Just Because! over and over   作:磯野 光輝

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Chapter 14 Hidden sign

 翌朝、電話の着信音で目を覚ました。俺は寝ぼけ眼をこすりながら、画面も確認せずスマホを耳に当てる。

「……もしもし?」

 そう問いかけると、耳元でやけに元気な声が響く。

「あ、えーた先輩?」

「……小宮?」

 聞くまでもなく小宮の声であることは間違いなかった。

「ねー。お願いがあるんだけどちょっと良い?」

「……物による」

「ホント? じゃあ今日の十二時に湘南深沢駅まで来て。じゃあね!」

 俺が返事をする間もなく、電話は切られた。ため息を付きながら音を発しなくなったスマホを見つめると、時刻は七時二十三分だった。

 

       〇

 

 それからおよそ二時間後、短い二度寝を挟んで目をすっかり覚ました俺は、街中をむやみやたらに走り回っていた。

 空には分厚い雲が白い絵の具でベタ塗されたように張り巡らされていて、住宅街をくまなく吹き渡る風は、ほんのりと埃っぽい匂いを含ませているような気がした。

 そんな中で俺は足をひたすら前に運び続ける単純作業に勤しもうとしていた。しかし、「していた」ということはつまり、「できていない」ということを指し示す。どんなにランニングを続けようとも、そしてどんなにハイペースで息が上がろうとも、雑念は頭の中で渦を巻く。

 とにかく色々なことを考えた。いや、色々なことを自然に考えてしまった。昨日の森川さんとの「デート」のこと。「あの言葉」のこと。この前の小宮との「デートじゃない一日」のこと。今度の土曜日のこと。夏目のこと。これから俺がするべきこと。そして、するべきでないこと。

 そのどれか一つに一時間集中して考察をしてみたところで、きっと答えらしい答えなんて出て来ないだろう。それなのに、それらが同時に頭の中に沸き起こってしまえば、より一層訳が分からなくなるのは必然だ。まるで、頭の中で脳みそが煮込まれているかのように感じた。そしてこのままこれを放置していたら、俺の頭蓋骨には雑念が焦げ付き、こびりついて離れなくなってしまう。だから俺にできる唯一のことは、とにかくできる限り無心に走り回り、体内の酸素を減らして、頭をボーっとさせることだけだった。考えを煮詰める火の勢いを弱めるために。

 俺は約束の時間ぎりぎりまで街中を走り回り、そしていったん家に帰ってシャワーをサッと浴び、そして再度家から出て約束の駅まで向かった。その頃にはもう足元はふらつき、体には大分気怠さがのしかかっていた。

 駅に着いたとき、小宮の姿はまだそこには無かった。大方次のモノレールで来るのだろうと見当をつけ、俺は彼女を駅のホームのベンチで待つことにした。

 小宮はその三分後のモノレールに乗って来た。少し離れた位置に下車した彼女はモノレールを降りてから少し辺りを見渡して、そして俺の姿を見つけるとすぐにこちらに近づいて来た。

「ごめん。えーた先輩。待たせた?」

「いや、全然」

 そんなやり取りを簡単に執り行う。

「それで? 今日はどういう要件で呼び出したわけ?」と俺は聞いた。

「うん? 大したことじゃないけど、ちょっと練習したかったんだ」

「練習? 何を?」

「人を写真に収める練習」

 そう言って小宮は不適な笑みを浮かべた。

 

 その微笑の正体はすぐに分かった。何故なら小宮の言う「人」とはすなわち、「俺自身」のことなのだから。

「ほら。えーた先輩。笑って笑って」

 カメラをこちらに向けながら彼女はそう言う。

「いや、そんな何度も何度も笑うなんて……」

 俺がそう言いかけると、小宮はカメラから目を離してこちらに指示を出してきた。

「つべこべ言わずに、ほら。作り笑いでも何でも良いから」

 小宮の様子を伺って、どうにも反抗できそうもないことを悟って、俺はぎこちない笑みを作った。

 小宮はどこであろうと(つまり俺の後ろに広がるのがどんな光景だろうと)カメラを取り出してきて、俺に対して笑うように指示を出した。カメラを向けたその先、つまり俺の後ろ側に川やら建物やらが存在したときはまだ幾分かましだ。そういった状況下であれば、まだ写真を撮るという行為の意図が見て取れる。けれども、俺の後ろに広がるのが平凡なコンクリート壁や良く分からない工事現場であったりした場合には、そもそもどんな思いで笑顔を浮かべればよいのかが分からなかった。

 そしてそんな俺の努力に対して小宮は、シャッターを切るたびに画面上に浮かび上がってくる写真を見ながら、「うーん……微妙」と言って首を傾げた。

「そう言えばさ」途中俺は小宮に尋ねてみた。「どうして今回は人物写真ばかり撮っているの?」

「だから練習だって、練習」

「いや、それはさっき聞いたけど、何でそんな練習が要るわけ?」

 そんな俺の問いに対して、小宮はシャッター音だけを返してきた。

 

 その後も俺たちはひたすらに撮影会を続けた。俺には小宮が何を思ってこんな写真を撮り続けているのかが分からなかったし、それに、小宮が何を思っていようとも、こんな俺を撮影対象としている時点できっと彼女の望むような写真は撮れないのだろうと、薄々勘づいていた。

 時間を追うごとに空はどんどん暗くなっていった。朝の時間帯は陽の光を薄っすら透過させていた雲も、今となってはどす黒く変色していた。風はより一層強く木々を揺らす。指先は酷くかじかむため、俺は先ほどからずっと上着のポケットから手を出していない。一方で小宮は、写真を撮るという都合上、カメラを構えては撮り終わるとすぐに両手を口の前に持って行き、そして「はー」と白い息を吹きかけていた。その指先はもうずっと前から赤く染まっている。

 俺はあれから、小宮がなぜ練習を必要としているのか何度か聞いてみたが、彼女は口を閉ざしたまま何も語ろうとはしなかった。

 SDカードの中に写真が溜まっていくにつれて、小宮の顔は段々と曇っていった。写真を撮るたびに小宮は深いため息を付いた。こんなに苦痛な顔をして写真を撮る彼女の姿を見たのは、初めてのことだった。以前の「デートじゃない日」のとき、俺がつまらなそうな顔をしていたのだとしたら、今日はどちらかというと小宮の方がつまらなそうな顔をしているように思えた。

「えーた先輩。良い写真っていったいなんだろうね」

 暗く影を落とした公園の木々をバックに写真を撮ったとき、小宮が愚痴を漏らした。

「……さあ」

 俺にはそう答えることしかできない。それ以外の言葉は、どれも無責任で自分勝手な言葉になってしまう。

 小宮を慰めるのは別に容易いことだろうし、それに、俺自身が勝手に思っている良い写真の定義を適当に話すことなんてもっと簡単なことだろう。でもそれらはきっと、何の解決にもならない。これは、きっと「練習」なんだ。なんの理由で小宮が「練習」をしなければならないのか、俺はそれを教えてもらえてないが、でもだからこそ、今の俺には彼女のこの行いを咎めることはできない。

「……ごめんね。えーた先輩。私一体、何をやっているんだろうね」

 そう言って口角を上げる小宮の顔が、笑顔よりも泣き顔に近いように見えたのは俺の気のせいだろうか。

「……あのさ。少し休憩しようか。俺、ちょっと疲れちゃった」

 そんな彼女の様子を見ているのが辛くて、俺はベンチを指さしながらそう提案した。

 

       〇

 

 俺はベンチに彼女を座らせてから、近くに会った自販機でコーヒーを二つ買った。そして、彼女のもとへと近づき、そのうちの一方を差し出す。

「え? いいよ。私自分で買うから……」

「いや、飲んでよ。二つ飲み切るのとか、結構辛いし」

「そう。じゃあ……。ありがとう」と言って彼女は缶を一つ受け取った。「これ、暖かいね」

「……うん」

 そう答えながら、俺は彼女の隣に腰をかけた。

 俺たちは公園を眺めながら、缶コーヒーで手指を暖めた。

 誰も居ない公園、誰も遊んでいない滑り台、一切形の変化を起こさない砂場。強い風が微かにブランコを揺らす。周りは白い壁をしたアパートに囲まれていて、どことなく閉塞感を感じる。

「ごめんね。えーた先輩」

 彼女がふとそう言った。

「別に良いって」

 と俺は答えながら、コーヒーを飲んだ。

「人の写真を撮るのって、結構難しいんだね」

 彼女もそれに追随して缶を傾けた。

「でも、別に誰かの写真を撮るのって、初めてってわけではないんでしょ?」

 だって、昔小宮が写真コンクールに応募したいって言った写真は、俺のピッチングの瞬間を切り取った物なのだから。

「うん。まあね。でも、今回私がやりたいことは少し勝手が違うから。……何だか、私自身の能力と、求められている技術を見誤っていたみたい」

「どういう事?」

 俺がそう尋ねると、彼女はこちらを見て淡く微笑んだ。

「だからさ。私はこれまで好き勝手写真を撮って来た。自分が好きな風景、誰かが輝いているその瞬間、ふとした感動。そんなものばかり写真に収めてきた。だけど最初から『人物写真』という目標を定めてカメラを誰かに向けたときは、きっとそれじゃあダメなんだって、今日改めて思ったんだ。だってさ、誰かの写真を撮るときって、本来はその記憶を永遠のものとして留めておきたいときでしょ? そのために撮った写真が酷い出来だったら、目も当てられないじゃん」

「……まあね。確かにそうかも」

「やっぱり難しいな」

 小宮はそう言って、カメラを少し持ち上げた。

「人物写真を撮らなくちゃいけないの?」

 俺がそう聞くと、俺たちの間に強い風が流れた。小宮の髪の毛が宙になびき、彼女の横顔を隠す。

「……うん。そうだね」ポツリと呟いた彼女の白い息は、瞬く間に霧散する。「ごめん。でも、その理由はまだ話したくないかも。もう少し、自分の中で整理がついてからにしたいかな」

「……うん。分かった」

 

 それからまたしばらくの間、俺たちは無言でコーヒーを飲み続けた。その間公園には誰も寄り付かなかったし、それに俺たちは一歩も立ち歩くことはなかった。ただお互いの嚥下の音だけが時を刻む。

 小宮が缶をほとんど垂直にひっくり返し、最後の一滴を飲み干したとき、また会話が始まった。

「そう言えばさ。もう少しでクリスマスだね。えーた先輩は何か予定あるの?」

「……さあ。どうだろう。俺自身には何もないけど、陽斗が上手くやるかどうかによるかな」

 だとすると、予定が何もなければ事がうまく運んでいるということになる。

「相馬先輩が? どうして?」

 そう尋ねてきた小宮に対して、俺はここ最近の「プロポーズ大作戦」の活動内容を話した。だけど、夏目のことに関しては意図的に話の中から除外した。

 別に彼女に対してこんなことを話す理由なんてまるでなかったけれど、ただ単にこれで少しでも会話がはずめばよいというそれくらいの気持ちだった。

 東京からこっちに帰って来た日に、陽斗から突然呼び出しを食らった事。陽斗から「俺と葉月はもうダメかもしれない」と言われたこと。水族館のこと。乾さんと会って作戦を練ったこと。そして昨日、森川さんと話したこと。

 そんな俺の話に対して小宮の反応はどこか薄かった。陽斗が森川さんに対してもう一度プロポーズをするかもしれない、なんて話をしても、「ふーん」と言ったきり、それ以上の反応は見せない。

「まあ、なんとなくそろそろかなって気はしてたんだ」と小宮は言った。「あの二人が並んで歩く姿は、街を出歩いていたら時々見かけたし」

「まあ、それもそうか」

 そう言って俺は苦笑いを返した。

「それで、えーた先輩はクリスマスの日に、『プロポーズ大作戦』の一環として相馬先輩たちをストーキングするの?」

「大分悪意ある言い方だね。それ。……でも、どうだろう。別に付いていく必要なんてないんだろうね。だとすると、暇なのかな」

 俺がそう言うと、小宮が「ふーん」と不服そうな声を出した。

「ねえ。えーた先輩」と小宮が言った。「当ててみせようか?」

「何を?」

「その『プロポーズ大作戦』の中には、会長も居るんでしょ」

 俺は何も答えない。ただゆっくりと息だけ吐いた。

「ほら。やっぱり。道理でねー。どこか話がちぐはぐだと思った。それにそうじゃないと会長だけ仲間外れになっちゃって可哀そうだもん。あーあ。なるほどねー。だからえーた先輩、相馬先輩たちのあとを付いて行きたそうにしている訳だ。だって作戦中だったら、会長と一緒に居られるもん」

「別に。……だったら俺はクリスマスの一日は、一人で部屋に籠ってるよ」

「ダメだよ」小宮は間髪開けずに、そしてやけに真剣な声でそう言った。「ダメ。チャンスを無駄にしたら、ダメだって」

 そのとき、冷たい何かが額に当たった気がした。いや、気の所為じゃない。確かに何かが降って来た。

 俺たちはほとんど同時に、胸元で手のひらを空へとむけた。そして呟く。

「雨……」

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