Just Because! over and over 作:磯野 光輝
街は瞬く間に雨に飲み込まれた。降りしきる雨音は絶え間なく、半ば連続的に地面を叩く。そんな中で俺たちは公園を飛び出し、どこか雨宿りができる場所を探すべく走った。横切る風が耳を凍らせ、服に浸み込む冷水が体の動きを阻害する。
そしてようやく見つけられた場所は、どこかのマンションの駐輪場というあまりにも心もとないところだった。僅かな安息地、と言えば聞こえは良いが、残念ながらそうそう大層な名前を与えられるような場所でもなかった。確かにそこは、雨は凌げた。しかしそれだけだ。足元には砂埃が溜まっていて、うかつに動けば自転車に体がぶつかってしまうほどに狭く、混み合っている。ポッカリと空いた自転車一台分のスペースに、俺と小宮は肩を寄せ合って立っていた。トタンの屋根は俺たちを追い出そうとしているかのように、激しく音を立てる。
小宮は俺の左隣で、肩を大きく上下させて呼吸していた。その度に白い吐息が現れては風に流されていく。彼女はカメラをかばって走ってきた分、頭から背中に至るまで全身が酷く濡れていた。髪の毛からは水滴がしたたり落ちている。
「はぁ。もう最悪」と小宮が呟く。「何で今日はこんなことばかりなんだろう」
俺はそれに対して何も答えなかった。
「えーた先輩も災難だね」
小宮が笑いながら言う。その顔は雨が体温を奪ったせいか、少し青ざめているようにも見えた。俯いた彼女の目元には湿った影が差し込む。
小宮の言いたいことは、なんとなく分かるような気がした。というのも、俺も夏目に対して同じような顔をして同じような想いを抱いたことが、きっとあるから。
俺自身がプランニングしたデートが上手く行かなかったとき、自分から取り付けた大事な約束に遅れたとき、俺は自分自身で反省するとともに夏目の不幸を憐れんだ。そして終いには、俺なんかを選んでしまった夏目に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だからこそ、俺は小宮にそんな顔をしてほしくなかった。小宮が俺のことに関してそんな顔をする道理なんてないのだから。
そんな考えから、俺は小宮の暗い表情を見て見ぬふりをした。きっと上辺だけの言葉で慰めるよりも、そのほうがずっとマシなはずだ。
「……何が?」
そう言って俺は小宮の顔から目をそむけた。
「こんな日に訳の分からないまま呼び出されて、会長と会えるかもしれない大事な日の前日をこんなところで無駄にして、それに……へッ」
「へ?」
不自然な間。口を開けたまま静止した小宮。
「ヘッ……クシュン!」
小宮は大きく体を揺らしてクシャミをした。途中まで無理矢理我慢しようとしたらしくて、どうにも気の抜けた変な音を鳴らしていた。
「何そのクシャミ」
その出し方と顔があまりにもおかしくて、俺はたまらず少しばかり笑ってしまった。
「もう。笑いごとじゃないって」
俺につられてか、小宮の口角も少し上がっている。
「仕様がないじゃん。面白かったんだから」
俺はそう言いながら自分の上着を脱ぎ、そしてそれを小宮の肩から掛けた。たぶんそれは、優しさだとかそんな想いから出た行動ではなく、「クシャミをした相手に上着をかける」というある種の条件反射のような行いだった。それに、小宮に比べれば上着一枚抜いても俺の方が厚着だった、という論理的な考えもあった。
「え? ちょっと……この上着、濡れてるんだけど」
「雨降ってんだから。仕方がないって」
俺の言葉に、小宮はため息を返す。
「うーん……。まあ、せっかくだから、少し借りてようかな」
そう言って小宮は、上着の裾を体の前でピタリと閉じた。
「ふふ」彼女はほんの少し目を伏せて、そして小さく笑う。「……これ、結構暖かいね」
「そう。それは良かった」
小宮につられて、俺の頬も緩んだ。
〇
雨は止むどころか、時間が経つごとにどんどんとその勢いを増していった。無数の水滴はその一粒一粒が空間に軌跡を残し、白いベールとなって俺たちを取り囲んだ。もはや十メートル先の木々の葉すらぼやけて見える。突如として風向きが変われば、俺と小宮のどちらかが順番に濡れた。屋根を叩く雨が、その他一切の音を遮断した。
「ねえ」と小宮が言う。「なんだか私たち、世界から取り残されちゃったみたいだね」
そんな小宮の声すらも、すぐに雨の中へと消えて行く。
「……うん」と俺は静かに答える。
小宮はずっと、俯いたままだ。
「もしかしたら、このまま雨なんて止まないのかも」
「そうかもね」と返事をして、俺は少し笑った。「そしたらこの自転車を全部外に放り出して、ここを1LDKの家にでもしようか。ほら、ここの一画にさ」
何を言うべきか、何と声をかけたらよいのか、そんなものはまるで分らなかった。だから俺が今言ったこの冗談も、小宮が望むような返事ではなかったのかもしれない。でも、情けないことに、俺の口からはそれくらいの軽口しか出て来なかった。
雨の音が一層強まった気がした。
「……ふふ。馬鹿じゃないの?」小宮は足元を見つめたまま肩を震わせる。「そういうときはさ、『止まない雨など無い』みたいなカッコイイ事言って、決め顔するところなんじゃないの?」
「俺だってできる事ならそうしてみたいよ」と俺は言う。「でも、何も思いつかなかった」
「その結果が1LDK?」
「うん」
「随分縦長の家になりそうだけど?」
「まあ、贅沢は言えないよ」
そう言って俺は肩をすくませ、対して小宮はワザとらしく大きなため息を付いた。
「はーあ。なんだかもう馬鹿らしくなってきた」
そう言って顔を上げた小宮は、やわらかな微笑みを浮かべていた。薄っすらとした笑顔と言い換えても良いのかもしれない。ほんの少しだけ細めた目、それに合わせて淡く形作った口角。
「じゃあさ。あそこのピンクの子ども用の自転車の場所は私の寝室ね。それで、ここのリビングにちょっと大きめのソファーを置くから、えーた先輩はそこで寝て」
「俺はそもそも寝室に入れさせてもらえないわけ?」
「当たり前じゃん」
小宮は胸を張ってそう言った。
「ならせめて、ここの枕元にテレビを置いて」
と言って俺は青い自転車を指さす。
「良いよ。どの道テーブルがその辺だし」
「玄関は?」
俺がそう尋ねると、小宮は少しの間「うーん」と言いながら顎に手を当てた。
「いや、要らないって。どうせ誰も来ないんでしょ?」
「それもそうか」
そう言って俺たちは互いに笑い合う。
「それで、この高そうなマウンテンバイクは向こうに放り投げてキッチン台をここに置いて。あとは……」小宮はそこで口を噤んだ。「……なんてね。そんなこと考えたって、仕方がないよね」
その語尾は枯葉のように掠れていて、握りつぶすと、軽い音を立てて砕けてしまった。粉々になってしまった欠片は、とめどない世界の潮流に跡形もなく洗い流される。それがどうしようもなく儚い自然の摂理。
彼女はゆっくりと息を吸いながら、薄汚れた自転車置き場の屋根を見上げた。黒ずんでいて、埃と蜘蛛の巣がこびりついているトタン屋根。その汚れが、ここに来た時より目立って見えるのはなぜだろうか。
ああ、そうか。光が入り込んで来ているんだ。先ほどより少し空が明らんでいる。近くの木からは鳥の歌が聞こえて来る。遠くの道路を走る車の水しぶきの音が、耳の底まで入り込んでくる。マンションの窓越しに、小さな子どもの黄色い声が聞こえてくる。そんな中で雨だけが少し、弱まって来ている。
「ダメだよ。やっぱり私たちはこんなところに居続けちゃいけないんだって。……えーた先輩は、雨が降っていようが、世界が津波で海に沈んでいようが、会長のことを探しに行かないと」
小宮はそう言う。
「……俺が夏目のところへ行ったって、迷惑なだけだよ。嫌がられるかも」
夏目の笑顔が頭に浮かぶ。美しく、悲し気で、そして俺には絶対に引き留めることができない、触れてしまえば崩れ去っていく笑顔が。
「ううん。迷惑だろうが何だろうが行くんだよ」と小宮は言う。「例え誰がえーた先輩のことを引き留めたって、例え会長がえーた先輩のことを拒否したって、えーた先輩が自分自身のために、会長を探しに行くんだよ。……高校生の頃だって、そういう気持ちで受験勉強してたんでしょ?」
小宮はジッと俺の目を見つめてきた。真っ直ぐで、一寸の狂いもない視線。俺と小宮の間に結ばれたその線を、俺はしっかりと認識し辿ることができる。ほとんど真正面にある小宮の瞳は、俺の目を掴んで離そうとしなかった。
「私ね。迷ってることがあるんだ」そう言って小宮は話し出した。「でもその前に話しておきたいこともあるの。これを話しておかないと、ちょっと話が伝わらなくなっちゃうからさ。何も言わなくていいからさ、まあ土産話か何かだと思って少しだけ聞いててよ」
「……うん。聞かせて」
風が俺たちの間を流れた。その中にはもう、雨粒が含まれていない。
「実は私さ、大学生になってすぐにスランプになったんだ。『これだっ!』って写真がまったく撮れなくなってさ。『写真を撮ること』、それが学問であり芸術であると改めて認識したとき、私の手は突然動かなくなった」
小宮は大きく息を吐き出した。
「今まで撮りためてきた沢山の写真も、どこが良くてどこがおもしろいと思って撮ったのか、全く分からなくなったんだ。どれを見返しても、技術的に雑なところは多いし、構図は平凡だし、これは酷いなって。……というより、世界そのものが、当時の私にはつまらなく見えていたのかも。たとえどこに目を向けても、どんなものを見に行っても、全部同じ。モノクロで、薄暗くて。ねえ、そんなつまらないもの撮影して、何か意味があるの? って。そんなことばかり考えてた。
それで私、『ああ、もうだめだ!』ってなって、しばらくカメラを持つことも嫌になったんだ。それに今まで取った写真とか、もう全部捨てちゃおうって思ったんだよね。こんな写真を大事に残しているから、いつまでたっても成長できないんだって。それで、今までの写真の整理を始めた。もちろん、その全部を捨てるためにね。それが大学一年生の冬ごろかな。ちょうど、今みたいな季節」
あとの言いたいことは想像できるでしょ? 小宮はそう言いながら、俺の顔を覗き込むように首を傾げる。
俺が何も答えられずにいると、彼女は小さくクスクスと笑って話を続けた。
「そして整理を始めたんだけど、次から次へと平凡な写真が出てくるわけ。『あーあ。これは本当に酷いな』って、そんな独り言をつぶやきながら、写真をゴミ袋に入れていったんだ。あれもダメ、これもダメ。全部ダメ、って。だけどね、一枚の写真を見つけたとき、ふと手が止まったの」
そう言って小宮は俺に背を向けるように振り返った。彼女の髪の毛が数回横に振れる。俺の上着を羽織った小宮の背中は、いつもよりもやけに大きく見えた。
「分かるでしょ? ……その写真はさ、私が高二のときにコンクールに出した写真。つまり、えーた先輩の写真だったんだよね。
もちろんさ。今見返して見れば、ああ、こりゃ賞取れるはずがないやって代物だった。露出アンダーで全体的に暗いし、審査という観点だと、やっぱりそういう技術的ミスは致命傷なんだよね。だから本来は、この写真も「はいダメ」って捨てるべきだった。でもさ、どうしてもその写真を手放すことができないの。……別にいまさら恋がなんだとか、昔の片想いだとか、そんなことを言うつもりはないけど、あれはやっぱりさ、あの時あの瞬間の、私のすべてだったんだよね。写真の輪郭に指を這わせれば、段々とあの頃の気持ちがよみがえって来た。とにかくキラキラした何かを夢中で追いかけて、写真に収めようとしていた頃のことを」
いつしか雨が完全に上がっていた。道を行く人々はいつしか傘を折りたたみ、マンションからは待ちかねていたかのように子どもたちが出てきた。空を覆っていた雲が、まばらになっていき、その切れ間からは薄っすらと陽の光が差し込んできた。
「そしたら世界にさ、色が戻ったんだ」と小宮は更に言葉を続けた。「空を見上げれば夕陽が眩しく感じるようになった。海へ行けば跳ねる水滴が煌いて見えた。山へ登れば草木の緑が目に染み入るようになった。
ちょうど、今みたいな感じなのかな。雨が上がって、1LDKの自転車置き場から世界が広がったような。……ねえ、えーた先輩、この気持ち、伝わるかな」
「……うん。分かるような気がするよ」
俺がそう言うと、小宮はこちらを振り返った。彼女がそのときに浮かべていた繊細な表情。透き通った冬の日差しに照らされたその顔は、悲しいほどに綺麗で、どうしようもなく愛おしくて、それでいて指の間から砂のように滑り落ちてしまいそうな、きめ細かく軽やかな微笑みをしていた。
「本当に? ……でも、どっちでも良いや。優しいえーた先輩だったら、分かっていても分かってなくても、同じ答え方をするだろうし」
小宮は俺の瞳をじっと見つめたまましばらく動かなかった。胸の拍動が一回一回重くハッキリと感じられた。他方で、俺はその間に一体何回まばたきをしたのか、そんな単純なことも分からなくなった。
「それでね。ここからが本題。私ね、最近ある写真館からスカウトを受けたの。一緒に働かないかって……と言っても、友達のツテではあるんだけどね。だけどさ、少し怖かったんだ。写真をちゃんと仕事にしようとしたら、またあのスランプの時期みたいに、世界から色が失われちゃうんじゃないかって。だから、今日はえーた先輩を使って練習してたんだ」
「……そうか。そういう事だったんだ」
俺がそう言うと、小宮は満足そうに頷いた。
「そう。それで、私今日えーた先輩と会う前に、一つ決心して来たの」
「決心?」
「うん。決心」と小宮は繰り返す。「今日最高の一枚を取れたら、私、そのスカウトを受けるんだっていう決心。だからさ、写真を撮ろうよ。今から」
そう言って小宮はしまっていたカメラを取り出し始めた。
「今? すぐに?」
「今? じゃなくて、今! ほら。早く髪の毛整えて!」
小宮が慌ただしく動き出す。そのせいで、自転車が次々と音を立てて倒れた。俺がそれを立て直そうとすると、彼女は俺の行動を静止した。
「ダメ! 自転車はとりあえず後! ほら。並んで!」
雨上がりに響く、小宮の声。
――最高の一枚。それはすごく難しいものなのかもしれない。第一、人生の内どこからどこまでの間において最高なのかも分からない。最高は人生の内でたった一回だけなのか、それとも複数回定義しても良いのか。それすらも俺には理解できない。でも、一つだけ俺でも言える確かなことがある。それは、俺がその日見た小宮の笑顔は、俺が今までに見た小宮のどの顔よりも「最高」だったということ。それだけは間違いのないことだった。
「並ぶって? どこに?」
「私の隣に!」
そう言って小宮は俺の手を引っ張った。俺の脚がまた別の自転車に当たり、さらに多くの自転車がつられて転倒した。でもそんなこと、小宮はお構いなしだった。
小宮が片手を遠くへ伸ばす。その先には内側へ向けられた一眼レフカメラ。そのレンズはきっと、今この瞬間の俺たちの姿を映しているはずだ。なぎ倒された自転車、濡れたアスファルト、酷い髪型をした俺、そして、最高の笑顔をした小宮の姿を、全部。
「ほら、撮るよ!」
手がぶれないように、彼女は一定の位置でしっかりとカメラを固定した。レンズを「俺たち」の方へ向けたまま。
「いや、ちょっと待てって、全然状況が……」
「はい。チーズ!」
パシャ。乾いた音と共に、シャッターが降りた。
〇
「ねえ。えーた先輩。今日はありがとう」
「別に……いや、俺の方が楽しませてもらったよ」
「本当に? ……じゃあ、良かった」
俺と小宮は、湘南深沢駅のベンチで次のモノレールを待っていた。俺たちには、およそ五分の時間が残されていた。その間にやるべきことは俺たちには何もなかったけれど、やりたいことだけはたくさんあって、数え上げることはできそうになかった。
「今度さ、その、小宮が働く予定の写真館に行くよ」
「えー? 恥ずかしいって。……それにここから遠いよ?」
「どのくらい? どこにあるの?」
「うーん。大阪」
小宮はゆっくりとそう言った。
「なんだ。だったら全然近いじゃん。海外かと思った」
「そんなわけないじゃん。私英語全然話せないし」
そうやって俺たちは少し笑い合って、しばらくするとまた辺りが静まり返った。俺の膝には小宮から返してもらった上着が乗せられている。まだ幾分か水分を含んでいるこの上着は、冬の夜風を受けてもうすっかり冷え切っていた。
「そうだ。一つだけ言いたいことがあるんだ。……先に人生で思い悩み、そしてそれを脱却した人生の先輩からのアドバイス。ありがたく聞いてよ」
静けさを切り裂くように、小宮が言葉を発した。
「……何? 教えて」
俺がそう聞くと、小宮は人差し指を立ててそれを横に振った。
「ダメダメ。先輩に対する口のきき方がなってないって。ほら」
「はぁ……。お願いします。小宮『先輩』」
先輩、の部分は特に強調して言った。
「エッヘン。よろしい。……えーた先輩。宝物を、一つだけ思い浮かべて。例え自分が今どんな状況であろうと、決して失いたくない、大切なものを。私にとっての、あのときのえーた先輩の写真みたいに、大事なものを」
自分のこれまでの人生を思い浮かべて、一番素直な答えを記憶の中心に定めた。正直それ以外には何も、考えもしなかった。
「……うん。思い浮かべた」
「そしたらね……」
小宮がそう言かけたとき、モノレールが駅のホームに入って来た。隣に居た小宮がゆっくりと立ち上がる。まるでそれはスローモーションであるかのように見えた。彼女の呼吸、まばたき、握りしめた拳、ハラハラと舞う髪、そして先を見つめる強いまなざし。それらすべてが、手に取るように把握できる。
小宮は数歩モノレールの方に近づき、こちらを振り返ってこう言った。
「そしたら。その大切なものを絶対離さないで! どんなに辛くても、どんなに拒絶されようとも、図々しく強く抱きしめて! そうすれば……。ううん。それだけ守っていれば、えーた先輩は幸せになれるよ。きっと」
そう言って小宮は、満面の笑みを浮かべる。
モノレールが停車し、扉が開いた。小宮がモノレールに乗り込もうとしたのを見て、俺の脚は勝手にそちらの方へ向かった。
ほんの少し先でこちらを向いて微笑む小宮。モノレール中と外。ただそれだけの、まだ扉さえ閉められていないほんの数センチのホームと車内との段差が、どうにもならないくらい遠い。
なあ小宮、そっち側から見た俺は、今、どんな顔をしている?
「ねえ。えーた先輩。……元気でね」
「……小宮こそ」
モノレールが発車する合図が鳴った。車掌が俺に下がるように指示を出してきた。少し戸惑ってから、結局、俺はそれに従った。
「えーた先輩!」遠く離れてしまった小宮が言った。「えーた先輩は、やっぱり変わってないよ。……あの頃のまんま」
「それって!」俺は声を張り上げた。「それって、どっちの意味だよ……」
小宮が口を開こうとした、その瞬間。無慈悲にも閉められた鋼鉄の扉によって、俺たちの会話は遮られた。でも、声が聞こえなくても、確かに窓から見える、彼女の唇の動き。
……なあ、小宮。俺、その言葉を信じても良いよな。唇でそう呟くと、向こう側で小宮が頷いた。
〇
その三十分後、小宮からLINEが届いた。
「言い忘れてた!」
「何?」
余韻も何も、あったもんじゃないな。そう笑いつつも、すかさず返信した。
「結婚式のときには、ぜひカメラマンとして私を呼んで! 新幹線代金と指名料はサービスしておいてあげるから! 相馬先輩のときも、それとできれば、えーた先輩と会長のときも!」
はたしてカメラマンを指名するのに別途お金がかかるのか、それは別に俺の知ることではなかったが、すぐにこう返事を送った。
「友人枠で呼ぶから、プライスレスで」
スマホをポケットにしまい込み、空を見上げる。満天の星。使い古された月並みな表現。だけど、今日ばかりはそれ以外にこの空を形容する言葉が思いつかない。
吐いた息が星空に溶け込む、そんな夜のことだった。