世界樹が軋む。
爆発音が管理区画全体へ響き渡り、白い都市を支えていた柱が一本、また一本と崩れ始めていた。
『――管理システム停止』
『――軌道エレベーター崩壊まで残り百八十秒』
警告音だけが、静かに時間の終わりを告げている。
レックスはクラウスを見つめた。
その身体は、初めて会った時よりもさらに輪郭を失っていた。
残された右半身だけが辛うじて形を保ち、その反対側は黒い空間へ溶け込むように消え失せている。
右肩から胸元に掛けて纏った暗い布も、光の粒子となって少しずつ崩れ始めていた。
まるで、この世界そのものと運命を共にする存在であることを示すように。
「クラウス!」
レックスが駆け寄る。
「まだ何か方法はあるんだろ!」
クラウスは静かに首を横へ振った。
「方法はある」
「本当か!」
「だが」
僅かに視線を制御装置へ向ける。
「私が残る必要がある」
管理区画中央では、巨大な制御装置が赤く点滅していた。
世界樹全体へ流れるエネルギーが暴走し、膨大な負荷が一点へ集まり始めている。
「このままでは」
クラウスは淡々と言う。
「世界樹は制御を失ったまま崩壊する」
「だから」
「最後に管理者としての権限を用い、崩壊を遅らせる」
「そんな……!」
「心配はいらない」
その声は不思議なほど穏やかだった。
「元より、私は長く存在し過ぎた」
レックスは拳を握る。
「そんな言い方するなよ」
「一緒に来ればいい!」
「俺たちなら!」
「何とか出来る!」
クラウスは静かに微笑んだ。
「君らしい答えだ」
そして、ゆっくりとレックスを見る。
「君は旅の始まりで、楽園を目指すと言った」
「うん」
「では今、君は何を目指している」
レックスは少しだけ考える。
ホムラを見る。
ニアを見る。
トラ。
ジーク。
メレフ。
ファン。
そして、シン。
「皆と」
自然と言葉が出た。
「皆と、生きて帰りたい」
「その先で」
「自分たちの世界を作りたい」
クラウスは静かに頷いた。
「十分だ」
「それが、この旅の答えなのだろう」
ファンがゆっくり前へ出る。
「クラウス」
彼は静かに視線を向ける。
「ありがとうございます」
「何に対してかな」
「この世界です」
ファンは優しく微笑む。
「私は本来、この時代に存在しない者です」
「ですが」
「ここで皆さんと出会えました」
「笑って」
「泣いて」
「もう一度、生きることが出来ました」
「だから」
「この世界は、決して間違いではありませんでした」
クラウスは静かに目を閉じた。
長い沈黙。
やがて、小さく息を吐く。
「そうか」
「その言葉を聞けただけで」
「十分だ」
「ホムラ」
クラウスが静かに呼ぶ。
ホムラは一歩前へ出た。
「君は」
「長い間、自らを責め続けてきた」
「……はい」
「だが」
「罪とは、背負い続けるためにあるものではない」
ホムラは息を呑む。
「過ちを忘れるな」
「しかし」
「過去だけを見続けても、人は前へ進めない」
その言葉は責めるでも赦すでもない。
ただ、一つの事実を語る学者のように静かだった。
「未来を見なさい」
「それが」
「今の君に出来る唯一の償いだ」
ホムラは涙を拭い、深く頭を下げた。
「……はい」
その時。
制御装置が激しく明滅を始める。
『――限界到達』
『――全管理権限、消失』
世界樹が大きく傾いた。
クラウスは静かに振り返る。
「時間だ」
残された右手を制御装置へ伸ばす。
「クラウス!」
レックスが叫ぶ。
「ありがとう」
クラウスは穏やかに言った。
「レックス」
「君たちを見届けることが出来て良かった」
その一言だけだった。
管理者としてではない。
一人の人間としての、本心だった。
◇◇◇
右手が制御装置へ触れる。
瞬間。
眩い白光が管理区画全体を包み込んだ。
崩壊しかけていた世界樹の揺れが、一瞬だけ静まる。
その代わりに。
クラウスの身体が急速に光へ変わり始める。
腕が。
肩が。
胸が。
静かに粒子となって空へ溶けていく。
「未来を」
最後の声が響く。
「頼んだよ」
レックスは涙を堪えながら、大きく頷いた。
「ああ!」
「約束する!」
その返事を聞き。
クラウスは微かに笑う。
そして。
何千年という孤独を背負い続けた最後の管理者は、誰にも看取られることなく、静かな光となって世界へ還っていった。
管理者はいなくなった。
残されたのは、人が自ら選び、自ら歩む未来だけだった。