた荒野。
シンもまた眠れずにいた。
メツ達は休んでいる。
だが。
シンだけは一人だった。
崩れた石柱に腰掛ける。
月明かり。
静かな夜。
「珍しいな」
不意に声がした。
メツだった。
「お前が寝付けねえなんて」
「……」
「何かあったか?」
シンは答えない。
だが、メツは勝手に続ける。
「レックスか?」
「違う」
即答だった。
「へえ」
「違うと言った」
「じゃあ誰だ?」
沈黙。
そして。
シンは空を見上げた。
「昔を思い出しただけだ」
それだけだった。
だが。
メツは珍しく追及しなかった。
代わりに。
「そうか」
とだけ言った。
風が吹く。
シンは目を閉じる。
五百年前。
イーラ。
戦争。
炎。
失われたもの。
忘れたはずの記憶。
その中で。
一人の女性が微笑んでいた。
『シン様』
優しい声。
懐かしい声。
あり得ない。
そんなはずはない。
分かっている。
分かっているのに。
胸の奥がざわついていた。
まるで。
何かが近付いているように。
◇◇◇
翌朝。
一行は再び世界樹へ向けて出発した。
その途中。
先頭を歩くホムラの隣へファンが並ぶ。
「大丈夫ですか?」
小さな声だった。
ホムラだけに聞こえる。
「何がですか?」
「無理をしています」
ホムラは苦笑した。
「あなたには分かりますか」
「長い付き合いですから」
ファンも微笑む。
五百年。
その言葉は口にしない。
だが。
二人は同じ時間を生きてきた。
「怖いのですね」
ファンが言う。
ホムラは少しだけ目を伏せた。
「……はい」
否定しなかった。
「また同じことになるのではないかと」
五百年前。
聖杯大戦。
暴走。
喪失。
全てを失ったあの日。
「ですが」
ファンは前を見る。
その先には。
仲間達と笑いながら歩くレックスの姿。
「今回は違います」
優しい声だった。
「そうでしょうか」
「ええ」
ファンは迷いなく頷く。
「レックスさんはアデル様ではありません」
ホムラが驚いたように見る。
ファンは笑った。
「でも」
「……」
「きっと、負けない人です」
世界樹は近い。
運命の日も近い。
そして。
五百年間止まり続けていた時計もまた。
少しずつ。
動き始めていた。