アメリカ政府がアップを始めたようである。
僕のお父さんが外資系の企業にヘッドハンティングを持ちかけられたのだ。
5倍の年棒を提示され、その代わり早急な転職と最初の1年間は家族共々アメリカへ出張して欲しいという条件を出されたらしい。
仕事の引継ぎも家族の都合もあるからと渋っていたら、最終的には年棒が10倍まで吊り上げられたそうだ。
すっかりその気になって家に帰ってきたお父さんは、相応の覚悟も出来ていないのにお母さんの逆鱗(さかさうろこ)に触れてしまった。
傍で聞いていただけの僕でさえ、ちょっとパンツがしっとりとなったくらいだ。
矢面に立たされたお父さんは、生きた心地がしなかっただろう。
幸い家族に相談せず転職を決定してしまうような人ではなかったので、ギリギリセーフだった。
普段穏やかな人が怒ると、本当に怖い。
その件でアメリカの本気を感じたが、僕に出来ることはそれほど多くない。
やり投げと腹式呼吸、後はシンフォギアGの執筆くらいである。
休日は誘拐対策のため、風鳴司令のお屋敷で過ごすようになった。
必然的に響と遊べない日が続いたが、今は一緒にいると襲撃された時に彼女を巻き込みかねない。
そういった意味でも、週末に予定が埋まっていることは僕にとって都合が良かった。
風鳴司令は休日も仕事なので僕とは入れ違いになるから、会えることは滅多にない。
でも僕を気にかけてくれているようで、たまに翼さんや奏さんと顔を合わせることがある。
そんな時には歌の練習に付き合って貰えたし、1人の時には腹式呼吸の合間に小説を書いたりして、僕はそれなりに忙しい日々を過ごしていた。
だから響の溜め込んでいたストレスには、全く気が付かなった。
ある冬の昼休み。
深刻な表情の響に、屋上へ呼び出された。
「……私、なんか未来に嫌われるようなこと、しちゃったかな?」
「そんなこと、あるわけないでしょ」
「じゃあ、なんで最近私を避けてるの!」
「避けてなんかないよ」
「嘘! じゃあ今日お泊りしに行っていい?」
「お泊りは、その、危ないから」
「……そっか、分かった」
そう言った響の表情に、なぜか僕はデジャブを感じた。
これは前世の記憶、3期で響がいじめられていた時の、あの悲しそうな顔だった。
響は僕に背を向けて、屋上の出口へと歩き出す。
「待って、響」
響は足を止めない。
「待って、響」
響は足を止めてくれない。
「お願い。待って、響」
響は屋上の扉に手を掛ける。
「響ー!!!」
びっくりした顔の響が、僕の方へと振り返った。
たぶん響が見たのも、びっくりした僕の顔だったと思う。
それがなんだか可笑しくて、いつの間にか2人で大笑いしていた。
「未来がそんなに大声を出すのって、初めて聞いたよ。驚いちゃった」
「私も初めてだよ。自分の声じゃないみたい」
「この前からやってる、腹式呼吸の成果だね」
「うん。後は響が大好きって気持ちかな」
「エヘヘ、私も未来が大好きだよ」
2人で肩を並べて座る。
屋上だから風が強くて寒いけれど、それが響とくっついている側の暖かさを際立ててくれて、かえって心地よいくらいだ。
「ねえ、響。今日、お泊りしに来て欲しい」
「……いいの?」
「うん。でも響を危ないことに巻き込んじゃうから、嫌なら断ってね」
「嫌なわけない! 嫌なわけ、ないよっ!」
ポロポロと涙をこぼす響。
こんなにも響を追い詰めていたことに、僕は自己嫌悪した。
もともと響の安全だけを第一に考えていたなら、原作ルート沿いに進めばよかったのだ。
それを自分のエゴでぶち壊しておいて、響を危険に巻き込みたくないなど今更な話である。
僕は今夜、響に全てを打ち明ける。
僕の話を全て聞き終えた響は、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「未来~、言ってること、全然わからないよぉ」
「うん、そんな気がしてた」
説明を始めてからすぐにチンプンカンプンな表情になった響を見て、これでも内容をかなり端折ったつもりだったが、まだ駄目だったらしい。
これは響だけのせいではなく、口下手な僕の責任も大きいと思う。
転生とかアニメとかオカルティックな要素は抜きにし、現実問題だけに的を絞って説明を繰り返す。
「うーん、つまりあの小説が原因で、アメリカ政府に未来が狙われてるってこと?」
「そうなの。だから中学校も転校しなきゃいけなくなっちゃって……」
「え!? そんなこと、今初めて聞いたよ!」
「ごめんね。今まで言い出しにくくて」
むむむ、と眉をしかめた響は、口をへの字にして怒った。
「もう、未来のバカ!」
「うん。本当にごめん」
「私も行くから!」
「え?」
「私も転校するの! 未来が危ないなら、私が守るから!」
「危ないよ、響」
「危ないのは未来でしょ!」
こうなった響が止められないことは、誰よりも僕が知っている。
「でも……」
「でもじゃないよ!」
「だって……」
「だってじゃない! それとも、未来は私と一緒にいたくないの?」
「……一緒にいたいに決まってるでしょ」
「ほら、じゃあ決まりだね!」
響に促されて、風鳴司令に電話を掛けた。
当然ながら風鳴司令は響の編入に色よい返事はくれない。
そのうち焦れた響に電話を取り上げられた。
「立花響です! リディアン音楽院中等部に編入させて下さい!」
「なんでですか!」
「高等部からじゃ、遅いんです!」
風鳴司令の声は聞こえないが、響は押せ押せである。
「未来が危険な時に、傍を離れることなんて出来ません!」
「特訓します! 強くなります! 死んでも未来を守ってみせます!」
「じゃあ死んでも生きて帰ってきます! それは絶対に絶対です!」
やがて風鳴司令が折れたのだろう、響は元気よくお礼を言って電話を切った。
自分のことを棚に上げて、そこで諦めるのはOTONAとしてどうなんだと少し思ったが、仮に風鳴司令が断固として編入を許さなかった場合、行動力のある響は頻繁に僕に会いに来るだろうことは想像に難くない。
結局は響の存在をアメリカ側が察知することとなり、僕に対する人質として狙われることになるだろう。
だから僕が響に全てを打ち明けた時点で、こうなることは決まっていたのだ。
「リディアン中等部でもよろしくね、未来」
「うん。でもおじさんとおばさんに、ちゃんと許可を貰わないとね」
「あ、そうだった。許してくれるかなぁ」
「一緒にお願いしてあげる」
「ありがとー、未来! 大好き!」
「私も大好きだよ、響」
その後は、久しぶりに響と抱き合って眠った。
彼女の体温は高めだから、たまに寝苦しかったりする。
でも今はその熱が、最近ずっと隣に響のいなかったことの寒々しさを自覚させた。
今夜は久しぶりに熟睡出来るような気がした。
週末、僕はいつものように迎えの車に乗り込んだ。
僕の隣には響が座っている。
彼女は今週末から、風鳴司令の修行を受けるのだ。
今日はお屋敷にツヴァイウイングの2人も居た。
一頻り驚いた響に「内緒にしてたなんてズルい!」と、また怒られてしまった。
最近はずっと怒られっぱなしだが、僕が悪いので素直に謝った。
僕がボイストレーニングをしている間、響は風鳴司令と特訓である。
原作から考えると、おそらく今頃カンフー映画を見ているのだろう。
響はきっと強くなる。
でもそんな彼女に甘えっぱなしではなく、僕自身も強くならなきゃいけない。
「明日から武道、がんばろう……」
とりあえず明日は、レンタルビデオ屋でクー・フーリンが出てくるあの有名アニメを借りようと思う。