Just Because! over and over   作:磯野 光輝

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Chapter 7 Refrain

 藤沢駅へと向かう電車の中には乗客がまばらに居て、二人で並んで座るスペースがなかったために、俺と夏目は二人でドアの近くに並んで立っていた。窓から見える街の風景はもうすっかりと夜のものへと様変わりをしていて、人家の明かりがポツリポツリと灯り始めているのが見えた。

 こうして夏目が隣に居ると、話したいことや話さなければならないことはたくさんあるような気がするのに、自分の中でその優先順位が上手く着けられなくて、結局俺からはあまり口を開けずにいた。一方で夏目も、ずっと窓の外を眺めているばかりで、率先して口を開こうとはしなかった。

 だから時々どちらかが言葉を発しても、その会話は二、三回往復するうちに、電車の走行音にかき消されていった。

「それにしてもさ」と夏目は言った。「相馬も森川さんも、結婚かぁ。私たちもそんな年なのかな」

「まあ、まだ本当に結婚するかどうかは分からないけどね」

「うん。……そうだね」

 そのときはちょうど藤沢駅に着く直前で、電車はその進行方向を大きく曲げて、スピードを少しずつ落としている所だった。

「ねえ、泉」

「何?」

「泉はさ、結婚について真剣に考えたことある?」

 俺はそれに対してすぐに答えることができなかった。第一に夏目の意図が分からなかった。夏目がこの言葉から、今俺が付き合っている相手がいるのかどうかを探ろうとしているのか、それとも過去の自分たちの関係についての答え合わせをしようとしているのか、はたまた深い意図などはまるでなく、ただ世間話の一環として話しているのか、まるで見当がつかなかった。夏目の表情から何かを探ろうとしても、彼女は真っ直ぐに外を見つめたまま、微動だにしなかった。

 結婚という言葉を思い浮かべると、そこには夏目の顔が付随して浮かんできた。けれどもその夏目のイメージは中学生の頃から大学生の頃までの間で揺れ動き、一定の像を結ばなかった。目や鼻などの、昔からあまり変わりのないところだけはハッキリと認識できたが、そのほかの髪型や輪郭などは、どんなに目を凝らしてもぼやけて見えた。

「たぶん、幸せだとかに憧れたことはあっても、本気で結婚を意識したことは、ないと思う」

「そっか」と夏目は言った。「たぶん。私も」

 ドアの窓ガラスに映る夏目は、ほんの少し口角を上げた。その奥に潜む感情を見通そうと目を細めたときに、電車は大きく揺れ、直後にドアが開け放たれた。藤沢駅に着いたようだ。結局、夏目の本心はまるで分らなかった。

 俺たちは電車を降りて、そのままバスに乗り換えた。幸いにも俺たちがバス停にたどり着いたときにはちょうどバスが待機していて、乗り換えはスムーズに行うことができた。

 バスの中は非常に空いていた。車内には中年の男性と年配の女性が前の方に座っているだけで、他には乗客が居なかった。俺たちは一番後ろの席に、一人分のスペースをお互いの間に空けて、俺は窓側に、夏目は通路側に座った。

「なんだか、昔もこういう事あったね」

「昔?」

「そう、高校生の頃だったかな。泉が買い物帰りのときに、私が予備校帰りで、たまたま一緒のバスに乗ったとき」

「ああ、あのとき」

 俺が陽斗の内定先の職場の人たちと野球をして、その帰りに翠山学院大学の過去問を買った日のことだ。そして、夏目が陽斗への想いをハッキリさせたいと言った日。

「そう言えば、泉。あの日いやらしい本買ってたんだっけ?」

「だから違うって、あの日も否定したでしょ」

「でも、あの日だって結局何を買ったのかは教えてくれなかった」

「……別に、普通の漫画だったよ」

 未だに夏目には、俺が翠山学院大学を受けたことを言っていない。そしてこれからも別に言うつもりはない。わざわざ片想いの人を追いかけるために(推薦をもらっているのに)大学を受験して、さらに落ちてしまうなど、あまりにも恥ずかしくて説明のしようがないだろう。

 だからこうやって過去の話をするとき、俺はたびたび嘘をつく必要に迫られる。

「そう言えば泉はさ、なんで今こっちに来てるの? 東京で就職したって聞いたけど」

「……良くそれを知ってたね」

「世の中にはお節介な人っていうのが一定数居るからね」と夏目はため息をつく。

「まあ、大したことじゃないけど、今たまたま実家に帰って来てたんだ」

 嘘はついていないが、代わりに何の説明にもなってなかった。夏目はこの俺の言葉にあまり満足していないようで、目を少し細めて俺の事をジーっと見ていたが、その不満を口に出してくることはなかった。

「それよりもさ、夏目、先生になってたんだ。乾さんに聞くまで全然知らなかった」

「ああ、うん。……本気で先生目指そうと思ったのは、大学三年生になってからだから」

「ふーん」

 それは知るはずがないなと、しみじみ思った。

「先生の仕事はどう? 色々大変だって聞くけど」

 俺がそう問うと、夏目は小さく笑った。

「まあ、大変と言えば大変なのかも。でも、やっぱりやりがいがある仕事だとは思ってるよ」

「うん。夏目は何だか、先生に向いてる気がするよ」

「そうかな。そうだと、良いんだけど」

 夏目がそう言ったきり、唇をぐっと強く結んだ。バスの前の方からは、大きなイビキが聞こえてきた。エンジンの音に合わせて、車内は微細に揺れていた。さらに耳を澄ますと、夏目の吐く息の音が微かに聞こえてきた。

「良かったよ」と沈黙に耐え兼ねた俺が言う。

「何が?」

「分からない。でもさ、良かった」

 たぶん俺は、夏目の仕事が上手く行っていると聞いて、それに対して「良かった」と言ったのだと思う。ただ、それを詳細に説明してしまうと、夏目にあらぬ心配をかけてしまいそうだったので、俺はそれ以上詳しいことは何も言わなかった。

「何それ、私の方が分からないって」と夏目は静かに笑った。

 

 夏目が降りる停留所が近づいていた。冬の冷たい外気によって曇った窓ガラスが、街灯を受けてぼんやりと光っていた。車内アナウンスが無機質に停留所名を告げたとき、俺は降車ボタンを静かに押した。軽やかな音のあとに、「次、停まります」という言葉が続く。

「ねえ、泉」と夏目は言う。「ごめん。私、嘘ついたかも」

「……嘘って、何?」

「私、たぶん本当は先生になんて向いてないよ。私が人に偉そうに教えられることなんて何もないし、それに、今はもう何で先生になろうと思ったのか、分からないんだ。やりがいも何も、分からない。ただただ大変で、疲ればっかり溜まっていく」

 俺は何も答えられなかった。そして夏目のことを直視することもできなかった。車内の空気は薄く、街並みは相変わらずぼやけていた。

「ごめん。こんなこと泉に言っても、仕方がないことなのに」

「そんなこと……」

 バスが停車した。「プシュー」という大きな音と共に扉が開く。そのバスの息遣いは、まるで大きなため息のように聞こえた。

「ごめん。着いたから、行くね」と夏目が言った。「じゃあね。また、近いうちに」

 俺が言葉を返す前に、夏目はバスから降りて行った。彼女が最後に俺に向けた笑顔は、真っ直ぐと引かれた線のように心地よく、美しいものだった。結局俺は、また夏目を引き留められなかった。

 

 家に着いたとき、真っ直ぐに風呂場へと向かった。さっさとサッパリして、今日あったことを頭から洗い流したいという実に短絡的な思考から来た行動だった。けれども湯船につかって天井を眺めていると、湯気の奥には夏目の姿がチラついた。

「はぁ、まるで中学生みたいじゃないか」

 自嘲気味に言葉を呟いても、夏目の悲しそうな笑顔をかき消すには至らなかった。

 風呂から上がって、スマホを確認すると、通知がいくつか入っていることに気が付いた。一つは新しく出来たグループの通知、もう一つはそこに書いてある乾さんからのLINE。

「葉月は明後日の夜だったら大丈夫だそうです」

 真新しいグループLINEのトーク画面の上には、「相馬×葉月 プロポーズ大作戦」と書かれていた。

「何だか、ネーミングセンスが古臭いな」と俺は独り言をつぶやく。

 そして最後にもう一つ、夏目から個人LINEが届いていた。

「今日は変なこと言ってごめん。次に会うときは普通に接してください」

 どこかよそよそしいその文章に対して、俺は何も返信できなかった。

 

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