第五十九話 世界樹の門
世界樹は、想像していた以上に巨大だった。
近付けば近付くほど、その異様さが分かる。
空へ伸びる一本の柱。
いや。
柱という表現ですら足りない。
まるで世界そのものだった。
「すげぇ……」
レックスは思わず呟いた。
これまで何度も見てきた。
遠くから。
海の向こうから。
アルスの背から。
けれど。
こうして真下まで来ると全く違う。
圧倒される。
ただそれだけだった。
「ここが入口のようだな」
メレフが指差す。
巨大な根。
その隙間に作られた古代の構造物。
崩れかけてはいるが、明らかに人工物だった。
「思ったより普通やな?」
ジークが言う。
「もっとこう、神々しい感じかと思ってたが」
「十分神々しいも」
トラが突っ込む。
確かにその通りだ。
目の前の門だけでも小さな城ほどの大きさがある。
「ここから先は未踏領域です」
カグツチが周囲を見回す。
「何があっても不思議ではありません」
「今までもそうだったけどな」
ニアが肩を竦めた。
その時だった。
ファンが不意に足を止める。
「ファンさん?」
レックスが振り返る。
ファンは世界樹を見上げていた。
どこか。
懐かしむように。
「どうかした?」
「いえ」
小さく首を振る。
「少し昔を思い出しただけです」
「昔?」
「はい」
それ以上は語らない。
だが。
ホムラだけは静かに視線を逸らした。
五百年前。
あの日。
彼女達もまた、この場所を見上げたのだろう。
◇◇◇
入口付近で野営をすることになった。
明日から本格的な探索が始まる。
皆が準備に追われる中。
レックスは一人で水を汲みに行っていた。
少し離れた岩場。
地下水が湧き出している。
「ん?」
そこで足を止める。
誰かいる。
岩陰。
見慣れた銀色の髪。
「ニア?」
呼び掛けようとして——やめた。
様子がおかしかったからだ。
苦しそうだった。
肩で息をしている。
片手で胸元を押さえている。
「ニア?」
今度は声を掛ける。
ニアがびくりと震えた。
「レックス!?」
慌てたように振り返る。
「どうしたんだよ」
「な、何でもない!」
「何でもなくないだろ」
顔色が悪い。
汗もかいている。
明らかに異常だった。
「大丈夫か?」
近付こうとする。
その瞬間。
「来るな!」
鋭い声だった。
レックスが足を止める。
ニア自身も驚いたようだった。
「……ごめん」
小さく呟く。
「今は」
「ニア」
「今は放っといて」
その声は弱々しかった。
いつもの強気なニアではない。
レックスは何かを言おうとして、結局言葉を飲み込んだ。
「……分かった」
今は。
そうするしかなかった。
◇◇◇
その日の夜。
焚火を囲む仲間達。
皆が談笑している。
だが。
ファンだけは静かにニアを見ていた。
ニアは気付かない。
いや。
気付いているのかもしれない。
だからこそ視線を合わせない。
「ファンさん?」
レックスが不思議そうに呼ぶ。
「どうしました?」
いつもの微笑み。
だが。
その瞳だけが違った。
何かを知っている目だった。
◇◇◇
夜更け。
皆が眠りについた後。
ファンは一人で外へ出る。
冷たい風。
静かな夜。
そして。
そこには先客がいた。
「眠れないのかい」
ニアだった。
ファンは微笑む。
「少しだけ」
「そう」
短い返事。
沈黙。
やがて、ファンが言った。
「無理をしていますね」
ニアの肩が僅かに揺れる。
「何のことだい」
「隠し続けるのは苦しいでしょう」
ニアの表情が固まった。
数秒。
誰も動かない。
風だけが吹く。
「……あんた」
ニアの声が震える。
「何を知ってる」
ファンは答えない。
ただ。
優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
「……」
「まだ誰にも言っていません」
ニアは息を呑む。
その顔には。
恐怖と。
安堵と。
諦めが混ざっていた。
「どうして……」
「分かるんです」
静かな声だった。
「同じですから」
その一言だけで十分だった。
ニアは何も言えない。
ファンもそれ以上は語らない。
ただ。
夜空を見上げる。
「もうすぐですね」
誰に向けた言葉だったのか。
ニアには分からなかった。
だが。
胸の奥に小さな不安だけが残った。
隠された秘密は。
もう長くは隠していられない。