世界は静かに生まれ変わろうとしていた。
崩れゆく世界樹の外へ飛び出したレックスたちは、思わず足を止める。
誰も言葉を発することができなかった。
目の前に広がる景色は、これまで知っていたアルストではなかったからだ。
白い雲海が、ゆっくりと引いていく。
まるで長い眠りから覚めた海が、その姿を現そうとしているかのように。
その下から現れたのは――大地だった。
どこまでも続く緑。
山脈。
川。
森。
風に揺れる草原。
巨神獣の背中ではない。
誰かに支えられることのない、本物の大地。
「……これが」
レックスは息を呑む。
「楽園」
ホムラが小さく呟く。
その瞳には涙が浮かんでいた。
ずっと目指し続けた場所。
けれど、その意味は旅の始まりとはもう違っていた。
楽園とは、誰かが用意した場所ではない。
誰かと共に未来を築く場所。
クラウスが最後に託した言葉の意味を、今なら理解できる。
◇◇◇
遠くで轟音が響く。
世界樹の頂が、ゆっくりと光へ還っていく。
無数の光の粒子が空へ舞い上がり、まるで流星群のように世界中へ降り注いでいた。
ファンはその光を静かに見上げる。
「ラウラ様」
微笑む。
「見えていますか」
「世界は」
「ちゃんと前へ進みました」
その横で、ホムラも空を見上げていた。
「シンさん」
小さく目を閉じる。
「ありがとうございました」
風が吹く。
優しい風だった。
まるで、誰かがその言葉に応えてくれたように。
◇◇◇
レックスは一歩前へ踏み出す。
草を踏み締める感触。
土の匂い。
初めて立つはずなのに、不思議と懐かしさを覚える大地。
「帰ろう」
振り返る。
「俺たちの世界へ」
誰からともなく笑みが零れる。
その一歩は、小さなものだった。
けれど、それは五百年の時を越えて受け継がれた願いが、新しい時代へ踏み出す最初の一歩でもあった。
◇◇◇
新しい大地へ降り立った、その直後だった。
誰もが空を見上げていた。
世界樹は静かに光へ還っていく。
白く輝く巨塔は、その姿を少しずつ崩しながら、まるで役目を終えたように空へ溶け始めていた。
誰も口を開かない。
長い旅だった。
あまりにも多くを失い。
あまりにも多くを得た。
だからこそ。
今、この静けさだけは壊したくなかった。
◇◇◇
「終わったんだね……」
ニアが小さく呟く。
誰へ向けた言葉でもない。
自分自身へ言い聞かせるような声だった。
メレフは静かに新しい大地を見渡す。
「これほど広い世界が」
「雲海の下に眠っていたとは」
「まったくや」
ジークが苦笑する。
「人生、最後まで分からないもんやな!」
「世界も同じも」
トラも頷く。
ハナは静かに周囲を見渡し、その景色を記録するように瞳を細めていた。
ホムラは胸へそっと手を当てる。
鼓動が聞こえる。
まだ生きている。
レックスも。
ニアも。
皆も。
そして、自分も。
その時だった。
胸元のコアクリスタルが、静かに脈動した。
「……え?」
淡い光。
最初は、本当に小さな光だった。
しかし。
次の瞬間。
眩い蒼白い輝きが周囲を包み込む。
「ホムラ!」
レックスが駆け寄る。
「何だ!?」
誰も答えられない。
コアクリスタルから放たれる光は、次第に強さを増していく。
「これは……」
ファンが目を見開いた。
「まさか」
その光を、彼女は知っている。
五百年前。
アデルと共に旅をしていた頃、一度だけ目にしたことがあった。
聖杯の、本当の力。
光は渦を巻く。
優しく。
暖かく。
そして。
まるで一つだった命が、再び二つへ分かれていくように。
「レックス!」
ホムラが思わずその名を呼ぶ。
レックスは迷わず手を伸ばした。
「ここにいる!」
その声へ応えるように。
光はさらに強く輝く。
◇◇◇
やがて。
ゆっくりと。
一つだった光が二つに分かれ始める。
誰も息をすることさえ忘れて見つめていた。
蒼白い光。
黄金色の光。
二つの輝きが静かに形を持ち始める。
そして。
光が消えた。
◇◇◇
そこには。
二人の少女が立っていた。
一人は、燃えるような紅い髪。
もう一人は、黄金色の長い髪。
二人はゆっくりと目を開ける。
ホムラ。
そして。
ヒカリ。
五百年前。
最後まで一つになることのなかった二人が。
今、並んで立っていた。
◇◇◇
「……レックス」
ホムラが小さく笑う。
その隣で。
ヒカリも照れ臭そうに目を逸らした。
「何ぼさっとしてるのよ」
「え……」
レックスは言葉を失う。
目の前の光景が信じられない。
ホムラと。
ヒカリが。
二人とも。
ちゃんとそこにいる。
「……帰ってきた」
震える声が漏れる。
「二人とも」
ホムラは静かに頷く。
「はい」
ヒカリも、小さく笑う。
「ただいま」
レックスは笑った。
涙が溢れる。
止まらない。
「おかえり!」
その一言だった。
ホムラも。
ヒカリも。
同じように笑う。
その笑顔を見た瞬間。
ニアも泣きながら笑っていた。
「ほんっと」
「最後まで泣かせるんだから」
ジークは豪快に笑い飛ばす。
「めでたい話やなぁ!」
「これで全員揃ったも!」
トラが飛び跳ねる。
ハナも静かに微笑む。
メレフは小さく息を吐き、穏やかな笑みを浮かべた。
◇◇◇
その光景を見つめながら。
ファンだけは、少し離れた場所で空を見上げていた。
風が吹く。
優しい風だった。
「ラウラ様」
微笑む。
「見えていますか」
「約束は」
「ちゃんと未来へ届きました」
返事はない。
けれど。
風に乗って、一枚の白い花弁が彼女の肩へ舞い降りる。
ファンはそれをそっと掌へ乗せた。
そして。
静かに微笑んだ。
「……お帰りなさい」
それが誰へ向けた言葉だったのか。
もう説明する必要はなかった。
長い旅の終わりに待っていたのは、別れではなかった。
それは、新しい未来への「ただいま」だった。