――吉井家。
「昨日休日出勤したおかげで今日はお休みなのですが……アキくんは仕事ですね」
「テーブルの上に朝御飯の用意とアキくんからのメモが……なんでしょうか」
「『お昼は冷蔵庫に入ってるからレンジで温めてね』ですか。温める時間も書いてありますね」
「朝早くから私のために……アキくんは本当に可愛いですね――あら?」
「この紙は……昨日の日付の領収書じゃないですか。お店は……」
「――――こんな高価な物を……私へのプレゼント、という訳じゃなさそうですね」
「大切な物の領収書をメモ代わりに使うなんて……そんなに慌てていたんでしょうか」
「でも、これはきっと美波さんに……」
「少し寂しい気もしますが、あの子が望んだ未来なら私は……」
「アキくん、塩加減を間違えましたね。この朝御飯…………すこし……しょっぱい……です」
―― バレンタイン当日 ――
「これでよし……っと」
鏡の前で頭を左右に振って髪形のチェック。
久しぶりにこの髪型にしたのに、昔と変わらないわね。
昔と変わらないと言えば……
アキが優しくてウチを大切に想ってくれている事は
ずっと変わらないんだけど……
『僕の方からお願いするよ』って言ってくれたのを
ずっと期待して待っているのに……
☆ ☆ ☆
――ピンポーン ピンポーン
アキが来たみたいね。
葉月のためとは言え、朝早くから来させて悪い事しちゃったかな。
でも本音を言えば、昨日アキも言ってくれてたけど……
一分でも一秒でも早く、アキに逢いたい。
一分でも一秒でも長く、アキと一緒に居たい。
『今、開けるですっ』
ウチが部屋を出ようとしたら、葉月の弾むような声が聞こえた。
『バカなお兄ちゃんっ!』
『おはよう。はづ―――っ!?』
あの子ったら……
またアキに抱きついているのね。
玄関へ行くと、予想通り葉月がアキに抱きついていた。
顔を少し赤くしてアキの胸に頬を擦り付けている。
「おっ、おはよう、美波」
「おはよう」
「バカなお兄ちゃん、ドキドキしてるです……」
「はっ、葉月ちゃん、それくらいで……美波が見てるから……」
アキも少し顔を赤くして……照れているというよりウチを見て少し怯えている気がする。
いまさら葉月がアキに抱きついたくらいじゃ怒らないわよ。
ウチも多少の事じゃ動じなくなってきたわね。
よくあるパターンだと葉月は抱きついた後、アキの頬にキスをするけど……
さすがに一回や二回くらい……
そう言えば、この前もキスしてたわね。
その前も……そのまた前にも……
何故か、アキの関節を逆方向にマッサージしたくなる気持ちを抑えて
「ほら、葉月。あんまりゆっくりしてると部活に遅れるわよ?」
「そうでしたっ」
葉月はアキから離れて、パッと花が咲いたような満面の笑みになると
「お兄ちゃん。葉月が心を込めて作りましたっ!受け取ってくださいですっ!」
昨日、ウチと一緒に心を込めて作った葉月のチョコを
アキは嬉しそうに笑顔で受け取り
「ありがとう。僕も葉月ちゃんにプレゼントがあるんだ」
はい、と葉月にピンクの花束を手渡している。
それを受け取ると葉月は……
「バカなお兄ちゃんっ!葉月、すごく嬉しいですっ!」
「はっ、葉月ちゃん。それくらいで……部活に行かないといけないんじゃ」
「部活よりお兄ちゃんの方が大事です……」
顔を赤くしてアキに抱きついている葉月。
「お兄ちゃん?今日は何か緊張してるんですか?」
「ふぇ?」
「いつもと抱き心地が違うです」
葉月は顔を赤くしたまま見上げるようにアキの顔を見ている。
いつもって……たしかに昔からアキに会うたびに抱きついている気がするわね。
「ほら、美波も見ているし……それに僕、今日は美波に――」
「わかったです……お姉ちゃんに大切な用事があるなら仕方ないです」
アキが顔を赤くして少し困ったような表情で葉月を見ると……
寂しそうな顔をしてアキから離れる葉月。
そしてアキは優しく微笑み――
「美波、これ……僕からのプレゼント」
そう言って赤い花束をウチに差し出してきた。
――――バレンタインの約束。
『毎年ウチにお花をくれる事』
初めは一輪の赤いバラ。
忘れもしない。
割れたチョコのせいでウチが落ち込んでいるのを
励ましてくれたアキの優しさ。
そして少しずつバラの数は増えていき……
最初のバレンタインの時にした約束をアキはずっと守ってくれている。
「ありがとう」
毎年同じ
やっぱり嬉しい。
アキは笑顔でウチの傍に居て……
ウチは笑顔でアキの傍に居て……
いままでも……
これからも……
いつの日か、アキが告白の時にした約束も果たしてくれる事を……
ウチは期待している。
ウチがバラの花束に見蕩れていると
「それで……」
アキがポケットの中に手を入れると、葉月が少し慌てた感じで
「葉月、そろそろ行かないとっ!お兄ちゃんも途中まで一緒に行ってくださいですっ!」
アキの空いている手の方を握って外へ行こうとしている。
仕方ない。ウチがチョコを渡すのは後でも良いかな。
部屋に戻りコートを手に取ると、すぐに二人の後を追う様に家を出た。
――――
―――
――
三人並んで他愛も無い話をしながら駅の方へ歩いていく。
葉月はウチやアキが話しているのを嬉しそうに見ていたり
時折、少し俯いたり……休みなのに朝早かったから、まだ眠いのかな?
そして駅と文月学園への分岐点に差し掛かり
「バカなお兄ちゃん。ちょっとお耳を貸してくださいです」
「なにかな?」
アキが葉月の方へ耳を差し出すと……
「バカなお兄ちゃん。頑張ってくださいです(チュッ)」
「――っ!?」
真っ赤な顔でアキの頬に口付けすると
ぴょん、とウチらから離れて
「バカなお兄ちゃんとお姉ちゃん、大好きですっ!」
心の底から嬉しそうな笑顔でそう言うと
くるっと身体の向きを変えて学校の方へ走っていく。
向こうへ振り向いて走り出した葉月は……
少しだけ俯いていた気がする。
アキは……
口付けされた頬に手を当てながら葉月の後姿を見送っていた。
☆ ☆
「今日はどこへ行くの?」
葉月を見送っているアキに声を掛ける。
このまま道端に立っていても寒いだけよね。
「そうだなぁ。ちょっと静かなところに……美波は何処か行きたいところはある?」
見事なまでに、ノープラン丸分かりの返事だった。
「それじゃ、何処か静かなところにでも……」
今年こそ、ちゃんとバレンタインのチョコをアキに渡して……
ポケットの中にはチョコらしき物が入っている感触がまったく無い。
――――そう言えば、ウチのチョコは何処だっけ!?
「あれ?あれれっ!?」
「どうしたの?」
ポケットを探りながら考えてみる。
――――最後にチョコの入った赤い箱を見たのは……
アキと葉月の後を急いで追いかけなきゃ、と思って
コートを手に取り、ウチの部屋を出る時、机の上に……
アキの左腕とウチの右腕を絡めるようにして腕を組んで歩き出す。
「じゃあ、行きましょうか」
「行くって、何処にさ?」
さっき三人で歩いてきた道を戻るように歩き出すウチに引っ張られながら
アキは着いてきてくれる。
「――――ウチの家」
「美波の家?どうして?」
恥ずかしいんだから聞き返さないでよっ!
アキの顔をまともに見れないから、ウチは顔を前に向けたまま……
「アキにあげるチョコ、忘れてきたのっ」
「あはは。今朝は色々あったからね」
「色々?」
たしかに今朝は普段とは違うけど……
葉月がチョコをあげたくらいで、抱きつくのはいつもの事だし……
色々って言うほどの事は無かったわね?
ウチがジト目でアキを見ていると……
「えっと……朝早く来たり、葉月ちゃんからチョコをもらったり、その……」
アキは横を向いて視線を泳がせている。
本当に判り易いわね。
ウチは組んでいる腕に少し力を込めて……
「葉月の他に何があったの?」
「えっと――」
―― 明久回想 ――
美波に早く来てって言われてるから、そろそろ出かけようかな。
今日は忘れ物は絶対に出来ない。
えっと、葉月ちゃんと美波への花束は……玄関に置いてある。
そして……
僕はポケットの上から触って……ちゃんと持っている事を確認してリビングへ。
姉さんはすでに起きていて
「おはようございます」
「姉さん、おはよう。僕、今日は用事が……」
とりあえず朝の挨拶だけして姉さんが妙な事を言ってこないうちに
早く美波のところへ……
「アキくん」
遅かった。
「何、姉さん?」
「今日は何の日か知っていますか?」
2月14日。
全国的にバレンタインデーのはずだけど……
他に何かあったっけ?
「バレンタインだよね」
「そうです。女の子が愛を告白する日です」
にっこりと微笑む姉さん。
その笑顔の裏に何かある気がしてならない。
そもそも女の子と言う時点で姉さんは規格外のはず。
僕が顔を引きつらせて何を言ってくるのかと思っていると……
「例え相手が親姉弟、犬や幽霊だったとしても愛があれば許される日です」
とんでもない事をさらっと言ってるんだけど、この人っ!?
告白する相手のラインナップが通常ではありえないんだけど……
許されるって告白以外にも何かするつもりなんだろうか。
「愛があれば許されるって一体何を……」
僕が聞き返すと姉さんの手には見慣れたメイド服が。
まさか……
「さぁ、これに着替えて可愛くなったアキくんが私に愛の告白をしてください」
「いろいろとおかしいからねっ!?」
もう、何処から何処まで突っ込んで良いのか……僕一人だと突っ込みきれない。
こんな事をやっていて遅くなったら美波と葉月ちゃんに申し訳ない。
「僕、今日は急いでるからっ!」
そう言ってリビングを出ようとすると……
「判りました」
珍しく物分りの良い姉さん。
でも、あの姉さんの事だ。
一体何が判ったというのだろう?
「では時間はあまり取らせません。アキくん、今年こそ……」
「今年こそ?」
僕が首を傾げながら姉さんを見ていると……
――――妙な雰囲気を作って僕の傍へ寄ってきて
「チョコレートの代わりに姉さんをお嫁さんに貰って下さい」
「そんな物、いらないよっ!?」
「そんな物って何ですか」
言うや否や姉さんは素早く僕の身体を触ってきた。
肩や胸、脇腹など……まるでボディチェックしているみたいに。
そして最後に頭を優しく撫でて……
いつもだと力が抜けてしまいそうになるんだけど何故か……
今日に限っては励ましてくれているように感じる。
「アキくん。忘れ物はありませんね」
姉さんが変な事をしてくるから時間を忘れそうなんですが。
僕は急いでいるって言ったのにっ!?
「ないよっ!僕、もう出かけるからっ」
これ以上姉さんに関わっていると本当に遅くなる。
僕がリビングのドアに手をかけた時、姉さんが背中から声を掛けてきた。
後ろを振り返らないでも姉さんが今どんな
――――いつまでも耳に残るようなハッキリとした声。
「絶対に後悔させる様な事はしないでください」
姉さんに朝の挨拶をしたおかげで出かけるのが遅れた事を
物凄く後悔しているんだけど……
こんな事になるなら、こっそり家を出れば良かったよ。
「もうすでにしてるよっ!じゃあ、行ってくるねっ!」
――バタンッ
『アキくん、少し緊張していましたね。まだ家だというのに』
『それだけ今日……大切な用事があるんですね』
『――美波さん。アキくんの事、よろしくお願いします』
『やはりこういう時はお赤飯でお祝いをするべきでしょうか』
『ところでお赤飯はどうやってあの色になるのでしょう?』
『誰かの血で色がついていそうな気がします……一人分で足りるのでしょうか』
『お祝いされる人の血液だと効果がありそうですね』
『アキくんが帰ってくるのをお布団ひいて……違いました。