ツヴァイウイングのライブから数ヶ月経ったある日のこと。
突然僕の家に、リディアン音楽院中等部へ編入するための書類一式が届いた。
中には手紙が同封されていた。
要約すると
「名前を書くだけで編入出来るようにしといたから。自分の立場は分かってるよな? じゃあどうすればいいのかも、当然分かってるよな?」
みたいなニュアンスの内容だ。
もちろん何重にもオブラートに包まれた表現ではあったが、しっかりと強制力を感じさせる文章だった。
僕は学校に拘りなどないし、そもそも原作でもそうだったという理由で、漠然とリディアン音楽院の高等部に進学するものだと思っていた。
しかし実際に編入の書類を送られてきて中身を読むと、それはリアルな壁となって僕の前に立ち塞がったのである。
熟考の末、僕は以前の面談の際に教えられた風鳴司令の携帯番号に電話を掛けた。
「む、久しぶりだな、未来君。リディアン編入の件か?」
「はい。そのことでご相談が。その前に、この書類は響にも?」
「いいや、立花響君には高校入学時に編入してもらうつもりだ」
「そうなんですか」
「仲の良い君達を1年間引き離してしまうのはこちらとしても心苦しいのだが……」
なんでも櫻井了子が、アメリカに亡命したらしい。
小説自体は彼女の目に触れていないらしいが、僕が本部に連行されたことは把握されている。
そしてその日を境に次々と自身の秘密が暴かれていったことから、僕がこの事態のキーマンだという認識を持っているだろうとのことだ。
つまり僕は、いつの間にかアメリカ政府に身柄を狙われる立場となっていたわけだ。
それが中途半端なこの時期に僕を編入させたい理由であり、逆に響を現時点ではリディアンに勧誘しない理由でもあった。
高校入学などの節目ならともかく、このタイミングで響まで僕と一緒に編入したら、響にも何かあると宣伝するようなものなのだから、その判断は当然だろう。
リディアン音楽院中等部は高等部と違う敷地だが、それでも今の中学校よりは僕を守りやすいらしい。
「でもいいんですか? 部外者にそんなことを教えてしまって」
「良くはないが、君には知る権利があるだろう。そうだ、もう一つだけ教えておこうか」
「なんでしょうか?」
「君の小説に出てきた雪音クリス君だがな、君のおかげで無事に保護が出来たぞ」
なんでも小説内の描写からフィーネの拠点を割り出し、そこを強襲したらしい。
OTONAはどれだけ優秀なんだと、僕は戦慄を覚えた。
「響君と離れてしまうのは寂しいだろうが、そのクリス君も来年度からリディアン音楽院高等部の1年生だ。仲良くしてやって欲しい」
「いえ、そのことなのですが、私のリディアン編入には少々問題がありまして」
「問題?」
「編入自体はなんとかして頂けるとしても、中等部を卒業出来ません。歌が下手なんです」
そう、これこそが僕にとっての大きな壁なのである。
別に音痴というわけではないが、なにせ僕の声は小さい。
原作の小日向未来は叫んだりもしていたので、これは僕自身の問題である。
大声の出し方が、本当に分からないのだ。
無理やり中等部卒業や高等部入学をさせてもらっても、進級できる気がしない。
編入書類の中に混じっていた学校のパンフレットによると、専攻を選べるのは高等部2年次からだそうだ。
仮に無事進級出来てピアノなどを専攻したとしても、最低限というものはある。
あからさまに成績に下駄を履かせてもらって学園生活を送るくらいなら、普通の高校に進学してアメリカ政府に狙われていた方がまだマシだ。
周囲に波風を立てることが苦手な僕にとって、針の筵はなによりも辛いのである。
「ふむ、そういうことなら任せておけ」
「どういう意味でしょうか?」
「功労者の未来君には、とびきりのコーチを用意しようじゃないか」
風鳴司令の申し出は、僕にとってありがたいものだった。
何故なら今の歌唱スキルでは僕のリディアンへの進学などあり得ず、OTONAの事情でリディアン音楽院高等部に進学することが既に確定している響とは離ればなれになってしまうからだ。
しかしここで風鳴司令の厚意に甘え、中学編入までに人並み程度まで鍛えてもらえれば、そこから1年間の音楽院中等部生活でも成長が見込めるだろう。
そうすればきっとリディアン音楽院高等部では、周囲から浮くこともなく響との高校生活を楽しめるはずだ。
「是非お願いします」
「そうか、じゃあ今週末は俺の家で特訓だ!」
「はい」
とりあえず、週末までに何か1曲くらいアカペラで歌えるようにしておいた方がいいだろう。
通話を終えた僕は、そのままスマホから「加賀岬」という曲をダウンロードして、リズムをとりつつ歌詞を覚える作業に入った。
自宅まで迎えに来てくれた車の中で揺られることしばし、ようやく停車した車から降りた僕の目の前には、「THE・お屋敷」といった感じの建物が目一杯の自己主張をしていた。
原作でテレビ越しに見るのと実物とでは、やはり迫力が段違いである。
この門構えに向かって「頼もー!!!」などと叫んでいた響は、さすが主人公と言うべきか。
益体のないことを考えながら門の中に通され、庭を経由して道場のような建屋に入ると、そこには前世の原作、そして今世のテレビでよく見知った顔が並んでいた。
「君が小日向か。私は風鳴翼だ。翼と呼んで欲しい。今日はよろしく頼む」
「おいおい翼、いい加減にその口調はやめろって。あ、私は天羽奏だ。奏でいいぜ。よろしくな、未来」
奏さんが言うには、どうもあの小説での自分の在り方に感銘を受けたらしく、その真似をするのが翼さんのマイブームらしい。
そのことを奏さんに早速バラされて、涙目でこちらを睨んでいる翼さんは、響ほどではないがとても可愛らしい人だった。
「今日はよろしくお願いします。でも良かったんですか? お二人にとっては貴重なお休みだったはずなのに」
「いいんだよ。私も未来には、一度会って礼を言いたかったからな」
「私からも礼を言わせて貰おう。奏の命を繋げてくれて、本当にありがとう」
「本当にあり得たかどうかも分からないことを書いただけの、ただの小説ですよ」
「ふーん。ま、それならそれでいいけどな。でもあたしたちが未来に感謝してるってことだけは分かってくれよ」
「こんなことでは礼にもならないが、歌のレッスンはこの防人に任せておけ」
翼さんの言葉に、奏さんがプッと噴き出した。
そこは防人(さきもり)ではなく歌女(うため)と言うのが正解だったと思う。
僕に先入観があるからか、防人語を上手に使えない翼さんはとても違和感があるので、頑張って習熟して欲しい。
その後、ツヴァイウイングの曲を歌ったり、学校の校歌を歌ったり、僕がひっそりと練習してきた「加賀岬」を歌ったりした結果、やはり声が小さいということがネックだそうだ。
「声質はいいんだよ、声質は。後は腹から声を出せ。この本の中に腹式呼吸のやり方が載ってるから、ちゃんと家で練習しろよ」
「ふむ、小日向の声は演歌向きだな。よし、もう時間がないから、私からも小日向に宿題を出しておこう」
そういうと翼さんは、剣を片手に「恋の桶狭間」を歌い始めた。
基本的に真面目系面白キャラの彼女だが、歌っているその姿は多くファンを魅了するだけのことはあり、やはり素晴らしく格好いい。
僕はその歌い終わりまで、翼さんにすっかり見惚れてしまった。
「腹式呼吸を意識しながら、まずはこの歌だけを練習するんだ。このように振り付け有りでも歌い切ることが出来れば、中等部の歌のテストでは困らないだろう」
「はい。ありがとうございました」
「可愛い後輩がリディアンに入学するのを、待っているからな。頑張れよ!」
「はい。頑張ります」
ツヴァイウイングの2人は本当にいい人達だった。
奏さんが死ななくて良かったという思いが、実感として心の底から湧き出してきた。
それはそれとして、今は歌唱力の向上である。
「明日から腹式呼吸、がんばろう……」
とりあえず明日は、奏さんに借りたテキストを読み込もうと思う。