Just Because! over and over   作:磯野 光輝

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Chapter 3 Tempo primo

「じゃあ、できれば明日か明後日。土日だし」

 夜中にのそのそと起き出した俺は、陽斗からの返信を見て、余りにも急な誘いに少しばかり困惑した。そもそも文面では明日と書いてあるが、今現在は日を跨いでいる時間帯であるため、すなわち今日のことだ。

「それに、そんなに急を要する相談事って、一体なんだよ」

 真っ暗な自室でぼやいた言葉は、フワフワと空中をさまよった後に暗闇に紛れた。ただ陽斗のLINEの文面から、何となく焦る陽斗の様子が思い浮かばれて、勝手にかわいそうに感じた俺は、ただ「良いよ。今日の十時、コンビニで」とだけLINEで送った。どこのコンビニかは指定しなかったが、二人の間で共通して思い浮かぶコンビニは恐らく一つしかないから大丈夫だろう。

 しばらく待ってみても返信が来なかったので、俺はもう一眠りしようとして目を閉じた。昼間あんなに昼寝したにもかかわらず、不思議とすぐに熟睡することができた。

 

 翌朝、空は隅々まで晴れ渡っていて、冬独特の乾いた大気の香りが街を覆っていた。青く澄んだ空は、どこまで見上げていっても、その果てが見えることはなかった。

 スマホの着信音で目を覚ました俺は、起きてすぐにLINEを確認すると、陽斗から「OK」というスタンプが送られてきていた。朝六時のことで、約束には程遠い時間帯だった。流石に睡眠時間が過ぎたためか、二度寝をする気にはなれなかった。

 リビングへ行くと、テーブルの上には昨晩の夕飯と思しき料理が、ラップをかけて置いてあった。その一つ一つを電子レンジに入れて温める。昔好きだったハンバーグ、ベーコンをカリカリに焼いたポテトサラダ、どれも好物ばかりだった。

 懐かしい味を堪能して、一息ついてもまだ時間は七時前で、母親も父親も起き出す気配はない。部屋に戻って休んでいるのも、暇を持て余すだけになりそうだったので、いつぞやのようにジャージに着替えてランニングでもすることにした。

 昔から、心の奥底を焦りが支配したときには、ランニングをしていた気がする。走った結果何かが変わる訳でもないし、今後の人生で走る必要性などおよそ皆無だと思われるのに、気が付いたらランニングをしたくなる。かつて、高校三年生の、この街に居たころは特にそうだった。

 朝もやの中、街を走っていると、自分がひどく空っぽな人間であるように思えてくる。でもそういう瞬間は、自身を見つめ直し、考えをまとめるのにはちょうど良い。かつてこの街を走り回っていた自分は、きっと叶わない片想いだとか、何事も成せない自分自身への焦りだとかで胸を圧迫されて、一杯いっぱいになっていた。そして今、俺は当時の自分が辿った道と同じ経路を、同じペースで走っている。程よく息が上がり、汗をかき、雑念が浮かび上がらなくなるようなペースで。

 日当たりの良い場所では雪も溶け始めていて、走っても問題がない状態ではあったが、日陰だったり雪かきが十分ではなかったりしたところは、道が凍結していたため、適宜ペースを調整して走った。

 ひとしきり走ったあとに、ふと足を止めた場所はスーパーマーケットの前だった。少し休憩しようとして中に入ると、店内の暖かさで体の中心から融解するような感覚を覚えた。長い時間この中に居ると、つい休憩が過ぎてしまうような気がしたので、飲み物だけを買って店から出た。

 柵に寄りかかりながら、ペットボトルの蓋を開けて、お茶を飲む。そして店の前に置いてあるのぼりを何の気なしに見ていると、そこにはポップな字体で「クリスマスフェア」と書かれていた。

「嫌な季節が来るな」と俺は思わず言葉を漏らす。

 そういえば、前にもこんなことがあった気がした。あのときはクリスマスののぼりではなくバレンタインで、時間帯は夜だったけど、同様の愚痴を漏らした記憶がある。そして、あのときは隣に小宮が居た。

 小宮とは、高校の卒業式の日、すなわち俺が小宮を振った日から一度も会っていないし、一度も連絡を取っていない。だから時折彼女の事を思い出したとしても、まっさきに浮かんでくる顔は、あの苦しそうな笑顔ばかりで、そして彼女そんな顔を思い出すたびに、茫漠とした時間の積み重ねを憎らしく感じてしまう。

 夏目と付き合う前の俺は、ただ夏目と恋人関係にさえなれれば自分の人生がすべてうまく回ると、そう思い込んでいた。でもいざ付き合ってみると、ひょんなことですれ違う自分たちに訳も分からない焦りのようなものを感じて、ときには苛立ち、ときには呆れ、そして、永遠なんて言葉が存在しないことを知った。

 かつて夏目と喧嘩をしたときに、一度こんなことを言った。「夏目は結局、陽斗の代わりとして俺を選んだだけなんだろう」と。付き合ってもなかなか縮まって行かない夏目との距離感から出てきた不安の言葉だった。その言葉に俺はなんて答えてほしかったのか、否定してほしかったのか、肯定してほしかったのか、あるいはそのどちらでもないのか、未だに分からない。ただあのときの夏目は俺の言葉を聞いて、一瞬だけ目を見開いて、何かを言いたげに口を開いた。でもそこに続く言葉は何もなくて、彼女は何かを諦めるように口を閉じた。それから唇をぐっと噛み締めて、涙をこらえる彼女を見て、自分が取り返しのつかないことをしたと悟った。

 そんなときに小宮のことを思い出すと、もしかしたら俺には、夏目と付き合わないという選択肢もあったのではないだろうかと、どうしても思ってしまう。夏目への想いを憧れのままにとどめていたら、彼女への想いは今頃、有り勝ちな青春の甘酸っぱい一ページとなっていて、こんなにも思い悩むことはなかっただろうと。そして、夏目にあんなにも悲しそうな表情をさせることはなかっただろうと。

 俺は小宮を振って、夏目と付き合って、結局誰一人として幸せにすることができなかった。

 

 時計を確認すると、時間はまだ八時三十分で、余りにも早い時間に家を出た自分を悔い始めた。ただここから一度家に戻って再度出直すのもすごく馬鹿らしい気がしたので、もういっそ待ち合わせ場所のコンビニへと移動してしまうことにした。

 空になったペットボトルをゴミ箱へ向かって放ると、ペットボトルはゴミ箱の淵に当たったのち、音を立てて地面を転がった。まるで俺の人生みたいだなと、ため息をつきながら、俺はすでにゴミと化しているそれを拾って丁寧に捨てた。

 

 コンビニに着いてからしばらく立ち読みで時間をつぶしていると、コンコンと窓ガラスを叩く音が聞こえた。顔を上げると、外には陽斗の姿があった。九時二十三分のことだった。

「おう、何だか久しぶりだな」と陽斗は笑顔で話しかけてきた。「突然呼び出したのに、ありがとな」

「今はたまたまこっち帰って来てたんだ」

 そう答えると、陽斗は満足そうに何度か頷いた。

「なあ、瑛太。ちょっと出歩こうぜ」

 それから俺たちは、行く当てもなく歩き続けた。会話の内容も、それと同じくらいに行く当てがなかった。

「んでさあ。そのとき佐伯先輩がものすっごいエラーしてさあ。溜まってたランナーが全員生還したってわけよ。ただの外野フライが一転ホームランになっちまってよー」

 なんて、どうでも良いことばかり陽斗は話し続けた。

「ふーん。じゃあ、職場の人たちとは上手く行ってんだ」とそれとなく探りを入れると、

「おう!」と陽斗は笑顔で答えた。

 そんな会話はだいたい小一時間くらい続いた。ただそれだけ長い間、世間話をしながらも、森川さんのことを一度も話さなかったことから、きっと彼の相談事は森川さんに関係あることなのだろうと大体の予想はついた。俺が知る限り、陽斗と森川さんは未だに付き合い続けているはずで、お互いに名前で呼び合うようになったくらいには仲が進展していたはずだった。それであるのに彼女の事を話さないということは、話したくない事情があるのだろう。だから俺は深いことは聞き出さず、ただ彼が作り出す会話の流れに身を委ねていた。

 けれども、段々と陽斗の話はまばらになって行って、最後に言葉がつながらなくなった瞬間に、陽斗の笑みは消えた。湘南深沢駅の脇を通り過ぎたときのことだった。

「なあ、瑛太」

「なに?」

「俺と……、俺と葉月はもうだめかもしれない……」

 大方予想通りだった相談内容と、妙に落ち込んだ陽斗の顔を見ていると、俺の口からは自然にため息が出た。吐いて出た白い煙は、すぐに風に流されて消えて行った。

 

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