救わねばならないという義務。或いは責務を背負って力を行使するのがカタルパであれば。
人として生きたいという欲望のままに人外へと歩を進めるのが、ルビンだった。
何処かしら、対立している訳では無い。
そもそも、欲望は千差万別でありながら二項対立のように分かりやすく「敵」が設定されている訳では無い。敵と言える敵は、それと相反する欲望か、或いは無欲か、それくらいのものである。
そして「したい」という欲望はある意味で、「しなければならない」義務とは相反するものとなる。
ならば今回彼女と彼が相対したのは、たったそれだけの事だったのだ。善性と悪性が衝突しただけ。犬も歩けば棒に当たる。正義の味方も歩けば悪につまづく。
――それだけだった。今までもこれからも。何一つ変わりなく。
誰かがそれをどう評価しようとも、現実は変わらない。視点が変わったところで、事象そのものは変わらないのだ。
だから必要なのは見方ではなく、受け取り方。
正義の味方が悪に出会いそれを打ち倒す勧善懲悪の物語と見るか、悪を倒し続けて生きるしかない悲劇と見るか。
それは、矢張り受け取り手の問題であり、そこを強要する事は出来ない。
ただ、誰の目にも、彼がマトモでない事は明らかだった。そこだけは強要するまでもない。
だからこそここには、注釈が一つ必要だ。
「義務」で履行するならばそれは英雄であり、正義の味方が善を成すには、そこには「自我」が必要だ。善を成す意思が必要なのだ。
さて、それは果たして何処に在るのか。
言うまでもない事ではあるが、彼の正義は、彼一人では成立しないのだから――答えは、見えている。
□■□
蒼の世界、白黒の世界。瞬く間もなく移り変わり、必殺スキルの顕現の前に、カタルパ達は一撃を食らわせた。その光は、正義の味方の明確な攻撃手段であり、お得意の必殺技というものである。
然し。
「――ふふっ、あははっ、ざーんねん♪」
笑い声と共に届いたのは、死刑宣告のような台詞だった。
同時、何故カタルパ達が彼女の〈エンブリオ〉そのものを見た事が無かったのか、思い知った。
「……オーラそのものな訳がなく、かと言って容れ物さえ見なかった……お前自身がそうなのか、
罅割れ、砕け、それでも笑顔は崩れない。
割れた彼女の隙間からは、
TYPE:ボディ。【犯罪王】と【殲滅王】の二人しか例は無い、そう聞いていた。
そうした形のエンブリオを持つ人間の、その人間性は――
「――己自身の肉体に思い入れがない、砕けて言えば『どうでもいい』と捉えている……」
肉体に対する思念の欠如。それは究極的には「意思(魂)にこそ価値がある」という思想にも繋がる。つまるところ彼女は、
その結果があの、【混沌坩堝 ピートース】である。
そう言われれば、彼女はそうなのだ。何せ彼女にとって肉体は、母親にとっての人形でしかなかったのだから。寧ろ何故人形に魂と精神があったのか、ここに帰結してしまうのだろう。
カタルパ達の人間性が破綻しているのであれば、彼女の――マキウス・ティリスの、つまりはルビンの人間性は崩壊している。
修復不可能なレベルで、捻れて破れて壊れて、嘗てのあったかどうかすら分からない状態にまで回帰する事は、叶わない。
だからこれは。カタルパ・ガーデンとルビンの決闘は。
英雄という人形として生きようとした人間と、救済されたが故に人の意志を持ってしまった人形の、醜い争いだった。
「だがそれでも、天秤は傾かない」
正義の女神の一言。
カタルパの思考に、栞のように挟み込まれた言葉は、カタルパを平静に連れ戻した。
「あぁ、そうだったな。序に世界も変わらないと来た。いやはや、困った困った」
既に《
何せ彼女、ルビンの背後には今までのオーラ状の何かの中ではダントツで異様な覇気を発していたからだ。あれが必殺スキルの内容であることは、火を見るより明らかだった。
「今までのあのオーラ状の『何か』はそれぞれ、状態異常を与える事に特化していて、与える状態異常はその『何か』によって決まっているようだった」
「……ほぅ?私にはサッパリだ。ほら、『そちら』の神話は存じ上げないからね」
「……そう、だな。じゃあ話しておこう」
駆け出す二人。オーラ状の『何か』、ルビンが『タナトス』と呼称するそれは、他のそれとは違い、動き、そして手に持つ剣をカタルパに振り下ろした。
「――へぇ?」
今までの『何か』とは違う行動にほくそ笑み、大剣で迎え撃つ。会話が中断され、否が応でも戦いに意識が移行する。
模造の水晶が砕け散る。急造品では、必殺スキルには敵わなかったようだ。
「【失明】と【麻痺】、【混乱】に【酩酊】……なら、こいつは?」
カタルパは、それぞれに「対応」がある事を見抜いていた。
夜を見せた『何か』は【失明】と【麻痺】。
ミルキーを操った『何か』は【混乱】と【酩酊】。
であれば、眼前のそれもまた、与えてくる状態異常がある筈なのだ。
その思考に、ただの逡巡に、ルビンが小さく答えた。
「他の
「……え、
「そうだよー。ティアンは大丈夫だけどね。触れた側と触れられた側、両方に発動するの。今は大丈夫なんだけど、条件起動でHPを一瞬で殆どを持って行く猛毒だよ!最っ高でしょ!」
「「あぁ、最低だ」」
その二人重なった返しに、ルビンは目を見開いた。
この必殺スキル《混沌は斯くあるべし》の【猛毒】が発動するにはマスターが触れれば良いのだからルビン自身が接触しても発動する。そして彼女は身体はTYPE:ボディの〈エンブリオ〉である為、その毒が効かない。本来はそのような、一対一を想定した必殺スキルであり、元よりこんな、正義の味方一味や諸悪の王、『バック・ストリート』のオールメンバーといった一対多を想定されていない。だが、発動に特に制限はなく、一人にかけられる回数に制限はあれど一度にかけられる人数に制限はない。
――問題は、そこではない。
見開いた理由はそれではない。
『他のマスターに接触した途端に発動する』。
『ティアンは大丈夫』。
『条件起動』。
――なら、〈エンブリオ〉はどうだ?
己の分身であるそれは、どう判定されるのだろう。
解答は、彼女の目の前に、絶望として現れていた。
「例えば、俺の右手を見ながら、俺はそれを『俺と右手』と分けて認識はしない。あって当たり前のこの右手は俺の一部であり、右手も含めて俺自身だからだ」
「それと同じ事。私という存在もまたカーターの一部であり、『正義の味方と私』とはならない」
手を繋ぐ二人に、戦慄し、引き下がる。
「私達は
「俺とアイラが揃って初めて、『俺達』はそうして初めて正義の味方なんだ」
引き下がる。後ずさる。背を向ける。駆け出――そうとして立ち止まる。
そびえる壁のように樹木が並び立ち、その合間を縫うように、或いは枝に立って、一同が介している。
「あ……」
ルビンは
「さて、終幕だ。そうだろう?」
さながら悪役が如く、諸悪の王は笑った。彼等は《混沌は斯くあるべし》の効果範囲内に入っている。彼等はこれより二十四時間、仮にルビンがデスペナルティになったとしても誰かに触れる事は出来ないだろ……う……?
その思考さえ途切れた。
先の正義の味方の理論に則るなら、〈エンブリオ〉とはつまり、〈マスター〉だ。
確か植物を操るのは、【平生宝樹 イグドラシル】という〈エンブリオ〉ではなかったか?
ルビンは気付かない。操っているだけであり、イグドラシルに明確な存在がない事を。
抜け穴を突くような。針に糸を通すような。緻密で、繊細な行動。
僅かな合図のみでここまで動いた彼等も彼等だが、智力の化け物は、伊達ではないのだ。
「あぁ。終幕だ」
答えぬまま応じたアイラが鎖を放ち、『タナトス』ごと雁字搦めにしてルビンを浮かせる。
そのまま地面に激突か、このまま絞殺も有り得るか。
様々な死の想像。フラッシュバックする痛苦に塗れた日々。
だが、構えを見て、違うと分かった。どれも違う。初めからきっと、その心算だったのだろう。
あの構えは、
察しの通り正義の味方は、その一刀を振り抜いた。
「《
必殺の言葉と共に。
極光が走り、縛っていた鎖ごと彼女を焼き、文字通り天の果てまで向かっていくのを、カタルパ達は遠い目で見つめた。
□■□
それは、正義の味方ですら知らない事。
原型を辛うじて留めた誰かは、瓦礫の中で目を覚ました。
バラバラのパズルのようになってしまった身体でも、HPさえ残っていれば「生きている」ものだ。
「あぁ、あ……終わっちゃったー」
身体は残っても、装飾品までそうとは行かない。ボロボロでズタズタになってしまった衣服は、もう再生出来そうにない。
立とうとして左足の膝から下が無いのを知り、這いずろうとして左腕が肩から無いのを知った。
完膚なきまでに。ルビンは敗北したのだ。壊れた身体の内側には、宇宙が広がっている。
それは
数多の災厄を詰め込んだとされるその壺には、当然その災厄を司る神格が詰め込まれていた。
そしてそれが開かれた時、世界は破壊されかけた。
破壊されなかった理由はエルピスだけが残ったからだ。
つまり災厄の壺の内部では、全ての災厄が揃っていて、その中であったであろうものは全て破壊されているのだ。
つまり彼女の内部の宇宙は、破壊された世界そのものなのだ。
生き残った彼女は、壊れた世界を内に秘めたまま、笑った。