Just Because! over and over 作:磯野 光輝
「おー……飛んだ」
右手を目の上にかざして、遠くを見つめるようなそぶりをしながら乾さんはそう言った。たしかに彼女の言う通り、これが本当に勝負であるのならば飛距離は十分だった。子どもの頃、何回も靴飛ばしをしたことがあるが、今回の乾さんに匹敵するほどの記録を出したことがあるのかどうかは覚えていない。それほどまでに今回の彼女の飛距離は見事な記録だった。ただ、これがあくまでも俺を奮起させるための見せかけの勝負であるのならば、これはあまりにも飛ばし過ぎであるように思えた。そもそも、俺が本気で靴を飛ばしてみたところで、これに勝てるかどうかは分からない。
ただ、今回はそれ以上に俺の意識を奪い去った爆弾発言があった。
「告白って」俺は思わずそう口にした。「それって賭けになってないじゃん」
「え? どうして?」
どうしても何も、ツッコミどころは山ほどある。ただ俺はその中で、最も客観的に意見を述べられそうなものを選んで話した。
「……賭けってつまり、両者が同じ価値の物をベットして勝負するわけでしょ? その対象が告白だと、それって俺しかベットしてないことになるじゃん」
つまり賭けは成立していない。それが俺の結論だった。
「え? 何勘違いしてるの?」乾さんは不敵な笑みを浮かべる。「泉がこのまま靴を放らないなら、私本気で告白するよ?」
頭を抱えたい気分になった。本気も何も、そんなことをいきなり言われて、信じられる訳がないじゃないか。
俺がそんな疑いの目を彼女に向けても、乾さんはそんなことなどまるでお構いなしといったところだった。彼女はしばらく俺に向かってニヤニヤと挑発的な笑顔を見せつけた後、「よいしょ」という掛け声とともにブランコから立ち上がった。そして左足で所謂「ケンケン」をしながら放り出した靴を取りに向かった。
「ねえ、知ってるかどうか分からないけど、日本語でただ単に『告白』と言ったときには、それは基本的に『愛の告白』と取られるから、注釈はしっかりとつけておくべきだと思うよ」
確認の意味も込めて、俺はそう言った。
「そんなの当たり前じゃん」靴を拾いながら乾さんは答える。「本気でするよ。愛の告白」
「……誰に?」
「うーん。内緒」
そう苦笑いをしながら、乾さんは体をかがませ、右足を靴に通した。そして、その場で何度か履き心地を試すようにつま先で地面を叩いた。
「はぁ」俺にはまったく訳が分からなかった。「なんだよそれ」
「細かいこと気にすんなって。男だろー?」
と言って乾さんはその場で少し前屈するような姿勢を取り、右ひざを軽くマッサージし始めた。ただそれは、(陸上選手が運動後にどれほどマッサージをするのかは知らないが)素人目に見て、一回靴を飛ばしただけの割には念入りなマッサージであるように感じた。
「……まあ、どちらにせよ関係ないけどね。どうせ俺の不戦敗だから」
「えー? 何それ、盛り上がらないんだけど。まあとりあえず私の記録はここね」
そう言って、彼女は念入りに地面にバツ印を描き出した。
「そもそも告白するかどうかを俺に委ねないでよ。告白したいんならすれば良いし、したくないんならしなければ良い。……まさか、告白する勇気がないからこの勝負に勝つことで自信を付けたいとか、そんなわけじゃないでしょ?」
「ふふーん。さあ、どうでしょう?」
「はぁ」
まったく話にならない。積もりに積もった焦燥感から、思わずそう考えてしまった。そして俺が抱いたその感想は、意図せず顔に出てしまったようだ。
「もう。そんな顔しないでよ。……まあさ、勝負はしなくていいから、せめて話くらいは聞いてよ。泉にとって完全に無関係という訳でもない話だからさ」
「……どういう意味?」
「まあ、順を追って話すよ」
そう言うと彼女は、酷くゆっくりとした歩調でこちらに近づいて来た。その顔にはうっすらとした淡い微笑みが浮かんでいた。
「……たぶん今から話すことはすごい回りくどくなるし、それに結局要点のハッキリしないことしか言えないと思うけど、それでも良いかな? ほら、私って馬鹿だし?」
そう言って乾さんはワザとらしく肩をすくめた。
「馬鹿かどうかは置いといて、良いよ、回りくどくても。時間はたっぷりある」
「そう? じゃあお言葉に甘えてゆっくり話そうかな」と言って彼女はもともと居たブランコに再び腰を下ろした。「正直、自分でも告白したいのかどうか、分からないんだよね。私の告白は、もしかしたら相手に対して不幸を与えるかもしれない。それにきっと私たちが結ばれることもない。だから、仮に告白をしたところで、得られるのは自己満足だけ。そう言う意味では、さっき泉が言っていた、『告白するかどうかを俺に委ねないでよ』って言う指摘は正しいんだ。論理的には告白するべきではない。だけど時々、どうしようもなく胸が苦しくなる。……つまりはさ、そんなむしゃくしゃしている気持ちを、今回の勝負に勝つことによって全部泉の所為にしてやろうって魂胆なわけよ。分かる?」
そう言って彼女は淡い笑みを浮かべた。
「分かるような分からないような……。聞いて良いのかどうか分からないけど、論理的に告白するべきではないって、どういう意味なのかによるかな」
「言葉の通りだって。自分は恋愛対象として見られていないから勝率ゼロパーセントだとか、そんなもの」
どうにも話の根幹が見えてこない。いや、と言うよりも乾さんは、自分の話を何らかの事情で理解してほしくないんだと、そう直感した。だから乾さんがこうベラベラと話し続けたところで、俺が納得できることはない。なんせ一番大切な鍵は、未だ乾さんの心の中にしっかりと隠されているのだから。
「なんだか矛盾してるよ」と俺は言った。「俺には乾さんが告白したいのか、したくないのかが分からない。まあ、それは乾さん自身も分かってないみたいだけど。それにしたってこの話が真実なのか、それすらも俺には分からない。これが俺に奮起させようとして仕掛けた勝負なんだと仮定してみても、靴が飛びすぎてて俺は勝てそうにない。全部が中途半端な気がする」
乾さんは顎に手を当てて唸り声をあげた。
「分かった。白状するよ。ある程度ね」と彼女はそう前置きして話し始めた。「その相手にはさ、付き合ってる人が居るわけよ」
何と返せば良いのか分からなくて、俺は考え込むようなふりをして黙っていた。そんな俺の様子を伺ってから、彼女は言葉を繋げた。
「相手には付き合ってる人が居る。それもかなり深い仲まで発展してる。だから今更私が告白をしたところで結果なんて目に見えてるし、相手を困らせるだけ。それに、私、その人とはそもそも友達なんだ。ずっと前からね。だからさ、今更告白したところで、本当に誰も幸せにならないんだよ。皆が不幸になるだけでね。期待値マイナスの、不合理な賭けなんだ」
そう言い終わると、彼女はそのまま俯いて口を噤んだ。彼女の目線は自身のひざ元へと向いていた。ゆっくりと曲げたり伸ばしたりを繰り返している彼女の足、それはまるで、先程の靴飛ばしの動作を懐かしんでいるようにも見えた。そしてそれが何回か繰り返された後に、彼女は再度口を開いた。
「だからさ、私には泉が羨ましいよ」
「……どうして?」
「だってさ、泉は告白が失敗に終わったところで何も失うものはないじゃん。今更夏目さんと普通の友達関係に戻る気なんてさらさらないんでしょ? どうせ、今回のプロポーズ大作戦が終わって、これ以上何も進展がないのならもう会わないつもりなんでしょ? だったら期待値はマイナスに成り得ないじゃん。それに、億が一告白が成功したら収益はプラスになるわけだし。ノーリスク・ハイリターン。私のそれとは全然違う。羨ましい限りだよ」
俺はそんな乾さんの言葉を受けて、自然と頭の中に陽斗と森川さんのことを思い浮かべた。別に乾さんの言っている「相手」というのが陽斗と森川さんに関係しているのか、それは定かではない。しかし「かなり深い仲まで発展した」カップルという言葉から、俺は二人のことを考えた。
乾さんが置かれている状況は、例えば俺が森川さんに片想いをしているような状況に当たるのだろう。……確かに、申し訳ないけれど、仮にそのような状況に乾さんがあるのならば、それはまったく救いのない状況であるような気がする。仮にそのような状況であるのならば、確かに乾さんの告白は負の効果しか生まないだろう。
「……なるほどね」
俺はせいぜいそう言うのが精一杯だった。
「ねえ、泉。お願いがあるんだ」と彼女は言った。「この勝負、勝ってよ。何としても」
「……そっちが仕掛けてきた勝負だけど」
「うん。そうだよ。確かに矛盾してるよ。でも、それは私の気持ちそのものだから。人間の感情って、そんな綺麗に割り切れないでしょ? 私は本気で泉に勝って欲しいし、一方で負けてほしいとも思ってる。私が勝ったとして幸せになんてなれないって、頭では分かってるのにね。……だからさ、お願い。勝って私を止めてよ」
俺は少し迷ってから、一言だけ言葉を発した。「恨まないでよ」
そして俺はブランコをこぎ始めた。
人間の感情はそんなに綺麗に割り切れるものではない。確かにその通りだ。もし、誰もが理想的な行動をとれるのであれば、俺も乾さんも、きっとこんなところでブランコをこいだりなんかしてないだろう。
ブランコの鎖が音を立てる。冷たい風が指に当たり、冬の大気によって冷やされた鉄の感触が痛みに似た感覚を発する。それでも俺はこぐことを止めない。
……本当にこの勝負に勝ちたいのかどうか、実のところ俺自身良く分かっていない。ただこの勝負に負けたくないというのは、俺の本心であると信じている。
乾さんは俺の事が羨ましいと言った。こんな俺の現状を。ただ確かに、言われてみれば、俺にこれ以下の状態なんて存在しない。だったら、せいぜいもう一足掻きくらいしても良いのかもしれない。「どんなに辛くても、どんなに拒絶されようとも、大切なものを離さない」今年いっぱいくらいは、そんな生き方をしても良いのかもしれない。
ブランコが最高点に達した。俺は右足を思いっきり後ろへ引いて、タイミングを見計らってそれを全力で宙に振った。
靴が放物線を描いて飛んでいく。乾さんのそれに負けないほどに、いや、それ以上に見事な曲線を描いて。
「バーカ」と乾さんがそうつぶやいた。「こんな話、嘘に決まってんじゃん」
「……は?」
そう聞き返したところで、けり出した靴はもう元には戻らない。俺が放り出した靴はやがて乾いた音を立てて、僅かに砂を巻き上げながら地面に着地した。その瞬間、俺の勝利が確定した。
〇
たった五センチメートル。それだけの差で俺は勝った。ただそれは明らかに不本意な勝利だった。
靴を回収した後、俺と乾さんは再びジュエリーショップに戻るべく移動を始めた。その道中、乾さんはずっとゲラゲラと笑いを上げていた。
「ふふ……。いやいやいや。冷静に考えてよ。そんな良く出来た設定なんて、ある訳ないじゃん」と乾さんは言った。「泉ってもしかして私より馬鹿? それとも私の演技が上手かっただけ? いやー、自分の才能が恐ろしい」
「はぁ。もっと早くに気付くべきだったよ」
笑いを止めない乾さんに対して、俺はそう言葉を返した。そう、もっと早く気付くべきだったのだ。ヒントだったら、いくらでもあったのだから。
「少なくとも、乾さんに勝つ気が全くないという事だけは、もっと早期に気付くべきだった。いや、気付けたはずだったのに」
「気付けたはず? どうして?」
一瞬笑い声を止めて彼女は言った。
「だって、足。ケガしてたでしょ?」
そう、この前ファストフード店で夏目と乾さんと会ったときに、俺はすでにその情報を持ち合わせていた。それに靴を飛ばした後、彼女はどことなく自分の足を気にするようなそぶりを見せていた。これらを冷静に見ていれば、俺はその事実に気付けたはずだった。
「ああー、なるほどね」と乾さんは言った。「確かにそれに気付かれてたらばれてたかも」
「はぁ」と僕はため息を付いた。「それにしてもさ、飛ばし過ぎだって。俺結構本気で靴飛ばしたのに、それでようやくギリギリ勝ったってくらいでしょ?」
俺がそう聞くと、乾さんは一瞬だけグッと唇をかみしめた。その行為が笑いをこらえているのか、それとも次の言葉を必死に紡いでいる途中だという意志の表れなのか、それとももっと他の意図があるのか、そこまでは俺には分からなかった。
「だって、仕方ないじゃん」と彼女は小さな声でそう言った。「思ったより飛び過ぎたんだからさ」
俺はその言葉を聞き逃したふりをすることにした。