???の現実
少女にとって、世界は白と黒とを併せ持つ、清濁を併せ持つものだった。
勉強が出来る学校が好きだったが、いじめられるから嫌いだった。
愛を注いでくれる母が好きだったが、いじめについてしつこく言及してくるから嫌いだった。
白と黒とが入り交じり、灰色のような、ハッキリとしない世界。
そしてそれを、全人類が許容しているようでもあった。
少なくとも、少女にとってはそう見えた。
増えていく痣、それを隠す為に比例して増えるファンデーション。
『何の為に?』「着飾る為に」
『誰の為に?』「誰かの為に」
決してそれは「自分の為」ではないのだ。そしてその誰かも、母親か、或いはその母親に関係が近しい人間だった。
人間と言うよりは人形と言うべき扱いではあったが、仕方ないと諦めていた。
――自分と母親の血が繋がっていないから。
――自分が人としての権限を得たのが、つい最近の事だから。
それが当然の事だとは思っていない。だからこの不遇には不満があった。
だが物扱いであれ何であれ、義理であれ何であれ、母親から愛情を注がれていた事は理解出来ている。
そこに嘘偽りが無いことは、誰よりも何よりも、自分自身が理解していたのだ。
鑑賞物に向ける愛を、彼女は愛情と評した。
それこそが自我の消失点。人が道具に成り下がった、その分水嶺。
それこそが少女の本当の始点。〈エンブリオ〉、【混沌坩堝 ピートース】の〈マスター〉、ルビンの始点である。
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唯一無二のその境界が、少女を始めさせ、終わらせた。
元奴隷、人権無きもの。
現人形、人権無きもの。
それだけが、彼女の証明だ。
三百四人目の『解放されたもの』マキウス・ティリス。
元々の名は無く、そして【諸悪王】が本当の意味で諸悪の根源の片棒である事も、【数神】が英雄である事も微塵も理解してすらいない無垢なるもの。
そこには意味は必要なく、それ以上に意思が必要ない。
彼女の名前も、恐らくは何一つ意味を見出さないまま終わるだけの、いわばフレーバーテキストとして終幕を迎えるのだろう。
それでもここで語らなければいけないのは、そうしなければいけない理由はあるのだ。
仮にそれが、間違いだとしても。
英雄でも正義の味方でもない、年端もいかない幼子の過去と現在と未来を語る事に、今更何かしらの感慨を抱く事もまた、ないのがこの世界なのだった。
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過去は無い。
語るようなものは。或いはそうでなくとも。
有名無実と言うのであれば矢張り少女には名前しかなく、その姿かたちに、今更ながら説明を付け加えるまでもない。
正義の味方のような祝福されるべき過去も、諸悪の根源のような隠匿すべき過去も、狂騒の姫君のような波乱万丈な過去も。
何一つ。特筆すべきことなど何一つありはしないのだ。
ただあるとすれば人形としての翫弄だけだろう。
食事も、健康管理も、睡眠でさえ、何一つに自由が存在しない、究極の束縛を生きた少女。
ではそんな少女が何故ゲームの世界、それもデンドロの世界に足を踏み入れたのか、そこが問題ないし話題になるのだろう。
それの回答は、至って単純で、極めて異常だった。
――少女の母親が、死んだのだ。
それも、事故死などではなく、血塗れの変死体で。
当初警察はあらん限りの手段を以て、可能性と言える可能性を虱潰しに調べあげた。
その可能性の一つが、少女が母親を殺した、とする仮説。
日常生活や聞き込み調査からその仮説は早々に外れたが、それでも疑念は払拭できない。
こびりついて離れない汚れのように、その可能性が、調査していた警察一同の脳裏に焼き付いていた。
何故かと問われれば、それは整合性の一言に尽きる。
合点が行く。行き過ぎて怖い程に。
凶器は何処から。犯行の動機は。5W1Hをそれで埋めて行けば花丸が貰える程に、百人ともが納得して反論しないかのように。
――だが、彼等は少女を捕まえる事は叶わない。
少女には■■が無かった。
全人類が人類として生きる為に必要不可欠なそれを、少女は既に欠落させていた。
それでも少女は今も尚行き続け、ルビンとしてデンドロの世界に降り立ち、【混沌坩堝 ピートース】を使用して、カタルパ・ガーデンの敵として立っている。
必要なのは真実であり、その他の「もしかして」のような仮説は一つも要らないのだ。
よって事実を此処には残しておこう。
少女ルビンは人間としては既に終焉を迎えている。
だからこそ少女の血肉を血肉たらしめたのは、TYPE:ボディの〈エンブリオ〉、【混沌坩堝 ピートース】だけであった、と。