あるかなきかの女性向け。ハロ←台羽
指折り数えれば何年ぶりか。
古雅な木扉の前でいちど立ち止まったのは、懐かしさのためであり、また何年経とうと何度目であろうと、この扉の前でこみ上げる緊張を鎮めるためであった。ひとつ深呼吸して、ノックする。応答の声をたしかめて滑らかな木肌に手をかけた。押し開いた扉の向こう側から伸びた影が俺の足元まで届き、残照が床に格子の模様を落していた。あらゆる宇宙線を遮る厚い船窓ごしの夕陽は、主の好む火の酒にも似たトロリと深い艶色となって毛氈の絨毯もアンティークの家具も同じ色調に染めている。
「おひさしぶりです、キャプテン」
琥珀色に沈んだアルカディア号の艦長室で、キャプテン・ハーロックは変わらぬ端正な面に重々しい微笑を浮かべて、僕を迎え入れた。
手土産に持ってきたはずの、今年の秋に孤児院の葡萄園で収穫したばかりの果実で作ったワインは、卓上に置く前にミーメの手の中に落ちた。「ジュースミタイ。トッテモ イイカオリ」と嬉しそうに言った言葉が終わるか終らないかの間に空っぽになったボトルは、それでも大切そうにミーメの傍らにある。
「もう何年か寝かせたら、一番美味しい樽をプレゼントしたいとまゆちゃんが言っていましたよ。キャプテンと一緒に飲みたいから待ってて、と」
「なるほど。それまでお預けということか」
ならば替わりがいるな、と言って、彼がグラスにそそぐのは夕陽よりも深い緋色のアンドロメダ産の酒。グラスはふたつ。
「おめでとう、台羽」
「ありがとうございます。キャプテンに祝ってもらえるなんて、こんなに嬉しいことはないです……なんて、貴方が地球にいてくれる日を選んだんですよ、実は」
今しも沈んでゆく今日の陽は、ハーロックの親友の娘の誕生日であった。ひとりミーメだけを傍らに宇宙を彷徨う海賊は、時おり気まぐれに地球に立ち寄ることはあっても、アルカディア号を数日と地上につないでおきはしなかった。ただ、必ず一年に一度この日だけは、亡き友の娘に会いに来るのだ。決して違うことなく。
「貴方を招待したいとまゆちゃんに相談したら、それなら必ず地球にいる日にすればいいとアドバイスをくれたので」
「そんなことで決めるものではないだろう。式の日取りというものは」
呆れた顔でそう言われたけれど、僕は誰よりも誰よりも貴方に来て欲しいのだ。
だから、今日は一晩かかろうと説得するつもりだった。明日の、僕の結婚式に出席して欲しいと。
耳によみがえるのは相談をもちかけた時のまゆの言葉。年々母親に似てきた美しい顔に、大人びた苦笑と少しの哀しみをのせて、少女は「私の誕生日はね、たぶんお父さんの命日なの」と言った。「宇宙は暦日がないから、宇宙で生まれた私にも、宇宙で死んだ父にも、ほんとは誕生日も命日もないのよ。だからきっと、ハーロックは私の誕生日を祝う日に、誰より父を悼んでいる。長いながい間、そうしてきたのね。もう悲しい思い出は十分だと思うの。陽が暮れて、夜が来て、また朝が来たら、笑っていてほしいの。お墓に花を供えるみたいに、ハーロックの哀しさの傍らにだって、新しい花が咲けば……」俯きかけた言葉を止めて、少女は髪を揺らして顔を上げた。「あら、ごめんなさい。台羽さんの大事な日なのに、私ったらハーロックのことばかり言ってて」少女は慌ててそう言ったけれど、謝罪の必要はなかった。僕がハーロックを招待したいと思った理由のひとつは、たしかに彼女と同じ気持ちからだったのだから。
「これでも俺はお尋ね者でな。招待されるような身じゃない」
「そんなこと言わないでくださいよ。父さんも母さんもいない僕にとって、親族と呼べるのはアルカディア号のみんなだけなんです」
「三十九人もいれば大所帯じゃないか?」
「その三十九人が揃いもそろってキャプテンに会いたがってるんですよ。もう最初っから僕の結婚式なんてそっちのけで、キャプテンと一緒に飲んで食べて騒ぎたいだけかも……とにかく、かたっくるしい式にはしませんから」
その服のままでいいですし、いてくれるだけでいいですし、美味しいお酒も用意しますから、と言い募っても肯ってはくれないまま、増えるのは俺の言葉とテーブルの上の空き瓶ばかりだ。ついっとミーメの手が伸びて、まだ中身のある瓶をさらってゆく。その髪を飾る白い花から、ふわりと濃い香りが立つ。眼を凝らせば、飾りと思ったそれは、ほのかな光をまとって輝く生花だった。視線に気づいたミーメが、髪に細い指をそえる。
「キレイデショ」
「うん。どうしたの?」
「今日 マユチャンガ クレタノヨ アカイ花モ アオイ花モ」
でも、ハーロックはみんな中枢大コンピュータ室に飾ってしまった……とミーメは歌うように呟く。
少女から贈られた花を、亡き親友のためにしか飾れないハーロックのために、彼女は自分の髪に飾って傍らによりそうのだろうか。
「ミーメは、いい女だな」
「台羽クンモ イイ男ニナッタワヨ」
大人になったのね、と細い指で頬をなでられたが、到底男扱いされているとも思えなかった。そりゃあ、比べる相手が相手じゃ、ね。
ハーロックから返事をもらうまで、今夜は絶対に酔い潰れるものかというつもりで来たのだが、既に頭の奥に酩酊の気配を感じ始めた。僕ばかり酔わされるなんて、昔となにも変わらない。そう気づいてまた懐かしさが水嵩を増す。昔からそうだった。船長室に招かれ、こうして差し向かいで語らい、時には食卓を共にしたこともあったはずだ。ただ、酒を酌み交わすとなると、酒量を抑えられたことなどほとんどなかった。自分のグラスの中で揺れるのと同じ赤にハーロックが唇をつけ、さらりと飲み干し、舌の上の余韻に心地よく目を細める、そんな姿を目の前にして、どうして僕だけ飲まずにいられようか。喉を焼く濃厚な酒精さえ甘く感じるほどに、彼の姿は優美でその仕草の一瞬一瞬がひとを酔わせる。
「キャプテンは、ちっとも変わりませんね……」
地球は変わった。地球を家とすることを選んだ僕らも。
幼かった娘は年頃の少女になり、星の空を駆けまわっていた男たちも地に足をつけてそれぞれの生活にすっかり馴染んだろう。変わるのはあたりまえだ。この地球では日月星辰が時の移りを駆け抜け、焼け跡は雨と風にさらされ草木を育む。
けれど、ここでは何も変わらない。
哀愁を奏でる美しい異星の女も、いつとも知れぬ遠い歴史の中に時を止めた船尾楼も、そして僕の目の前にいる貴方も。まるで自分までが十代の少年に戻ってしまったような気分になる。不安感と心地よさがないまぜになって、苦しいような懐かしさにとっぷりと浸かって息を吐く。
「聞いて、くれませんか。昔……もう、昔の話、なんですけど……キャプテンのこと、その…、好きだったんです」
一世一代の告白だったはずだが、ハーロックは、わずかに唇をほころばせただけで肯いた。
「知っていたさ」
「あの……そうじゃ、ないんです。憧れや、敬意や、感謝や……そういう好意ももちろんあったけど、それだけじゃ、なくて……それだけじゃあなかったんです。恥ずかしい話だけど、」
今夜言ってしまわないと、もう一生口にすることなんてないだろうから。照れ隠しにひとくち飲んだワインのグラスごしに上目で見やったハーロックは、なにも変わらぬ微笑のままで。喉を火の酒が通りすぎる。顔がカァと熱くなった。
「……知って、たんですか?」
「そう、言ったはずだが?」
「え、あ……だって、いつから……?」
「いつからだったかな、ミーメ?」
ポロポロと竪琴が鳴る。
残響がさざなみのような笑いを含んでいる、気がする。
「ミーメハ ワカッテイタ サイショカラ ソウナルッテ」
「そんな……そんなのって……」
あの頃の自分が、どんなに必死に若い…というより幼い欲やら邪心やらと戦っていたかを思い出すと、我がことながら涙が出てくるというのに。それを、それをよりにもよって当の本人に知られていたなんて。そんなことってあるんだろうか。かろうじて、テーブルに手をついて体を支えていなければ椅子から転げ落ちてしまいそうだった。
「なあに、蛍と、後はますさんを除けば、どこを向いても男ばかりの戦艦だ。時には命のやりとりさえするような暮らしが続けば、そう珍しいことでもないさ。皆そう心得ていた」
「……は? 皆? みんな、知ってた?」
とうとうミーメが竪琴を抱えたままクスクスと笑いだした。なにを言い返す気力もなくなって、テーブルに突っ伏した俺の頭に軽く掌の重みが乗る。憐みか同情かと見上げた男は、だが思いのほか暖かみのある眼差しを落としていた。
「おまえを笑いものにしていたわけではない。皆、おまえが可愛かったんだ。アルカディア号の末っ子のおまえが。俺も、な」
うまく言いくるめられた気もするが、最後にそっと付け加えられたひとことは、言いくるめられてもいいと思ってしまうだけの価値はあった。
アルコールでなめらかになった口が、問われるままに地球の近況を伴侶となる女性のことを、そして未来のはなしをする。自分が語りながら、初めて気づかされる思いもあった。
「早くに母さんを亡くして……父さんも殺されたけど、僕は両親にとても愛されていたと思うんです。今の僕の研究も、科学者だった両親の志を受け継いでいるんだと、いつもそう思っていて……両親、だけじゃない。アルカディア号のみんなに教わったことが今の僕を作ってるんです。変な話だけど、敵だったはずのマゾーンや、生きて会うことのなかった人達から教わったことも、たしかに僕の中にあって……大切な、だけど僕の中にしかないものを、誰かに伝えなきゃいけないって、そんなふうに思うようになったら、自然と家族になりたい人がいて……僕も、アルカディア号みたいな家族が欲しいって……あぁ、なに言ってんでしょうね、僕。こんな話、彼女にもしたことなかったのになぁ……」
低く相槌を打つハーロックの声音はやさしい。彼のグラスに、それに俺のグラスにも継ぎ足されるのは、彼のとっておきのボトルだろうか。もったいない、こんな味もわからないほど酔った僕には。でも、泣きたくなるような嬉しさも、それはたしかに胸に満ちていた。
「なんだか、夢みたいだ……キャプテンと、こんな話してるなんて……ありがとう、ございます」
嬉しいんです。そう言うと彼はやわらかい眼差しで微笑んだ。いつのまに月が昇ったのだろう、宇宙の果てしない闇とは違う、ほのかに光をはらんだ地球の星空が彼の瞳の中にある。
「ありがとうと言うべきは、俺のほうだな。地球も、家族も。台羽、おまえのような新しい世代が未来を作ろうとしている。おまえたちの新しい世界を、おまえたちの理想郷を。それがこんなにも嬉しいと、思う日が来るとはな……」
おまえたちの理想郷(アルカディア)、そう彼は言った。それがどれほど特別な響きを持っているか、彼と共に星の海を旅した中で僕は知っていた。
「それじゃあ、貴方のアルカディアは……」
こぼれ落ちたつぶやきにハッっとした。
それは口にするつもりのない言葉だった。口にしても詮無い言葉だった。
どれほど引き留めても、彼が地上に留まることのない男だと、彼を知るひとは皆わかっていた。
わかっていてもなお、引き留めずにはいられなかった。式に出て欲しいと、彼との絆を取り戻したいと願う、その裏側には、地球に留まって僕らを導いてくれたらどんなにいいだろうと、頼り縋る心が張りついていた。それは、親を求める子の心であり、王を望む民の心だ。だから、彼は肯わないのだ。
どれほど望まれようとも、彼は地球の王になりはしない。
「台羽」
「はい」
「俺のアルカディアならば、」
よく通る低い声が耳を打つ。
彼の手が、ほとんど優雅と言っていい仕草で手袋を外す。
「ここに、」
手袋を外した手は、思いがけず白く美しかった。
その掌が触れたのは髑髏の真上。彼の胸の真ん中よりわずかに左。心臓のあたり。あるいは、心のありか。
「ここにある。この俺の体が滅びるまで」
キャプテンハーロックは、アルカディア号を指さしはしなかった。彼の親友の魂が宿るという中枢大コンピュータさえも。ましてや窓の外の地球でもなく。ハーロックは、自分の胸を指し示した。ならば、彼のアルカディアは大宇宙のどこにも存在しないのだろう。失われてしまったのだろう。目に見える形としては。もはや手に取ってふれることも見つめることも叶わないもの。思い出の中にだけ輝く理想郷を、もはや痛みしかもたらさない壊れた楽園を、そうと知りながら貴方は抱きしめ続けている。
「キャプテン、貴方は……っ」
貴方が背に纏う果てしない孤独の色を垣間見た日に、僕は貴方に恋をしたのだろう。今日まで誰にも、貴方にも、この想いを伝えなかったのは、僕が臆病だったからではない。この恋は、あなたに何も与えず、あなたの生き方をなにも変えないと知っていたからだ。
顔を伏せた。引き結んだはずの唇を濡らして、涙が伝い落ちた。
この強く哀しいひとが僕にくれたものを、僕もまた胸に抱えて生きてゆくのだろう。
いつか、僕の子どもが、そのちいさな掌を空に伸ばして星を捉えようとする夜が来たら、僕は語って聞かせるだろう。あのきらめく星の海に自由の旗をかかげ、友の魂と共にさすらう男がいたことを。彼と同じ信念を抱き、命をかけて戦った男たちがいたことを。
僕の目の前に伸びるひとすじの道と、彼が向かう道筋が交わることが、もう二度とないのだとしても。それでも、ふり返り、宇宙の深闇に白く浮かぶ互いの道が僅かに交わったあの星の海の日々を、彼は愛しみ、そして、今ではこの星を愛してくれている。僕は、僕らは、彼を忘れることはない。やがて、この星の土に僕らの体が還るその日まで。決して。決して。
あふれる涙は言葉にしようもない感謝で、僕の肩を抱く手はやさしい祝福だった。
どうかどうか、貴方を愛し貴方が愛した僕らの行くみちに咲く花が、宇宙の風に乗って貴方の傍らにも届きますように。
end