僕は今、古い洋館のような建物の前に居る。
普段の僕なら一人だと絶対に来ない場所だろう。
静か過ぎる環境とか、ジッとしていなきゃいけない雰囲気とか……
僕には全然似合わない場所だから。
寝るには最高かもしれないけど、そんな事をしていたら怒られるだろうし。
外に立っていても寒いだけなので建物の中に入る。
【図書館】 と書かれたプレートの下にある、左右に開くガラス張りのドアを抜けて
左手にある案内図を横目に見ながら、エントランスホールを抜けて奥へ。
前に何度か、美波と一緒に来た事があるから大体覚えている。
そして、去年のクリスマスイヴにも来た言語の棚の前へ……
傍にあるテーブルの上に脱いだ上着や鞄を置いて椅子に座る。
本当なら、ここで棚にある本を読んだり調べ物をしたりするんだろうけど……
ここにある本は、よほど用事のある人しか見に来ないのだろう。
何回か来ているけど、一回もここで本を読んでいる人に会った事が無い。
だから周りの人を気にすることなく、ゆっくり出来るんだけどね。
いつもなら、これだけ静かで空調も効いて寒くないところだと眠くなっちゃうんだけど。
僕はテーブルの上に両肘を付いて両手で頭を支えて
テーブルの木目をぼんやりと眺めながら……
ここで美波から告白してもらったんだよなぁ。
すごく嬉しかった。
女の子から告白されたのが初めてだったし
何より、相手が僕の好きな美波だったから……
去年の年末に僕は校内放送で美波に告白みたいな事をした。
そして、この前の始業式でも雄二のせいとは言え
全校生徒の前で美波と結婚式みたいなことをやっている。
僕は学校のみんなに美波の彼氏だと思われてるって……思っていた。
それでも……
平賀君は美波に『付き合って欲しい』と言った。
自分に自信がないとそんな事は言えないよね。
やはりクラス代表ともなると相当な自信家なんだろうか。
美波は……僕より平賀君の何処が良いんだろう?
顔とか容姿だと言われたらどうしようもないけど……
成績だと僕も最近は得意な教科も出来たから
総合すると平賀君とはさほど変わらない。
……と、思いたいんだけど、やっぱりだいぶ違うのかなぁ。
それともクラス代表をやっているから責任感とか周りの人に対する思いやりとか
そういう内面の問題だったら……やっぱり僕には勝てないんだろうか。
どっちにしろ、結果は……美波は平賀君に『付き合う』って言ったんだ。
嬉しそうに微笑んでいたり……
恥ずかしそうに照れていたり……
ちょっと機嫌が悪そうに拗ねていたり……
大きな瞳を潤ませながら幸せそうに笑っていたり……
そんな色々な表情を見せてくれる美波の隣で笑っているのは……
…………これからは僕じゃなくて平賀君なんだ。
そんなのは嫌だ。
僕はずっと美波の隣に居て、同じ物を見て、同じ事で笑って、同じ時間を過ごしていきたい。
そうする事が出来ると思っていた。
そうなるのが当たり前だと思っていた。
そして……
美波もそうしたいと望んでくれていると……思っていた。
あれ……
おか…しいな……
美波の顔を思い出そうとすると……
美波は笑っているんだけど……どうして僕の方を見てないんだろう。
なんでそっちの方に居る人に向かって笑っているの?
僕にも……笑っている顔を見せてよ。
僕は……美波の笑顔が見たいんだ。
…………誰よりも一番近くで。
こんな近くで見ているのに……テーブルの木目の模様さえ、今はちゃんと見えない。
何で、こんなに
ハッキリしないテーブルの上を見ていると……
頬を一条に何かが伝う感触が……
そして、それは僕の頬から……テーブルに滴り落ちた。
しばらく僕がテーブルの上に俯いたままでいると……
「あの……大丈夫ですか?」
いつの間にか、いつぞやの司書さんが僕の横に立っていた。
僕は慌てて目元を拭って
「ごっ、ごめんなさい。なんでもないです」
図書館で本も読まないで泣いている人間が、なんでもないわけが無いよね。
すると司書さんは少し困惑した顔で
「貴方が泣いているテーブルの上に本があったら汚さないように注意するところですが……」
頬に手を当ててため息を一つ吐くと
「この場合は本を利用しないのに図書館に来ていることを注意するべきなのかしらね?」
困った表情で僕を見ている。
「あっ、あの……」
僕は何か言い訳をしようとしたんだけど……何も思い浮かばなくて言いよどんでいると
「前に貴方の彼女がここで泣いていた時は……もっと嬉しそうな顔で泣いていたわよ」
僕の彼女って、美波の事だよね。
前と言うと……美波が一人で来たのって僕が言ったフランス語を調べに来た時の事かな。
「あんなに嬉しそうな泣き顔は見た事がなかったから、いまだに覚えているのよね」
そっか……
僕が美波に伝えたかった事で……
美波はそんなに喜んでくれていたのか。
ずっと前の事とは言え……美波が喜んでくれていたって言うのが嬉しい。
ふっ、と美波の笑顔を思い出す。
楽しそうな……嬉しそうな……幸せそうな……
いつも僕の隣で見せてくれていた笑顔。
でも……
目を瞑ると美波の笑顔が……どんどん遠ざかってしまう。
「貴方たちに何があったのか判らないけど」
今まで美波と二人でしか来た事がなかったのに
初めて今日僕一人で来てて、しかも泣いていた。
……どう見ても楽しそうには見えないだろう。
「ちゃんと話し合う事も大切よ。見たままや言葉だけでは判らない事もあるわ」
話し…合う……?
でも今更……美波は平賀君に付き合うって……言っていたんだ。
美波に会って話をして……その事を美波の口から聞くのが、僕は一番嫌なんだ。
だから美波に会わないように教室を飛び出したんだ。
僕が黙ったまま俯いているのに、司書さんは話を続けて
「言葉は読み方が一つでも、意味は何通りもあるのよ」
意味は何通りあっても、結局美波と平賀君が付き合うって事は一つじゃないか。
「ちゃんと話をしてお互いの事を理解して……泣くのはそれからでも遅くはないと思うけど?」
そう言うと司書さんは片手をひらひらさせて向こうへ行ってしまった。
それが出来るくらいなら……
僕は今、ここに居ないだろうな。
僕は、また一人になってしまった。
すると……
「授業サボって、こんなところで何やってるのよ」
今一番、聞きたかった声が聞こえてきたので振り返ると……
今一番、話をするのが怖いけど会いたかった人が居た。
「アキ、忘れ物を届けに来たわよ」
手にしていたマフラーをテーブルの上に置く美波。
「ありがとう。でも、このマフラーをしてると美波の事を思い出しちゃうから……」
僕がそう言うと美波は口を尖らせて
「ウチ、少し怒ってるんだからね」
そりゃそうだろうな。
美波が一生懸命編んでくれたマフラーを僕が学校に忘れてきちゃったんだから。
「ごめん……でも、僕……」
僕は美波と目を合わせ辛くて少し俯いていると
「アキ、目を瞑りなさいっ!」
「へっ?」
「い・い・か・ら、瞑りなさいっ!見えなくして欲しいの?」
美波が腰に左手を当てて右手でチョキを作って僕を見ている。
どうやら、ここは大人しく従った方が良さそうだ。
「わ、判ったよ……これで良い?」
僕は目を瞑って……来るべき衝撃に備える。
パーで来るのか、グーで来るのか……
さすがに目を瞑らせてからの関節技は無いよね?
すると……
聞こえるか聞こえないかと言うくらいの小さい声で
(……アキのバカ)
そう聞こえてきて……
仄かにシャンプーの良い匂いがしたかと思うと
僕の唇に柔らかくて温かい感触が……
ビックリして目を開けると
長く揃った睫毛に少し潤んだ大きな瞳が僕の目の前にあった。
そして美波が僕の頬に自分の頬を摺り寄せてきて
「アキが忘れたのは……ウチがどれだけアキを好きなのかって事よ」