世界樹が軋む。
管理区画の天井から、無数の破片が降り注いでいた。
白銀と紫黒。
二つの光は幾度となく交差し、そのたびに空間そのものが悲鳴を上げる。
誰も動かない。
誰も口を開かない。
この戦いだけは。
誰にも踏み込めない。
五百年という歳月を共に歩いてきた、二人だけの時間だった。
「……はぁ」
メツが肩で息をする。
全身には無数の斬り傷。
紫色のエーテルが血と混ざり、霧のように立ち昇っていた。
「やるじゃねぇか」
口元から血を拭い、笑う。
「これほど楽しめたのは、ラウラと戦ってた頃以来だ」
シンは何も答えない。
静かに刀を構え直す。
その呼吸は浅い。
足元には赤い血溜まりが広がっている。
限界は、とっくに越えていた。
「なぁ」
メツがぽつりと呟く。
「覚えてるか」
シンは静かに目を細める。
「最初に会った日のことだ」
「……」
「ラウラの後ろで、お前は睨んできた」
メツは懐かしそうに笑う。
「生意気なガキだった」
「お互い様だ」
シンが短く返す。
「お前も」
「今と変わらず、品のない笑い方をしていた」
その言葉に。
メツは豪快に笑った。
「違ぇねぇ!」
ほんの一瞬だった。
そこには。
世界を憎むイーターではなく。
旅をしていた、一人のブレイドの姿があった。
「俺達」
メツが静かに呟く。
「間違ってたのかね」
シンは少しだけ考えた。
長い沈黙。
やがて。
「……いや」
首を横へ振る。
「間違ってはいなかった」
「何?」
「苦しかった」
「辛かった」
「ラウラを失った」
「世界を憎んだ」
「全部、本当だった」
刀をゆっくり下ろす。
「だから」
「その気持ちまで否定するつもりはない」
メツは黙って聞いている。
「だが」
シンは静かに続けた。
「そこで歩みを止めたことだけは」
「間違いだった」
「歩みを止めた……か」
メツは空を見上げる。
天井の向こう。
遥か彼方には、雲海が広がっている。
「ラウラなら」
小さく笑う。
「同じこと言うだろうな」
その笑みには。
もう怒りはなかった。
「お前」
シンを見る。
「ようやく会えるな」
シンは答えない。
ただ。
ほんの少しだけ微笑んだ。
「メツ」
静かな声だった。
「最後に」
「一つだけ頼みがある」
「何だ」
「もう」
「終わりにしよう」
その一言に。
メツは目を閉じる。
五百年。
ラウラを失った日から。
ずっと続けてきた旅。
復讐。
絶望。
憎しみ。
全部。
もう疲れていた。
「……そうだな」
大剣をゆっくり握り直す。
「終わらせるか」
二人は同時に構える。
言葉はない。
もう必要なかった。
レックスは息を呑む。
ニアも。
ホムラも。
ファンも。
誰も瞬きをしない。
これが。
最後の一太刀になる。
シンの周囲へ、蒼白い冷気が集まっていく。
静かに。
ゆっくりと。
空気そのものが凍り始める。
メツの身体からは、紫黒のエーテルが噴き上がる。
暴風のような力。
世界そのものを引き裂こうとする、破滅の力。
「行くぞ」
シンが呟く。
「ああ」
メツが笑う。
そして。
二人は同時に床を蹴った。
◇◇◇
一瞬だった。
誰の目にも追えない。
白銀の閃光。
紫黒の奔流。
二つの力が交差する。
轟音。
管理区画全体を揺るがす衝撃が走り、世界樹そのものが大きく震えた。
やがて。
静寂が訪れる。
◇◇◇
シンは背を向けたまま立っていた。
刀を静かに納める。
その背中は、五百年前よりもずっと小さく見えた。
メツは動かない。
ゆっくりと肩が震える。
「……負けたか」
口元に笑みが浮かぶ。
「結局」
「最後まで」
「ラウラには勝てなかったな」
その言葉を最後に。
膝をつく。
紫色のエーテルが、静かに空へ溶け始める。
◇◇◇
「メツ」
シンは振り返らない。
「先に行っているぞ」
その声は穏やかだった。
友へ向ける。
最後の言葉だった。
「……ああ」
メツは小さく笑う。
「ラウラに」
「よろしくな」
その笑顔は。
どこか昔のままだった。
憎しみも。
絶望も。
もう何もない。
ただ。
一人のブレイドとして。
静かに目を閉じる。
◇◇◇
その様子を見届けながら。
ファンは胸へ手を当て、小さく祈った。
「ラウラ様」
涙が一筋、頬を伝う。
「約束は」
「果たされました」
五百年前。
止まってしまった時間は。
ようやく。
静かに動き始めたのだった。
◇◇◇
その瞬間。
世界樹全体へ、これまでとは比較にならないほど巨大な警報音が鳴り響く。
『――管理者権限、消失』
『――軌道エレベーター、崩壊開始』
クラウスがゆっくりと顔を上げた。
「……来たか」
アルスト最後の試練は、まだ終わっていなかった。