凍気が唸りを上げた。
シンの一太刀が空間そのものを裂くように振るわれ、白い霜が床を這う。
レックスは身を低くして躱し、その勢いのまま聖杯の剣を振り上げた。
「はあっ!」
炎と蒼い光が交差する。
だが、シンはわずかに身を捻るだけでその斬撃を受け流し、逆袈裟に刀を振るう。
鋭い衝撃。
レックスは数歩後退しながら床を滑った。
「まだ甘い」
シンの声は静かだった。
怒鳴りもせず、嘲りもせず。
ただ事実だけを告げるように。
「くっ……!」
息を整えながら、レックスは剣を握り直す。
以前なら、この一撃だけで意識を刈り取られていただろう。
だが今は違う。
世界を巡り、多くの仲間と出会い、多くの敵と刃を交えた。
その全てが、自分をここまで連れてきた。
「悪くない」
シンは小さく呟く。
「少なくとも、初めて会った頃のお前なら、今ので終わっていた」
「そりゃどうも!」
レックスは笑った。
「でも、まだ勝てない!」
再び踏み込む。
剣と刀が何度もぶつかり合う。
そのたびに火花が散り、冷気と炎が白い通路を埋め尽くした。
ホムラはその様子をじっと見つめていた。
「変わりましたね……」
小さな呟き。
五百年前。
アデルもまた、こうしてシンと剣を交えたことがあった。
だが。
目の前にいる少年は、アデルではない。
もっと不器用で。
もっと無鉄砲で。
それでも、人を信じることだけは誰にも負けない。
そんな少年だった。
「まだ続けるのか」
シンが刀を振るう。
レックスは受け止めながら叫んだ。
「当たり前だ!」
「何故だ」
「お前を連れて帰るためだ!」
その瞬間だった。
シンの力がわずかに緩む。
ほんの一瞬。
レックスはその隙を逃さず、剣を弾き上げた。
甲高い音が響き、シンは数歩後ろへ下がる。
「……今のは」
ジークが目を見開く。
「押した……んか?」
「レックスが?」
メレフも驚きを隠せない。
シン自身も、わずかに目を細めた。
「面白ぇじゃねぇか」
乾いた拍手が響く。
その声に、全員の表情が変わった。
「メツ!」
通路の奥。
黒い外套を翻しながら、メツがゆっくり歩いてくる。
「感動の友情ごっこは終わりか?」
ニヤリと笑う。
「シン、お前も丸くなったもんだ」
「……」
「昔ならとっくに首を飛ばしてたぜ」
シンは答えない。
「どうした?」
メツは肩を竦める。
「まさか、本当に情が移ったのか?」
その視線が、ゆっくりとファンへ向く。
「五百年前の亡霊が戻ってきたからってよ」
空気が張り詰める。
ファンは静かにメツを見つめ返した。
「あなたも、変わりませんね」
「変わる必要がねぇからな」
メツは笑う。
「世界は腐ってる。それだけだ」
「違います」
ファンは首を振った。
「世界ではありません」
「……あ?」
「あなたが、そう思い込んでしまっただけです」
一瞬だけ。
メツの笑みが消えた。
「綺麗事だ」
低い声。
「五百年前から、お前らは何も変わっちゃいねぇ」
「ええ」
ファンは穏やかに頷く。
「私は変わりません」
「……」
「人は変われると、今でも信じています」
そう言って、レックスを見る。
「この人が証明してくれました」
レックスは照れ臭そうに頭を掻く。
「え? 俺?」
「はい」
「俺、そんな大したことしてないけど」
「しています」
ファンは優しく微笑んだ。
「あなたは五百年前にはいなかった人です」
「だからこそ」
「未来を選べる人です」
その言葉は、シンへ向けられたものでもあった。
シンは静かに目を閉じる。
五百年前。
ラウラが言っていた言葉が蘇る。
『人はね、変われるんだよ』
忘れたはずだった。
忘れなければ、生きていけなかった。
だから。
心の奥底へ押し込めた。
だが。
今、その言葉を。
別の誰かが口にしている。
ファン。
そして。
レックス。
「……ラウラ」
その名を口にした瞬間。
シンの握る刀が、かすかに震えた。
「シン!」
レックスは剣を下ろした。
「もう終わりにしよう!」
その叫びに。
シンはゆっくりと目を開く。
しかし、その答えを口にするより早く。
世界樹全体を揺るがすような轟音が鳴り響いた。
ゴォォォン――。
白い通路が震える。
天井の照明が一斉に赤く染まった。
『警告』
『侵入者を確認』
『上位管理者権限、起動』
無機質な女性の声が施設中に響く。
メレフが辺りを見回す。
「何が起きた……!」
ホムラの表情が強張る。
「まさか……」
五百年前。
最後まで辿り着けなかった領域。
その防衛機構が、ついに目を覚ましたのだ。
シンも、メツも、一瞬だけ上を見上げる。
敵も味方もなく。
この場にいる全員が、同じ異変を感じ取っていた。
世界樹の最奥は、すべての来訪者を拒絶する。
そして、その扉の向こうでは、アルストという世界の真実が静かに待ち受けていた。