紫黒のエーテルが天井を覆う。
世界樹そのものが悲鳴を上げるように震え、管理区画の壁が次々と崩れ始めた。
クラウスは静かに目を伏せる。
「やはり……」
低く呟く。
「メツは、この世界そのものを道連れにするつもりか」
「だったら!」
レックスは聖杯の剣を握り直す。
「止めるだけだ!」
「簡単に言うなよ」
メツが笑う。
その笑みには、もはや余裕ではなく狂気だけが残っていた。
「世界を壊すってのはな」
両腕を広げる。
「思ってるより気持ちいいんだぜ」
その言葉に。
クラウスは静かに目を閉じた。
かつて。
自分もまた。
似たような場所へ立ってしまったことを思い出しながら。
「メツ」
静かな声だった。
シンが一歩前へ出る。
刀を下ろしたまま。
真っ直ぐメツを見る。
「まだ何か言いてぇのか」
「ある」
短く答える。
「俺は、お前に礼を言わなければならない」
レックスが驚いて振り返る。
メツも僅かに眉を上げた。
「礼だぁ?」
「お前がいたから」
シンは静かに続ける。
「俺は五百年、生き続けた」
その言葉には嘘はなかった。
ラウラを失い。
世界を憎み。
絶望だけを抱えて歩き続けた日々。
その隣には、いつもメツがいた。
「だから」
「感謝はしている」
メツは黙って聞いている。
「だが」
シンはゆっくり刀を構えた。
「ここで終わりだ」
「終わり?」
メツが笑う。
「終わるのは世界だ」
「違う」
シンは首を横へ振る。
「終わるのは」
一歩踏み出す。
「俺達の旅だ」
その瞬間。
空気が変わった。
レックスも。
ニアも。
ファンも。
誰も動けない。
シンの背中から漂う気配が、それまでとはまるで違っていた。
もう迷いはない。
もう立ち止まらない。
五百年という時間に、自ら終止符を打とうとしていた。
「シン……」
ファンが小さく名前を呼ぶ。
シンは振り返らなかった。
だが。
「ファン」
穏やかな声だった。
「ありがとう」
その一言だけで十分だった。
ファンは静かに微笑む。
「こちらこそ」
「五百年間」
「本当に、お疲れ様でした」
その言葉に。
シンはほんの僅かだけ笑った。
ラウラが亡くなって以来。
初めて見せる、穏やかな笑顔だった。
「……チッ」
メツが舌打ちする。
「そういう顔」
「一番嫌いなんだよ」
大剣を振り上げる。
紫黒のエーテルが刃へ集まり始める。
「だったら!」
「その笑顔ごと叩き潰してやる!」
「レックス!」
シンが叫ぶ。
レックスは反射的に顔を上げた。
「ここから先は」
「俺がやる」
「でも!」
「聞け」
その声には、有無を言わせぬ強さがあった。
「お前には」
「未来がある」
「……!」
「俺には」
静かに笑う。
「五百年前がある」
レックスは言葉を失う。
「だから」
刀を握る手に力が入る。
「これは」
「俺達の決着だ」
メツが笑う。
「いいぜ」
「望むところだ」
二人が同時に床を蹴る。
白銀。
紫黒。
二つの閃光が真正面から激突した。
轟音。
世界樹全体を揺るがす衝撃が走る。
レックスは思わず踏み出そうとした。
しかし。
肩へ手が置かれる。
振り向く。
クラウスだった。
「行ってはいけない」
「どうして!」
「これは」
静かに首を横へ振る。
「彼らだけが終わらせられる物語だからだ」
激突する二つの光を見つめながら。
ファンは静かに目を閉じる。
ラウラ。
見ていますか。
シンは。
ようやく。
ようやく前を向いて歩き始めました。
あなたが命を懸けて守った人は。
今、自分自身の意志で未来を選ぼうとしています。
だから。
もう大丈夫です。
その祈りは、誰にも届かない。
それでも。
五百年前から止まっていた時間が、確かに今、動き始めていた。
絶望と共に歩んだ五百年。
その旅路は、今、一振りの刀によって終わりを迎えようとしていた。