早坂さんは明かしたい   作:パン de 恵比寿

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投稿が遅れ本当に申し訳ありません!

執筆が遅すぎて、その間にかぐや様のケータイがスマホになってしまった(汗
本作ではまだガラケーだったり設定に所々違いがありますが、作者の拙い妄想とどうかご容赦くださいorz

ブックマーク、お気に入り登録、感想ありがとうございます!本当に励みになります!


早坂さんは愛されたい 前

 

 

 

 

  多くの人に愛されて、同じくらい、多くの人を愛せる子に育って欲しい。

  そんな願いを込めて、両親は私にこの名前を授けてくれたのだという。

 

  まだ物心ついて間もない頃。仕事の忙しい両親に段々と会える時間も少なくなって、甘えたがりだった私は二人の腕の中、聞かされた自身の名前の由来に大喜びしていた。

 

  与えられる想いが温かくて。寄せられる期待がただ嬉しくて。だからどうか、両親の願いに応えられる自分でありたいと、そう心に強く望んだのだ。

 

  けれど……当時の私には分からなかった。

『愛する』とはどういうことなのか。単なる『好き』とはどう違うのか。

  不思議そうに問う私に、父は困ったように。けれどとても嬉しそうに笑いながら私の頭を撫で、母も私の手を大きく広げては、掌に人差し指で文字を書く。そして決まってこう言うのだ。

 

『忘れないで。愛という字は、心を受け入れる、と書くの。あなたが心を開き、もしその全てを受け入れてくれる人がいたなら……その人はきっと、あなたを愛してくれているのよ』

 

  優しく笑う母の横顔。今も夢の淵に思い出す暖かな記憶。けれどやっぱり母が話す言葉も、真意も、子供だった私にはまだ難しくて。答えは分からぬまま、いつか大人になれば自然に知っていくのだろうと思い描いていた。

 

 

 ーーーけれど。幼い頃の希望とは裏腹に。

 答えは歳を重ねるほどに見えなくなっていく。

 

 人は己を偽る生き物だと。

 そう知って。学んで。己の力として身につけるなかで。幼い頃は当たり前にできた、素直になるという行為が、次第に理性によって拒み、妨げられるようになっていく。情動のままに振る舞うのは悪徳であると、感情を押し殺すことばかりに長け、本心を明かす術を見失っていった。

 

 もはや体の一部と言えるまで、身に染み付いてしまった演技の習慣。それが誰かに褒めて欲しいと。皆に愛されたいと始めたものだったのか。

 両親に会えない寂しさ、従僕となるべく課せられる数えきれぬほどの薫陶の日々に、怯え震える自分を偽るためのものだったのか。

 

  切っ掛けを思い出すことはできないけれど。私はずっと、強い己を演じることでしか自分の価値を顕すことできなかった。虚勢を演じて。自分の心にさえ嘘をついて。誰にでも愛される自分を思い描いては、演じることに邁進してきた。

 

  虚栄の自分が認められるほどに、分厚く塗り固められていく仮面。弱い自分は、弱いままに。だからこそ、覆い隠した本心を明かすことが堪らなく恐ろしくなっていく。

 

  人は演じないと愛してもらえない。

  ありのままの自分が認められること……愛される事なんて絶対に無いのだと。

  そう学んで、思い知らされて、今日という日までを生きてきたのだ。

 

 

『あなたが心を開き、もしその全てを受け入れてくれる人がいたなら……』

 

  遠い母の言葉。胸に残る温かな記憶。

  けれど今の私には、その言葉さえ素直に受け入れられない。これまで培ってきた想い。自身を支えてきた信念が、大好きな母の言葉を否定しようとする。理想でしかないと割り切ろうとしながら、それでも憧れだけは捨てきれない。

  正しくあって欲しいのか。間違いで合ってほしいのか。胸の中で混ざりせめぎ合う相反する(ふたつの)心。

 

  そう。心とて、決して一つではない。

  時に強く、時に脆く。移ろいやすくて目には見えない、私の胸の中にもある(もの)

  その全てをさらけ出して、ありのままを受け入れてくれる人がいたなら……それはきっと素敵なことなのだろう。

 

  けれど、それも遠い夢なのだと知る。

 

  嘘ばかりを貫き通してきた自分。

  こんなにも弱く、不確かな心を持つ私が、ありのままの本心を明かせる日など、本当にくるのだろうか。

 

  私はまだ、(じぶん)を知らない。

  母の言う愛の意味も、まだわからない

 

 

  誰かと解り合うということがーーーこんなにも眩ゆい。

 

 

 

 

【早坂さんは愛されたい】

 

 

 

  鳥の囀りが響く早朝の衆知院学院。赤レンガと大理石で飾り作られた豪華絢爛が体をなすような廊下を、白銀は一人歩いていた。

 その手に握られる全国討論大会のパンフレット。本日正午より、まさにここ衆知院学院で開催されるディベートコンクールに向けて、スケジュールの最終確認に取り掛かっているところだった。

 

  掲げられる様々な論題をめぐり、参加者が賛成派と反対派に分かれ討議力を競う大会。互いに主義主張や質疑応答を行うなかで、いかに説得力のある結論を導き出せるか。培ってきた論理学と修辞学の成果が試される場である。

 

  衆知院の生徒達にとっては、体育祭から学園祭までの繋ぎとして知られる恒例イベント。討論の様子は一般にも公開され、期間中、学院内は他校の生徒や観客達の存在により一種のお祭りのような賑やかさに包まれる。ディベート自体に興味が薄くとも、活気ある雰囲気を楽しみにしている生徒は多い。

 

  全国各地の学園から選りすぐりの代表者が集うこの大会には、生徒同士の親睦を深める目的もある。

  だがそこは歴史と実績を重んじる衆知院学院。昨年は惜しくも優勝を逃し、これ以上その名に傷が付くことがあってはならないと、フランス姉妹校から以前懇親会でも会った『傷舐め剃刀』の異名を持つべツィーを呼ぶあたり、教員たちの本気ぶりが伺える。

 

  まあ、それはともかくとして。代表選手ではなく、舞台に立つ予定でもなかった白銀が足を急がせる理由は別にあった。

  またもあの毎度のごとく無理難題を押し付けてくる学園長からの使令、討論大会の司会進行役を務めるよう抜擢されたのだ。それも僅か7日前に。

 

  司会役ともなれば、大会のルールや主旨の把握は勿論のこと、答弁においては参加生徒の国籍ごとに語学の知識も必要となってくる。幸い、本大会の参加者は殆どが日本勢だが、諸外国からの留学生がいることも事実。

 白銀はこの1週間、もともと舞台準備を任されていた生徒会の仕事に加え、普段の倍以上の勉学に追われてきた。目の下に浮かぶ隈と眼光の鋭さは普段にも増し、学園生徒達からはより一層怯えられ、逆にうちの副会長は何故か興奮気味であった。

 

 

(スピーカーとマイク……照明の方ももう一度点検しておいた方がいいな)

 

  今日という日に向けて、出来得る限りの準備はしてきた。人事を尽くせばあとは天命を待つばかり。

  本番、他校の生徒や一般の観客達という普段とは違う顔触れを前に あがらないかが心配ではあるが、今の白銀はとある事情により、こと平静を演じることに関しては絶対の自信をもっていた。

 

  ーーーと

 

  前から歩いてきた一人の女性徒を避けるために、脇に道を開ける白銀。

 準備のためにかなり早朝から出てきたこともあって、周囲に見える教員や生徒の姿は少ない。いるとすれば朝練に励む部活生ぐらいか。その一人であろう女性徒がぶつかることなく横を通り過ぎていったのを確認し、もう一度スケジュール帳へと目を落とす。

 

 

「ーーー四宮?」

 

  だがその途中、今しがた通った生徒がよく知る人物であったことに気づき、振り返る。呼ばれて足を止める少女。背中まで伸びる長い黒髪を揺らし向き直る。

 

「会長?どうされたのです、こんなところで」

「いや、機材の確認をしに体育館へな。四宮こそ……どうした」

 

  白銀がかすかに言い澱むのには理由があった。目の前に立つ四宮かぐや。その普段は束ねられている長い後ろ髪が、今は降ろされているのだ。

 

  風に揺れる黒く艶やかな髪。合間に覗く真紅の瞳。その風貌は一年前……まだ氷の令嬢と呼ばれていた頃を思い出させる。すれ違い様に彼女だと気づけなかったのも、纏う雰囲気があまりに違って見えたからだ。

 

「ええ。実は髪留めが壊れてしまいまして……。こんな大事な日に、間の悪いことです」

「大丈夫か?まあ、別に髪型は今のままでも」

「いいえ。淑女たる者、身嗜みは大事です。早坂が替えを持っているそうなので。校門まで受け取りに行くところです」

 

  琥珀色のひび割れた髪留め手に、それでは、と頭を下げ去って行く四宮。よほど急いでいるのか、その足取りは普段の優雅さに比べれば慌てているようでもあった。

 

  副会長として司会の補佐を務める彼女にも、色々と準備することがあるのだろう。今は清閑としているこの廊下も数時間後には生徒や保護者、それを守るSP達で溢れかえることになる。

 誰かに会うならば、今のうちがいい。

 

  自分もやるべきことをやらねば、と再び体育館へと足を向ける白銀。だが頭の隅では、今しがた見た四宮の姿を忘れられないでいた。

 

  髪を下ろした四宮は本当に久方ぶり。初心に帰るというか、逆に新鮮で。髪型一つでこうも印象が変わるのだな、と感心する一方。その姿を『懐かしい』と思えることに、共に過ごしてきた時間の長さを垣間見るようで、どこか温かい気持ちを覚える。

  ……というより。彼女の姿や一挙一動でこんなにも心動かされてしまっている自分に、平静さに自信があるなんてどの口が言うのかと、自嘲したい気分に駆られた。

 

(しかし……なんだな)

 

  それと同じように、胸奥に湧き上がる微かな違和感。何かを忘れているような。何かを見過ごしているような。そんな得体の知れない不安感にざわざわと胸が震えるのを感じる。

  はて、自分は何か四宮に言い忘れたことでもあっただろうか。

 

「………?」

 

  思案に沈みかけていた白銀、その意識を呼び戻したのは、中庭に見慣れぬ影を捉えたからだった。

  様々な観葉樹が立ち並ぶこれまた豪華な中庭。その木々の合間に隠れるように、女性が一人、青銅製のベンチに腰掛けている。

 

  生徒でも、教師でもない。

  長い黒髪と紫のシックな外套に身を包んだ妙齢の女性は、しきりに携帯電話ーーーにしては少しゴツい見た目の機器に向かって何事かを呼びかけている。

 

  始めはどうするか迷った白銀だが、生徒会長を務める者として、その責務に準ずることにした。

 

「すみません。一般の方の来場は、まだご遠慮いただいているのですが……」

「ーーーっ、」

 

  遠慮がちに声をかけた白銀に、女性は酷く驚いたように顔を上げた。紫のグラデーションがかかったロングウェーブの黒髪。唇許を濡らす淡い紅色のルージュといい、一目見ただけで気品の良さを感じさせる。

 

「ああ、ごめんなさいね。学園の外から眺めているつもりだったのだけれど、見ているうちについつい懐かしくなってしまって」

「卒業生の方ですか?」

「ええ……。と言っても、もう20年も前のことなのだけれど」

 

  申し訳なさそうに笑みを零しながら、女性はふっと息を吐き中庭を見渡す。

 

「懐かしいわね。この中庭は何も変わっていない。こうしてベンチに座って、友人や部活の先輩達と昼御飯を食べていたのが、つい昨日のことのように思い出せる。あの頃はまだ子供で……大人になるなんて、遥か遠い未来だなんて思い抱いていて……あら?貴方」

「…?自分がなにか?」

「その金の刺繍……そう。貴方が、噂の混院生徒会長さんだったのね。どうりで若いのに、しっかりしている子だと思ったわ」

「あ、いえ……ありがとうございます。噂になっているんですか?」

「ふふ、そうよ?そもそも混院の生徒会長からして珍しいのに、貴方は二期も続けて当職しているんだもの。私たちの代でも混院の生徒会長は一度生まれたのだけれど、3ヶ月もしないうちにカンボジアに飛ばされていたわ。……皆、あの偏屈な学園長がよく認めているものだって驚いているのよ?」

 

  くすくすと楽しそうに笑う女性に、照れると同時になんとも言えないアンニュイな気分になる白銀。サラリと怖いことを言われた上に、今もまさに、その学園長から与えられた無理難題に振り回されているところなのだから。

 

「……けれど、大変じゃない?まわりは名家のお嬢様や御曹司ばかり。その横暴さや曲者ぶりと言ったら、混院の……何の後ろ盾も持たない貴方が相手するには、荷が勝ち過ぎていると思うわ」

「そんなことは……」

 

  ない。と言いかけた白銀だが、先日また行われた部活連予算案会議。警視庁総官の息子や、どこぞの国の王子候補までもが雁首を揃え論争を繰り広げるあの場の空気を思い出して、知らず言葉を詰まらせてしまった。そんな内心を見透かしてか、女性はまた口元に手を当てては笑みを零す。

  ……だが

 

「まして……あの『四宮』が副会長に就いているんですものね」

「っーー」

 

  終始こちらを心配するようだった女性の空気が一転、その名前を口にする時だけは、重く暗い気配を帯びるのを感じ、知らず寒気のようなものを覚える白銀。

  時を同じく、鳴り響く携帯のコール音。女性は「失礼」と一度断りを入れると、その華奢な手には大きすぎる携帯電話を耳に当てる。

 

  所在無げに中庭端に立つ時計台へと目を移せば、針は既に8時を回っており、知らず長話をしていたことに気付かされる。

 

「とりあえず、守衛所に向かってください。そこで立入り許可証が貰えますので」

「わかったわ。御免なさいね、長く引き止めてしまって。」

 

  どこか深妙な顔立ちで電話を切った女性に、頭を下げ立ち去ろうとする白銀。女性はまた微笑むように口元に手を当てる。

 

「……それと貴方。いくら校内が安全だからといって、護衛もつけずに一人出歩くのは危ないわよ。特に今日みたいな日はね」

「いえ、私は庶民なのでそういうのは……」

「そうーーー」

 

 

 

「それは良かった」

 

  その口端が、歪むように釣り上がるのが見えた瞬間。驚愕よりも早く、喉奥から漏れ出た息が悲鳴をかき消す。

  白銀の腹部に突き刺さる、太く隆々とした腕。突如、木々の合間から音もなく現れた黒いスーツの男、その鍛えられた丸太のような腕が、白銀の腹を深々と殴打していた。

  両足が地面から引き剥がされるほどの衝撃。肺の底から奪い去られた空気に、白銀の意識は瞬く間に混濁していった。

 

「ご無事で?」

「大丈夫。……目標は校門に向かったわ。時間がない、確実に捕えなさい」

 

  重々しい女の声が、遠く響く。

  倒れ伏した地面の冷たい感触。霞みゆく白銀の脳裏には、最後に廊下で出会った少女の姿が思い浮かんでいた。

 

 

 ーーーー

 

 

 

  体を揺らす微かな振動に目を覚ます。

  開いたはずの瞼。それでも視界は薄暗く、自身が車の中にいることに気づくのに数秒を要した。喉奥から履い上がる強い嘔吐感、未だ強く残る薬品の匂いに目覚めたばかりの頭が苛まれる。

 

「あら、お目覚めかしら」

 

  呻く声に気づいたのか、助手席に座っていた影が振り返る。声からして30〜50代ほどの女性か。フロントガラス以外はほぼ全てプライバシーガラスに覆われ、トンネルの中でも通っているのか、光の乏しい車内では表情さえ読み取るのが難しい。

  だが顔は見えずとも、向けられる視線、発せられる言葉には、隠しきれぬ敵意が滲み出ていた。

 

「……不気味なくらいの落ち着きようね。自分の置かれた状況、まだ理解できてないのかしら」

「っ……」

 

  分からない筈がなかった。

  硬い縄で縛られ、一切動かすことの出来ない手足。本来の用途など構うこともなく両側から伸びる固く引き絞られたシートベルトは、自身を後部座席に磔にしている。両隣に座る漆黒のスーツに身を包んだ屈強な男達からは、常に監視の目が浴びせられていた。

 

  『誘拐』と。そう断じてしまうに余りある状況。

 

  不意に、フロントガラスから一斉に差し込む光。トンネルを潜り抜けた先、車外に映る街並みは元いた衆知院学院から遠く離れたものであった。そんなにも長い間眠らされていたのかと、次々と突きつけられる現状に、焦りと鬱屈した恐怖ばかりが胸の奥に広がっていく。

 

「…五篠家」

「っーー」

 

  ポツリと。囁くように少女が告げた名に、車内に緊張が走る。

  光により露わになった女性の顔は見覚えのあるものだった。驚き、憎悪。そして微かな憐れみを宿す女の瞳が、縛られた少女を見下ろす。

 

「意外ね。貴方のような人間が、目下の者の顔を覚えているだなんて……そうよね。所詮は貴方も籠飼い鳥。恨むのならば父親を恨みなさい。私の家を取り潰した貴方の父を」

 

  静かな怒りの声と共に、女は再び口へと布を押し付けてくる。饐えたような薬品の匂いが喉奥にまで広がり、また意識が遠のいて行く。

 

「四宮かぐや。貴方には、私たちの復讐に付き合って貰うわ」

 

  朦朧と薄れいく意識の狭間、垣間見えたサイドミラーに揺れ動く小さな影。最後に耳に届いた名前に、少女は静かに目を細めるのだった。

 

 

 ーーーー

 

 

「早坂さんの様子がおかしい?」

 

  衆知院学院生徒会室。開催まであと3時間を迎えた討論大会に向け、生徒会役員達は慌ただしくも準備を進めていた。その最中、役員の一である藤原千佳は、はて?と首を傾げる。

 

「なにか、前にも同じこと言われませんでしたっけ?」

「ええ……ただ以前にも増して、心ここに在らずといいますか。話している間は普通なんですけれど、それでもどこか余所余所しい空気を感じるんです」

「どうしたんでしょう……。会長のラップはもう直した筈なのに……」

「ラップ?」

 

  口に手を当てなにやら一人ブツブツと考え始める藤原書記。そんな様子にため息をこぼす少女、四宮かぐやは、おもむろに携帯を取り出しては、その画面を注視する。

 

  「2%」と真っ赤になったバッテリーマーク。幾ら機械に疎くとも、それが意味することくらいはわかる。毎朝 早坂から手渡され、普段ならばその時点で満タンにまで充電されている筈の携帯電話は、先ほど取り出してみればこの有様であった。

 

  昨晩、充電するのを忘れたのか……あの子らしくもない。早坂を信頼し、状態を確認しなかった自分にも非はあるが、先のことと言い、給仕への散漫さが目立ってきている。

 

  ただ気になるのは。その気配が彼女だけでなく、別邸に勤める他の使用人達からも感じること。普段と変わりない体を装っているが、どこか緊張した雰囲気を漂わせているのだ。

 

  彼らが意味もなく、そんな振る舞いをするとは思わない。それでも かぐやとしては隠しごとをされているようで、疎外感も似た寂しさを感じていた。

 

「先輩の携帯はだいぶ型が古いですからね……。コレに合う充電器は僕も持ってないですよ」

「そう、ですか……」

「大丈夫ですよ!生徒会同士の連絡なら、すぐに私が伝えに行きますから!」

 

  ギュッと抱きついて来ようとする藤原さんをヒラリといなしては再び携帯に目を落とす。バッテリー残量1%。すでに風前の灯火と言えるほどに消えかかった電源に、どこか哀愁のような思いを感じながら画面を閉じた。

 

「……ところで、なんですけど。会長 どこに行かれたか知りません?」

「会長?体育館に資材を確認しに行くって行ってましたけど……そういえば、全然帰って来ないですね」

 

  時計を目にまた小首をかしげる藤原書記。大会開始までまだ時間があるとはいえ、事前に打ち合わせが必要なこともある。そのためのミーティングを計画した本人が、5分前になって現れないのはどうしたことだろう。時間を蔑ろにするような人ではないことは、この場にいる皆が知り得ている。

 

「ーーっ!?」

 

  そのとき、かぐやの手の中で鳴り響く携帯。噂をすればなんとやらか、電話先の表示には「白銀御幸」の名前が浮かんでいた。ただ……

 

「わ、待って待って」

 

  既にかぐやの携帯は消えかけの蝋燭。わたわたと慌てて携帯を開いては急いで通話ボタンを押す。

 

「会長!?」

『四宮か!いまーーー』

 

 プーッ プーッ プーッ

 

「あーっ!!!」

 

  だがやはりというか、案の定というべきか。通話は途中で切れ、はよ充電せいと言わんばかりに、巨大なバッテリーマークだけが画面に残った。

 

  なんてタイミングの悪い。会長から電話をかけてきてくれること自体珍しいというのに、またと無い機会を逃してしまった。

  会長からすれば突然、それも一方的に電話を切られたと思うかもしれない。失礼な奴だと反感を抱かれはしないか。そもそも原因がバッテリー切れ。充電を忘れ、携帯の管理一つまともに出来ないガサツな女だなんて思われたらーーー

 

  あぁぁぁと机下に項垂れていく かぐやを他所に、自身の携帯を取り出しては電話をかけ始める石上。

 

「……会長、出ませんね。通話中になってます。まだ四宮先輩にかけようとしてるんですかね」

「ミーティングに遅れるって連絡かなぁ。かぐやさん。会長どんな様子でした?」

「どう、って……」

 

  のそりと顔を上げるかぐや。

  一瞬、ほんの一言二言、声を聞いたくらいなので詳しくは分からなかったがーーーひどく切迫した。それで、とても荒いだ息をしていた。まるで走りながらかけているかのような

 

  ………なんだろう。交わした言葉はほんの僅かだというのに、胸の奥に得体の知れない不安が広がっていく。

  会長、貴方はいま何処に……

 

「ちょ、ちょっと待ってください!学外の人が生徒会室にはーー!」

 

  思案を断ち切るように、生徒会室外に続く扉の向こうから、後輩である伊井野ミコの声が響く。遅れてドタドタと、急くように廊下を鳴らす複数の重い靴音。それは かぐやにとって聞き覚えのあるものだった。

 

「お嬢様!」

 

  扉を勢いよく開け放ち、現れる漆黒のスーツを身に纏う男達。四宮別邸に仕え、討論大会中の護衛として手配したかぐや専属のSP達だ。

 

  だが、彼らには有事の際をのぞいて生徒会室に近づくことを禁じている筈。学内への連絡は、全て早坂を通すよう言い聞かせていたのにーーー

 

「な、なんですか あなた達!」

「お叱りは受けます。ですが緊急の用事ゆえ、ご容赦をーー」

 

  膝をつき、それでも真摯な瞳をかぐやに投げかける男達。その震える口元が、言葉を紡ぐ。

 

「落ち着いてお聞きください。……早坂がーーー」

 

「ーーーえ?」

 

 

  確かに、耳に届いた筈の言葉。

  けれど かぐやには、その意味を聞き入れることができなかった。

 

 

 

 ーーーーーーー

 

 

 

 

 

「う……っーー」

 

  口内にはしる鋭い痛みに目を覚ます。

  明けゆく視界と同時、口に広がる濃い鉄の味。布を押し当てられる直前、自ら噛みつけた舌の傷が覚醒を促したようだ。

 

  微睡む思考を無理矢理覚ましては、車外の景色に目をやる。多くの車が行き交う公道、幸いと言うべきか、映りゆく街並みに大きな変化はない。体は変わらず磔にされたまま。助手席に座る女は、携帯にしては大きい、トランシーバーのような機械に向かってしきりに話しかけている。

 

「妙な気を起こすな」

 

  途中、グッと。自らを縛るシートベルトが固く引き絞られ、呻き声を漏らす少女。こちらの覚醒に気づいたのか、隣に座る男が威嚇するようにベルトの端を引っ張りあげていた。見下ろされる冷たい瞳。それを睨み返すように、少女は、カラーコンタクトの奥に秘めた蒼い瞳に力を込める。

 

  ーーーだが、そこで気がつく。

 

  車の内装が変わっている。

  大きさ、型式に至るまで。意識を失う位前とは、全く別の車に乗り換えられている。

 

「万が一。貴方が攫われる瞬間を目撃した者がいたとしても、車種やナンバープレートが変わってしまえば捜索は至難」

 

  薄い笑みを湛え振り返る女。歪んだ目元はまるで少女の動揺を楽しんでいるようだった。

 

「加えて。いま都内には、乗り換える以前の車も含め、同じ型、同じナンバーを付けた囮の車が6台走っている。警察はもちろん、四宮の力を持ってしても特定は難しいでしょうね」

「っーー」

 

  ぐっと奥歯を噛みしめる少女。

  確かに。女の言う言葉が事実ならば、今頃、四宮家の護衛陣は多大な混乱を強いられていることだろう。罠を張り誘い出したつもりが、相手の掌で踊らされている現状。これ程の物量と周到さ……没落したとはいえ嘗ての名家が裏で手を引いているなど想像もしていなかった。

 

  ……それでも

 

「……生意気ね。怯えたふりをして、目の奥では希望を失っていない。まだ誰かが助けに来てくれると信じている」

 

  女の細く冷たい指が、首筋から登り、少女の長い黒髪を梳くように撫で上げる。伝わる感触、背筋を走る悪寒に知らず目を閉じていた。

 

  四宮家との交渉、脅迫を目的としているなら、無闇に人質を傷つけるような真似はしない。それでも、女の暗く狂気を孕んだような瞳が、少女の冷静を揺さぶった。

 

  もし……ここで。

  自身に人質としての価値もないことが知られてしまえば、私はーーー

 

  怯えに染まる少女の顔に満足したように、女は笑みを浮かべると、そのまま頭にあるヒビ割れた琥珀色の髪留めを抜き取っていった。

 

「髪留め。制服の第3ボタン。靴裏踵部の隠し収納」

「なーーっ」

 

  初めて感情を露わに驚き目を見開く少女。

  女の告げた場所。それら全てが、少女の隠し持つ発信機の位置を正確に言い当てていたからだ。

 

  緊急時の対策として、所有者の位置情報をリアルタイムで送信する四宮家私製の防犯システム。全国各所の電波塔、専属の通信衛星をも利用した独自回線により対象が全国どこに行こうとも居場所を暴き出す……いわば誘拐犯罪に対する切り札(ジョーカー)だ。

  暗号化された信号。巧妙にカモフラージュされた意匠は決して常人に見破れるものではなく、その存在を知る者とて使用人の中でも僅かの筈ーー

 

「……ふふ、ようやく余裕顔が崩れきた。彼のこともこんな風に痛ぶっていたのかしらね。 ……内通者?そんなものを疑うくらいなら、貴方はもっと周りに優しくあるべきだった」

 

  暗い笑みとともにバックミラーを動かす女。写りこむ運転席に座る男の顔に、少女はハッと息を飲む。

 

「思い出したかしら?2年前、貴方が散々にいびり倒しては、辞職にまで追い込んだ元使用人の顔。……酷いことするわ。彼ほどの優秀さなら本邸勤務も夢ではなかったでしょうに。やっぱり、貴方にも父親と同じ血が流れているのね」

 

  ミラーに映る男の痩けた白い顔。眼鏡の奥に潜む、記憶にあるものより遥かに鋭く憎悪に満ちた視線が少女を射抜く。

 

「足取りを追わず、早々に監視を解いてしまったのは失敗だったわね。警備担当ではなかったから油断したのかしら?辞める直前、彼は貴方に対する警護体制を必死で調べ上げていたのよ。いつか貴方に果たす、復讐の想いを胸にね。

  感謝しなさい。もし彼を隣に座らせていたら、今頃貴方どうなっていたか分からないわよ?」

「ーーーっ……どうして」

「?」

 

  終始沈黙を守っていた少女が絞り出すような声を上げるのに、女は首を傾げて応える。

 

「なら、どうしてそんなに余裕でいられるんです。その髪留め……発信機ある以上、私たちの居場所は四宮家に筒抜け。車を変えたところでーーー」

 

  言いかけたところで、声は遮られた。それまでにないくらい大声で笑う、女の声に掻き消されたからだ。

 

「どうして?なら、どうして貴方はまだ捕まったままでいるの?貴方を攫って2時間、なのに四宮の追っ手の気配すらないのは何故?……貴方、どうして私がこんなに大きな無線機を使っているか、まだ分からないの?」

 

  見せつけるように、その華奢な手に収まらぬほど長大な機械を翳す女。訝しかげに眉をひそめる少女も、女の意図を理解した瞬間、凍りつかせるように頬を強張らせた。

 

「………っ!?」

「ーーご明察よ。この車は特別製でね。一定の周波数以下の電波は通さないよう出来ているの。通常の携帯電話は勿論、衛星通信の信号さえ届かない。貴方が持つ発信機の周波数なんて、とっくに把握済みよ」

 

  まるで価値のないガラクタのように、髪留めを指で弾いては投げ返す女。口元を一層歪に歪ませ、少女の耳元へと唇を寄せては、囁きかける。

 

「さらに悪いニュース。四宮家ご自慢の発信機……貴方が靴裏に隠していた一つを、別の車に載せて走らせているわ。勿論、私達のとは違って何の改造も施していない普通の車にね。

  ……今頃、四宮家の護衛達は、私たちと正反対の方向に走る車を必死になって追いかけていることでしょうね」

 

  耳奥に響く女の言葉、その一言一言が血の気を奪うように、少女の顔を蒼く染め上げて行く。

 

  発信機の存在は……少女と四宮家とを繋ぐ最後の希望だった。囚われの身の中、なお平静さを演じえてこられたのは、発信機を頼りにあの子が助けに来てくれるのを信じていたからだ。

 

  頼るものが大きいほどに、奪われたときの絶望は計り知れない。

  孤立無援。逃げることも叶わず。救出の望みは絶たれ、纏っていた仮面も剥ぎ取られた。ただの独りであることを思い知らされた心は、溢れ出る感情の渦に飲み込まれていく。どこまでも暗く冷たい、恐怖の色に。

 

「もう分かったでしょう。助けは来ない。

 そしていい加減に自覚なさい。今の貴方には四宮の後ろ盾もなければ、何の力もない……小さく怯弱な、ただの子供でしかないってことをね」

 

 

 

 

 

 

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