静寂だった。
誰も言葉を発しない。
ニアの瞳から零れ落ちた涙だけが、白い床へ小さな音を立てて落ちた。
マルベーニはその様子を見つめ、静かに目を細める。
「美しい光景です」
その声は穏やかだった。
だが、その穏やかさこそが恐ろしい。
「人は互いを信じようとする」
「ですが、その信頼は必ず裏切られる」
「だから私は、人という存在に救いを見いだせなかった」
レックスは剣を握り締める。
「お前は!」
「人を見てない!」
「……ほう?」
マルベーニは初めて興味を示したように首を傾げる。
「見ているさ」
「何百年も」
「王も」
「兵も」
「民も」
「誰もが同じだった」
「己のために争い」
「他者を傷付け」
「やがて滅ぶ」
「それが人だ」
「違う」
静かな声だった。
クラウスだった。
マルベーニはゆっくりと振り返る。
半身を失った男は、静かに彼を見つめ返している。
「私も、かつては君と同じ結論へ辿り着いた」
クラウスは苦笑する。
「だから私は世界を壊した」
その言葉には重みがあった。
誰にも否定できない事実。
「人は愚かだ」
「争い続ける」
「私もそう思っていた」
「だから」
「やり直そうとした」
ゆっくりと、自らの失われた身体へ目を落とす。
「これが、その結果だ」
マルベーニは静かに目を閉じる。
「ならば」
「あなたは失敗を認めるのですね」
「認めよう」
クラウスは頷いた。
「私は、人を信じ切れなかった」
そして。
レックスを見る。
「だが」
「私はもう一度だけ、人を信じてみたい」
レックスは驚いたように顔を上げた。
「私ではなく」
「君達を」
その言葉に。
ホムラは静かに目を閉じる。
五百年前。
彼女は世界を滅ぼしかけた。
自分自身を赦せず、眠り続けた。
しかし。
レックスと出会い。
旅を続け。
今ここにいる。
「……レックス」
小さく呟く。
「ありがとうございます」
「え?」
「私も」
「あなたを信じます」
その瞳には、もう迷いはなかった。
「甘い」
マルベーニが静かに笑う。
「実に甘い」
「だからあなた方は滅ぶ」
ゆっくりと両腕を広げる。
「人は変われない」
「人は罪を繰り返す」
「ならば」
「神が裁かなければならない」
その瞬間だった。
紫色のコアクリスタルが、不気味な輝きを放つ。
部屋全体へ禍々しい波動が広がる。
「来るぞ!」
メレフが叫ぶ。
カグツチが炎を纏う。
ジークも大剣を構えた。
しかし。
その時だった。
「待ってください」
ファンが前へ出る。
マルベーニは動きを止める。
「まだ何か?」
「あなたは」
ファンは静かに問い掛ける。
「一度でも、人を愛したことがありますか」
その質問は、あまりにも唐突だった。
誰もが驚く。
マルベーニだけが笑わない。
「ありますとも」
短い返事。
「だから絶望したのです」
ファンは悲しそうに目を伏せる。
「そうですか」
「なら」
ゆっくり顔を上げる。
「あなたは、人に裏切られたのですね」
その瞬間。
マルベーニの表情が初めて大きく揺らいだ。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
教皇ではなく、一人の老人の顔がそこにあった。
「……黙れ」
低い声だった。
「その顔をするな」
「私は」
「救えなかった者ではありません」
「救われなかった者です」
ファンは静かに微笑む。
「だから」
「まだ間に合います」
「あなたも」
「救われてください」
沈黙。
長い沈黙。
そして。
マルベーニはゆっくりと首を振った。
「遅い」
その声は、どこか寂しかった。
「私はもう」
「戻れない」
その瞬間。
部屋中へ紫色のエーテルが溢れ出す。
轟音。
衝撃。
世界樹全体が震え始める。
クラウスが険しい表情で叫んだ。
「レックス!」
「彼を止めなさい!」
「このままでは!」
「アルストそのものが崩壊する!」
レックスは聖杯の剣を握る。
その隣へ。
ホムラ。
ニア。
ファン。
ジーク。
メレフ。
トラ。
全員が並んだ。
「行こう!」
レックスが叫ぶ。
「この世界を!」
「みんなで守るんだ!」
その声に応えるように。
ホムラのコアクリスタルが蒼く輝き。
ニアの黄金のコアクリスタルもまた、静かに共鳴を始める。
それは。
世界を終わらせようとする絶望と。
世界を信じようとする希望が。
真正面から激突する瞬間だった。