Just Because! over and over   作:磯野 光輝

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Chapter 8 Checking answers

 翌日は陰鬱とした厚い雲が街中を覆っていて、薄暗い一日だった。だからそんな日に小宮と再会したのは、不可思議なことのように思えた。

 俺の中にある小宮のイメージは、常にカメラを片手に、快活に走り回っている姿であったので、今日のような空模様よりも、カラっと晴れ渡った天気の方が、彼女との親和性がより取れているような気がした。だからもしこの先の人生において、小宮とまた会うことがあれば、きっとそれは晴天の下ではないだろうかと、勝手にそう思い込んでいた。

 しかし、もちろん天気なんてのはその日その日の気まぐれであるから、誰かの意識をくみ取ったりはしてくれない。ましてや小宮が晴れ女だとかいうことは一度も聞いたことはないのだから、小宮と晴れ空を結びつけるのはどう考えてもおかしな話なのだ。しかし、それでもやはり、今日の空色は小宮とは似ても似つかないものだった。

 

       ○

 

 前日送られてきた夏目のLINEを見て、ずっと心の中に重いものを抱えていた俺は、どこか寝不足のまま街を走っていた。やはり、釈然としないときはがむしゃらに走り回るのが良い。こうして、疲れが体を支配しているときに限れば、色々なことを忘れられる。

 十二時ごろにのそのそと起き出してから、方々で休憩を挟みながらランニングを続けていた俺は、三時を少し回ったときに川原で長い休憩をとることを決めた。

 川のせせらぎ、静かな水音。コンクリートの斜面に背中を預けて空を見上げていると、視界の隅には白い水道橋が架かっているのが見える。所々に送電鉄塔が立っている以外には、目に見える建造物はほとんどなく、ただっ広い空が悠然と広がっていた。

 頭の中で自分が走って来たルートをたどり直すと、どうやら藤沢付近まで走ってきたらしいことに気が付いて、体の力がドッと抜けるような思いがした。道理でこんなに疲れたわけだ。と妙な納得をする。そういえば、森川さんの家もこの近くか。

 俺はそれ以上の思考をやめて、本当にただ空を眺めていることに決めた。森川さんのことを考えるのも、また今度で良いはずだ。どうせ明日の夜には嫌というほど考えられるのだから。

 のんびりと眺める空は、淡々と退屈そうに同じ光景を映し続けている。目線を左から右へ、そして上から下へと動かしても、そこにあるのはのっぺりとした灰色の雲ばかりだった。太陽が今どの辺にあるのかすら見分けることができない。

「なんだか少し肌寒いな」と俺は独り言をつぶやいた。

 先ほどまで走っていて、火照っていた体が徐々に冷え始めたためか、些細な風を敏感に感じ取った。けれども、もうだいぶ疲れが体を支配していたために、俺はその寒さに身を任せてしまうことにした。目を瞑ると、冷たい冬の風が体を撫でた。

 

 どのくらいの時間そうしていただろうか。遠くから聞こえる犬の鳴き声で目を覚ました。パッと目を開けたときに見上げた空は、眠ってしまう前の空との区別がつかなかった。相も変わらず、空は灰白色のままだった。

 さあ、そろそろまた走り出そうか。そう思い立ち上がると、川の対岸に人影があるのが見えた。

 道端に残された矮小な雪の塊にカメラを向けているその人の姿はどこか見覚えがあった。真っ直ぐと被写体を見つめる瞳や、ゆるく癖のかかった明るい色の髪は当時のままで、懐かしさからか俺は思わず、

「小宮……」と彼女の名前を口にした。

 俺のその声は、向こう岸の彼女には届いていない。辺りは平穏のままで、微かな川の流れだけが音としてあたりに漂っている。

 小宮と最後に会ったのは高校の卒業式のときで、それ以来彼女とは一度も顔を合わせていない。それどころか、あれ以来一度もLINEをしていなかったので、どうにもこんなところで顔を合わせてしまうのは気まずいような気がしてしまった。どうしてか小宮には、夏目と別れたことも、自分が今無職であることも知られたくなかった。だから俺は、このままそっと立ち去ってしまおうかとすら思ってしまった。

 けれども、俺が色々と考えを巡らせているうちに、彼女は立ち上がり、そしてこちら岸に俺が居ることに気が付いてしまった。

 驚いた顔を見せる彼女にどんなリアクションをしようかと迷った末、恐る恐る手を振ってみると、小宮はどこか躊躇いがちに、ぎこちない笑顔を浮かべながら手を振り返してきた。背格好はあの頃とほとんど変わらないのに、そんな姿はどこか昔の小宮とは違って見えた。

 

       ○

 

「えーた先輩……久しぶり」

「うん……久しぶり」

 お互いの存在を確認した俺たちは、それからどちらともなく対岸を繋ぐ橋へと移動して、その中央で落ち合った。そして川岸に沿って行く当てもなく歩きながら、ポツリポツリと会話を始めた。

「えーた先輩、こっちに帰って来てたんだね。私全然知らなかった」

「うん、まあ。でも、帰って来たのは最近なんだ」

「……そうなんだ」

 そう小宮は答えただけで、それ以上のことは深く聞こうとしなかった。ただ単に興味がなかったのか、それとも俺に何らかの気を使っていたのか、その判別は俺にはつかなかったが、今の俺にとってそれはありがたいことだった。

「小宮は」と俺は口を開く。「小宮は、今も写真を撮ってるんだ」

 見ればわかるというような、取り留めのない、無難な質問をした。

「うん。そうだね。色々あったりはしたんだけど、結局これだけは嫌いになれないんだと思う」と言って小宮はカメラを少し掲げるように見せてきた。

 小宮の言った「色々」という言葉に対して、そのときの俺はあえて触れようとはしなかった。あるいは小宮にしてみれば、俺とその話をしたいがために、そんな言い方をしたのかもしれなかったが、どうにも俺は少しばかり「過去」というものに関して臆病になっているようだった。自分が仕事のことや夏目のことに負い目を感じているように、他人も同じような負い目を抱えていてしかるべきだろうと、考え過ぎている節もありそうだった。

 小宮との会話の合間には、何も話さない空白の時間が度々現れた。そして小宮がため息をつくごとに、俺の心にも次第に重苦しい空気が漂い始めた。夏目も、俺に対して同じような気持ちを抱えていたのだろうか。そう思うと、そこはかとなく高い冬の空が、急に寒々しく感じられた。

「えーた先輩は、こんなところまでわざわざ走ってきたわけ?」と小宮が半笑いで聞いて来た。

「まあ、そうだね。気が付いたらこんなところまで来てた」

「へー。何だか、昔からそんなところは変わらないね」

「そうかな」

「そうだよ。きっと」

 そう言った小宮はほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。俺がその理由を問いただそうとしたときに、小宮は次いで口を開いた。

「えーた先輩はさ」と言って、彼女は一拍呼吸を置いた。「えーた先輩は、会長とは別れたの?」

「……知ってたの?」

「ううん。今知った」

 小宮のその言葉で、俺はどうやらカマをかけられたのだと悟った。しかし、思えば男女が六年間も付き合い続ける可能性と、別れてしまっている可能性を両天秤にかけたとき、小宮が投げかけてきた質問は妥当なものであるように感じられた。

「何だか。複雑な気持ちだなー」と小宮は言った。「私あのとき、結構本気でえーた先輩と会長の将来の幸せを祈ったりしてたんだけどなー」

「……それは、何というか……、ごめん」

 ごめんと謝りつつも、小宮はあくまでも軽い口のきき方をしていたので、これは冗談の一種であると受け取ることにした。そうしなければ、自分自身の心が持ちこたえそうになかった。

「でもさ、そうなると少し気になることがあるかなー」と小宮は首を傾げた。

「何が?」

「うん? ……もしもあのとき、私とえーた先輩が付き合ってたとしたら、今頃は別れているのかなーって。そして、今この瞬間にえーた先輩の隣に居るのは私じゃなくて、きっと会長で、今みたいに過去の答え合わせをしているのかなって」

 そう言って小宮は目を細めて笑った。柔らかで優しい笑顔だった。

 小宮の言った、「過去の答え合わせ」という言葉はなかなか言い得て妙であるように感じた。確かに俺たちは今、お互いに落ち着いた立場から、あのころの恋愛の清算をしているのかもしれない。だからつまるところ、俺と夏目が別れたことや、小宮とは付き合う機会がなかったことなどの、過去の選択肢たちは、マークシートに塗りつぶした解答とさほど変わらないのだろう。センター試験の答え合わせを翌日の新聞で行うように、過去の選択肢が本当に合っているのかどうかは、未来になってみなければ分からないのだから。

「……さあね。上手く想像できないや」

 色々と頭の中に想いはよぎったものの、それを逐一口に出すわけには行かないので、口を濁したような答えを返した。それに対して小宮は、笑顔を崩さずに会話をつなげてきた。

「でも。えーた先輩は、あのころ私と付き合っていた方が幸せだったのかもしれないね」

「……どういう意味?」

「だって、あの頃付き合ってたのが私だったら、会長とのチャンスはまだ残されていたかもしれないじゃん」

 そう言われて、俺は少し考え込んでしまった。けれど、少々の思考の後、あることにハッと気が付いて、それを言葉にして発した。

「きっと、そんなことを考えてしまっている時点で、俺と夏目の今後はノーチャンスなんだと思うよ。過去の選択が何であったにしてもね」

 この小宮との会話を機に、俺の中で過去に対する考え方が少し変化した。具体的に言い表すと、「俺と夏目の間に在り得た選択肢は無数にあって、それでいてその中に答えなんてものは存在し得ない」のだと思うようになった。つまり選択肢無限で、模範解答はなく、正解者はゼロの問題。試験問題としては不適切でも、あるいは人生としては良問であるのかもしれない問題。それが俺と夏目の過去であったのだろうと。

「答えがないという答え」を得たとき、ふと視線を上げると、遠くの空では雲が途切れ始めていて、その狭間からは綺麗な夕日を覗き見ることができた。もしかしたら、この分だと空が綺麗に晴れ渡るのはすぐそこなのではないのかと、予感させるような吉兆だった。

 

       〇

 

 俺たちはそれから随分と長いこと歩き続けた。だけどその間はそれほどの苦痛を感じなかった。その理由は、先の会話以降俺たちの間の会話は好転して、昔のように気楽に話すことができるようになってきたからだった。だからとあるファミレスにたどり着くまで、俺は久しぶりに気分が晴れたような思いで、力の抜けた会話を楽しむことができた。

「あ、私食事のあと、ここに原付置いてたんだよねー」と小宮は一台の原付のもとへと駆け寄っていった。

 彼女の原付はあのころと車種が変わっていて、真新しく見えた。しかし全体的な原付の雰囲気は大差がなかったため、彼女の趣味趣向はあのころからあまり変わっていないのだと思った。

「……じゃあ、俺ももう帰るよ。疲れたからバスに乗って」

「ふーん。そっか」と小宮は言った。「あ、でもその前に。今日は久しぶりに話せて楽しかった。ありがとう。えーた先輩」

「いや。こちらこそありがとう」

 そう言ってその場から立ち去ろうとしたとき、小宮が「あ!」と驚いたような声をあげて再度話しかけてきた。

「そうだ、えーた先輩。明後日の昼とか暇?」

「明後日? うーん」

 明後日は別に予定が入ってないから、もちろん暇なのだけれど、彼女の要件が分からないうちに即答してしまうのはどことなく危険性を孕んでいるような気がしたので、憚れた。ただそんな思惑はすぐに見透かされてしまったようで、彼女は俺を急かすように言葉をつなげた。

「はいはい。どうせえーた先輩が暇なのは分かり切ったことなんだから。予定がないなら開けておいてよ」

「……そんな分かり切ったことかどうか、確証はないでしょ」

「平日昼間に走り回っている、ジャージ姿の男が何を言っているんだか」と小宮はため息をついた。「私、撮影で行きたい場所あるから、良かったら付き合ってよ。急遽予定が入ったりしたら、そっち優先しちゃっても良いからさ」

 そう言って彼女は原付のエンジンをかけて、走り出す準備をした。

「じゃあ、そういう事で決まり。あ! これ別にデートとかじゃないから」

「……はいはい。分かりました。明後日ね」

 俺がそう答えると、小宮は片手を軽く振って別れの挨拶を済ませて、軽快なエンジン音と共に走り去っていた。

 一方で、俺はどことなく違和感のようなものを心に抱えたままバス停を探し歩き始めた。

 

 その違和感の正体に気が付いたのはバスに乗って、周りの乗客と空席が目立つ車内を見渡したときのことだった。

 俺が感じた違和は、「平日の昼間に川原で暇を持て余していたのは、何も俺だけではなかった」という実に単純なことだった。

 

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