Just Because! over and over   作:磯野 光輝

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Chapter 10 Advance and Retreat

 江ノ島へと向かうモノレールの中で、俺は独り、昨日の美奈さんとの会話を思い出していた。美奈さんが言った数多くの言葉の中には、しっかりと思い出しておくべきことや、自分なりの考えをまとめておくべきことなどがたくさんあるように思えた。そしてそれでいて、昨晩からいくら思考を巡らせても、答えらしい答えは一切見つからなかった。

「はぁ。一歩前進って何だよ。それにお似合いってさ」

 思わずそうつぶやいた言葉はモノレールの中をぼんやりと漂った後に、走行音に紛れて消えて行った。

 窓の外に視線を向けると、良く晴れ渡った空の青が目に染み入った。外界は風もなく、穏やかな天気をしていて、およそ俺の心情とは真逆な陽気に包まれていた。きっと世間ではこういう天候のことを「デート日和」と呼ぶのだろう。

 片瀬山駅に到着したとき、この空のように晴れ渡った笑顔を浮かべた小宮が乗り込んできた。

「あっ、えーた先輩!」

 俺はそれに対して何と返せばよいのか分からず、はぐらかすように適当な仕草を返した。小宮はそれから俺が座っているボックスシートの方へと近づいてきて、俺の正面の座席に腰を掛けた。

「ふぅ。あれ? 今日は会長居ないんだ」

「居るわけないでしょ。あんな体験、もうこりごりだって」

「冗談だって、冗談」

 そう言って笑う小宮に対して、俺はため息を返した。

 小宮はかつてのデートのときのように、非常に大きな荷物を持って来ていた。そんな以前と変わらない小宮を見ていると、まるであの頃にタイムスリップでもしたかのような、不思議な感覚を覚えた。

「何だか小宮は変わらないな」

 そんな言葉が自然と口からこぼれた。

「何それ。良い意味?」

「どうだろう。多分良い意味かな」

 俺がそう言うと、小宮は少々不満そうに「ふーん」とだけ言った。

「えーた先輩もあんまり昔と変わってない気がするけどね」

「……良い意味? 悪い意味?」

「うーん。多分悪い意味かな」

 俺はそれに対して、別段反論する気も、反論をする材料も持ち合わせていなかった。

 

       〇

 

 モノレールが湘南江の島駅に着いたとき、俺は小宮に尋ねた。

「ねえ、今日はこれ、どこ行くつもりなの?」

「うーん。どこでも良いって言えばどこでも良いんだけど。写真が撮れさえすれば良いからね、私は」

「だったらさ、わざわざ以前にも来たところじゃなくても良いんじゃない?」

「以前来たところだからこそ、わざわざもう一回来てるんじゃん」

 小宮の意図が分からずに、返答に困っていると、小宮は再度言葉をつなげた。

「だから、あの頃からあまり変わらない者同士、たまには過去に思う存分浸るのも良いんじゃないって話。……そんなに嫌だったら、別にほかの所でも良いけど。水族館とか」

「……いや、別に嫌じゃないよ」

 第一、水族館だとほかの所になってないじゃないか。というのは、俺個人の事情でしかないのだろう。

 だから結局俺は、あの日と同じように小宮の荷物を代わりに持ち歩き、小宮がカメラを向ける方向へと付いて回ることに決めた。そうするほうが自発的に何かをするよりずっと気楽で、ある種の心地よさのようなものすらあった。

「荷物持ってくれてありがと、えーた先輩」

「別に良いって、これくらい」

 そんな社交辞令のような会話をしながら、俺たちはあの日の記憶のルートを辿っていた。その方々で小宮は数多くの写真を撮り、そして俺はそんな小宮の横顔をただ眺めていた。

 透き通った空気の先にある富士山の写真を撮った。木陰の中にある階段を上り、そこから見える海を眺めた。長いエスカレーターにも乗った。花壇には色とりどりのチューリップが咲き誇っていた。江ノ島はあの日と変わらない姿をしていた。

 こうして見ていると、やっぱり小宮は昔から変わりない。そしてそれは良い方向のものであると確信することができる。対象物に向けてカメラを向ける彼女は真剣そのもので、思わず目が離せなくなってしまうほどに魅力的だ。なあ、小宮。そのレンズの先には、一体どんな景色が見えているんだ? その先にあるのは、そんなにも素敵なものなのか? そのカメラが写す世界は、そんなにも美しい色をしているのか?

 ふと我に返ったときに、自分の中にドロドロとした粘性に富んだ感情が芽生えていることに気が付いた。それは憧れや羨望といった感情とは明らかに別種のものであるのは明らかだった。そしてそれが嫉妬に近い、非常に醜い感情であるのだと気付くことも、そう難くはないことだった。

「えーた先輩、今日は何か疲れてる?」

 そう小宮が尋ねてきたのは、海岸から散々歩き回った後で休憩を兼ねて近くのカフェで食事をとっていたときのことだった。

「別に、そんなことないよ」

「ふーん。だったらまあ、良いんだけど。……荷物も持たせちゃってたし、何だか悪いなって」

「気にしないで。何だかんだ、俺も楽しんでるからさ」

 そう口にはしたものの、果たしてそれが本心であったのかどうかは自分自身でも分からなかった。

 そんな俺の言葉に対して小宮は不服そうな顔をした。

「まあけどさ、随分と見晴らしが良いカフェだね」

 別にこの言葉に嘘などなかった。実際に俺たちが座っているこのテラス席からは海を一望することができたし、それに良く晴れ渡った空は心地が良いほどに透き通っていた。

「それはそうなんだけど……まあ、良いや」と小宮はため息とついた。

 江ノ島の時の流れはどこか歪んでいるように思えた。東京の時間が時計によって刻まれているのならば、江ノ島のそれは全く別の刻まれ方をしている。潮の流れ、太陽の動き、あるいは小宮がパスタを巻いて口に入れる仕草も、それに該当するのかもしれない。

 俺はそんなただ中の、小宮の正面において、合間合間にコーヒーを口に含みそしてそれを飲み下していた。舌の上に乗った苦みがゆっくりゆっくりと喉を通り、そして胃の中へと落ちていく。それもまた、時の潮流とでも言うべき事物であるような気がした。

「ねえ、えーた先輩」

「何?」

「やっぱりえーた先輩は、私と居てもつまらない、かな」

 ハッとして、コーヒーカップに向けていた視線を上にあげると、小宮は俺の瞳をただ真っ直ぐに見つめていた。それは恐ろしいほどに真っ直ぐな視線だった。芯がしっかりと通っていて、そして思わず体がこわばってしまうほどに冷たい。

「……いや、違うって。そんなことはないよ」と俺はできる限り声色を落ち着けて言った。

「ねえ、えーた先輩分かってる? 今日、えーた先輩、私と居て一度も笑ってないんだよ」

 言われてみれば、そうなのかもしれない。でもそれは小宮の所為ではなく、結局俺自身の所為なのだということは何としても伝えなければならないと、そう思った。

「……ごめん。たぶん俺、疲れてるんだ。肉体的にじゃなくて、精神的に」

「それって、私の所為?」

「違うって。ただ……」

 そう言いかけて、俺は口を噤んだ。ただ? 俺はそこにどんな言葉をつなげるつもりなんだ? ただ、疲れているから? ただ、悩みごとがたくさんあるから? ……どれも事実ではあるし、そしてどれも的を射ていない。そして何より、そのどれもが個人的な事情でしかなく、ただの言い訳にすぎない。

「えーた先輩、今日はもう帰ろっか。私も何だか疲れちゃった」

 そう言って弱々しく笑う小宮に対して、俺はなす術なく頷いてしまった。

 

       〇

 

「あのさ、今日はごめん」

「気にしないで、誰だってそんな日くらいあるよ。それに今日だって、私が無理に誘いだしたんだからさ」

 帰りのモノレールの中で、俺たちはそんな会話をした。非常に失礼な態度をとった俺に対して、小宮は一切非難することはなかったし、それ以上何も追求しようとはしなかった。何度か俺はすべてを打ち明けて許しを請おうとしたが、そのたびに小宮の優しさに触れ、そしてそれに甘えてしまい、結局俺は「ごめん」と繰り返すことしかできなかった。

 モノレールが目白山下駅を出て、少しずつ加速していた。小高い視点から街を見下ろすと、家々の屋根がほんのり赤く染められていることに気が付いた。眼下ではランドセルを背負った小学生が数人、先を急ぐように駆け足で道路を渡っていた。耳をすませば声が聞こえてきそうな程、彼らは大きく口を開けて、弾けんばかりの笑顔を浮かべていた。しかしそんな光景も、モノレールの走行に合わせてすぐに流されて行き、見えなくなった。窓の外を見つめていても、ただそんなことを繰り返すばかりで、何ら新しい発見はなかった。でも俺はそれを止めるわけにはいかなかった。

 小宮が降りる駅が近づいていた。モノレールが停車する直前に小宮は立ち上がり、そして俺に対して声をかけた。

「じゃあね、えーた先輩」

「……あのさ」

「良いからって。だからそんな顔しないで」

 それに対してまた謝ろうとしていた自分に気が付いて、俺は何も言えなくなってしまった。

「最後にさ、一つだけ良いかな」と小宮は言った。「えーた先輩、やっぱり昔とは変わったよね」

「……それは良い方に? 悪い方に?」

「さあ? それを決めるのは、これからのえーた先輩何じゃない?」

 小宮はそう言うと、「じゃあね」と小さく手を振ってモノレールを降りて行った。

取り残された俺は独り、モノレールの窓をため息で曇らせた。ああ、今日の俺はきっと、美奈さんの言葉を借りるならば一歩後退したのだろうな、と強くそう思った。

 

 湘南深沢駅に着きモノレールを降りると、大気はもうかなり冷え込んでいて、自分の影ものっぺりと引き延ばされていた。さあ、帰ろうか、と吐き出した息が少し躊躇った後に消えて行く、その瞬間。突然ポケットに入れていた携帯が震えた。画面を確認すると、陽斗から電話がかかってきているのだと分かった。

「もしもし?」と俺が電話に出ると、

「お、瑛太、今ちょっと大丈夫か?」と陽斗は返してきた。

「うん、まあ。そっちは? 仕事終わったの?」

「おう、今ちょうど終わったところ。……瑛太は? 今もまだこっちいるの?」

 俺は最初、その問いの意味が分からなかったのだが、すぐに、ああ、陽斗にはまだ仕事を辞めたこと言ってなかったのか、と合点が行った。

「まあね、ちょうど暇してるところだよ」

「おお、そうか。だったらさ、今から少し会えない? 指輪のことで相談があるんだ」

「指輪?」

「そうそう。指輪。ついさっき葉月からLINEが来て、日曜日に会いたいって言われてよ。んで、俺さ、色々考えて、そこでもう一度プロポーズをし直そうかと思ったんだけどさ……」

 何だか話が食い違っているような気がした。俺はしばらくの間、何故陽斗が未だにプロポーズをしようとしているのかが本気で理解できなかった。もう「俺たち」の間では、プロポーズはしないことになっていたはずで……、と思考を巡らせたとき、「俺たち」は「プロポーズ大作戦LINEグループ」という非常に狭いコミュニティしか指していないのだという単純なことに気が付いた。つまるところ、プロポーズが所謂「オワコン」と化したことを、誰一人として陽斗に伝えていなかったのだ。

「あー、陽斗。そのプロポーズをやり直すって話は、森川さんにはした?」

「うん? してるわけないべ。それじゃあやり直す意味ないだろ?」

「ああ、うん。確かに。……分かった今日会おう。時間は?」

 そして俺たちは待ち合わせの時間と場所を取り決めて、電話を切った。それから俺は少し迷ってから「プロポーズ大作戦」LINEを開いて、事の顛末を説明し、助けを求めた。やれやれ、どうしてこんなことになっているのだろうとため息をつくと、不意に冷たい風が吹き渡った。それはまるで、「こんな面倒なことになったのは、全部お前のせいだ」と咎められているかのようだった。そしてそれは言い訳も弁解のしようもない事実でしかなかった。

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